ひだまり    今は古事記に夢中! 放射能を怖がる権利

アメブロから引っ越してきた過去記事の再公開と、                       もっと日本を知るために「竹田研究会」の紹介を主にしていきます。

医療機器で癌になる? 3 ロバート・メンデルソン 「医者が患者をだますとき」 



どうぞ①★医療機器で癌になる? ①  ロバート・メンデルソン 「医者が患者をだますとき」
からお読みください。




誰かの利益のために、それを守るために、

患者の、国民の健康を犠牲にしてでも、 それがただしく伝えられてこなかった。


あるはずのリスクを黙っていたために、それによって、国民は素直に被曝させられ、

病気以前にそれによって寿命を縮めていたかもしれないし、 

不妊や流産や障害児を産まされていたかもしれないし、

その可能性や疑いがあったとしても、

「放射線被曝」という関係から、原子力産業への波紋を広げないためにも、

その研究さえ、立証さえ妨げられてきたかもしれないのです。 
ちょうど、原子力研究室の構図のように。 ※『「村」を構成してきた東大原子力工学科』

そのために、この日本では

医療機器による被曝のリスクを正しく知るということが、特に欠落していたんではないか、

と思うのです。

そして、この福島の原発事故が起きなければ、

ほとんどの人はこのことに一生気づかされないまま、まったく関心や疑問を抱かないまま、

わたしたち日本人は外国人より確実に多くの放射線被曝を受け続けたかもしれないのです。



ですから、事故をきっかけに患者が「むやみに」医療被曝を気にするようになったのは、

日本人としては「愚か」なことではなく、むしろ「進歩」であり、

やっと欧米並みに「目が開かれた」ばかりなのであり、

その「変化」に、被害者面して狼狽ている者たちこそが「愚か者」ではないか?

と、わたしは思うのです。



もちろん、これは日本だけの問題ではありませんが、

欧米でも問題視はされながらも解決にいたっているわけではありませんが、

特に、この日本では、この問題意識が低すぎるのです。

国民が知らなさすぎたのです。



みなさんも心当たりがあると思いますが、日本のこれまでの現状は、

診察室にも呼ばれていない、つまり医師に会っても話してもいないうちから、

看護師から、「では、先にX線科に行ってレントゲン(CT)を撮って来てください。」

というものです。 違いますか?

わたしも、今までまったく違和感なく思ってきました。

福島原発事故によって、政府がマスコミを通じて繰り返し流布させた

「医療で受ける被曝と同じ程度、またはそれ以下だから、まったく問題はない」 

という言葉に疑問を抱くまでは・・・ 

こんなことは日本だけだったんだと知るまでは・・・



問題なのは、重要なのは、

「患者がデマを信じて医療を拒否する」ことではなく、

患者にほんとうのリスクを正直に伝えてこなかったという「事実」がある ということなのです。

それを抜きにして、ただ、患者を愚かしく思うのは間違っていると思います。



日本が独自に陥っていた「安全神話」という妄信から、今やっと目覚めたのです。

「今まで騙されてきたんじゃないか」という、医療に対する「不信」に目覚めたことだと思います。


それが「不信」になったのは、

「納得の上での危険」ではなく、

「知らされず不必要に浴びさせられた危険」だったからです。



それを、上から目線の傲慢な医師たちは、

「デマに躍らされて治るものも治らない。(治せるものも治せない)」と怒っているのはおかしいと

わたしは思うのです。

だったら、最初から、

すべての情報(不利な情報も含めて)を開示して患者の判断を仰げばよかったんです。


納得して被曝したのと、知らされずに被曝させられていたのとでは、まったく意味が違います。

患者の不安を「嘘」で誤魔化してきたのと同じだからです。

患者の気持ちに立っていっしょに考えて悩んで決めるべきだったことを、

患者のこれまでの被曝状況を聞いてやることもせず、これからの心配ごとや計画を聞くこともなく、

ただ、目の前にある「病巣」だけしか見ていなかったからこその結果です。


そういう医師に聞いてみたいです。

あなたが治したいのは、あなたが見ていたのは、

患者その人ではなく、「病巣」そのものだけだったんじゃないですか?  と。

つまり、

その病巣さえやっつけられれば、患者のその後の人生なんてどうでも良かったんじゃないですか? と。 


そんな医者に今さら、

「確かに医療機器でも被曝はするが、その被曝リスク以上に必要な医療行為がある」と言われたって、

今頃急に取って付けたように、開き直ったかのように言われたって、

気持ちよく信じられないのは当然だと思います。


患者が「不信」を抱くのは、

日本の医師、または技師だちがいう「安全」認識が、「原子力村」の唱える「安全」神話と同じだと、

皆がうすうす気づき始めたからだと思います。



それだけのことをしたんです。

それだけの大きな隠し事をしてきたんです。

信じてもらえなくなってもそれは当然の結果だと思います。


日本で、今、患者と医師の間で、医療被曝に関する信頼関係がないのは、

今まで、それを患者に隠してきたからです。

もちろん、医師個人個人は自分が嘘を言ってきたとか、患者を騙してきた意識はないでしょう。

ですが、その医師や技師、日本の医療関係者全体が、

「被曝リスクを隠した医療機器の販売促進」に加担する「手足」となっていたことは否めないと思うのです。


そうでない、と言いたいなら、

「医療被曝もたとえ微量でも人体に影響があります。」と患者にはっきり言って欲しい。

「問題ない。」「微量だから影響はない。」「・・・と同じくらいから大丈夫」

という言い方を一切使わず、正直にリスクを、今までの知識でなく、

ちゃんと「少数意見」の貴重な論文も調べて、

警告しているものには重みがあるという謙虚な気持ちで、

患者に情報を開示し、説明し、

その患者のこれまでの「被曝」経験を考慮し、これからの人生設計を考慮し、

その上で、患者にとっての必要性を説くべきなのではないでしょうか?


特に、これからは大事なことだと思います。

これまで不用意に浴びてきた分だけでなく、今では、毎日、いつどこで被曝しているか分からないのです。

知らないうちに、内部被曝しているかもしれないのですから。

浴びなくてもいい、避けられる被曝に敏感になるのは当然です。


みんながみんな無頓着になったら、日本人の遺伝子はおかしくなってしまいます。

それだけの深刻な被曝国になったのは事実です。


医者ならもっと考慮すべきではないでしょうか?



便利だから、最新技術だから、

早期発見や詳細な診断で医療に大きく貢献している・・・



そういう謳い文句はいくらでも日本では聞きますが、

反面、医療機器へのリスクに関する情報や報告は、

まったくといっていいほどわたしたちには聞こえてきませんでした。

だからこその「不信」なんです。


隠してきたことの中に、すでに取り返しのつかないこともあったかもしれない・・・

まだ間に合っても、ただでさえ今の日本の放射能濃度では、いつ「しきい値」を超えるかもしれない・・・

そういう不安をもつことは人間として当然のことであり、

そういう不安を患者の気持ちに立って取り除く努力をすることも、

医師の務めであり、義務だと思います。


それなのに、

日本では上記の学者のように、

「少数意見」を「異端者の戯言」として片づけ、ただ否定して、

患者の気持ちもろとも切り捨てようとします。

「そんな妄言を信じて愚かしいことだ」 「困ったもんだ」と。


そういう気持ちは態度にも出ています。

それで患者は信用し、納得できるでしょうか?

そんな医師(技師)を信じて「まな板の上」に素直に乗れるでしょうか?



病院に新しい最新鋭医療機器が入ると、かならず、待合室などにその「広告」が貼られていますよね。

「従来のX線透写より、こんなに鮮明です。 病気の発見へ飛躍的な進歩・・・」 

などという宣伝文句は躍っていますが、そこに、

たとえば、

「医療機器による被曝は一度の量ではただちに問題がない低いもですが、

将来的、長期的に見た場合、被曝による影響は個人差もありゼロではありませんので、

頻繁に受けることは何らかのリスクを伴います。

レントゲン、CT検査を受ける際は、医師に自分がどの程度過去に医療被曝を受けてきたか、

また最近受けたかどうか等を申告しましょう。

そうすれば、あなたにとって、ほんとうに必要な医療を適切に受けることができます。」

というような但し書きはみたことがありません。

もし、こう書いてある、これを説明してくれる医者のところでなら、

「今回は必要だと思うので心配でしょうが受けてください。」と言われれば素直に受けると思います。



風評被害の被害者意識で語る医師たちには、もともと患者との信頼関係がない

信頼関係を持てない立場、または人柄の人間なのではないでしょうか?

もともと患者との信頼関係が築けている医師なら、たとえ医療全般に「風評被害」があっても、

その医師個人への風評被害はないはずです。

今まで、患者との信頼関係を築く努力をしてこなかった人(築く必要を感じてこなかった人)ほど

今、ぼやいているんじゃないかとおもいます。


それに、

患者は好んで医者を疑いたいわけじゃないのです。

誰だって、医者を信じたいと思っています。

今だからこそ、こんなときだからこそ、信じたいと思っているはずです。

信じられる人をさがしているはずです。

だから、信じられる医者は、信じてもらえると思います。

もともと、信じていなかった患者はどんな状況でも信じないと思います。

そういうことだと思います。


上記の元記事で医療被曝を警告する医師たちも、
一切の医療機器の使用を否定しているわけではありません。

医療機器への盲信と、被曝への無知、それによる医師の怠慢と傲慢さを問題にしているのだと
思います。






★医療機器で癌になる? ①  ロバート・メンデルソン 「医者が患者をだますとき」



医療用放射線の危険性

医療の世界支配とメンデルソン博士のメッセージを振り返って


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医療機器で癌になる? 2  ロバート・メンデルソン 「医者が患者をだますとき」 

医療機器で癌になる? ロバート・メンデルソン「医者が患者をだますとき」 の続きです。

問題は、
日本の医療がまだまだ患者目線からほど遠い・・・ということだと、わたしは思います。


「肺に小さな影があります。継続的にCT検査をし続け、肺がんの早期発見につながる可能性と、
検査による被ばくの影響でかえってがんになってしまう危険性とを比べると、
CT検査を続けた方が良いのかどうか一概には言えません」


このようなことを言ってくれる医師があまりに少ない、いえ、ほとんどいない、ということが問題なのです。


それとも、あなたは出会ったことがありますか?


よくあるのが、

「じゃあ、レントゲンを撮ってみましょうか」 と言われて

何の疑いもなく言われるままにX線を浴びるというケースです。

よくあるというより、日本ではこれが普通です。

日本では。


なぜなら、ヨーロッパやとくに、イギリスでは、

日本のように、こんなに簡単に、すぐにCTやレントゲンを撮ったりしないんだそうです。

外国では、たとえば、

折れてると分かっているんだから、

分かっていることをわざわざ調べるためにレントゲンを撮って被曝する必要はない。」

って考えなんだそうです。

もちろん、これは町医者的な考えなのかもしれません。

大きな立派な医療機関においては別かもしれない。

でも、そういう立派な施設へ行くこと自体、それが必要な場合だから・・・ということもあります。


でも、日本では、どんな小さな町医者でも、大概レントゲンくらいは装備していますし、

「当たり前」に撮りますよね?

それが、世界の中でも、先進国の中でも、日本特有のものだということを最近知りました。

外国、ことにイギリス人から言わせたら、

「日本はレントゲンが大好きなおかしな国」と映るらしいです。

「日本人がレントゲンが好き?」って聞いても、ピンときませんよね?

でも、じつは、そうらしいんです。


日本人は、世界最新鋭の医療技術を誇っている・・・と思っていましたが、

それは、今になって思えば、 

「世界中の原発が この狭い日本に集中している」 というのと同じ状況だったんじゃないか?

と思いました。



医療機器による検査は被曝のリスクを負う・・・ということを知られたら、

そして、その被曝のほんとうの恐ろしさを知られたら、

患者は検査そのものに疑問を抱き、検査を拒むようなことになっては、

せかっく開発した高額な医療機器が「使えない」、「売れない」、ということになってしまいます。

医療機器メーカーも、医者や病院経営者もビジネスですから、

医者が儲かって、病院が儲かって、医療機器メーカーも初めて儲かるというものです。

いくら高性能でも、それを上手く稼働できなければ宝の持ち腐れです。

できればフル稼働してもらって、それによって医療報酬という形でペイしていかなければ

高額な医療機器は不良債権のようなもの。

そのため、

「撮りましょう」の一言で患者が素直に被曝してくれることが必要だったんです。


そうして、

「被曝に関して無知のままでいてもらった方が都合がよい」 という観念のもと、

出来る限り被曝のリスクを教えないようにしてきたのです。

それこそ、医者たちにも。

医者の卵たちは、医学の発展や最新鋭の医療機器の進化に感動し、野望に燃えることでしょうが、

その便利な魔法の箱の原理や、リスクを、ほんとうに正しく学んでいるのでしょうか?

仮に、それに疑問を持つ学生や研究者がいても、

原子力開発と同じように、それの妨げになるような分子は疎まれ、弾かれていったのではないでしょうか?


そうでなければ、

賢いエリート集団である医学者たちが、善悪の分別ができるはず大人が、

なぜ、普通にこの危険に異を唱えないのでしょうか?




そう思い至ったのは、これを書いたのにはきっかけがあります。


「原発事故以来、被曝リスクの余計な知識を聞きかじったせいで、

愚かな患者が検査を無暗に怖がってCTを撮らせてくれなくて、まったく困ったもんだ。」

「これも、(無暗に放射能を怖がらせるデマによる)医療への風評被害だ。」


という医者の声が聞こえてきたからです。



それが医者の言う言葉か?  と、わたしは思いました。

それこそが、日本の医療関係者の驕りだとわたしは思うのです。


その「風評被害」で困ってるとしても、

それはもともと、医療関係者が持っている宿命なのではないか、とわたしは思うのです。

それを、日本の医療関係者がこれまできちんと向き合ってこなかっただけのこと。

やるべきことをやってこなかったそのツケが今きているだけだとわたしは思います。


今まで患者が「素直」だったのは、あなたの人柄のせいじゃなく、ましてや努力のせいでもなく、

単に、日本人の「医学への妄信」があったからです。

それに胡坐をかいてきただけです。

ですから、それがなくなった今、これから苦労して努力するだけのことなのです。

今までがおかしかっただけなんです。


責めるべきは、「患者の愚かさ」ではなく、 

「風評被害」をもたらした放射線リスクを怖がらせた「デマ」でもなく、

これまで患者の気持ちや患者の身の上に立ってこなかった医療関係者の慢心傲慢、

それをこそ反省すべきであり、

医療関係者の中の欺瞞と無責任体制をこそ批判すべきだとわたしは思います。 

前述の

「肺に小さな影があります。継続的にCT検査をし続け、肺がんの早期発見につながる可能性と、
検査による被ばくの影響でかえってがんになってしまう危険性とを比べると、
CT検査を続けた方が良いのかどうか一概には言えません」

と言ってくれる医師を除いて。



日本以外の国で、とくにイギリスなどと日本との決定的な違いは、

医者がどうしても必要だと思わないものには、めたらやったらにレントゲンは撮らない。

患者側もあまりレントゲン等を撮って欲しくないと思っている。

それは、お互いが医療機器による被曝のリスクを知っているからであり、

そして、そのおかげで、お互いに一定の「被曝理解に対する信頼関係」があるからこそ、

ほんとうにレントゲンやCTが必要な場合には、医者も患者を説得できるし、患者も納得できる。

そういうことなのではないでしょうか?
そこが、日本に欠けているところではないでしょうか?

なぜ日本には、その認識が欠けているかというと、

それは、CTなどの医療機器を作りたい側(売りたい側)の論理だけが優先されたからだと思います。


日本が世界一の医療機器を次々と開発し、医療に貢献している、

そのこと自体には誇りを感じています。

しかし、その裏には、

日本の原子力利用と同じような構造があったのではないか、と感じたのです。


日本が誇る世界一の医療機器、それを効率よく売り込むために、

また、医者が進んでそれを使ってくれるために、

医療機器による「患者への被曝リスク」に関しては、できるだけ関心を持たせないようにしてきたのでは

ないでしょうか?

医療機器開発と普及のためには、

医師が医療機器の「安全神話」を信じて、なんのためらいもなくCTを使ってくれなくては困るからです。


騙されてきたのは、「愚かな患者」だけではなかったということです。


実際に医療機器を扱う医師に被曝リスクへの疑問を抱かせないように、大学でも、

医療機器の普及に妨げになるような余計な知識を入れたがらなかったんじゃないかと思います。

もし、仮に、それに異を唱えるような学生や研究者がいても、その「世界」から弾かれる構造があったんじゃないかと・・・そんな風に感じたのです。


そうやって、正しい認識・・・利便性と並行して存在する リスクの研究の必要性自体を、

医師に感じさせないように仕向けてきたんじゃないかと思ったんです。

まさに「原子力村」と同じように。


医師たちが、前述の医師のように、

患者の身を思って、被曝リスクと治療利益とを常に天秤にかけていちいち考慮していたら、

CTの需要は今より格段と減ってしまうでしょう。

それでは、医療の「効率化」や「高利潤」を追求している者にとって、それは「妨げ」でしかありません。


つまりは、もう最初から患者や医療のためなんかじゃなく、

放射線医療産業の発展のため だったんでは・・・と思います。



まさに、先に書いた「原子力村」と同じような体質だったんじゃないかと、

これは、もしかしたら、 

偶然などではなく、原子力産業の一端を担っていたか、一枚噛んでいたのではないか?

とさえ勘ぐってしまうのです。



誰かの利益のために、それを守るために、

患者の、国民の健康を犠牲にしてでも、 それがただしく伝えられてこなかった。

あるはずのリスクを黙っていたために、それによって、国民は素直に被曝させられ、

病気以前にそれによって寿命を縮めていたかもしれないし、 

不妊や流産や障害児を産まされていたかもしれないし、

その可能性や疑いがあったとしても、

「放射線被曝」という関係から、原子力産業への波紋を広げないためにも、

その研究さえ、立証さえ妨げられてきたかもしれないのです。 

ちょうど、原子力研究室の構図のように。  ※『「村」を構成してきた東大原子力工学科』



長くなったので、その③へ続く・・・



★医療機器で癌になる? ③  ロバート・メンデルソン 「医者が患者をだますとき」 


★医療機器で癌になる? ①  ロバート・メンデルソン 「医者が患者をだますとき」



医療用放射線の危険性

医療の世界支配とメンデルソン博士のメッセージを振り返って


医療機器で癌になる?  ロバート・メンデルソン 「医者が患者をだますとき」 1


ロバート・メンデルソン 「医者が患者をだますとき」  草思社・1999



「医療による大量虐殺」という言葉がある。
これはクェンティン・ヤング博士が唱えたもので、
医者が組織的に大量の人間破壊を行っているという意味である。
現代医学教がいかに猛威を振るっているかは、医者の団体がストライキに入ったときにはっきりと現れる。
医者が仕事をやめると世の中が平穏になるのだ。
1976年、南米コロンビアの首都ボゴダ(現サンタフェボゴダ)で、医者が52日間のストに突入し、
救急医療以外はいっさい治療を行わなかった。
現地の新聞は、ストがおよぼした奇妙な「副作用」を報じた。
ストの期間中、死亡率がなんと35%も低下したのである

国営葬儀協会は「この現象は偶然なのかもしれないが、事実は事実である」とコメントした。
同じ年、ロサンゼルスでも医者がストライキを決行した。
このときの死亡率の低下は18%だった
カリフォルニア大学ロサンゼルス校で医療行政を研究するミルトン・レーマー教授が、
17の主要病院を調査したところ、
ストの期間中、手術の件数が60%も減少していることが明らかになった。
そして、ストが終わって医療機器が再び稼働を始めると、
死亡率はスト以前と同じ水準に戻ったのである
1973年にはイスラエルでも似たいようなことが起きている。
ストが決行され、診察する患者が1日6万5000人から7000人に減らされた。
ストは1ヶ月間続いたが、エルサレム埋葬協会によると、
イスラエルでもストの期間中、死亡率が半減したという
イスラエルでこれほど死亡率が減少したのは、二十年前にやはり医者がストをしたとき以来だったという

/この減少について説明を求められた医者たちはこう答えた。
/「救急患者に限って診察したので、労力を重症患者の治療に集中することができたからだ」
この発言は、医者が不定愁訴程度の治療の必要のない軽傷患者に対し、不要な治療をしなければ、
人命救助に専念できるということを意味している。
医者が救急医療に専念して、不要な医療行為を慎むのは正しい選択だ。
かねてから私は、医者は永遠にストを続ける必要があると主張してきた。
医者が医療行為の9割をやめて救急医療にだけ取り組めば、人々の健康状態は間違いなく改善せれるはずである。



ダウン症も放射線が原因

ジョンズ・ホプキンス大学医学部の研究によって、

レントゲン検査で医療被曝を経験した女性は、レントゲン未経験者の同年齢の女性に比べると、

ダウン症児が生まれる確率が7も高いことが明らかになっている。

この報告の正確さは、他の研究によっても裏付けられている。

高齢出産で障害児などが生まれた場合、その原因のひとつは、

出産するまでに母親が何度も不用意に浴びてきた(浴びせられてきた)必要もないX線にあったのだ、

とロバート・メンデルソンによって指摘されている。


   



「衝撃レポート CT検査でがんになる」 

こんな見出しの文藝春秋(2010年11月号)記事が
注目を集めている。筆者は慶応大学医学部の近藤誠講師だ。
指摘が本当なら、CT検査は避けるべきなのか。

慶応大学のサイトによると、近藤氏は同大医学部で「放射線科学(治療)」を担当する専任講師だ。
CT検査は、X線を360度方向からあて、検出結果をコンピュータ計算し、
人体を輪切り映像として可視化する。

CT検査による被ばく線量は、X線撮影より「200倍~300倍(多い)とする論文が多い」(近藤氏)。

近藤氏は記事で、

「現在は、1回のCT撮影で被ばくする線量でも、発がん死亡の危険性が生じると考えられています」

と述べている。

「推定」として、45歳の1万人が全身CTを1回受けると「8人が発がん死亡」(0.08%)し、
以降30年間毎年同検査を受けると、「190人」(1.9%)が「被ばくにより発がん死亡するとされます」

こうした流れを受け、「欧米の専門家は、低線量被ばくに発がん性があることを前提に、
患者保護のために活発に動いて」いるが、日本では「今日に至るまで、患者保護の動きは緩慢です」
「低減努力は奏功せず、国民被ばく線量はかえって増えています」と指摘している。

さらに、「まずCT」「何でもCT」という状態が「蔓延」していると懸念を示し、
患者には「自身の防護主任となって、不要な検査を避けるしかない」と勧めている。

「CT検査蔓延」の背景として、外来が余りに混んでいるため医者が患者の話を聞く
時間的余裕がなく、「先に検査を受けさせてデータ一式を揃えたい気持ちになってしまう」ことや、
「CT検査をすればするほど、病医院が経済的に潤う医療構造」などを挙げている。
http://www.j-cast.com/2010/10/14078178.html
http://www.j-cast.com/images/2010/news78178_pho01.jpg

近藤氏はさらに、「発がんリスクという不利益」があるがん検診が正当化されるには、
がん検診が寿命を延ばすことが証明されなくてはならないが、

「どの臓器のがん検診もこの証明が不存在で、中には寿命短縮が証明された検診すらある

とも訴えている。

確かに近藤氏が指摘するように、

「肺がん検診を受けると寿命が短くなる」という チェコスロバキアや米国での調査結果などがあるそうだ。

週刊現代(10年7月17・24日合併号)で、新潟大学医学部教授(予防医療学)の岡田正彦氏が指摘している。
調査対象となった検診での検査は、CTよりも被ばく線量が少ない胸部レントゲン撮影だ。

こうした認識は、近藤氏以外の国内の医師にも広がりつつあるようだ。
東京都内のある60代の会社経営者は数年前、かかりつけの呼吸器専門医から
こう言われたことがあるという。
「肺に小さな影があります。継続的にCT検査をし続け、肺がんの早期発見につながる可能性と、
検査による被ばくの影響でかえってがんになってしまう危険性とを比べると、
CT検査を続けた方が良いのかどうか一概には言えません」。

さらに、CT検査による被ばくの危険性については、

「まだ表立って議論されていませんが、いずれ大きな問題になってくるでしょう」とも話したそうだ。


一方、

独立行政法人「放射線医学総合研究所」の赤羽恵一・重粒子医科学センター
医療放射線防護研究室長は、近藤氏の指摘をこう否定した。


「論争が多い論文を定説のように引用するなど、誤解を与える表現が多々ある」

極めて低いリスクをむやみに怖がるより、

検査の必要性を判定した上で、必要なCT検査は受けた方がメリットが大きい」




主なCTスキャナーメーカー

GE横河
日立
シーメンス
東芝
島津
フィリップス

CT開発してる人の言。

  

「CTのメカニズムとか知らない医者がほとんど」



<参考記事>

病気も経済活動の一環として成り立つ。

http://blogs.yahoo.co.jp/osouzisanbashi/6189527.html



ウサギ /////////////// ウサギ ///////////////////// ウサギ



これをどう判断するかは自由ですが、情報としてあげておきます。


これをお偉い学界が認めていないとしても、「事実は事実」としてあるのです。

「少数意見」として黙殺したがっても、こういう意見やデータがあることは事実であり、

たとえ隠しても消すことはできないのです。


こういう「事実」が社会に与える影響を怖れて、

放射線医療業界が隠したがっていることが問題なのだと思います。

つまり、まったく患者目線でないこと、国民の利益が優先されていないとが問題なのです。


こういう情報を国民に与えることで誰が困るというのでしょう?

患者が放射線被曝を「無暗に怖れる」ようになると困るのは、患者の診療に当たる医師や放射線技師だけではありません。

もちろん、

今まで無知で無頓着だった患者が、被曝を意識して無暗にCTやレントゲンを撮らせないようになれば、

CT等の医療機器の稼働率が下がり、その分の医療報酬も減るでしょう。


え? 「患者の治療に支障をきたし、患者本人の不利益にもなる!」 って?

そういう異論はあるでしょうが、

その問題は、また次に詳しく私見を語りたいと思いますので置いておきます。


そして、その医療機器による医者の報酬が減れば、

それはそのまま、放射線医療機器産業 が困るのです。

そして、その不利益はそのまま、原子力産業にとっての不利益になるのだと思います。


なにしろ、国民が「無暗に」放射能被曝を怖れるようになるのですから、

原発推進しにくくなるのは必定です。

だから、かれらは、国民には無知でいてもらう必要があったのだと思います。


つまり、かれらはつながっているんだと思うのです。

「原子力村」には、原発産業のみならず、放射線利用産業としての医学界も絡んでいると思いました。


そうでなければ、

この日本だけが、ここまで「レントゲン大好き民族」として有名なはずはないし、

「世界有数のCT保有国(世界中のCTのほとんどが日本に集中)」なはずもないし、

「レントゲン被曝大国」、「国民総モルモット大国」・・・なんて陰で言われるわけがないんです。


ヨーロッパやとくに、イギリスでは、

日本のように、こんなに簡単に、すぐにCTやレントゲンを撮ったりしないんだそうです。

患者の方もレントゲンを嫌がりますし、医者もなかなか撮りません。

ある日本人がイギリスで怪我をして病院に運ばれたとき、

「絶対、これは折れてるはずなのに、どうしてレントゲンを撮らないんだろう?」

って不思議に思ったそうです。

「レントゲン撮って、ちゃんと見てくれよ」って思ったそうです。

でも、それは日本人ならではの感覚だったと、あとになって分かったというのです。

外国では、

折れてると分かっているんだから、

分かっていることをわざわざ調べるためにレントゲンを撮って被曝する必要はない。」

って考えなんだそうです。


もちろん、これは町医者的な考えなのかもしれません。

大きな立派な医療機関においては別かもしれない。

でも、そういう立派な施設へ行くこと自体、それが必要な場合だから・・・ということもあります。


でも、日本では、どんな小さな町医者でも、大概レントゲンくらいは装備していますし、

「当たり前」に撮りますよね?

それが、世界の中でも、先進国の中でも、日本特有のものだということを最近知りました。

外国、ことにイギリス人から言わせたら、

「日本はレントゲンが大好きなおかしな国」と映るらしいです。


わたしも、今までなんの疑問も持たず、病院の言うがままにレントゲンを受けてきました。

それこそ、診察も待たず、医者にも会わず、「まずレントゲン」でした。

または、医者はこういうのです。「じゃあ、とりあえずレントゲン撮ってみましょうか」

それに疑問も違和感もまったくありませんでした。

原発事故後、

政府がマスコミで繰り返す「レントゲン被曝と同じだから大丈夫」という言葉を聞くまでは・・・


それでやっと初めて気づいたくらいです。

レントゲンでも被曝していたのか・・・と。

そのくらい、わたしもごく一般的な日本人だったのです。

しかし、震災後、娘がわけあってレントゲンやMRIを撮ることになってさすがに心配になり、

いろいろ調べることになったのです。

それがなければ、気付くこともなかったでしょう。

日本がレントゲン被曝大国・・・だったなんて。


そう、医療機器被曝認識に関して、この日本は、おそろしく後進国であり、井の中の蛙だったのです。

日本は医療先進国という誉れ以上に、他国にとっては被曝認識後進国だったのです。

 

それを知らないのは、一般日本人だけだったんです。

患者だけでなく、もしかしたら、医師たちでさえ・・・



だからわたしはこう思います。

「認められたもの」だけを判断基準にしていたら、自分の身は守れないのではないか、と。


どうしても避けられないものなら仕方がない。

でも、選択できる余地があるなら、

それを知っているのと知らないのとでは、結果が違ってくると思うのです。

それには、まず、自分が情報を知っていることです。

だから、情報は等しく開示されるべきだと思います。

少数意見でも、公式に認められていなくても、

一つでも重大な事実があるのなら、その情報は公開されるべきだと思います。


場合によっては、公式情報が正しくない場合もあるし、あとで訂正されることも往々にしてあります。

本当に正しい情報が公式に認められるのを待っていたのでは、もう遅すぎることもあります。


だから、情報は一側面からだけで判断しないで、多岐にわたって「知っておく」必要があると思います。


そして、その情報からどれを参考にし、どれを信じて行動するかは、個々の判断であり、

個々が責任を持つ覚悟が必要だと思います。


一番大事なのは、結果を受け止める覚悟です。


そのために情報が必要だと思います。



何度も言うようですが、

何を信じ、誰の言うことを聞いたとしても、それはあなたが判断したことであり、

その結果はあなた個人が受け止めるものなのです。

誰も責任はとれませんし、その結果を代わってはもらえないのです。


判断するのはあなたの自由であり、その結果はあなただけのものなのです。





長くなりそうなので、その②へ続く・・・ m(__)m

★医療機器で癌になる? ②  ロバート・メンデルソン 「医者が患者をだますとき」 

★医療機器で癌になる? ③  ロバート・メンデルソン 「医者が患者をだますとき」 



【内容情報】(「BOOK」データベースより)
この本では、医療全般から婦人科まで、女性が病院で体験しがちな問題を中心に、医者の勝手な理屈に振り回されることなく病気を癒し、自分の健康を守るための知識を紹介します。


【目次】(「BOOK」データベースより)
第1章 医者通いはなぜ危ないか

第2章 診察室ほど危ない場所はない

第3章 危ない医療信仰、危ない医学教育

第4章 医学界と女性差別

第5章 健康診断の落とし穴

第6章 医療被爆の本当の怖さ

第7章 医者からもらう薬

第8章 多すぎる手術、危ない手術

第9章 子宮摘出手術の秘密

第10章 乳がん手術と生活の室


【著者情報】(「BOOK」データベースより)
メンデルソン,ロバート(Mendelsohn,Robert S.)
アメリカで「民衆のための医者」として親しまれた医師。

イリノイ大学医学部準教授(小児科、予防医学、地域保険学)、イリノイ州医師免許委員会委員長、ヘッドスタート計画(アメリカ政府教育事業)医療部会会長、ラ・レーチェ・リーグ(国際母乳連盟)医学顧問、マイケル・リース病院院長。

すでに故人となっているが、『医者が患者をだますとき』は全米ベストセラーとなった。本書はその続篇である。







医療用放射線の危険性




 「風評被害」だけが大事?  怖がる権利に圧力をかける世論誘導に負けるな!

福島の花火打ち上げず 放射線恐れる声相次ぎ 愛知・日進

河北新報 9月20日(火)6時10分配信

 愛知県日進市で18日夜行われた花火大会で、放射性物質の拡散を心配する市民から苦情を受けた
実行委員会が、福島県で製造された花火の打ち上げを中止していたことが19日、分かった。
「にっしん夢まつり・夢花火」で、東日本大震災の復興を支援しようと、被災3県の花火を含め
計2千発の打ち上げを予定していた。
このうち80発が福島県川俣町の菅野煙火店の花火だったが、愛知県内で製造された花火に差し替えられた。
岩手、宮城両県の花火は予定通り打ち上げられた。
16日の新聞紙上の案内で知った市民から「汚染された花火を持ち込むのか」などと、
電子メールや電話が計約20件、市に寄せられた。
市や商工会で構成する実行委員会が福島の花火を打ち上げないことを決め、
17日に萩野幸三市長に伝えた。
市は「苦渋の選択だったが、市民が不安を感じる状況で打ち上げは難しい」と判断。
萩野市長は「抗議が相次ぎ打ち上げられなかったことは残念。
福島の皆さんには深くおわび申し上げたい」
と語った。
菅野煙火店の菅野忠夫社長(77)は「悔しい思いでいっぱい。
福島から愛知に避難されている人も多いと聞き、花火を見てもらって元気づけたかった」と話した。
19日に今後の対応を協議した市の担当者は
基準などはないと思うが、放射性物質を測定した上で問題がないと判断できれば
来年の花火大会で打ち上げたい」としている。



「新たな風評被害」と謝罪=花火中止で愛知・日進市長―福島


時事通信 9月22日(木)19時33分配信

愛知県日進市の花火大会で、放射性物質を心配する市民の声を受け、福島県川俣町で作られた花火の打ち上げが中止された問題で、萩野幸三同市長が22日、同町役場を訪れ、古川道郎町長らに
「新たな風評被害への心労を招き、心よりおわびする」と謝罪した
市民の理解を得て、早期に同町の花火を打ち上げる考えを示した。
萩野市長は「市民の理解を得る準備が不足していた」と不手際を認め、
「次の機会には、ぜひみんなで福島の花火を見たい」と話した。
これに対し、古川町長は
「花火は安全管理の徹底した工場で保管していた。心配はないはず」とコメント。
市が測った工場の線量を示し「ほとんど自然界と同じ。ぜひ参考にしてほしい」と訴えた。

謝罪を受け、古川町長は
「放射能の問題が被災地だけでなく、全国に広がっている現実を改めて実感し、残念だった」
と語った。 

・・・・・・・・・・・


ウサギ汗(※ 主旨の誤解を招かないように、タイトルに結論を入れておきました。)


わたしは複雑です・・・。

「放射能の問題が被災地だけでなく、全国に広がっている現実を改めて実感し、残念だった」
と言っていますが、何を実感したのでしょう?

もうすでに確実に被曝してしまっている福島県民の被害者感情と、
「放射能拡散」を怖れるまだ被曝していない県外の国民の認識との「格差」を実感したのでしょうか?

その「残念だった」のは、何が残念なんでしょう?

あなた方が「被災者感情を逆なでする」というなら、
わたしたちにだって、「被災国」民としての「感情」があるのです。

「なんとしてもこれ以上被曝を拡大してほしくない。」
「我が身も我が子も守りたい」
「福島以外にも被曝者を出したことで、これ以上の日本の信用を失いたくない」
(ほんとうに風評被害はこっちの方が甚大だと思う)

そういう被災国民感情だって尊重されるべきではないでしょうか?
(ほんとは政府が考えることですけどね!)

これまでの報道によると、
それはまったく否定されているとしか思えません。
まるで、あってはならぬかのような風潮作りに思えてなりません。

まるで、
「日本国民には放射能を怖れる権利はない」 としているかのように・・・

真意は分かりませんが、わたしにはそう聞こえるのです。


わたしはどうにも釈然としません。

京都での「大文字焼き」での件もそうでしたが、
以前から訴えているとおり、
マスコミは「風評被害」の被害者感情ばかりをクローズアップし、一方的に完全擁護しているからです。

常に国民感情を同情的に誘導し
「放射能を怖れること」 「放射能を避けること」 がまるで「悪」か「卑怯」であるかのような
「世論誘導」が感じられるからです。

少なくともこれは、事実を完全にマスコミの都合のよい一側面からしか報道していません。
つまり、「放射能を怖れる」側の事情や心情にはまったく配慮の無い一方的な報道です。

福島県民の「心情」は、日本人ならもちろん誰にも分かると思います。
分かっているからこそ、
みんなこれに、これ以上抗議することを怯んでしまうのだと思います。
その「日本人気質」といえる国民感情を利用した、
これは、ある意味、政府が意図したマスコミによる言論統制にすら近いと思います。

そうでないというのなら、

なぜ、反対意見が出たのか?
どういう事情で、どういう心情での抗議内容だったのか?
なぜ、その「不安」は生じたのか?
ほんとうに、そのすべてが「風評被害」だったのか?
それも合わせて報道すべきです。 
違いますか?

それをまったくしていない、都合のいい声だけしか出してこないというのは、
明らかな「世論誘導」 「情報操作」だと思います。


そして、わたしが一番気になるところは、
同じ日本国民として、福島以外の国民には、
「放射能被曝をおそれて拒否する権利はないの?」 という疑問です。

「福島からの放射能汚染拡大」を懸念することも、
その「おそれ」や「可能性」を拒否することも認められないとでもいうのでしょうか?
「同じ日本人なんだから」、
福島だけでなく、みんな平等に「少しくらいは」被曝しなければならないのでしょうか?
福島の人たちの「被害者感情」に障ることをすると「非国民」になるのでしょうか?
国民にそう思わせて、「被曝を怖れることは悪だ」という風潮を作りたいんでしょうか?
政府の世界基準の何十倍もの危険な「基準値」に疑問を持つことが許せないとでもいうのでしょうか?

こんな報道ばかりでは、それを強制されている、強制させようとしている、
と感じてもおかしくないのではないでしょうか?


福島県が放射能被曝を「受け入れている」からといって、それを全国民にまで押し付ける権利はないと思います。

ここで間違えないでください。
「放射能を受け入れる(政府の安全宣言を全面的に受け入れる」)と決めたのは、住民ではなく
県知事や市町村長です。

かれらの考えや判断はまったく不可解です。
半年前ならいざ知らず、
もう、これだけ一般市民にまで政府判断を否定する情報が回ってきている現状で、
これだけ心ある学者や識者たちが
「福島県全域はチェルノブイリでの「放射能管理区域」(人が住めない環境)だと言っているにもかかわらず、
海外メディアが、専門家が、「日本政府のやっていることは犯罪行為」だといっているにもかかわらず、
その情報、警告を無視しているのか気づかない振りをしているのか分かりませんが、
結局、政府の言うとおりにして、
住民を「人質」にとって「被曝」を盾に、県民の安全よりも、県民の命よりも、
政府からの賠償金や補償金や公的資金をむしり取る方を選んだのです。
そして、福島以外の国民が「放射能汚染」を怖れて拒否することを断じて許さないという姿勢。
これでは、現政府の国民総被曝政策を手助けする傀儡としかわたしには映りません。

そうでないというのなら、
もっと、ちゃんと、政府の出す情報以外で、政府が指針を仰ぐ機関以外で、
「放射能のおそれ」を勉強してください。

それをしない理由はなんですか?
政府からお金を取る以上、政府の言うことを聞く必要があるのでしょうか?
政府の言うことを聞く以上、それ以外の情報は入れたくないということでしょうか?

そうでないというのなら、ちゃんと「外」の声も聞いてください。
ちゃんと、海外からの忌憚ない意見や警告を聞いてください。
そして県民を守ってください。
お金なんかいくらあったって、県民の将来や命は守れませんよ。
その判断が、何十年後かにどんな結果を生むのか、考えたことはありますか?

あなたがたは「(理解されなくて)残念だ」と言うけれど、
理解していないのは、あなたがたの方ですよ。

被曝を怖れている人は、
ただ感情的に怖れているわけではなく、今や無知識から怖れているわけではないのです。
むしろ、政府の安全宣言を信じている人の方が完全なる「無知識」だと思います。

もう、どんなに隠しても隠しようのないところまできているのですよ。
もう、いつまでも、「風評被害」だの「被災者感情」だの言ってる場合じゃないのですよ。

「風評被害」や「被災者感情」を大事にしてもらえるのは、普通の災害までです。
こと「放射能被曝」にかんしてだけは、それは通用しないと思います。
いえ、「通用させてはいけない」と思います。
放射能被曝だけは「分かち合って」はいけないんです。

どうか間違えないでください。

今回の花火自体が「被曝していたかどうか」が問題ではないんです。
福島県の「政府基準への盲信」 それが問題なのです。
(信じていないというならそこに住まわせられないはずです)

福島以外の国民の「不安感情」は、
政府の「安全基準」があまりにデタラメで「信じるに値しない」という現実からきているんです。

「抗議」の声を まるでただのヒステリーだけであるかのように、
頭から全否定するような報道の仕方によって、
放射能汚染拡大を怖れる「権利」を一方的に封じようとするマスコミ報道の在り方、
福島県の便乗の仕方が問題なのです。


もう一度いいます。


わたしが疑問に思い、懸念するのは、
マスコミは「風評被害」の被害者感情ばかりをクローズアップし、一方的に完全擁護して、
常に国民感情を同情的に誘導し
「放射能を怖れること」 「放射能を避けること」 がまるで「悪」か「卑怯」であるかのような「世論誘導」
が感じられるからです。

何度でも言います。

放射能だけは分かち合ってはいけません。

それだけは、避けられる人はせいいっぱい避けるべきなんです。

避ける権利があるはずなのです。

それを許さない、許されないような風潮はおかしいです。


危険です。 




政府の間違ったデタラメな政策のせいで、それにいい加減気付いた国民は、
自分や我が子を守りたい国民は、
政府発表を信じて居座っている福島県知事に不信感を持つのは当然だと思います。



どう頑張っても避けられないものがあるなら、(政府のおかしな基準のせいで避けにくくなっている)

避けられることは極力避けたいと思うのは当然です。

もうこれ以上、不安は要らないんです。



「被曝の影響にはしきい値はない」 



その「常識」を、政府は 原発事故が起こった瞬間に都合が悪いから反故にしました。

国民に「嘘」をつき続けました。

その結果、

本当の情報を持っている人と、もっていない人で、

政府発表に従う人と 従わない人とに、 日本人の見解は真っ二つに分かれてしまったんです。



それは政府の責任です。

国民を疑心暗鬼にさせたのは政府の責任です。

だから、

「放射能を無暗に怖れる権利」を否定することはできないと思います。

たとえ、

「おそれ」の中に取り越し苦労があったとしても、責められるべきは国民ではないはずです。



「取り越し苦労」での風評被害と、 「被曝の影響が出てしまった」ときの深刻さと、

そのどちらが 「取り返しがつかないか」 を考えれば、

「残念」に思うのは当然として、

それを責める権利は誰にもない と、わたしは思います。




それだけは間違えないでほしい。


それだけは確認しておいてほしい。


世論誘導に負けないで、それだけは守り抜いて欲しいと、切に思います。









< 関連記事 >

被曝させた人間は守るけど、
被曝した人や被曝するかもしれない人は守ろうとしない。
自国がこんなに喘いでいるときに、
まだまだ移民を増やし、外国人を優遇しようとする政権。
こんな国が行き着く先は?



 放射能を本能で恐がってはいけませんか?

「何を信じたとしても結果は自分のもの」

という記事の最後に、つい、こんなことを書いてしまいました。 


危険を避ける・・・ということは、本来、動物の生存本能だったはずです。

現代人は、都会人は、危険を回避する能力が著しく落ちていると言われています。

情報ツールは豊富に持っているけど、その情報がなくなったときは無力です。

自分で判断したり、判断の責任を持つということも足りないと思います。

しかし、こういうときこそ、動物的勘が働く人が強いといいます。

野生の勘や母性本能でもそうです。

それは、人類が「生き延びるため」に託された本能だからです。


なんでも他人の指示まかせではなく、なんでも権威や数値に従うのではなく、

なんでも判断を他人に委ねるのではなく、

「なんとなく心配」 「なんとなく嫌な感じ」

という自分の動物的勘も、ときには信用していいんじゃないかと思います。


(買いだめしろと言ってるんじゃないよ~~~!!)



そこで追記です。


とっても誤解を招きそうなので補足説明させてください。 (そしてさらに加筆しました)




こと原発に関して、

例えば子を持つ母親という立場で、

これからその子が結婚して子供を産むという未来を考えた時、

原発に何が関わっていて、どんな利権や経済が絡まっていて、どんな影響があるとか、

なくなると困る人がいるとか、なくなると困る産業があるとか・・・

正直、そんなことはどうでもいいんです。



母親が子供を守るということは、ほとんど本能です。

我が子を危険から守ること。 我が子の利益(幸福)を守ること。

それは、理屈なんかじゃない。 瞬時に最優先で気が付いたらそうしていること。

原発はこわい。 放射能はこわい。

これは、自分の子供の未来にあって欲しくない、あってはならないもの。

そう思うことはすごく自然なことで、本能的なことで、当然のことだと思うのです。



今まで、こんな事故が起きるまで、考えたこともなかったから、あまりに他人事だったから、

正直視野に入っていなかっただけ。

でも、いきなり視野に入ってきて、現実感が出て、頭で考えることもしたけど、

なにより、これは、子供の未来に残したくないものだということだけははっきりしました。

原発だけじゃない、再処理工場も、放射能の汚染そのものも、原子力を利用するということも、

それこそが地球環境汚染の地球の人類の寿命を縮める最たるものだと分りました。



いろいろ知った上で、知れば知るほど思うことは、

放射能なんかいらない。 放射能はこわい。 

放射能を恐がって何が悪いの? ってことです。

経済とか、生活とか、そんなこと言ってる間にも、確実に子供たちの未来を汚して縮めている。


だから、難しいことを言えなくても、難しい理論が分らなくても、

こわいものは、こわい。 危ないものは、危ない。

いらないものは、いらない!

・・・そういうのでもいいと思うんです。


それを「感情論」でくくって馬鹿にして否定する人がいるけど、

なにも街頭で大声でスピーカー鳴らしているわけじゃないでしょ。

たったひとりや数人の、自分の我が子を守るために、

こわいものを避け、あってほしくないものに「いらない」と反対する。

それのどこがいけないの?


「理屈」や「理論」だけで人が守れれば、母親なんて必要ないでしょ?

「経済」や「科学」だけで人が育つなら、母親なんて必要ないでしょ?

母親は「非武装」で「素手」で我が子を守ってきたんです。

外で戦っている父親の手の届かない場所で、我が子を直接守ってきたのは母親の素手です。


もちろん、母親も情報を集めます。

最新のものから、代々伝わってきた古の知恵まで。

でも、咄嗟に動かすものは、本能的な勘です。

あらゆる情報の上に真っ先に指令を出すのは、

「生きるための本能」 「我が子を生かすための本能」です。


そういう母親の本能に守られて、あなたたちも大きくしてもらってきたのに。

そういう、本能的な「危険を感じて避けようとする気持ち」を蔑む風潮が気に入らない。


戦争を始める理由は経済だけど、戦争を賛美する理由も経済だけど、

戦争を憎み、戦争を止めさせる理由はl「命」だったはず。


経済や科学のために我が子を犠牲にする母親がいなかったから、人は生きながらえてきたんです。

我が子の死を嘆く母親たちがいたから、男たちは戦争を止めることができたのです。


人間は病気したり、事故にあったり、殺されたり、自殺したり、いろんな原因で死ぬけど、

生まれてくる方法はたったひとつです。



母親の子宮で子供は育まれる。 母親の子宮は地球の海です。

海は地球の子宮です。

その海をこれ以上汚しちゃいけない。

放射能や化学物質汚染から海や子宮を守らなければ、人類の未来は終わってしまう。

そりゃあいつかは終わるとしても、

我が子には、その子供にはその終焉を見せるのは嫌です。



それを防ぐ方法はたったひとつしかないのに。

それを遅らせる方法はたったひとつしかないのに。





本能で反対しちゃいけませんか?

本能で恐がっちゃいけませんか?

理屈は誰かがつけてくれる・・・ それじゃあ、いけませんか?










原発ゼロを目指して、何がいけないのでしょう?
http://20120901.blog.fc2.com/blog-entry-939.html

「 原発を経済で語るな!!」
http://20120901.blog.fc2.com/blog-entry-941.html


「世界のトヨタと真央ちゃんが教えてくれたこと」 
http://20120901.blog.fc2.com/blog-entry-886.html


日本ほど素晴らしい国は世界中のどこにもないだろう ~ アーセン・ベンゲル
http://20120901.blog.fc2.com/blog-entry-359.html

「可愛い子には旅をさせましょう」
http://20120901.blog.fc2.com/blog-entry-143.html  


日本人は自分のことをよく知らない
http://20120901.blog.fc2.com/blog-entry-558.html

なぜ日本人は「日本人らしさ」を失わずにこれたのか?
http://20120901.blog.fc2.com/blog-entry-631.html

『天皇、皇室についてのさまざまな誤解について』
http://20120901.blog.fc2.com/blog-entry-815.html


★★子宮頸がんワクチンについて これだけは知っておいてほしいこと


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思いっきり、主婦目線、母親目線、オバサン目線でいろんな情報に感想を書いています。

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