ひだまり    今は古事記に夢中! 今あなたに伝えたいこと 2

アメブロから引っ越してきた過去記事の再公開と、                       もっと日本を知るために「竹田研究会」の紹介を主にしていきます。

再 なぜ放射能汚染された瓦礫を全国にばら撒く必要があるのでしょう?

※ これは2011.10に出した記事を再投稿したものです。



なぜ放射能汚染された瓦礫を全国にばら撒く必要があるのでしょう?


放射能汚染された瓦礫の受け入れを拒否すると、なぜ卑怯とか情けないとか

言われるのでしょう?


難しい問題だけど、反感買うのを承知でひとつの意見を出します。


わたしは、ボタンのかけ間違えひとつで、

今のこの日本の状況になっているのだと思います。

つまり、最初の間違いさえ正すことができていたら、

今のこの世論とは真逆のことが正論になっていたはずだと思うのです。

「なぜ、汚染された物を福島から外へ出すのか?」  ・・・と。



一番悪いのは政府です。 最初の政府の対応なのです。

これをまず一番最初に押さえておく必要があると思います。

そして、

政府の対応が間違っていたとすれば、どこが間違っていて、 どうすべきだったのか?

それを、もういちど、原点に帰って考え直す必要があると思います。


その答えをわたしは、小出浩章氏 の言葉に求めます。

わたしは小出氏の見解を信じます。


そうすると、彼が言うには、

チェルノブイリの教訓からいって、

最低でも福島全域「放射線管理区域」(人が勝手に出入りできない区域)に指定し、

そこには 人を住まわせてはいけない はずなのです。


ヒロシマ、ナガサキの経験からいっても、

あとからそこへ人を入れてはいけない はずなのです。

 (外部にも被爆者を広めることになる)


そして、放射線取扱者の常識からいっても、

放射線管理区域からは一切の汚染されたものを外へ持ち出してはいけない

はずなのです
(それは、研究所などでの放射線の取り扱い法規も同じ)

そうしないと 無暗に放射能汚染と被曝被害を拡散させてしまう からです。


これまで、 原発事故が起こるまでは、そうやって「安全」を守ってきたんです。

それが放射能に携わる者としての常識だった。

なのに、事故が起きた途端、政府はすべてなかったことにしてしまった。


厳重な法規によって守られてきたはずの放射能被曝拡散の危険を

政府自らが禁をやぶって実行してしまった。


政府は、やってはいけないことをした。  

すでにその段階で犯罪行為だったんです。


本来、一研究員がそれをやったら処罰される犯罪です。

それを、政府自体が、平常時なら「犯罪」に値する行為をやっていた。


献金どころの騒ぎじゃない。

長い目で見たら、かれらは大量殺戮者です。


もし、

国民がこのこと自体を最初から断罪していたら・・・

全国民が 放射能被曝の苛酷さを正しく畏れる ことを知っていたら、

政府の犯した、その罪の大きさを知っていたら・・・

そして、もし、

「このままじゃいかん!」 と、

国民総意で なんとしても政府を動かして、

すぐにでも 全福島住民を避難 させ、そこを封鎖 していたら、

今とはまったく違った常識と見解になっていたはずだ と思います。


つまり、

今、福島(その他被爆汚染地域)に人が住んでいること、

「住まわせている」ことはもちろん、

そこへ自由に出入りできていること、

そこから汚染された物を持ち出すこと自体が間違っている! と

そういう意見になるはず・・・、いえ、なるべきだったのです


ほんとうは、

汚染された福島から家畜も食物も一切外へ出してはいけなかったはずなんです。


政府が正しく放射能の危険を認識していたら、

最初に正しい対策をとっていたとすれば・・・

日本は、今とはまったく違った社会通念ができあがっていたはずなんです。


わたしはこう思うのです。

本来なら、あの初期の段階で菅元総理が うっかり 発言した

「数(十)年は帰れない…」 というのが本当だったと・・・。


あの発言が非難されたときは、

まだあれが「核爆発」ではなく「水素爆発」だと信じられていたからであって、

現実のシビアさを誰も知らされていなかったからであって、

まだ現実感も、ほんとうの危機感も誰も感じていなかったからであって、

発言の仕方の品位はともかく、

菅総理の言っていた内容自体は、あれがじつは唯一の真実 だったと思うのです。


菅総理も、

ほんとうは、どれだけ苛酷な現実なのか知っていたからあの言葉が出たんだと思います。


あれはあれで、「正しかった」のだと思います。


だからきっと心から 「浜岡原発を止めなければ」 と思ったんだと思うのです。

あの一点においては、

彼の判断は、発言は、じつは真摯であったと、今は思うのです。



小出氏の講演を事前に聞いてきた人たちなら、

あれがうっかりだろうと、不用意だろうと、少なくとも真実だということは分かっていたと思う。



実際あれは「水素爆発」なんかじゃなかったんですから。

実際には、スリーマイル島どころかチェルノブイリよりも大変なことだったんですから・・・


しかし、世論は、 いえ、マスコミは、

あの言動を叩き、「風評被害」被災者意識を最優先して取り下げさせてしまった。
わたしは、それ自体が間違っていたと思います。


あそこから狂ってしまったんだと、

あそこからもう戻れなくなってしまったんだと・・・ そう思うのです。


あのとき、マスコミ誘導に乗って国民が、世論が、あの言葉を

「被災者感情を逆なでする」などとヒステリックに受け止め、非難し、

「取り下げさせてしまったこと」がすべての過ちの始まりだった

・・・と思うのです。


あのとき、推進派にとって都合のいい方向に簡単に世論誘導できたのは、

あの時点ではほとんどの国民が、

被曝被害の現実を、内部被爆のほんとうの重大さ 苛酷さを 誰も知らなかったからです。


もう、二度と戻れない道だけど、あえて仮定の話をさせていただくと、


もし、あのとき、

「完全な収束までには、ともすれば何十年もかかるだろう。 

それまで、もうそこには誰も住めないだろう・・・」 という主旨の言葉を

そのまま真摯に受け止めていたとしたら・・・


もし、その前に、ヒロシマやチェルノブイリの正直な被害研究が

公明正大にすべての国民に知らされていたら、


「放射能被曝は直ちに影響は顕われなくても深刻な健康被害が出る」

「すぐにそこから避難しなければ!(避難させなければ!)」


という現実を受け入れることを避けたりしないで

その言葉のまま、その苛酷さを受け入れていたら

 

そのように後の対策を取っていたら・・・、

きっと今頃、まったく違う世論になって

それがいずれ社会通念になっていたのではないでしょうか?

「今は何ともないけど、放射能被害とは、そんなに苛酷なものなのか?」

「それは大変だ! だったら、はやく全員逃げなければ!」

「ひとたび事故が起きたら、こんな大移動(大パニック)になるとは・・・」

「誰も知らない。誰もやったことがない。 誰も指示を出せないなんて・・・!!」


となるでしょうが、それでもきっと・・・


「とても困難なことだと思うが、とても上手く行くとは思えないが、

それでも放ってはおけないから、

全国民が協力して、今すぐできるだけのことをやらなければ・・・」

「せめて子供たちだけでも先に・・・」


と なったんじゃないですか?


そして、その後、


「こんな大変な現実が待っていたなんて知っていたら 誰も賛成なんてしなかったのに!」

「やっぱり日本に原発を作るのは間違っている」
「次の地震がきて次の原発事故が起きる前に、早く原発を止めなければ!」


・・・という流れになったはずでは?


けれど、それは起きなかった・・・


そのとんでもない大混乱=何十年も住めなくなる→今すぐ全員避難しなければ!

という、その決死の大移動は実行されなかった。

それだけの大パニックも起きなかった。


やるべきことをしなかったおかげで、

誰もそれを体験することはできなかった。

そのため、だれも、ほんとうの原発事故の苛酷さ を味わうことも見ることもできなかったのです。


そして、中途半端な現実感と、中途半端な安心感だけが残った・・・


「原発必要論」がなくなることはなく、「原発廃止論」とバランスを保っていくことになった。



結局、原発はなくならない。

核利用も、放射能廃棄物処理問題も解決されない・・・

放射能放出と被曝被害はまだ続いていくのに・・・


原発を持つ国のどの政府にも足りなかったこと、

それは、間違ってしまったことを「認める」という覚悟です。


原発を持つ国というものは、

原発を持ち続ける限り、

何度過ちを犯しても、何度甚大な被害を出しても、何も変わらないのです。

今までも、これからも・・・。


もし、

「住民の命と健康を守る」ために大きな犠牲(大移動パニック)という「的確な措置」を決断したとしても、

避難時の苦痛だけでなく、避難先のこれからの「現実」の大変さと混乱と精神的苦痛のため、

結局、政府は国民から、

想定の甘さ、対策のお粗末さ等で二重にも三重にも責められることになるでしょう。

だから、それを避けたかったのです。

なぜなら、

放射能被曝被害は、「直ちに」目に見えて分からないけど、

現実の大混乱避難パニックの苦痛は直ちに実感できます。


そして、その後の全国民を巻き込む避難生活のストレスは、

目に見えて原発事故の大変さを直ちに実感させるものだからです。


そして、最終的には、

「こんな全国を巻き込むような大変なことは二度と御免だ!」 = 「原発なんて要らない!」

ということになったと思うのです。


つまり、そういう流れになるのがまずいから、


そんな大混乱を招いてまで県民を避難させ、

政府対応の愚かさを露呈して、原発推進派の浅はかさを暴露して、

「安全神話崩壊どころの騒ぎじゃない!」 と国民に感じさせたくなかったから、

非難の矛先がすべて原発の存在そのものに向かうことを怖れたから、

ほんとうのシビアアクシデントを現実的に国民に実感させることを

絶対に避けたかったのだと思います。


ですから、政府は、その「最悪な想定」を避けるために

国民の命や健康や幸福な将来を犠牲にしてでも、

あの菅総理の「正直すぎた発言」は否定されなければならなかったのです。


「何十年なんて嘘ですよ~ すぐに片付きますから大丈夫ですよ」 と。



もちろんこれは推測ですが・・・


その避難時の大混乱ぶりは、考えるだけでも政府にとっては恐ろしかったでしょう。

だから、本当は分かっていたのに、それを避けたんです。


一度の原発事故でそんな思いをした国民が、原発続行を是とするわけがない・・・と思ったから。



だから、あえてあの言葉を取り下げ、

あれ以来、「被災者感情」を最優先し、風評被害の火消しに奔走し、

被災者及び、のちに被曝を共有することになる非被爆国民、

つまり全日本国民の健康と将来を犠牲にしてでも、

原発事故による被害のほんとうの苛酷さ を体感させないようにしたかった

のではないでしょうか?


「現実問題、全県民をあそこから一斉に避難させることなどあまりに困難であり、

到底不可能だった」


という声もあるでしょうが、

しかし、本気でやっていたら、半年もかかるでしょうか? 

3か月もかかるでしょうか?

少なくとも、今現在はすべて避難し終わっているはずですよね?


除染も、まめな線量の測定すらままならない行政の元で、

今なお発病の恐怖と不安の中で暮らしているなんてことはないはずですよね?


放射能瓦礫処理問題で、国民同士の関係がおかしくなることもなかったはずですよね?


マスコミのミスリードのもっとも問題な点は、

その人間関係をややこしく、おかしくさせていることです。


「被害を分かち合えないのは卑怯」だとか、「被災者感情を逆なでする」とか、

「同じ国民として情けない」とか、「

もっと被災者のことを考えるべき」とか・・・


国民が瓦礫に始まる「放射能汚染拡大」に反対しているのは、

政府がやるべきことをしていないからです。

政府がやってはいけないことをしているからです。


だから、それに反対しているだけです。


被災者をないがしろにしているのではなく、

政府が守ろうとしないものを守ろうとしているだけです。


非難されるべきは政府であって、政府対応であって、

それに反対する市民ではないはずです。


それをマスコミはミスリードして、国民同士をいがみ合わせているとしか思えません。


もう、事故は起こってしまったんです。

いくら国が面倒見てくれても、どんな補償があっても、

二度と元の生活には戻れないし、元の心地には戻れないし、

苦しいのも、辛いのも、傷つくのも、それはもう無くしようがないのだと思います。


それが原発事故だからです。


すべての人が、気持ちよく助けられることなんてないんです。

すべてが上手く行くことなんてあり得ないんです。


それが、普通の大震災とは違うことなんです。

普通の災害だって、すべての人が等しく救われたことなんてあるのでしょうか?


これは、放射能災害なのです。

これが、原発事故の現実なんだと思います。


原発は、それが存在しているだけで、

過去も現在も未来も、人々を不幸にするんです。


だれもだれも幸せになれない。

結局は、みんなみんな不幸になるシロモノだったんです。


福島原発で作った電気を関東の人が使っていたから、

福島の子供たちは関東の子供たちの犠牲になった・・・ とか言うけど、

では、福島の人たちは原発の恩恵を受けていろんな便宜を図ってもらっていて、

これからも特別に補償を受けられるんでしょうけど、

原発がなかった土地の人は、原発の恩恵も補償もこれまで受けていないのに、

恩恵を受けてきた県民と同じように、場所によってはそれ以上に、

放射能被害や風評被害で苦しむことになるんです・・・


もう、だれが良くて、だれが悪いだなんて、境界線がぐちゃぐちゃなんです。

誰が得をするだとか、誰が損をするだとか、そんな線引きもムチャクチャなんです。


そして、人間関係がおかしくなっていくんです。


そういう悲惨な現実、

その不条理、その一生解決されない感情的な不条理も全部含めて、

それすべてひっくるめて、

それが「原発事故」、「原発を持つ」という現実なのではないでしょうか?

だから、原発は、存在そのものが悪いんです。


自然を引き裂き、人を引き裂き、国を滅ぼし、地球を滅ぼします。



話を元に戻します。

もし、全国民が、チャルノブイリの真実を、放射能被曝の苛酷さを知っていたら、

「そこには住めない」 「そこには入れない」 「そこから出してはいけない」

という危機管理認識を全国民が認め、それを受け入れたんではないでしょうか?


そうしたら、今頃は、

「被曝した瓦礫を外へ出すなんてもっての外だ!」

「被害をこれ以上広めてどうする?」

「日本中が海外から風評被害に遭うぞ!」

と言うのではないでしょうか?

わたしは、それが正しいとおもうのですが・・・


京都の大文字焼きも、愛知県の花火大会も、

自分たちだけ助かりたいと思って・・・とか、

少しくらいの被曝も分かち合えないのか?  とか、

被災地の苦労を分かち合えないのか? とか・・・

それこそが、日本にとっての危険な思想 だと思うのですが・・・違いますか?


わたしは、

あのときの風評被害意識の方が、日本にとって危険な思想 だと感じました。




何もかも、

あの「言葉」を闇に葬ったことからすべてが狂ってしまったのだとわたしは思うのです。


もう、あの時点には戻れないけど、

もし、「何十年はかかる」という言葉の「真意」を国民が理解できていたら

ボランティアは被災地で生活の面倒をみるのではなく、

避難誘導と避難先確保の方に尽力したはずです。


被災地のものを引き受けないからといって非難されることはなかったはずです。


あれほど小出氏らが警告していたのに、

一番チェルノブイリの現実を知っている真摯な人たちの言うことは無視され続け、

その事実を隠すために、「あれ」を否定したから、

結局、

チェルノブイリの経験も反省もまるで生かされなくなり、

まして、日本人として広島、長崎の経験すらなんの意味もないことになってしまったのです。


その経験と研究と教訓を生かさずして、かれらは一体なんのために訴え続けてきたのか?、

危険を冒して放射線管理区域へ何度も足を運び、

被爆実態を調べ、何十年もかけて内部被爆の研究をし、

原発の真実、原発事故の恐ろしさ苛酷さを身を粉にして訴えて続けてきたのは

何のためだったのか・・・?


その声は聞き届けられず、まったく生かされることもなく、

とうとう、チャルノブイリ以上の最悪の結果を招くことになったのです。


チェルノブイリよりも悲惨・・・それは、事故の起き方ではなく、事故後の対処の仕方がです。

実際に国が分裂して政府が交代し、現実的な無政府状態となった当時のチェルノブイリより

もっと酷い、もっとお粗末な行政です。

やり方がまずいとかいうレベルの問題ではないです。


長期的な緩慢な計画的大量殺戮といえるくらいのことをしている・・・


その政府の犯罪的ないい加減な処置のおかげで
そういう基本的な間違いの上に今の日本はあらゆる認識が広まっている。


だからややこしくなってしまったけど、これだけは間違っていると思うのです。


何度も言いますけど、
「苦しみ」は分かち合っても、「放射能汚染」は分かち合うべきではない、

してはいけないと思います。


だから、汚染された瓦礫を日本各所へ運ぶことが「復興」だとは思えないのです。


「風評被害」の心情だけを最優先できる場合と、

今回の放射能汚染問題は別として分けて考える必要があるのではないかと思います。


線引きが難しい問題ですが、

このまますべて「風評被害側」を擁護していると、

結局、

日本全土が、世界から見て「風評被害」を受けることになり、

経済孤立する危険もあると思います。


日本全土の信用を失うかもしれない・・・ 

という観点からいうと、

汚染物質はできるだけ一か所に固めて、

そこは半永久的に触らない(持ち出さない)土地にした方がベストだと思います。


それが、国を、国民を守るという観点からいって最も正当であると思います。


原発を維持するために、

その正当性が最初から「なかった」ことにされているだけなのです。


しかし、それによって生まれる苦痛は、「なかった」ことにはできません。

そこを政府が誤魔化しているから、

まだ原発があってもいいかと言う意見が通るのだと思います。


ほんとうにやるべきことをしていない・・・その理由は、

「まだ原発が必要だから」ということ他ありません。


福島(被爆地)に人が住んでいなければ、そこにだけ汚染物質を集めればいいはずです。
本来はそれがベストですが、実際にどこの国もやりません。 

できないのです。

原発が必要だと思っているから。

原発維持に不利になるような政策をしたくないから。

「大丈夫だ」と「安全だ」と言いたいから。

人の命よりも、人が生きる環境よりも、原発維持が大事だから。


原発を持つ国の政府はどこも、けっして本当のことは言いません。

そして、

ほんとうにやるべきことを一度もしてきませんでした。


被曝させた人は何としても守るけれど、

被曝した人、これから被曝させられる人のことは

けっして守りません。


何度事故を起こしても、それだけは永久に変わらないのです。


それが、「原発を持つ」 ということなんです。



原発を手放さないかぎり、

その体質はけっして変わりません。


だからわたしは言うのです。

原発はその存在そのものが だと。








<海外の見方>

「日本政府による情報隠ぺいは明らかな人権侵害」 




★日本の原発がすべて止まった日

原発ゼロを目指して、何がいけないのでしょう?

原発を経済で語るな!! 

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再々 次世代に残さねばならないこと


※ これは、2011年5月に書いたものを加筆・再編集して出したものです。



今日、2012年7月5日、

国会の事故調査委員会(委員長=黒川清・元日本学術会議会長)は、

「事故の根源的要因は「天災」ではなく、『人災』であり、

政府、規制当局、東電には命と社会を守る責任感が欠如していた」

とする報告書を公表しました。

http://www.jiji.com/jc/eqa?g=eqa&k=2012070500474&j4



日本がやっと一歩前進した日でした。



しかし、

しかし、遅すぎます。

事故から一年4か月近くになってやっと、です。



それに、あと、一週間、せめて、あと五日この発表が早ければ、

大飯原発は実質的な再稼働は不可能だったかもしれない。


この日時を決めたのも、「国会」です。



日本はこの初の動きによって、世界中から試されています。

これを国会は、どう受け止めるのか?

これを国はどう生かせるのか?

それが出来て初めて、この調査の意味があったと言えるでしょう。


この進歩を微塵も踏みにじってはいけない。


今度こそ、国民は、隅々まで目を光らせ、二度と誤魔化されないように、

注意深く今後の政府、東電、保安院の動きを見張らねばならない。


責任を最後まで取らせなければならない。



さもないと、

「原発事故では、何があっても個々の責任は問われない」 という最悪の前例を

日本が世界に示してしまうことになる。



それだけはぜったいにしてはいけない。

させてはいけない。



それを許したら、日本から原発被害がなくなることはない。




二度と許さないこと。



それが、世界的な原発事故被害を与えた国の

国民の責任だと思う。                     




                            (2012.7.5.)


。。。。。。。。。。。。。。。。。。



わたしは、現実がこうなった以上、

学校教育の中でも、早急に、

最低ラインの「放射能との付き合い方」についての知識をきちんと子供に教えるべきだと思います。


こんなことになってまで、まだ「原子力の安全性」だとか「原子力の有用性」だとか

御託を並べてるときじゃありません。


すっぱり、きっぱり、「放射能は危険」以外の何ものでもないことを、

人類と放射能汚染との戦いが始まったことを、

そして、それを引き起こしたのは日本であり、その収束と人類の安全回復のための責任があるのだと、

そう、教えていくべきです。


それが、日本に課せられた責任だと、日本の責任の取り方だと思います。


国際賠償金を請求されて、まるで被害者意識しかないのでは国家として恥ずかし過ぎます。


もう、これ以上のまやかしはやめて、

正直に現状を(もう半数の人はうすうす分かっている)ほんとうの現実を包み隠さず公表し、

真摯に対策を練ることです。

たとえ原発が収束に向かったとしても、放射能汚染はだんだん薄まるだけではありません。

食物連鎖による放射能濃縮という蓄積は、むしろこれから始まるわけです。

しかも日本だけでなく、世界中にです。

日本の原発事故が世界中に災禍を与えてしまったこことを、

包み隠さず、きちんと教えるべきだと思います。

公表することから、初めて、日本のほんとうの贖罪が明らかになるのです。


わたしたちは償わなければ。


次世代に、せめて、これ以上災禍を残さないためにも、

知恵をしぼって、次世代の安全を守らねばなりません。


そのためにも、次世代へ向けての「教育」を見直し、革新的なものが必要になると思います。



これから何十年先までの問題ですから、とくに子供たちは、今の大人以上の注意が必要になります。

わたしたちが無理やり押し付けてしまったものから、次世代の子供たちを正しく守るために、

わたしたちがいなくなったあとでも、その子たちに何をしてあげられるか、

何を残してあげられるかを真剣に考える必要があると思います。



今の大人を見ると、

情報の集め方も、選び方も、受け取り方も、伝え方も、いろいろで、

自分で調べて自衛手段を取る親もいれば、政府の楽天的見解をさらに楽天的に捉える親もいて、

その子供は、そのままその大人の影響下にあります。


つまり、守られる子供と、守られない子供の格差が生じているのです。

それは、これからもっと大きくなるでしょう。



子供に限らず、これからは、

情報を持って行動に移せる人たちと、テレビでしか情報を得られない情報弱者との間で、

大袈裟にいえば生存格差のようなことが生じるようになると思います。


すべての人を救えないとしても、

せめて、未来の子供たちだけは、なんとしてもその「格差」をなくしてあげたいと思います。


それには、

自らが自覚をもって、放射能社会で生き延びるための知識を学べるようにしてあげることだと思います。

どんなに情報社会といっても、ネット情報と、マスコミ情報と、学校教育の教えとが

あまりに違って(だれかが嘘をついて)いるのでは困ります。


危険なものを危険だと教え、避けねばならぬものから避けられるようにしてやらなくて、

なんのための教育でしょう。

なんのための国家でしょう。


情報を持っている親は政府情報を信じず、子供をしっかり守っています。


今は、それでよくても、これから大人たちが老い、子供たちが自分の判断で生きて行くときに、

今より危機感や現実感が薄れたときに、

どうやって自分や子供たちの身を守っていくのか・・・

そのときの社会通念がどうなっているか、どういう社会通念であるべきか、

それを今から考えて用意しておいてあげる必要があると思います。

ぜめて、その準備を始めるべきだと思います。



それには、子供のうちから国の教育として、「人類の正しい放射能との付き合い方」をきちんと教え、

この危機感が風化しないよう国民の共通概念として次世代に受け継がれるようにする必要があると

思います。

大人にももちろん必要ですが、親の認識の違いによって子供が守られなくなることがないように、

火災訓練や防災訓練のように、学校教育の中で、子供の段階に合わせた自衛手段を身につけさせる

必要があると思います。


食物連鎖と食育とDNAへの影響を連動させることや、

地球の気象、気流、海流などの仕組みを学ぶことが、

自分の身を守るための必須知識という共通の認識が必要になると思います。

これからはただの教養のひとつではなく、テストのために勉強するのではなく、

人類の存続のためにも、

生き残る「知恵」を取り戻すためにも、

自然を学ぶ「眼」を変える必要があると思います。


人の便利さのためのサイエンスではなく、

人が生き残るためのサイエンスとして学ぶことが必要だと思います。



また、

これだけネット等で「情報」が拾える・・・といっても、

専門的な統計表や「数値」をどう読み取ってどう判断したらいいか・・・

ということは、意外に難しいというのが現実です。

今さら思うことは、

グラフの読み取り方、数値と情報の関連づけの仕方など、「情報の読み取り方」そのものの重要性、

必要性を今ひしひしと感じます。


そういう専門分野が得意な人が読み取ってくれたものを参考にさせていただいて、

それをもっと語り口調にして、論文書式が苦手な人にもとっつきやすいようにして書いている・・・

というのがわたしの現状ですが、

これが自分の力でできたとしたら・・・と思わずにはいられません。


具体的に言えば、

たとえば、「天気予報」を聞いて情報を得る・・・のではなく、

自分で天気図を読み取る能力を持つということです。


そういう能力を持った人がもっとたくさんいたら、

もっと早く、もっと的確に情報を拡散伝達することができると思うのです。

ぜひ、そういう観点で、目的意識をもった教育を施してあげてほしいと思います。


これからの時代、個々の力で生き延びる術を持たなければならないと、

「ツール」だけではなく、

それを使いこなし、読み解くための基礎知識、情報処理能力というものの重要性を

これからの世代の子供たちに、ぜひ、しっかり身につけさせてあげて欲しいと、切に願います。


今は誰でも便利な「ツール」を持ちすぎていて、それを「使いこなしている」と勘違いをしています。

それは、「ツール」に頼って「指示待ち」をしているだけなんです。

「親切すぎる」システムに慣れきって、

自分で探し、自分で分析し、自分で判断するという能力が低下していると思います。


「便利すぎる」社会に生まれてきた大きなツケです。

出来上がった素晴らしいオモチャに慣れ過ぎてしまったのです。

木切れや、雑紙で自分で工夫して遊びを作り出すことを知らない世代です。

出来合いのきれいに盛り付けられた料理しか知らない世代です。



これからは、原点に戻って、もっと自然から学ぶことです。

それが何からできているのか。 それがどこから来るのか。 それは何を含んでいるのか。

それは何を伝えているのか。

それに目を向け、見いだせる力を身に着ける必要があると思います。



我々は生きるために「生きているもの」から命をもらっています。

その「相手」をよく知ることです。

「生きている自然」がどれだけ強いものか。

「生きている自然」がどれだけ脆いものか。



相手が生きられないということは、自分も生きられない ということを知ることです。

相手を傷つけ痛めつけておきながら、自分だけ生き延びることはできないと思い知ることです。


人間は、自然が生きていないと この地球上で片時も生きられないけれど、

自然は、人間がいない方がむしろ生き生きとしているのです。


わたしたちは、自然に対してもっと謙虚にならなければなりません。

自然に生かされていることを、自然を殺したら生きられないということを

もっと真摯に考えなければなりません。


それを忘れた人たちが、自然への感謝も畏敬も忘れた人たちが原発を作ったのです。


農家も騙された。 漁師も騙された。 畜産家も騙された。

そして、安全な食べ物はもはやなくなってしまったのです。


それをこそ反省し、二度と繰り返さないために、すべての危険を明らかにして、

これからの「放射能と共に生きる食育」を考えなければいけません。


「危険」を認めることからしか、それはできません。

まず、認めて、公表して、謝罪して、

償いの方法を示すことです。


今度こそ、日本人にしかできない方法で。







政治家がどんなに非難され、愚弄されようと、

日本国民の真の誠実さ高潔さは世界中から信用されています。


これ以上、その信頼を裏切ってはいけません。


福島の事故が最後であって欲しい。 

そう願います。

しかし、それは希望であって、

原発事故は、放射能汚染は、これが最後とは限らないのです。

セラフィールドの被害も、チェルノブイリの被害も、原爆や核実験の被害もまだ続いているのです。

この世に原発がある限り、地球上のいつどこで何が起こるか分からないのです。

今回に限らず、この放射能汚染という災禍は、どんな原始の未開の地でも、どんな小さな貧しい村にも、

地球上すべての生き物の上に降りかかってしまったのです。


姿かたちの見えないものだからこそ、その存在と怖れを風化させないように、

わたしたちのDNAを侵害し脅かすものの正体を正しく知り、

人類の遺伝子を守るために、一人一人がなすべきことを知ることが大切だと思います。

これは、日本のみならず、

これからの人類にとって避けては通れない「自衛のための共通認識」が必要ではないかと思います。

それを、反省をこめて、責任をとって、日本が示すべきだと思います。


いくら今の経済や産業が復興したとしても、地球や次世代が病んでいたら何にもなりません。

病んだ地球や病んだ人類の上で経済を語っても意味がありません。


今、賠償や責任問題で頭を抱えている政府の方々は、

責任問題はお金の賠償だけだと思っているようですが、

ほんとうの責任は、その賠償が終わったあともずっと続くのだということも

忘れてもらっては困ります。


ほんとうの責任は、

この災禍の教訓をどう生かすかを国民と世界に示すことです。


二度と起こさないためにはどうすべきかということを、

世界に先駆けて実践していくことだと思います。


そのためには、政治も、教育も変えていく必要があると思います。




ウサギ   うお座   ウサギ   うお座   ウサギ   うお座   ウサギ   うお座






ガレキ受け入れは復興の為ではない! 内美まどか 「瓦礫受け入れ漫画」

放射能ガレキは誰の為に!? 「瓦礫受け入れ漫画

http://donnat.cocolog-nifty.com/blog/2012/04/post-b7cd.html   より転載~



放射能ガレキは誰の為に!?


内美まどかさんが「瓦礫受け入れ漫画」を書かれました。

判り易く書かれております。

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景気対策もしてほしいのですが、まずは東北の方に使って頂きたい。

さらに、

公共事業などは、公団やJVに利益が集中しないように、

収益の制限を要請し、労働者に広く賃金が行き渡るようにしてもらいものです。

また、

ガレキの分散は、安全地帯の減少になり、福島や周辺の方々が、いざという時の避難場所を奪う政策です。


直ちに撤回するべきです。

というか、一時的でも保養を促進するべきです。


大阪で修学旅行の費用を見る制度がありますが、

もっと拡充していくように訴えていきたいと思っております。



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内美まどかさんの瓦礫受け入れ漫画



内美まどかさんのブログから閲覧・ダウンロード 転載・印刷・配布自由

http://madoka8madoka.seesaa.net/
http://madoka8madoka.seesaa.net/article/261606728.html
http://madoka8madoka.up.seesaa.net/image/C3A7C293C2A6C3A7C2A4C2ABC3A6C2B2C296C3A7C2B8C284.PDF



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福島県の 「 母親 」 たちからの 声 です。
http://numayu.blogspot.jp/2012/04/blog-post_5895.html


福島県の 「 お母さんたち 」 からの メッセージです。


「 他県の みなさま、どうか【 瓦礫の受け入れ 】 だけは、NO と言ってください。

真実は、後から知らされても、もう 遅いのです。

わたくしたちの 哀しみを、無駄にしないでください 」



福島県の お母さん方の 80% は、このように思っています。



日本中を、汚染したくない のです。

いざという時に、

自分たちの 「 子ども 」 を 避難させられなく なります。



どうか、

瓦礫の受け入れだけは、NO と言ってください。



被災2県 ( 岩手県 ・ 宮城県 ) の人々も、

同じようなことを言っています。


NHK だったかで、統計 を とりました。

80%  以上 の 住民は、

「 自分たちの県で 出た 瓦礫 は、自分たちで 処理すべきだ 」 と、回答しています。



福島県は、「 中間処理施設」 を つくって、埋めなければならない のですが、

いまだに、着工すらしていません。


岩手県 ・ 宮城県 に、

他県に つくる予定の 「 立派な 焼却場 」 を 建ててくだされば、済むことです。

そこから、雇用も生まれるのです。



「 被災 3県の 声 」 を 、

どうか、しっかりと聴いてください。




。。。。。。。。。。。 転載おわり 。。。。。。

騙された責任 と 政治に支配されない科学は存在できないという現実

小出氏が語る本音 


「騙された責任」 と 

「政治に支配されない科学は存在できないという現実」



http://blog.livedoor.jp/amenohimoharenohimo/archives/65783081.html  より抜粋転載~


(動画 http://www.youtube.com/watch?v=d7tnfeZC6_s&feature=player_embedded


抜粋~


水野「・・・・だけど小出先生、今日までご覧いただいてね。出てくる情報について本当のところどう思われますか?」

小出「もう、腹の立つことばっかりです(苦笑)」

水野「へぇ…そうですね。小出先生がしゃべってくれなかったら、私もずーっと騙されたまま、でいただろうなと思うわけです。」

・・・・

小出「私はこんなことは起きないようにしたいと、ただその一心で生きてきたつもりなんですけれども。

防ぐ事も出来ないで起きてしまったわけで、いったい私はどうや…何のために生きてきたのかなと……

(※なにか言おうとする)」


水野「ただ、ラジオネームおろちさんというかたのね、小出先生の言葉は御用学者と違い、一言一言に感情がにじみ出ていますよね、っておっしゃいますけれど。まあ、私は、ずうっと、小出先生の声に耳を傾けないままここまできたわけです。3月11日以前。」

小出「はい」

水野「多くの人がそうだったと思うんです。」

小出「はい」

水野「小出先生に異端の人というね」

小出「はい(笑)」

水野「異端の学者というレッテルを貼って、小出先生の言葉に耳を傾けなかった。」

小出「はい」

水野「そして、こういう日を迎えた訳ですよ。

小出「はい」

水野「……。だけど、小出先生はあの…こうもおっしゃいましたよね。騙された人間には騙された責任がある。」

小出「はい」

水野「これもう一度聞かせていただけませんか」

小出「私は…原子力に抵抗しようと思ってずっと来ている…きたわけですし、今でもそうしたいと思っています。

そして、何とかこんな悲劇が起きる前に……原子力をやめさせたいと思ったのですが、残念ながらできませんでした。原子力の場に居ながら原子力をやめさせられなかったという責任が私にあるだろうと、思います」

水野「はい…」

小出「ただし、私、がどんな事を言っても、みなさんのところには届かなかったわけですし、

国とかマスコミも含めてですね、原子力は安全だということしか流さなかった訳で、

普通のみなさんがそれに騙されたということは仕方のないことだと私は思います。

でも、

騙されたから仕方がないと言ってしまうと、また騙されるという歴史が続いてしまいますので、

騙されたなら騙されたことの責任を取るということを 皆さんに考えて欲しいと思います。



近藤「それと、あの…先生ね」

小出「はい」

近藤「私なんかがやっぱり思うのは……広島・長崎ときて、そしてまあ、今度は福島ですよね」

小出「はい」

近藤「つまり、核と原子力のこの…負の連鎖を日本という国が右代表で浴びているわけですよね。」

小出「本当です。」

近藤「で、これほどの、何ていうんでしょう、お…世界の中で日本だけが、これほどの目に合わなくちゃいけないのに、えー、日本という国はそれでどう…変わったのか」

水野「ええ」

近藤「私どもがそれなりに変わろうとしているし、多少変わったなというのが自分の中にあるんですけど、(※声が大きくなる)国がですね…もう…国の意志が見えないんです」

小出「…え…近藤さんもそうですか?」

近藤「ええ。国の意志が見えないんです。」

小出「国はだって、今でも原子力をこれからもやると言っているわけだし」

近藤「そうです」

小出「原子力を…輸出するとまで言っているわけですから」

近藤「もう、交渉してますよね」

小出「はい。国の意思はもう明白です。」

近藤「あの、見えないっていうのは、要するに変わろうっていう意思が見えない。」

小出「あ。そうですね」

近藤「うん。ええ」

小出「その通りです。はい。本当に困った国だと思うし…」

近藤「うん。かわろ、か、かわ、変わって当り前じゃないかと思うんだけど(笑)」

小出「その通りです」

近藤「変わろうという意思が見えないという国に住んでるって。で、広島・長崎・福島でしょ?」

小出「はい」

近藤「これは、何というんだろうなぁっ。こういうなのって」

小出「もう、大変恥ずかしいです、わたしは。」

近藤「ええ」

水野「あの、日本に暮らしている人の多く…個人はね、近藤さんがおっしゃったようにこう内心が変わっている人多いと思うんですよ。」

近藤「うんうん」

水野「なのに、団体というか、組織というか、かたまりになった時に変わらない、のかなって。」

近藤「うん」

水野「個人と組織っていうのが、なんかえらい…ちぐはぐな感じがするんですが、特に原発問題は。
近藤「そうそう…。僕、最近気になっていて、先生ね、つまり、人災だと。で、結論的に言えば色々人災だと。」

小出「はい」

近藤「人災だったらね、人災だったら原子力はやっていけるんだっていう理屈が今、はびこってきているんですよ。」

小出「はははは(笑)。はい。」

近藤「人災だから人間がちゃんとしたら原子力は…原発はいいんだと。」

小出「はい」

近藤「こういう理屈なんですね。」

小出「はい」

近藤「これもねえ…なんていうのかねえ……その……人災だっていうことは、我々言うでしょう?」

小出「はい」

近藤「で、だっ…人災だったらちゃんとしたらいいんだって、こういう理屈になっているんだよねえ。」

小出「でも…、それならまずは、やめなければいけません。何故かと言えば人間というのは神ではないのです。

必ず間違う時がある。」

水野「はい」

小出「必ず人災はあるのです。これからも。

どんな風に安全審査をやろうと、今もまあ、ストレステストとか言ってますけれども、

何をやったって、間違える事はいつでもあります。

で、間違った時に人災だっていうことにいってしまうわけですけれども。

原子力の場合はあまりにも悲惨すぎる。

やっぱり、もっと前にやめなければいけないと私は、思います。

そして、もし人災だというのであれば、いったい誰の責任だったのか、ということを、

一回一回きっちりと、まずは考えて欲しいと思いますし、

私はこの福島原子力発電所の事故を防げなかったことが人災だというなら、

いったい誰の責任だったのかということを個人の責任に戻って、明らかにして、処罰して欲しいと

思います。」



水野「うん……」

水野「小出先生、日本が変わらなければね…というか、小出先生、日本は変わると思われますか?」

小出「すみません、思わないのです、私。」

水野「思わないですか(苦笑)。絶望してらっしゃるんですか」

小出「はい、わたしはもう、前からみなさんにお伝えしていますけれど。政治に本当に絶望しきっているのです」

近藤「あの…」

小出「たいへんもうしわけないけども」

近藤「その絶望っていう感覚は先生の感覚でしょうけど。私はその、歴史的に見て政治がね、戦争を起こしあるいは飢餓を招き、災害に対して無防備できて。で、本当に人間を幸せにした政治があったのかって言った時、NOと言わざるを得ないんですよねえ」

小出「はい、そうです」

近藤「歴史的に見て」

小出「そうです。」

近藤「あったかって。だから政治と国民、政治と人間っていう事を考えた時に政治っていうのは結局人間を包み込むだけの力はな、持ってませんよ。」

小出「はい、残念ながらそう。歴史を見る限りはそうなのですね。」

近藤「そうですよねえ。うーん」

小出「ただ、黙っていられませんので」

近藤「そうだよなあ」

小出「私は発言はしますけれども」

水野「ええ」

小出「このせ、国の政治が本当に変われる…変われるかどうかと思うと。(※溜息)とっても難しいなと思うし、」

近藤「難しい…」

小出「はい。やっぱり、一人ひとりがもっともっと賢くならなければダメなんだろうけれども、

本当に今、この日本という国でなれるのかなあと、思うと、よく分からないです。」


近藤「あのね」

小出「はい」

近藤「戦争中でもね、ようするに、いろいろ思いがあっても、その戦争の中に巻き込まれていった国民というのが圧倒的に沢山いらっしゃるわけね」

小出「もちろんです」
近藤「で、その中で毅然と戦おうとした人はおそらく僕はそれなりの思想があったんだろうと思うんです。」

小出「それで殺されたんですね」

近藤「ですよね。」

小出「はい」

近藤「ほいで、今の原発のこういう状況の中で、その……なんか色々と思っているんだけどもその中で、どうする事も出来ないい……で、あの、こう、もがいているっていうのかな?」

小出「はい」

近藤「なんか、それが10年後を見た時に自分のその姿って、戦争中もどうだったんだろうと言った…こととなんか、こう、重なってくるっていうのが悲しいですよねえ。」

小出「必ず問われると思うのです、わたしは。」

近藤「うん。」

小出「戦争中に生きた方々もですね、もう、どうしようもなかったんだと、私は思います」

近藤「だとおもうんですよ、ええ。」

小出「それで、どうしようもないけれども、やっぱり、自分の声を上げようとした人は殺されたのです。」

水野「はい…」

小出「でも、今私は原子力に反対で…反対を…ですし、声を上げても私は殺されません。」

近藤「うん」

小出「刑務所に入れられることもないわけのですから、私は、あげ続けたいと思いますし」

近藤「そこんところだな……」

小出「はい。え……何の苦労もないまま私はやれるま…やれますので、やり続けたいというのが私の思いです。」



近藤「いや、僕もそっちの側に立ちたいですがね」

小出「はい、ありがとうございます。」

水野「先程、内部被ばくについて矢ケ崎先生に伺った時にね、」

小出「はい」

近藤「うん」

水野「来年は政治に支配されない科学を打ち立てたいと、おっしゃったんです。」

近藤「それも政治だよなあ」

水野「政治に支配されない科学というのが…」

小出「はい」

水野「しっかりしてもらわないと困るんですけど。小出先生、科学の世界でそうした動きというのはできそうですか?」

小出「え…矢ケ崎さんは大変まじめな学者ですし、え…矢ケ崎さんの思いは分かりますけれども、

現在の学問の世界は多分、それを許さないと私は思います(苦笑)。

水野「許さない」

小出「はい。」

水野「許さない(苦笑)」

小出「はい。」

水野「許さないって、どういうことなんですか?」

小出「え……、みなさんはその科学というとですね。無色透明で中立で、本当にその…

真実を求めるものだと思われているのかもしれませんが、」

水野「思っています。」

近藤「いや、思っていない、ぼくは。」

小出「はい。残念ながら科学というのはそんなものではなくて、社会の中でしか、もちろん発展の方向がありませんし、え…きちんと歴史の流れの中でどういう科学だけが発展するかという事は、きちっと決められている、のです。」

水野「はあー…」

小出「ただ、あの、それに抵抗しようとする方、もちろん矢ケ崎さんもそうですし、いなければいけませんし、

いて欲しいと思いますし、私もその一端にいたいと思いますけれども。

え…そう思う人たちの力というのが、科学の中で、本当にその中立で真実を求めるものとして実現できるかといえば、残念ながらそうではないという歴史がずっとありましたので…」


近藤「そうですね」

小出「はい」

近藤「本当にそう、先生がおっしゃる意味での科学であれば、核のゴミが100万年も」

小出「(苦笑)」

近藤「そのままほったらかされるということはあり得ないことですよね」

小出「そうです。こんなものをやるなんてことはあり得なかったと思うし、

原爆だって、私は本当ならできなかった筈だと思うのですけれども。

ようするに、まあ、戦争なら戦争という時代の中で、科学がそういう方向にしか発展させられなかったということが …歴史なのです。」

。。。。。


マコ「もう…本当に、今福島に、福島も結構いっているんですけど」

小出「はい」

マコ「経産省の方々がわりと入っておられて、自治体にぴったり付いてて。いますごく、自治体を分断させようとして

小出「そうですね」

マコ「お互いそれぞれ、あなたのところが一番の被害者ですよって囁くような感じで」

小出「はい」

マコ「すごくなんかもう、仲たがいさせているような感じなんですね」

小出「はい」

マコ「で、もう、原発のことは勉強したり、調べたり、取材すればするほど、弱者が虐げられている構造がすごく目について。もう、あのう・・悔しいです、今。」

小出「はい」

水野「今、本当に福島に目を向けないと、困っている人たちに助けの手を差し伸べているのが経産省だったり、東京電力だったりしたら、福島の方が原発にNOって言えないと、日本は原発を手放せないと思うので。もう、これからめちゃめちゃ福島に行って、いろんなこと調べてこないとね。」

ケン「調べまくろうね」

マコ「はい」

小出「ありがとうございます」

マコ「小出先生もいろいろと教えてください」

小出「いえいえ、わたしなんか、おしえ…」

マコ「どんな教科書がいいかなんかも、教えて下さい。ふふ」

小出「いや、ものすごくだって、このことは単純な事なのであって、今おっしゃったようにその、その弱者が

虐げられているという、そのことだけですよ。」

マコ「んー」

小出「あの、別に放射能の問題でもなければ、原子力の問題でもない。」

マコ「はい」

小出「その、本当の弱い立場の人たちが虐げられるという、そのことに私たち一人ひとりがどう向かうかという、それ、それだけのことでしかない、わけです。」

マコ「そうおもいますよね」

小出「はい。是非よろしくお願いしたいとおもいます。」

おしどり2人「こちらこそよろしくお願いします」

水野「ああ。今日この場で繋がっていただけて良かったですね」

小出「はい」

水野「小出先生の話しを聞きながら沢山のメールが寄せられていますけれども。

え…らじおだいすきさんというかたは、小出先生が講演会の会場に入れない人たちに対して、『原発事故を防げなかった』と涙を流しながら謝罪してはったという、そういう記事を見ました。

国や東電はこの意味を分かって欲しいというご意見。

あるいは先程の、『騙された者の責任』という言葉が胸に響きました、というキムチのたつじんさん。それから、小出先生、みなぽんさんっていうかた、他のかたも多くありますが。

とにかく、だんだん、原発についての報道が少なくなって、何とかなってるんちゃうかと思ってるそういう世間もあるかもしれませんが、たねまきジャーナルだけはしつこく追及して欲しいです。

で、小出さんのコーナーずっと続けて下さい、といわれてしまいましたので」

小出「(笑)」

マコ「やったー(拍手)」

水野「えー、はい。お伝えしておきます(笑)。」

小出「はい」


以下略

。。。。。。。。。。。。。。


小出裕章氏が語る ほんとうの話

小出裕章 子どもたちに伝えたいー原発が許されない理由

「村」を構成してきた東大原子力工学科


放射能生活の注意事項  ~ 愛する人のためにぜひ読んでください


あのとき、いっしょに考えてあげられなくてごめんなさい。

最後の懺悔をさせてください。

わたしは、ついこの間まで、このブログを書き始める少し前まで、
正確にいえば日本を出て、帰って来るまで、
まったく政治のことにも、経済のこのにも関心のない、
子育てと自分の趣味しか頭にない普通の一専業主婦でした。

そんなわたしが、どういうわけか、
何かに憑かれたかのように、こんな「反体制」的な原発反対記事を書いている・・・
(「反体制」っていう言葉だって、人から言われて初めて そうなんだ…と思ったくらい)


でも、だからこそ、
今、関心のない人たちの気持ちも少しは分かる。

ほんとに、気づくか、気づかないか、
考えるか、考えないか・・・は、紙一重のきっかけひとつ。
その「きっかけ」に出会えさえすれば変われるのだと、
自分で証明しているから分かるのです。


今思うと、どうして、あれほど関心がなかったか不思議です。
でも、それでも、それなりに、一生懸命生きていた。
でも、社会のことも、原発のことも、ぜんぜん自分の中に入ってこなかった。

とくに原発に関して、
わたしを含めて、地元住民じゃない人にとっては、
身近に原発がなかった人にとっては、自分を庇うわけじゃないけど、
無関心以前に、関心を寄せるだけの「情報」自体がなかった。

ここは中部電力の本社が地元にあるだけで、
少なくとも、原発のある地元住民が行く説明会の様子や、
抗議運動があったりするようなところと比べると、
まったく比べられないほどの「温度差」があったと思います。

「情報」はあったかもしれないけれど、
それにまったく引っかからないくらい、
今まで誰とも、わたしの周りでは一度も話題にのぼったことがないほど、
まったく危機感を感じないまま生活ができていた。

同じ日本にいながら、ぜんぜん「蚊帳の外」でいられたくらい・・・


正直に言います。

パソコンを使っていなかった時代、
そこまで原発が危険なものだなんて考えたことがなかった。

チェルノブイリの事故を知っても、ニュースを数回見ただけで、
たんに「知識」として知ってるだけで、
正直に言って、対岸の火事のような感覚だった。

なぜだか日本への不安はそれほどなかった。
まったくなかったと言ってもいいかもしれない。

チャルノブイリの子供たちへの募金をしたことはあった。
それでも、身近なこととして感じてなかった。
たいして危機感を持たないまま、そして、すぐに忘れ去っていた・・・

それが現実でした。

日本の技術力は世界一だと思っていた。
日本の原発はその最新技術で守られてると思っていた。
「信じていた」 とも言えないくらい、なんの認識も持っていなかった。

それが現実でした。


政治について右も左も分からなかった頃、
原発推進派が誰とか、右翼だとか左翼だとか、
反対派の激しい運動があることも、建設地住民の苦悩もまったく知らなかった。

恥ずかしいけれど、
情けないけれど、 それが現実です。


だから、
今回の事故が起こった時、
ブログを始めていたおかげで、すぐいろんな情報を集めることができて、
その事実に、現状に、大きな衝撃を受けました・・・

「自分は何をしていたんだろう・・・」 と。



だから、これは懺悔です・・・

知らなかった、気がつかなかった、何もしてこなかった自分への怒りと反省を込めて
毎日睡眠を削って勉強して、情報を上げ続けてきました。

いまでこそ、政府情報がどれだけでたらめで嘘だらけで、無責任かが知れ渡っていますが、
事故直後はとくに、
「政府発表を信じないで何を信じるんだ?」っていう意見が多い中、
不安の中で、政府発表を信じて安心したい人たちにとってはきつい、酷な意見ばかり書いてきました。


ただ、それは、
気づかない人、動かない人、楽観視しすぎている人を
責めているのでも非難しているのでもありません。

むしろ、長年気づかないできた自分に対して情けない申し訳ない気持ちから
贖罪の気持ちで訴えを書きなぐってきたようなものです。


だから、最後にもう一回言わせてください。


あのとき、気づいてあげなくてごめんなさい。

あのとき、一緒に考えてあげられなくてごめんなさい。


あなた方が、

どこかで自分を誤魔化しながら 無理やり受け入れてきた原発を、

長年にわたって悩んで、苦しんで、

いろんな気持ちを呑み込んで受け入れざるを得なかった原発を、

こんなことになってやっと、

今頃になって やっと反対しているわたしたちを どうか許してください。



今頃になって、やっと、

あなたたちの不安や苦痛に気づいたわたしたちを許してください。



あのとき、気づいてあげられなくて ごめんなさい。

もっと早く気づいてあげられなくて、ごめんなさい。

もっと早く、いっしょに考えてあげられなくてごめんなさい。



原発を 自分のこととして考えてこなかったことを
今は心から悔やみます。

こんなことになって、やっと目が覚めるように いろんなことを知りました。

原発がどんなものだったのか。
原発がなぜ日本に作られたのか。
どんなに放射能が怖いものか。
なぜ、こんなに認識に温度差があったのか・・・


とにかく、原発は日本にあってはならないものだと思いました。
気づくのが遅いけど、遅すぎるけど、
気づいたから、ちゃんと考えようと思いました。

考えて、調べて、勉強して、考えて・・・
知れば知るほど、一刻も早く止めなければ・・・という思いを強くします。


政府やマスコミが、今まで国民に深く考えて欲しくなかったこと、
「原子力利用」と、「安全保障問題」をもう一回ちゃんと知って、

ちゃんと勉強して、
それをみんなで考えて、
ほんとうの意味で、みんなで考えて、

民主主義国家として、
この国の姿勢を、この国の役割を世界に示していくべきだと、
反省を込めて、今、わたしはそう思います。


だからいっしょに考えましょう。

子供たちの健康のこと、
これから生まれてくる命のこと、

子供たちに残せる未来のこと、



そして、

あなたの痛みが どうやったら癒せるかを・・・



もう、すべてを元どおりにはできないけれど、
それでも、もう後戻りはできないから、前へ進むしかないから、

二度と、
こんな思いを子供たちにさせたくはないから、

だから、
その痛みや、不安の癒し方を いっしょに考えましょう。


わたしたちにできることを。

わたしたちが残せることを。

今度こそ、 逃げないで、 誤魔化さないで、

いっしょに考えましょう。

わたしたちの日本を守るために。




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うさんぽ

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アメブロにいた「うさんぽの小径」のうさんぽです。
普通の子持ちの主婦です。
うさぎブログのはずだったのに、気がついたらこんな重いブログになっていました…
思いっきり、主婦目線、母親目線、オバサン目線でいろんな情報に感想を書いています。

記事を引っ越してきたので改行が狂ったりリンクが開けないなど見苦しいところがあり申し訳ありません。

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