ひだまり    今は古事記に夢中! 諏訪 緑

アメブロから引っ越してきた過去記事の再公開と、                       もっと日本を知るために「竹田研究会」の紹介を主にしていきます。

山岸涼子 『パエトーン』 と 諏訪緑 『鼈霊』(べつれい)

※ これは、以前書いた記事「パエトーン」と「西王母~」を合わせて再編集したものです。

原本が入手困難なため、内容をもう少し詳しく説明し直しました。m(__)m


『パエトーン』
といえば、言わずと知れた大御所 山岸涼子さんの作品です。
WEB無料公開  山岸涼子 『パエトーン』

遠いむかし、神になり代われると思いあがった若者・パエトーンをめぐる悲劇ギリシャ神話に描かれた

この物語を現代に展開し、原子力発電の是非について世に問いかけた短編作品『パエトーン』(1988年)


以前『ヘタレな孔明 諸葛孔明~時の地平線』 という記事で紹介した、
諏訪緑さんという漫画家が
描かれた『鼈霊』(べつれい)という作品があるんです。

これは『蠶叢(さんそう)の仮面』 と 『西王母』 という二つの単行本に収められている、

諏訪さんの「シノワズリ・アドベンチャー」シリーズ(1998~1999)の中の終盤にあたる物語で、

単行本『西王母』の中に収められています。


わたしは『時の地平線』に出会ったことで、諏訪さんの一種独特な世界に興味を持ち、

過去の作品を遡って集めていたとき読んだのですが、

これを読むと、諏訪さんの古えの大陸文化に対する造形の深さと愛着の深さがよく解かります。

なるほど、この諏訪さんだからこそ、あの大作 『諸葛孔明~時の地平線』 (全14巻)を描いたんだと

頷けます。

<「時の地平線」についてはこちら ↓ >
『時の地平線① ~ヘタレな孔明』 http://20120901.blog.fc2.com/blog-entry-115.html    
『時の地平線② ~時代の龍』 http://20120901.blog.fc2.com/blog-entry-114.html      

この物語の背景自体がとっても独特な世界観なので(これを諏訪ワールドという♡)、

ここで簡単にストーリーを紹介するのは難しいのですが、興味が沸きましたら、ぜひ、一度読んでみて

ください。 (昔の作品で入手困難かもしれませんが)

もし、「時の地平線」を読んだ方でこちらはまだ…という方にもお薦めします。

諏訪さんの、あの独特の「諏訪ワールド」の原点がわかると思います。



初めてこのシリーズを読んだ時は、「さりげになんと深いことを言うのだろう…」と至極感心しました。

とくに、この『鼈霊』(べつれい)という作品です。

(『鼈霊』の鼈(べつ)は、「すっぽん」のことです。大きな亀(すっぽん)の神様を信仰する民の話です。

 かわいい♡すっぽんが出てきます。)


この一連の物語は、三国志なんかよりもずっとずっと昔の、神と人間がもっと近かった時代、

たぶん形態としては、日本でいえば卑弥呼の治世のようなものでしょうか?

そんな時代から今に至るまで まるで変わることのない 人間の「叡智」と「愚かさ」とのせめぎ合いとでも

言いましょうか・・・、

最新の技術と知識が人間の幸福な営みにとって諸刃の剣になる ということを、この作品が鋭く突いて

いるのです。


そして、それを今、読み返してみると、

まるで、今現在の、この日本の状況を指して言い当てているように思えて仕方ないのです・・・。


先に紹介した山岸涼子の『パエトーン』は、いわば直球で原発に対する疑問を呈した作品でしたが、

この諏訪緑の『鼈霊』(べつれい)は多分、当時、原発のことなど考えていなかったと思うのです。

少なくとも、まさか今日のこの日本の状況など想像していたはずはない・・・と思うのですが、

・・・が、それにしても・・・、あまりにも、

この作品の投げかけるテーマが、「原発」または「原子力」を指しているように思えてならないのです。


もちろん、これは、わたしの勝手な解釈です。

しかし、

きっと、読んでいただければ分ると思いますが、

この『鼈霊』は、『パエトーン』とは違い「原発」そのものを描いたり説明したりするものではないのですが、

まるで観念的に、人間の驕りや欲の「成りの果て」としての「原発」、または原発事故 を予見していた?

かのように思えてならないのです。


いつの時代でも、人間というのは、より豊かになろうとか、より便利になろうとか、より富を得たいとか、

そういう欲望を普遍的に抱く生き物だということ・・・

そして、その「豊かさ」「便利さ」のために必要な「知識」や「技術」は、

持ち始めた当初は良かれと思って作ったものでも、

それが広く伝搬し、誰もが手にするようになると、

作り出した人間の意図に反して、当初の目的どおりの使い道や使い方ではなくなってくる・・・

という危険を教えてくれるのです。


そして、その時代の「最先端技術者」への諌め を ほのめかしているのです。


たとえ、最初に生み出した者が「良かれ」と思い、人々の「幸福」を願って作り出したものでも、

作り出された瞬間から、

それが誰かの手に渡って広まった瞬間から、

それを使う人間によって、使う人間の目的によって、「悪しき、不幸を呼ぶ道具」となってしまう・・・


最初にこれを読んだときは、「なるほど」と深く感心はしたものの、

まさか日本がこんなことになるとは露にも思わず・・・

今、この現状の中で読み返したときには、身が縮むような衝撃を感じました。

それは、ある意味、『パエトーン』の比ではありませんでした。



このシリーズの概要の紹介を諏訪さんの私設ファンサイト「諏訪緑的世界」 よりお借りしてきました。

 m(__)m♡

「紀元前2100年頃、中国四川地方に縦目王・蠶叢が支配する幻の国・華陽国があったという。

そこは一年中花が咲き乱れ、国民は皆健康で不老不死の桃源郷と思われていた。
不老不死の妙薬を入手せよと王に命じられ、江水のほとりにやってきた夏国の技師・無彊は、

偶然出会った「驚愕屋」の眉寿と二人、桃源郷を目指して旅に出る。
中国古代神話をベースに、二人の旅を通じて文明のあり方、幸福の意味をたどる

ファンタジー・ロード・コミック。」


先の山岸涼子さんの「パエトーン」は、西洋のギリシャ神話をモチーフにした形でしたが、

こちらは中国(大陸)の古代神話の世界です。

どちらにしても、そんな神と人とが共存していた時代でも、

今日の社会と通じる「人間の業」というものが存在するのだということを教えてくれるのです。


王の命により情報を集めるために各国をまわる無彊ぶきょう)は、その時代では最新の製鉄や錬金

の知識と技術を持っていました。

あるとき、古い神鼈霊(べつれい)を信仰する国にたどり着いた無彊は、王にその技術を見込まれ、

大切な人間を喪った悲しみを忘れるために、「仕事」を自分の「使命」と思い、それに没頭していきます。

ある日、王に請われて 人里に下りてくる虎を撃退するため、

「良かれ」と思い持てる知識と技術を使い「最新の武器」を作り出します。

しかし、それが人の手に渡り、広く伝わって、その後何に使われるかまでは、

「最新の技術の伝搬はより多くの不幸を招く」 

という友の言葉 (じつは言われたのは二度目)を聞くまで、心が空虚になっていた彼には

考えが及びませんでした。

しかし、

最初は耳を貸さない無彊でしたが、

実際に隣国で、その技術を元に武器を手にした民が戦を起こして 多くの人が死んだことを聞き、

自分の技術が人々にとって「安全」や「便利」さだけに留まって「平和利用」されるものと…

そう信じていたのは、たんなる自分の思い込みであったと、

自分の「技術(能力)」を「使ってみたい (試してみたい)」という、己の自己満足であったと気づきます。

そして、己の傲慢さにやっと気づいた彼は、

王が止めるのも聞かず、すべてを「破棄」しようとするのです。


そのとき、その「武器」を作らせた、

「信仰」から離れ 「知識と技術」で人心を束ね制圧しようとする王は、こう言いました。
「それは技術者の問題ではない。 技術を使う愚かしき人間の問題だ」 と。


原発や原爆も まったく同じではないでしょうか?


これはまさに、

この世に「原子力」を作り出してしまった「科学者の詭弁」と 同じだと思うのです。


「悪魔の道具」をこの世に生み出し、

それが 吐き続ける「姿形の見えない化け物」 を作り出しておきながら、

それを制御できなくて慌てふためき混乱する「愚かな」人間たちを 高みから嘲笑っている・・・

そんな「科学者の傲慢さ」に思えてなりません。


わたしたちは、アインシュタインの後悔 を今一度思い返す必要があるのではないでしょうか?


野心で心を失くした科学者が作ってしまったものを、欲にかられて心を失くした者が利用してしまった・・・

間違った目的で 間違ったやり方で・・・

それが、今日の現状を招いたのではないでしょうか?



ただ、唯一違うことは、

なにも考えず、あとさきも考えず「空虚な心」で作ってしまった「最新の武器」を

無彊は、己の愚かさとその「怖れ」に気づいて潔く破棄しようとします。

「いずれ人はそれを知ることになる」という仙人の言葉にも怯まず、きっぱりとそれを捨てようとします。


しかし、

今の科学者たちは、それができるでしょうか?

今のわたしたちに、それができるでしょうか?

自分たちが生み出し許してしまった「最新の武器」を、潔く手離すことができるでしょうか?


無彊にできて、わたしたちにできない・・・ その差はどこにあるのでしょう?

わたしたちに足りないものは何なのでしょう?


無彊は 自分が時代の最先端技術者として どう責任を取るかを考え、それを果しました。

その仙人の言うように、

今、無彊がそれを隠しても、いつかは誰かに発見されることになる・・・

いずれ人類はその技術も知識も得ることになるのです。 


使いこなせるかどうかは別として・・・


そう、

「早すぎる進化」は、人を、世界を狂わせます。

使う人にほんとうの「知恵」や「覚悟」がないうちに、

最先端の技術だけを手に入れることはとても危険です。


だから、無彊は、それが分ったから、

いずれその時が来るまで、人の叡智が充分育つまで、

それをひけらかさず、「封印」しようとしたのではないでしょうか?


今できるからといって無闇に何でもしてしまうのではなく、

できると分っていても、時が熟すのを待つ。


無彊が下した判断は、まさに、

今現代のわたしたちに最も欠けている「覚悟」だったと思うのです。


「最先端技術者」としての科学者の「覚悟」が、今問われていると、わたしは思います。

わたしたち人類の叡智が 「それ」を使いこなすにはまだ成熟していなかったということを

潔く認めるという覚悟が。




※  ※  ※  ※  ※  ※  ※  ※


「文明の利器」を手にして久しいわたしたちは、

それによって人々の暮らしが「便利」で「豊か」になる、ということに留まらず、

いつしか、誰かが「より懐を肥やす」 という目的に変わってしまいました・・・。

それゆえ、十分「豊か」だったはずなのに、もっと利益を、もっと需要拡大を、と

「人の暮らし」以上の巨大な欲と資本が世の中を支配し始めました。

わたしたちは、知らず知らずのうちに、その戦略に巻き込まれ、踊らされ、

「便利さ」のために失ってしまったものの多さ、貴重さを忘れていました。

その失ってしまった最たるものが、

「自然にやさしいということは 人にもやさしい」 という概念であり、

その対極にあるのが、

経済至上主義と 科学への盲信が生んだ 原子力利用による地球の放射能汚染 のような気がします・・・。




原子力災害用ロボットの開発について考える ②

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『パエトーン』についてはこちら  WEB無料公開  山岸涼子 『パエトーン』

遠いむかし、神になり代われると思いあがった若者・パエトーンをめぐる悲劇。ギリシャ神話に描かれた

この物語を現代に展開し、原子力発電の是非について世に問いかけた短編作品『パエトーン』(1988年)

夏の寓話 (山岸凉子スペシャルセレクション 6)/山岸 凉子に収録



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¥510
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これ  しか、絵がなかったの・・・(T T;)  この続巻『西王母』に『鼈霊』は収録されています。

(そうそう、あの「時・地」に出てくる「安期生」がこのシリーズにしっかり出てきます!

 いえ、出てくるというより、大事なキーパーソンなんですけどね・・・ わたしには豊川悦司にしか見えない…)


『西王母』 ← 中古 1円より 


オ・マ・ケ合格

おすすめ!!   読んで後悔はさせません!

誰にもかけない「三国志」!! 深いです・・・。 

三国志ファンでもない、まったく知識のないわたしがはまってしまった作品です。



全巻セット ↑ 文庫全8巻  ↓ PFコミックス全14巻セット



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時代の龍   「諸葛孔明  時の地平線」 2


いわゆる三国志に出てくる「華陀」っていう医者がいますけど、

この諏訪緑「諸葛孔明  時の地平線」に出てくる華陀は、あんな年寄りじゃなくって、

すっごく若くてかっこいいんです!

かっこいいことを言ったら、周瑜はもちろんなんだけど、孔明は破髪と結髪でそれぞれ楽しめて見目麗しいし、曹操も石原軍団のようにかっこいいし(って例えが古過ぎるって?)、

馬超も馬謖もかっこ良すぎるし、 まあ、「あれ?」っていうのは、劉備と司馬懿くらいかな…?


・・・いや、かっこいいことを書きたいんじゃなくてね、

この華陀もそうだけど、華陀のお父さんっていうのが、また謎めいた人物で、

安期生っていうんですけど、

あちこちの時代を自由に行き来できる存在なのです。

この安期生と華陀が、ちょっとだけ、この話のストーリーテラーになってるとこもあるかな?

ちょっとだけね。

でも、そのちょっとが、また効いてるんだよね~

上手いというか、すごいというか、

その親子が、要 要で孔明にかかわってくるんですけど、

そこにまた 「時代の龍」 ってのが絡んでくるわけなんですよ。


この「時代の龍」は、曹操と孔明の命数と共にこの時代を駆け抜けていくんですが、

その龍のエネルギーが、曹操にとって、孔明にとって、その時代にとって「吉」とでるか、「凶」とでるか、

それがはっきり分からない っていうのが、かえってリアリティを感じさせます。


とくに、劉備の命数が尽きるころ、

劉備亡きあとの自分に自信が持てない孔明は今までになく揺らぎます。

曹操が死んでも、周瑜が死んでも先が見えなくなることはなかったのに、

今まで自分の危うい激情を食い止めてくれた劉備なくして、自分が冷静に国を導き治める自信を失った孔明は、

半ば自暴自棄になって、今まで自分が心血を注いで地道に歩んできた和平の道すら捨てようとします。

そのとき、時代の龍が孔明の堰を切ったような激情の中で荒れ狂う様を見ると、

けっしてこの龍は人の心の平安を望んでいるわけではないことが分かります。


孔明がこの「時代の龍」を背後に住まわす意味とは・・・


孔明という星の吸引力は、いろんなものを吸引し、飲み込んで昇華していく・・・
「時代の龍」っていうのは、ただ、熱く激しくその時代を走り抜けていくだけじゃなくて、

その時代に生れ落ちた星を集めては磨いてゆく っていう役割もあるのかな、と思いました。
龍の去ったあとにこそ、適材適所に星々が散らばり、

そのときこそ、

人々が求めていた時代がやってくるのかな・・・と。



「時の地平線」の中の、この曹操と孔明のふたつの龍という存在は、

諏訪さんが何かを参考にしたか、独自の発想だったか分かりませんが、

いろいろな三国誌ものの中でも特筆すべきものではないでしょうか。
人物、事象のあらゆる設定構成においてすごく独創的で、完成度が高い上に、

この「時代の龍」を絡ませてくる辺り・・・



そして、その龍を見ることができる数少ない人物の一人、安期生。
じつは、

諏訪さんは、他の作品ですでに何度も安期生を出しているんです。
それこそ、時代をこえて、作品をこえて、

この安期生はまるで諏訪ワールドを自由に行き来しているよう・・・


きっと、この「時の地平線」の構想は、ほんとにずっとずっと以前からあって、

いろんな作品を生み出しながらも心の底にあたため続けていたのでは・・・と思います。

だから

この 「時の地平線」 という副題は、
この作品に限らず、諏訪さんのすべての作品を通して言えることのような気がするのです。









ああ、読み返したら睡眠不足になると分かっていたのに・・・

分かっていたのに読んでしまった・・・ (T T;)

それにしても、ここでは書けなかったが、後半、なんといっても特筆すべきは、荀彧!!

ああ、荀彧、グッジョブ!です!!

こんな荀彧みたいな人が今、日本の政府首脳陣にいたら・・・

と、切に思わずににはいられません。

どんな壮大な劇的な英雄物語でも、じつはこんな影の隠れたたった一人の矜持によって歴史が動いていた

・・・っていうことあるんですよね~

それにしても、諏訪さん、上手すぎです。

どこをどう掘り下げても綻びがない。 これだけのテーマ、これだけのエピソードをよく途中で破綻なく

まとめ上げたと思います。

ほんとうに好きじゃなきゃできない。

孔明へもそうだけど、華陀への愛を感じます。

この作品を残してくれたことを本当に感謝しています。  m(__)m

いろんな意味で、この作品は救いでした。



 



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中国へ行くまでぜんぜん興味なかったのに、

中国にいるときも全く関心を持たなかったのに、

なぜか、日本に帰ってきてから、いきなり「三国志」にハマリました・・・


ど~して~??

せっかくなら、中国にいるうちだったらよかったのに~~

そしたら、もっとちがう目で中国を眺めてたのに~ 

あああ~~ なんて惜しいことを・・・ (><);;


って、今さら身悶えてもしょうがない。

これも縁なんでしょうか?

日本に帰って来てから、むこうにいる間中飢えていた日本の活字と日本の漫画文化を

貪るように集め読みまくったわたし。

そのときに、ず~~っと昔読んだ漫画家さんのなつかしい作品から、つい手をのばして読んだ

諏訪緑 作 「諸葛孔明 ~時の地平線」 という作品にハマっちゃったんです!

最初読んだときも、すごいと思ったけど、

そこから三国志に興味を持って、ちゃんとした「正史」、「演戯」から、いろんな関連本、研究本・・・

等を一気に読みまくり、

もう一度、この「時の地平線」に戻ったとき、あらためてこの作品のすごさを感じました。


何がすごいかって、

これは、一言でいえば、

日本人の感性で、日本人にしか描けない「三国志」だったのです。

つまり、

この作品に出てくる孔明も、劉備も、周瑜も、曹操も、荀彧も、仲達も・・・どんな脇のキャラもみんな、

ぜったい今の中国人にも、過去の中国人にも理解できない、

それどころか、「正史」や「演戯」に馴染んだ日本人が読んだって、最初はぜったい

「こんなの、ありえな~~い!!」

って叫びたくなる世界なんです。


でも、

それなのに、

ちょっと「我慢」して読んでみてください。

全14巻(文庫は8巻)をちゃんと最後まで読んでやってください。

ほら・・・

ほらね?

だんだん、不思議と腑に落ちてくるでしょ?

「なんだ、こういう解釈もなかなかどうして・・・」

と、ちらとでも思ったあなたは、もう、この世界の住人です。

最初は、「ぜったいこんなのありえない!」 「こんな孔明があるか?」 「こんな劉備がいるわけない!」

って否定してたあなたでも、

ぜったい、最後にはこの孔明、この劉備に、この諏訪ワールドに納得してしまうはず。

だって、当然です。

あなたは日本人だから。


そう、これは、「三国志」をとても日本的に、日本人の感性で描かれたものなのです。


でも、いろんな三国志を見てまわって、

ぐる~りと一回りしてこの孔明に出会うと、

今までの三国志を読んでてどうも腑に落ちなかったところ、

あまりに「演戯」に作りすぎて違和感があったところなどが、

すごくしっくりと「わたしたち」の腑に落ちるのです。

この感覚は、すごく不思議で、すごく自然で、すごく感動的です。


「そうだ、そうでなければ・・・」


実際の人間の感情がどんなに利己的で我が儘でも、

実際の人間の行動がどんなに愚かであっても、

それでも、人が本来求めるものはいつの時代も、どんな民族であろうと同じではないか・・・?

長く暗い乱世の時代だからこそ、

人が求めるもの、人が畏れるものは今の現代社会でも同じではないかと・・・


そういうことを、

この「時の地平線」の孔明は教えてくれるのです。


この諏訪緑が描く「時の地平線」に出てくる諸葛孔明は、

確かに天才軍師であり、稀代の為政者でもあるのですが、

他の作品と違うのは、

この孔明、なんと、  すごいヘタレなんです


え?

それじゃあ、ぜんぜんかっこよくないじゃないか!  って?

いえいえ、

ぜんぜん、かっこいいです。           ( 正確な日本語 :ぜんぜんかっこわるくないです。 )


この孔明も、あの有名な「赤壁の戦い」で10万もの曹操兵を殺しましたが、そのあと どうなったのか・・・


策を練らせば十手も二十手も先を読み、自分が思い描いたとおりに戦況を動かし、

勝つと言えば必ずその通りに勝ってしまう・・・ やはり天才軍師。

そこまではいっしょ。

だが、しかし、

この孔明は、

劉備には泣き言いうし、

ひとりで考えてるとどんどん悪い方向に行っちゃいそうなになるけど、

劉備と話してるだけで、疑心暗鬼の雲がすっと晴れるように自分の考えがはっきりしてくるという、

とにかく、「わたしは劉備様がいなくちゃだめなんだっ 」 っていう孔明なんです。

おまけに、

自分の策略で殺された人のことを思ってはげえげえ吐いたり、

食事がのどを通らなくて立てなくなってしまったり、         ( よく胃潰瘍にならなかったな~ )

自らの策略で負傷した友の火傷を見ては何度も卒倒してしまう・・・

そんなヘタレな孔明なんです。


天才軍師の華麗で冷静な部分と、

生身の人間らしい繊細さと、相反する激しい感情をも合わせ持つ孔明。

この諸刃の剣のような激情を知っているのが、お守役ともいえる趙子龍。

今まで、主人のもとで武勲を上げることだけが生き甲斐だったはずの武人が、

ぜんぜん軍師に向かないくせに 自分に与えられた使命に立ち向かって責任を果していく・・・

このヘタレな孔明の姿にだんだん生き方を感化されていくのでした。

子龍だけでなく、

孔明とかかわった人間は、大につけ小につけ、影響を受けていく・・・


「ヘタレな孔明なんて、ありえない! あの冷徹で切れ過ぎて鉄仮面のような孔明が?」

って思われる人がほとんどだと思いますが、

でも、なぜかわたしは、
いつのまにか、そんなヘタレな孔明ばかりを繰り返し探してしまう・・・
まるでなにかを確かめるように。



小説やゲームの世界では、所詮これは国取りゲーム。

どうやって自分の国を守るか、

どうやって自分の国を広げるか、

どうやって敵を潰せるか・・・

結局はそんなことばっかり考えてます。

いや、それだけじゃないことは分かっているけど、

けど、

乱世を終わらせることが最初の目的だったはずなのに、

結局は、自分の国の安寧だけが大事で、そのためにはどれだけ人を殺そうとものともしない・・・

そういう殺伐さを、華麗な軍師や武将たちを揃えて、

それこそ実際に「ありえない」ような戦術や戦果で一大エンターテイメントに仕立て上げてる。

義理や忠義や人情も、所詮は物語としての装飾かアクセント。

これは、ほんとは何のために書かれたんだっけ?

と疑いたくなるような今日の解釈・・・

おまけに、当の中国の若者すら、「正史」も「演戯」も知らず、

三国武将の名前を聞いても 「ああ、日本のゲームのことか」 という始末。
しかも、ゲームで稼ぐだけでなく、

そのずっと以前から、

今日の殺伐とした経済競争社会という戦場における、戦術とか、戦略とかを学ぶバイブルとして、

また、現代社会にも通ずる「処世術」として応用されたり評価されたりしてきました。

まあまあ、そういう類いの関連本も多いこと多いこと。


ゲームから入った人は、英雄たちの華麗さに目を奪われて、

もとの三国志が作られた経緯も今日まで残ってきた理由も考えることはないかも知れないけど、

この話の根底にあるものは、結局は

今日の中国にも連綿と受け継がれてきた「中華思想」なのです。


いわゆる英雄物語のように作られているので、一見何の違和感なく読めてしまうし、

登場人物の魅力にかき消されてうっかり忘れてしまいがちですが、

なんの根拠もない漢民族優位の思想が、当たり前のこととして

語り手にも、どの登場人物においても骨の髄まで染み通っています。

しかも、ものすごく利己主義な姿勢をむしろ隠そうともしない傲慢な意図を感じます。

でも、しょうがないですよね。

もともと、晋の権勢を示すために、皇帝が自分の先祖である司馬懿の優秀さを示すために編纂させた

といっていいものなのですから。

でも、それって、

結局、

漢民族の優秀性をひけらかすために書かせたといっていいと思うのです。


もう、いろいろ読みすぎて、

一周してそういう見方に落ちてしまったわたしにとって、

この「時の地平線」は救いでした。

そういう、

いろんな意味での三国志をとりまく世界から離れて、

この諏訪ワールドともいえる「時の地平線」の孔明は、

わたしにとって、やっと自然体で息のできる、荒んだ世界で疲れた心を洗い流してくれる・・・

そんな、まるで一服の清涼剤のような存在だったのです。



なぜ、この孔明は、人殺しの親分でもある軍師でありながら、人を殺すたびにいちいち落ち込むのか?

なぜ、この乱世の時代に 「どうやったら敵も味方も一人でも多く死なせずに済むか・・・」

なんてことを真面目に考えるのか?         (戦力や手駒としてじゃなくてですよ)

不思議ですよね? 

ふつう考えないですよね?

この時代の中国人ってそんな風にぜったい考えないと思われてますよね?(ま、今も似たようなものだけど…)



でも、よく考えてみてください。

そっちの方がほんとうはおかしいでしょ?

いくら「戦争屋」といっても、もともとは人間です。

ほんとは、戦争以外の好きなこともあったろうに、

家族も恋人も子供もいるだろうに、

ほんとは、だれだって、平和に豊かに安心して暮らしたいだろうに・・・


そんな狂った乱世の時代は、三国志の時代だけではないはず。

物質的には豊かですが、

今だって、ほとんど乱世といってもいいものがあります。

じゃあ、今、こんな風にみんなが思ってしまったら・・・?


それを、はた、と気づかせてくれたのです。

このヘタレな孔明が。

ふつうは、

「大儀名分」があるのだから、良心はどこかに仕舞っておけばいいものを、

いちいち考えないで割り切ってしまえば、もっと気持ちも楽になるものを、

と考えてしまうもの。

けれども、この孔明は、最後までそれをよしとしなかったのです。

このヘタレな孔明が教えてくれたのは、

ほんとうに大切なのは、失くしてはいけなかったものは、

孔明が最後まで手離さなかった そんな 「痛み」 だったのではないか・・・

そう思うのです。


何度読み返しても、読後感はなんともいえない悲しさがつきまとって、癒されないのは、
この孔明の一生報われなかった 解決されなかった「痛み」 が、

今日でもなお解決されないまま続いていることが、

今でも孔明を苦しめ続けているような、そんな気がしてならないからだと思います。



こんな孔明をつくり上げられるのは、日本人だけです。

もし、この作品を翻訳して中国の人に読ませても、きっと理解されないでしょう。

いや、中国だけでなく、きっと他の諸外国の人にも・・・

なぜなら、

幸運なことに、日本に生まれて育ったわたしたちは、当たり前のように

「いかなる大儀名分があろうと殺人、殺戮を正当化してはならない」

「搾取、簒奪は卑怯である」 と思うことができます。

これは、当たり前のことのようですが、意外とそうでもないのです。
実際、ちょっと隣へ行くだけで、けっしてそうではないということを感じます。

お隣りだけじゃありません。

経済大国とか、先進国とかにかかわらず、

この「痛み」を手離してしまった人があまりに増えすぎて、

今、まさに、時代は乱世へと逆戻りしています。


そんなとき、

この壮大なスケールの三国志という舞台を使って、この孔明が語りかけてくるのです。

人の痛みを忘れるな、と。

人を殺めたときの痛みを忘れてはいけない。

人を傷つけたときの痛みを忘れてはならない、と。



この孔明が 最期まで手離さなかった「痛み」を

最初は違和感を覚えつつ、最後にはなんともいえず腑に落ちてくる・・・

それがわたしたち日本人なんだと思います。


だから、そんな人の痛みを「あたりまえ」に感じられることを、

そういう社会を残してくれた先人の努力に感謝する気持ちを忘れずに、

それをわたしたちはきちんと手離さず継承して行かなければ・・・

と、感じずにはいられません。



それが、

この孔明の一番の望みだったように思います。







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