ひだまり    今は古事記に夢中! バレエ
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アメブロから引っ越してきた過去記事の再公開と、                       もっと日本を知るために「竹田研究会」の紹介を主にしていきます。

槇村さとる 「Do Da Dancin’! ヴェネチア国際編 ⑩ 」 前篇

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※※これについては、さらに詳しく書き直しましたので、
  どうぞ、こちらをお読みください。 ↓

 再 「DoDaDancin’!ヴェネチア国際編⑩ 」日本人の自由に対する誤解と偏見 ( 前篇)
 http://20120901.blog.fc2.com/blog-entry-1036.html



。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。


以前にも紹介した槇村さとるのバレエ漫画「DoDaDancin’!ヴェネチア国際編 」です。

※ 「わたしをバレエに連れてって! ~師が生徒を手放すとき 」  )


その最新刊、10巻を読んで、「これは・・・」と思うエピソードがあったのでお話したいと思います。


ただ、これは「絵」を見ないとピンとこないかもしれないのですが、頑張って説明してみます。


まず、このお話は、

今までのバレリーナにはない、とても人間くさいドラマティックな存在感が売りの遅咲きのプリマ、

主人公 桜庭鯛子が、全日本を制し、本命の国際コンクールへ向けて「白鳥」の最後の仕上げをするべく、

パリオペラ座の世界NO.1 カリスマ. ダンスールノーブル(王子様役の似合うカリスマ男性舞踊手)とペア

を組むことから始まります。

鯛子にとっては初めての海外、しかも、たぶん日本人とはもっとも合い慣れない強固なアイデンティティを持つ

フランスのパリで、早速、その「洗礼」を受ける鯛子。

しかも、最初に鯛子に洗礼を授けたのはフランス人ではなく、

奇しくもパリの日本人女性、通訳のマドモアゼル・ココだったのです・・・


ここがミソですね。 

読者の理解を助けるのに、これほど上手い設定はないでしょう。

元々日本人であり、日本人としてパリで「洗礼」を受けて挫折した経験を持ち、

日本人の感覚を捨てることでそれを乗り越えパリの感覚に馴染んだという、

日本人とヨーロッパ人との違いを頭ではなく体で分かった人間によって、それは過不足なく(ページの無駄もなく)

その「カルチャーショック」を表現し、読者に理解させ、消化することができる。

上手いな~ と感心。 ウサギ 


その「洗礼」っていうのはですね、フランス人の鉄の「個人主義」のことです。


なんてったって、ヨーロッパ人のなかでも、とくにフランスっていうのは「個人主義」の横綱。

日本人感覚では信じられないほど解放されすぎた「自由」という感覚は、

日本人が考えるような、

「自由とは権利を果たしてからこそ主張することができるもの」とか、

「他人に迷惑をかける行為や考え方は自由ではなくたんなる身勝手」

・・・な~んていう優等生的な考えは、彼らには「寝言」としか聞こえない。


だって、かれらの「自由」とは、

「自分が一番大事」 「誰も守ってはくれないから自分のことは自分で守る」

という信念から発しているものだから。


公より私、他人より自分。

だから、「自分」と「他人」、「自分」と「相手」という観念は、はっきりと「区別」されている。

その「区別」という観念だって、日本人のそれとは大分違う。

その違いを手っ取り早く言えば、「相手」とは、「自分ではないもの」・・・ということ。

       

え?  そんなの当たり前だって?

            

ううん。ちがうんです。

かれらにとっての「自分でないもの」とは、イコール「敵対するもの」「自分を害するもの」と言ってもいい。


冗談抜きで、そのくらいの感覚の違いがわれわれ日本人との間にあると思った方がいいんです。

だから、かれらの「当たり前」は、

日本人の甘っちょろい自由や個人の概念とはまるで違うんです。

日本とは、歴史も違えば成り立ちも違う。

なめてかかると痛い目に遭います。この鯛子のように・・・


でもそれって、

思い遣りで成り立つ日本社会から見たら、その「自由」のために捨て去ったものの大きさを埋めるために

さらにより「個の権利」に固執せざるを得なかったってことで、「負のラビリンス」にしか見えないんです。

その本質を知らなかった若い頃はわたしも憧れていましたけど、

でも今は、わたしとしてはな~んにも羨ましいとも、讃えるべきでもないと思います。



その証拠に、日本にきたフランス人は日本社会の在り様にびっくりすると言います。

とくに、今回の大震災のような「非常時」に証明された、日本人の真の姿に。

自分たちが持っていない、自分たちの国でも他所の国でも見たことがない「公共心」というもの、

「私より公」、「個より共」を重んじる姿を初めて目の当たりにして驚嘆したといいます。


しかも、それが命令や服従ではなく、誰に言われるのでもなく、当たり前のように振る舞うことに、

自分の要求を通そうという積極的な行動ではなく、

自分のことより、もっと困っている人を瞬時に優先して、自分の欲求を抑え、我慢し、譲り合う姿に、

しかも、それが東北人だけでなく、全国から人が集まる大都会の東京人までもが黙ってそれをする姿に。


そういう「信じられない光景」の数々を目の当たりにしたかれらは、

日本人の真のすごさ、真の強さを発見し、真の「理想的社会」を日本に見て感動したと言います。


それに感動できるということは、彼らだって、そういう行動をするのが「美しい」ということは頭では分かっている・・・

けど、

そんな「バカなこと」をする人間はフランス(ヨーロッパ)にはいない・・・ということも分かっています。

そんな日本人の「美しい姿」にどんなに感心しても、どんなに見習おうと思っても、

自国に帰ってそれをやったら馬鹿をみるだけになってしまう・・・ことも分かっているのです。

彼らは結局、個人主義という水の中でしか生きられないということも・・・。


それは何もフランス人だけじゃない。

他のヨーロッパ人も、アメリカ人も、中韓人だってそう。


あの、ベンゲル監督が

「欧州事情に疎い日本人が欧州に行ったら、精神に異常を来たしてしまうのではないか?」
と心配してくれたように、

「日本は奇跡のような国」だと言ってくれているように、

冷静な見識ある西洋人から見ても、

そのどちらが「負」であるか・・・それはシビアな現実なんです。



・・・ということを踏まえて読んでいる読者は少ないと思う。

おそらく、そこをよく分かっている作者は、

そんなお花畑を歩く日本人にも分かるように、そっとやさしく教えてくれるんです。

一度はパリで落ち込んで凹んで、セーヌへ身を投げようとしてから たくましく生き返った、

「マドモアゼル・ココ」の目線と言葉を通じて・・・



ココの友人たちの会話
「なんで日本人は自分の気分が相手に自然に伝わると思っているの?」
「日本人はエスパーなんだよ。 イシンデンシンっていうのさ」

欧米人は「相手の心を慮る」っていう行為を当たり前にできるのは
神様か聖人だって思ってるから・・・


ココの心の声

「わたしが願うような わたしにやさしい、わたしを甘やかしてくれる街 

なんて、幻想だってわかった」

「そんな都合のいい世界なんてない って現実を受け入れたの。 そしたら楽になった。」

日本で信じられてきたことが、ここでは単なる絵空事か奇蹟のようで
期待するだけ生きにくいと、諦めることを悟った。



そういうことだと思うんです。


でも、

でもね、

でも、ちょっと気になったことがあるんです・・・。


このココのように、

日本人がいきなり西欧の現実に面喰ったら、

自分たち日本人は、「やさしい社会」で「甘やかされてる」って感じるのは無理もないと思う。

たしかに、それは、日本の中にいたらけっして実感できないことでしょう。

真逆の国へ行ったから、日本から出て初めて分かることです。

だから、それはそれでとても意味のあることだと思います。

     

でも、「日本人は甘やかされてる」 ってことに気づくことだけが真実?

「西洋人から見た日本人への評価」 もっといえば、
「日本人を理解しない西欧人目線の日本への評価」それだけが真理ですか?


そこまでだったら、

それは結局、「西洋人目線」での気づき、でしかないのでは?

つまり、それは、本物の「気づき」へのスタート地点であって、

けっして「真理」への帰着点ではないとわたしは思うのです。

               

そこが、日本人が未だ「西洋至上主義」から脱却できないところであり、

あのベンゲル監督もいう、日本人の「美し過ぎる誤解」だと思うんです。


そう、表面だけ見たら、

「外国人の考え方」から見れば、たしかに、日本人は「甘やかされてる」と映るでしょう。

「自立」と「甘え」が対義語のように使われれば、

それは単純に「フランスの個人主義」VS「日本の人情」という感じで認識されることでしょう。

それがあたかも普遍的であるかのように、その固定観念が日本ではできあがっています。


でも・・・


でもね?


日本人特有の「人情」が「甘え」であると、ほんとうに一括りにしていいのでしょうか? ウサギ汗

「人情」が「人に甘えること」、「自分から働きかけないこと(人の手を待っていること)」だと定義して、

そんな固定認識してしまっていいのでしょうか?


ほんとに日本人がただ「人の情けに甘やかされてる」だけだったとしたら、

ほんとに日本人が西欧で壁にぶつかり上手く生きられない原因がその「甘え」からくるもので、

それが「他人の好意の上に胡坐をかいていただけ」という「日本人の欠点」なんだとしたら・・・


ほんとうにそうなら、

阪神淡路や東日本の大震災のときに、

世界中が絶賛して、「日本人を見直した!」「われわれは日本人気質というものを誤解していた」

「これが本当の日本人気質の凄さであり、素晴らしさだ!」

・・・と見直し、敬意まで表してくれたでしょうか?


その認識のギャップはどう説明したらいいのでしょう?



せっかく外国人が日本人を見直してくれたのに、

それなのに、まだ、

日本人は自分たちを卑下したいの?


「イシンデンシン(以心伝心)」とは、相手が自分を甘やかしてくれることを期待して黙っていること?

違うでしょう?


日本人はいつも相手の気持ちを慮って行動する・・・

「情けは人のためならず」 という言葉も、他人に対する思い遣りが前提としてあってこその話です。


それがどうして、わたしたち日本人までもが、

人への思い遣りという「人情」と、

ココが日本人の負のアイデンテティとして捨て去ったその「甘え」とを混同してしまったのでしょうか?


というか、たしかに、混同しがちなんですよね?

とくに、今の若い世代の人たちは・・・

その大代表がココだと思えばいいのかな~??


ところで、

日本がじつは、「弱者にやさしい社会」という仮面(大義名分)の下で、

強い者が弱い者を「私物化」してる・・・ってことに気づいたことがありますか?


( え~!どこまで話が飛ぶの? って思われるかもしれないけど、

 まあ、さらっと聞いといてください。(^_^;)


戦後日本に、

戦勝国の企みで、それまで封建社会の規律の中で暮らしていた幸福な日本人には無縁だったはずの

欧米の「自由主義」や「平等主義」や「人権至上主義」・・・などが津波のように入ってきました。


もしそれが「敗戦後」でなければ、日本人はあそこまで一気に迎合しなかったかもしれない・・・と思うのです。

当時の若者がほんとうに求めた自由というのは、

いわゆる「自由を縛る封建制度」からの脱却・・・という自由ではなく、ほんとうは、

戦中戦後の軍部、特高の「言論統制」による「自由」のない窒息しそうな社会から、または、

戦後の「倫理や論理の逆転」という理想の崩壊による矛盾や不条理という泥沼から自由になりたかったのでは

ないでしょうか?


そんな若者たちの 日本人らしい潔癖な心理が手伝って、

一度懐を開いてしまったが最後、外国勢力の思うがままに、あたかも、それこそが「絶対正義」のように、
それこそが「日本人に欠けているもの」だと刷り込まれ続けてきたんだと思うのです。

言葉の表面的な上辺だけを「輸入」して、
分かったような顔をした「教祖」たちに踊らされ、

それが日本人精神を腐敗させるための「呪文」だとは気づかず、
いいように洗脳され、ここまできてしまった・・・

と思うのです。



あの頃の日本人には、アメリカやヨーロッパがすべてにおいて先進的で素晴らしいものに映っていた。

日本があの戦争で果たしたほんとうの偉業や、その尊い意義は教えられず、

ただ「負けた」という現実しかなかったのだから、そんな日本人の絶望的な敗北感も手伝って、

相手の何もかもが優れていると感じてしまっても無理はないと思う。

みんながそうだとは言わないけれど、そういう心理を利用されたのは確かだと思うのです。

今まで信じてきたものが崩れ去り、自信と自尊心を奪われ、混乱し鬱々としていた当時の若者にとって、

「自分たちより優れた国」から入ってきた先進的な思想や概念に魅力を感じるなという方が無理でしょう。


しかし、それを正しく「輸入」できた人はほとんどいなかったんです。


それもそのはず、

ヨーロッパの素晴らしさは意図的な「宣伝」によるものであって、

それは、新商品を売るためのCMのようなもので、実体験からくる評価(真価)とは違ったのだから。


魅力的な言葉の、とくに扇情的ではあるけど日本人が受け入れやすい概念だけをつまみ食いして、

それを個々の思惑に合わせて都合のいい解釈に拡大湾曲し、日本人に宣伝・洗脳してきたに過ぎないんです。


もちろんわたしだって、小さい時からずっとシャワーのようにそれを浴びてきました。

「個人の自由」とか、「権利の主張」とか、「~主義」とかいうそれは、

中学生で初めて持った万年筆のように、いつも胸ポケットに入っていました。

(今の子にすれば「スマホ」のようなものかな?)   

今思えば、

わたしたちは、自分たちのサイズに合わない、根拠のない主義主張を猿真似して空回りしていただけ・・・

そして、

その結果、ただの我が儘で甘ったれた「自由人」が量産された。


それが、欧米のしかけてきた戦略だったのです。

気づく、気づかないにかかわらず、その「波」を浴びなかった日本人は一人もいなかったのですから。


でも、救われたのは、

日本が生まれたての赤子のような真っ白な状態ではなかったこと。

日本人は、西欧の国にはない、筋の通った古い古い伝統と尊い歴史を持っていたから、

「言葉」や「理屈」を超える、

畏れとか尊ぶべき、守るべきものを持っていたからです。

日本独自の封建社会が根付いていたおかげで、「個」ではなく、「家」がそれを守ってきたからです。

だから、

洗脳されても、どんな波を被っても、骨の髄まで浸食される前にそれを撥ねのけるだけの「透明の盾」

「防御システム を先人たちは持っていました。


日本人が「日本語」で考え、日本人の感性で生きるだけで、

その「防御システム」 は作動し続けるのです。



でもね、

それは日本の中にいるだけじゃ分からない。

分かるわけがないんです。日本と他の世界とは違いすぎるから。

日本の社会は、この地球上でもとても特異で、希少で、まったく別次元なものなのです。

だから、わたしは、

このマドモアゼル・ココもまた、じつは「井の中の蛙」だと感じます。


これは、所詮、

日本にいて「日本の中から世界を見た感覚」だと思うから。

つまり、日本の中の「外国から入ってきた外国の情報」・・・で認知された感覚だと思うのです。

わかります?

言い方を変えると、「外国人目線での日本人観」、

もっといえば、「外国人が日本人に与えたい情報(固定観念)」・・・だと思うんです。

わかります?


解り難くってごめんね~~~あせる


そういう意味で、彼女の「達観」にわたしは違和感を感じたのです。


だから、とくに若い読者の人たちが、これを読んで、または、途中そこだけ読んで、

「そうか~日本人ってのは甘ちゃんなんだ~ もっと自我を強くもって自立しなきゃね~」

って思うだけじゃダメなんじゃないか・・・って、

ダメっていうか、それは危険じゃないか・・・? って思ったんです。


あああ、老婆心~~~



つまり、わたしが言いたいのは、

日本人は(ただ)甘えているんじゃないのよ~ ってこと。


このココが勘違いしていたように、日本人はみんな誤解してると思う。

だいたい、

日本人の「甘え」の感覚っていうのは、とても西欧人には理解不能未知感覚のはずなんです。

それを、付け焼刃的な知識で知ったかぶりして、 (お前もだよ! って?ウサギあせる

「サムライ」や「蝶々夫人」を未だ激しく誤解したまま「直そうともしないプライド」で

勝手に解釈して日本を壟断した意見を、

そのまま当のわたしたち日本人が鵜呑みにして納得していてはいけないと思うんです。



たしかに、日本人は「自由」を誤解しています。

今になってはそれはもう「日本人の(日本的)自由」と言う感覚ですが、

そもそも外国から入ってきたとき、そのときから解釈が間違っていたんです。たぶん、恣意的にね。

その「誤解」に気づかないまま、

日本的な自由や個人という概念でそのまま西欧人の自由や個人主義を語るのは、

とても危険なことだと思うのです。


日本人の認識が甘いというのは、

日本人の人情やその基盤となる「自尊他尊の精神」を維持したままそれを求めて得られるようなもんじゃない、

ということを、


ほんとうの「自由」を謳歌するには、

苛酷な「個人主義」(排他主義)を貫く覚悟がなきゃダメなんだ!


・・・ってことを知らないまま(教えられないまま)、

「自由」=「甘えていい」と誤解(洗脳)されてきただけ・・・だと思うんです。


つまり、

ほんとに、ほんとうのこと↑を全部知らせていたら、

だ~れも 「自由」や「個人主義」を 「素晴らしい!」「先進的だ!」などと手離しで讃えなかったろうし、

高潔な賢い日本人は簡単に受け入れなかったでしょう!

・・・ということです。


そうなの。

自由の国の「個人主義」は、

ぜったいに日本社会、われわれ日本人に合い慣れないもの。

けっして、日本人には必要ないもの だと思うのです。


(パリでフランス人の中で生きて行くためには必要かもしれないけどね!)




相手を理解することと、

相手に迎合し同化することとは違う。


少なくとも、

日本人がそれを身につける必要も、

日本人がそれに合わせて「日本人らしさ」を捨てる必要もない!



だから、ココが言ってることはフランスの中での「正解」ではあるけど、

そのすべてが絶対普遍の真理ではないということ。


ココの進言は「対・個人主義」の突破口への鍵とはなったけど、

それはある意味、「相手」に対して銃口を向けることとも同義・・・


わたしは、鯛子が選んだ「相手への敬意」こそが、

「相手」と「自分」との距離を埋めるもの、真に「相手に届く」ものだと思うのです。



それが言いたかったの。 ウサギ汗  


ごめん、ぜんぜんバレエの話じゃないね・・・





長くなったので、じつはまだまだ その②へ続く・・・  m(__)m;;;


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「わたしをバレエに連れてって!! 吉田都の奇跡」
http://20120901.blog.fc2.com/blog-entry-109.html


吉田都のチャリティーコンサートの舞台裏
http://20120901.blog.fc2.com/blog-entry-223.html


吉田都インタヴュー ~ 「自分でない自分にはなれない」
http://20120901.blog.fc2.com/blog-entry-581.html



★日本ほど素晴らしい国は世界中のどこにもないだろう ~ アーセン・ベンゲル


吉田都インタヴュー ~ 「自分でない自分にはなれない」

吉田都インタヴュー ~ 「自分でない自分にはなれない」 より~


生き方カレッジ11月のゲストは、バレリーナの吉田都さん。

ダンスに負けない可憐さで、表情豊かに半生を語ってくださいました。

舞台に立つプリマドンナ(・・・ウサギ汗むかっ の優雅で華やかな姿の陰には、

過酷なまでの努力を続けてきたプロとしての長い月日がありました。

講義録の前半は、留学生活のエピソードをご報告します。

(聞き手:柏木友紀アサヒコム文化担当エディター)


テクニックがあるからって それがなんなの?

――バレエを習い始めたのは9歳の時。意外に遅い印象を受けますね。


始めたきっかけは、お友だちの発表会を見に行ったことでした。

もともと身体を動かすのが大好きな子どもでしたから、「私もやってみたい!」と。

案外、ロイヤル(バレエ団)の中にもその頃から始めた人が多くて、何もわからない小さなうちから始めるよりは

私にはいいタイミングだったなと思っています。


――とかく、バレエに関して日本は遅れているという言われ方をしますが、イギリスに渡ってみて、

   日本の教え方の良さを実感したそうですね。


本場ではどれほど厳しいレッスンが待っているのかと思っていたら、それほどでもなかったんですね。

むしろ、ほめながら伸ばすという感じで、ていねいに教えてくださる。

「ここをこうやって、こう注意をするからこのステップが出来るのよ」という感じで、説明もとても細かい。

でも、それが私には丁寧すぎるように感じられて。日本のバレエスクールではバンバン怒られるし、

訳もわからないうちにいろいろなステップをたたき込まれる。

厳しいけれど、でもその方が、頭で理解する前に身体が覚えていく。

技術的な基礎を身につけるには、その方がいいのではないかと感じていました。


――イギリスの人たちにも驚かれたという吉田さんの完璧なパ(ステップ)は、

   日本の厳しい環境の中で培われたのですね。


確かに、最初のうちはそういうものが拠りどころにはなっていましたが、長くは続かなかったですね。

試験の時期になると、みんな魅せるんです。

技術面が弱い子もガラリと変わって、役柄の表現を上手にしてみせたり。そうなると、

「テクニック的にできるからって、それが何なの?」と、

急に自分がどう踊ったらいいのかわからなくなってしまって…。

ただでさえ衝撃を受けましたからね。向こうの17歳は、みんな私と同じ年のはずなのに、

グラマラスな感じだし、とても可愛いですし。

「うわぁ、なんでみんな、こんなにキレイで大人っぽいの!?」と。


自分でない自分にはなれない


また、イギリスというところは、なかなか太陽も顔を出さないし、食事も、母の美味しい手料理に慣れていた

当時の私には不思議な味。

お菓子にハマってしまったのもこの頃ですね。

日本にいるときは食べないようにすごく気をつけていたのに、ちょっとつまんでみたらすごくおいしい。

「まずい食事より、当然こっち!」みたいになって、やめるのが大変でした。

お菓子ばかりを食べていると、太るのはもちろんですけれど、精神的にもかなり不安定になるんです。


――そんなとき、相談できる相手はいましたか?


ひとりで悶々としていました。

英語が話せないのに、私のクラスはイギリス人ばかりで、それもキビシかったですね。

それに、相談してもきっと誰にもわかってもらえないと思っていました。

日本人としての見た目だとか、みんなと同じようにしても同じにはならない、どうしようもないと思っていましたから。

でも、(プロとして最初の)バレエ団に入るきっかけにもなった芸術監督のピーター・ライトさんが、

最初から私にすごく目をかけてくれて、チャンスを次々にくださったんです。

だから、気持ちはどんよりしていたけれど、踊りの面では常に刺激を受けていました。

それに応えるために無我夢中でチャレンジしていたら、いつのまにか楽になっていて時間はそれなりにかかった

けれど、気がついたらイギリスが好きになっていましたね。


――では、体型的なコンプレックスは克服できたのですか?


いえ、克服は今もしていません。あきらめたんです。

自分ではない自分にはなれないって。

それに、私が「ステキだな」とうらやましく思っているダンサーたちも、それぞれに悩みを抱えているんですよね。

「手足が長すぎて踊りにくいの、音楽に間に合わない」なんて悩みを聞くと、「ああ、短くて良かったな」と思ったり。

そういう人はケガも多くて、案外苦労をしていたりもする。

だから、私だけじゃなく、みんながないものねだりをしているんだなということも最近はわかってきました。



吉田都(よしだ みやこ)さん [バレリーナ]
1965年東京都生まれ。9歳からバレエを始める。
83年にローザンヌ国際バレエコンクールでローザンヌ賞を受賞し、英国ロイヤル・バレエ学校に留学。
95年に世界三大バレエ団のひとつ、英国ロイヤル・バレエ団プリンシパル(最高位のダンサー)に。
04年にはバレリーナとしての功績と共に、チャリティ活動を通じた社会貢献が認められ、
「ユネスコ平和芸術家」に任命される。
2011年6月の来日公演を最後にロイヤル・バレエ団を退団し、国内に活動拠点を移す。
07年に紫綬褒章、大英帝国勲章を受章。10年4月より神戸女学院大学客員教授を務める。



・・・・・・・・・・ 転載おわり


ウサギ 

吉田都さんは日本人のみならず、バレエを愛する全世界の人にとっての「誇り」だと思います。

フィギュアの浅田真央選手と共に、

この吉田都さんが日本人であるということは、とても大きな「意味」があると、わたしは思います。


イギリスの著名な批評家が、“ロイヤルの至宝・吉田都”の引退に際し、
次のように書いています。

「吉田都こそは、

ダンスの本質へ到達する方法を探し当てることを自分自身のエゴよりも優先させた、

ダンサーの中のダンサーである」



<関連記事>


★わたしをバレエに連れてって!!  ~ 吉田 都 の奇跡

★バレリーナ はかくあるべき! ③  吉田都 編

★バレエへの熱情再び  ~  もう一度 吉田都 が見たい!!




映画 『ブラック・スワン』 への反論  の追記 これだけは言わせて!!

映画 『ブラック・スワン』 への反論  誰も言ってくれないから書いちゃうよっ


↑ の続きです。 m(__)m


追記の追記   (しつこいってば!!)  ウサギむかっ


ああ、言いたいこと言ってすっきりした!! 

けど、もう一言言わせてね。




これは、NHKの大罪 のひとつだと思ってるんですけど、

これを機にもう一回言っておきたいのです。


バレエの主役を踊る「プリマ」は 「プリマバレリーナ」 です!!


「プリマドンナ」じゃないの!!!! むかっ むかっ

いい? みなさん、今度こそ脳内書き換えてね!!


「プリマドンナ」 は、歌手の「歌姫」のこと!! ぜんぜん違うの!! ウサギむかっむかっ



いえね、今回この映画の感想を調べていたら、

あまりにあちこちのブログで堂々と「プリマドンナ」と言ってはばからないので、

ずっと以前から気になってたことだけど、 もう~ ブチ切れた!


おい、NHKさん 謝罪しなさい!!  きっと 諸悪の根源は あなただ!!


だって、あんまりテレビを見ないわたしでさえ、過去に何度も何度もあなた方がバレリーナのことを

(しかも、たかが「ダンサー」を!) 平然と「プリマドンナ」呼ばわりしていたのを聞いたからです。

 ↑ ここ重要!!

ごく最近では、震災のときの吉田都のチャリティー公演の報道でも「プリマドンナ」 呼ばわりしてるし、

それで安心して誤りに気づかないブロガーだちがこぞって「プリマドンナ」で紹介してるし・・・むかっむかっ

しかも、昔のNHKの人気番組だった「人体」シリーズでも、

バレリーナがジャンプして着地するとき体重の6倍以上のがかかる・・・

という説明のシーンで、スローモーションでバレリーナが美しく「着地」する瞬間の映像に合わせて

しっかり「プリマドンナ」呼ばわりしたうえ、これまた結構売れたはずの(わたしも買った!)

うつくしいカラー写真と図解で好評を博した「人体」シリーズの本の方でも、しっかり

「プリマドンナ」 と解説に表記してあった!!


いったい、いつ気づくんだ?  日本のマスコミの大代表だろうが??


「言い間違い」にもほどがある!!



しかもね、「バレリーナ」という称号は本来、

主役を踊れる実力、人気、品性ともに認められるダンサーにのみ許される称号であって、

ふつうは「バレエダンサー」です。

少なくとも職業として立ってもいないのはバレリーナとは呼べない。

バレリーナの卵・・・なら分かる。


日本では、無教養なマスコミ洗脳のせいで、そのあたりの認識が混迷したまま定着している。

けっして、けっして、

「プリマバレリーナ」の略称や別名が「プリマドンナ」ではありません!!!!


今度こそ分かった?  ウサギ汗汗



それにしても、NHKの罪は重いと思う。

いったい日本が何人の世界から認められ、尊敬されたカリスマ・バレリーナを輩出してると思ってるの?


たとえば韓国や中国はもちろんのこと、このアジア圏で日本人以外に 

ロイヤル・バレエプリンシパル になったダンサーがいる?

永遠のカリスマ・天下のルドルフ・ヌレエフ に指名され長年パートナーを組んだダンサーがいる?

(ヌレエフの前のパートナーはマーゴ・フォンティーン だった)

ローラン・プティ  や モーリス・ベジャール から指名され作品を贈られたダンサーがいる?


もっと分かりやすくいえば、

若手登竜門のローザンヌ・コンクール で、ゴールドメダルを獲ったダンサーがいる? 

(ゴールドメダルは滅多に出ない 一等賞より上 :熊川哲也)

すでにプロの一流ダンサーが競うヴァルナ国際バレエコンクール で金賞を取ったダンサーがいる?


わたしが今すぐ思い出せるだけでも、

こんな、キラ星のごとくの

世界が認めるバレエの天才たちを生んでいる
この日本の
マスコミの代表が、

バレリーナのことをいつまでも 「プリマドンナ」だなんて平気で言ってて

恥ずかしい!!    ウサギむかっ  ウサギむかっ  ウサギむかっ



さあ、謝罪しなさい。


今すぐ訂正しなさい。


それができないのは何故なのか、説明しなさい!!





え?  中国でも韓国でもバレエに関しては傑出したスターが一人もいないから
バレエのことなんかどうでもいいって・・・? 


ああ・・・ やっぱり ?  ウサギ汗



真央ちゃんは何故そんなに美しいのか・・・?
(フィギュアスケートにおけるバレエとの関係)


たけしの誰でもピカソ  吉田都~英国の至宝

http://www.youtube.com/watch?v=WRiKAv8yVb4&feature=related




<上記の答え>  ※ これがどのくらいすごいことかよく分からない人のために!


ロイヤル・バレエプリンシパル になったダンサー  吉田都  熊川哲也  


永遠のカリスマ・天下のルドルフ・ヌレエフ に指名されパートナーを組んだダンサー 森下洋子

(ヌレエフの前のパートナーはマーゴ・フォンティーン だった)


ローラン・プティモーリス・ベジャール から指名され作品を贈られたダンサー上野水香  森下洋子


若手登竜門のローザンヌ・コンクール で、ゴールドメダルを獲ったダンサー  熊川哲也

(ゴールドメダルは滅多に出ない!! 一等賞よりずっと上!! ※現在はない )


すでにプロの一流ダンサーが競うヴァルナ国際バレエコンクール で金賞を取ったダンサー

森下洋子  小嶋直也  

このコンクールの他の著名な受賞者は、
ミハイル・バリシニコフ 、 ニーナ・アナニアシヴィリ シルヴィ・ギエム

ヴラジーミル・マラーホフ   アニエス・ルテステュ   オーレリー・デュポン  など、
世界の超一流ダンサーばかりです。

(参照:「伝説のダンサー」 http://bleu.vis.ne.jp/eto.html  )

 ちなみに、
昨今のコンクールでは「韓国勢、中国勢がすごい」… と聞くが、
「コンクールで入賞する人」はたしかに増えてきている(らしい)が、
たとえ国籍がアメリカ等だとしても、どうみても中国系か韓国系だろう?という人が
どの世界でも(スポーツ界でも)やたら目立ってきている… らしいが、
それでも、
実際に世界の有名バレエ団で主役級で踊っているところなんぞは、
日本人以外の東洋系を見たことがない! 


つまり、
「入賞」はしても、有名バレエ団に入団はしても、
そこでほんとうに実力を認められトップの地位に立ち、
名前で観客を動員できる(これはたいへんなこと!)ような知名度と人気をそなえた、
世界のバレエファンから敬愛されるに至るようなカリスマ性をもった世界的バレエダンサーは、
日本人以外のアジア人には一人もいない!

ウサギ これが言いたかったの。


世界のバレエ界の中でも、上記に挙げた日本人ダンサー(他にも多数)は傑出している。

ローラン・プティやモーリス・ベジャールから作品を贈られる(振り付けしてもらえる)ことは、

バレエ界では超×3名誉なこと。 バレエ界ではノーベル賞ものだと思う。

(参照:「世界の振付家」http://bleu.vis.ne.jp/chor.html  ) 



ちなみに、ルドルフ・ヌレエフは「ニジンスキー以来の天才」と呼ばれた超カリスマである。

彼と長年パートナーを組んで世界中を回って公演したのが日本人ダンサーだったということは

「アメリカ大統領のファースト・レディが日本人だった目」 というくらい、すごいことだと思います。 ウサギ



(2011.10.5 追記~)
イギリスの著名な批評家が、“ロイヤルの至宝・吉田都”の引退に際し、
次のように書いている。

「吉田都こそは、ダンスの本質へ到達する方法を探し当てることを自分自身のエゴよりも優先させた、ダンサーの中のダンサーである」


つまり、昨今のダンサーたちは「自分自身のエゴよりも優先させる」ほどの芸術家がいない・・・

ということなのです。

その希有な本物の芸術家の中に日本人が幾人か入っている(認められている)ということは

日本人として心から誇りに思えることではないでしょうか?




★バレエへの熱情再び ~ もう一度 吉田都 が見たい!!

「わたしをバレエに連れてって!! 吉田都の奇跡」
http://20120901.blog.fc2.com/blog-entry-109.html


吉田都のチャリティーコンサートの舞台裏
http://20120901.blog.fc2.com/blog-entry-223.html


吉田都インタヴュー ~ 「自分でない自分にはなれない」
http://20120901.blog.fc2.com/blog-entry-581.html





バレリーナ はかくあるべき! ③  吉田都 編 

はい、ついに、わたしが今、最も観たいバレリーナ 吉田都 登場です!

カルラ・フラッチ、アリシア・アロンソ と続いて、
並み居る大御所を差し置いて、いきなり出します。
正直、この間にいるとしたら、森下洋子かM・フォンティーンか、っていうくらいですけど、
(わたしは吉田都に出会うまでは、森下洋子が唯一の日本の至宝だと思ってました)
でも、やっぱり吉田都をまず語らせて~~!

でも、意外と映像少ないのよね~ (T_T;)  
著作権とかのためでしょうけど、現役ダンサーほど難しいものなのかしら。

さて、
語らせてと言っておきながら、わたしの独断と偏見による 吉田都観はですね、
また書き出すと熱っぽくなって止まらなくなるから… (^_^;)
それに、今はただでさえ世界選手権のまおまお応援で心が忙しいので、
どうぞこちら  をご覧ください。 m(__)m

「わたしをバレエに連れてって!! 吉田都の奇跡」
http://20120901.blog.fc2.com/blog-entry-109.html



では、どうぞご堪能ください。
吉田都の奇跡の軌跡を。

クラシックバレエの「型」が伝える、人間の身体が放つオーラとパワーを。
そして、極限までに精巧にして、流れるように音楽的な彼女の格調高い典雅の舞いを。

わたしは、持てる映像と記憶を総動員しても、
彼女ほど気品と初々しさと喜びに満ちたオーロラを知りません。
(ほんとだもん! すっごくいっぱい集めて比較したもん!)

かつて、コンプレックスのかたまりだった彼女が
いつしか西洋人からも羨望と尊敬の念を抱かせました。
その不断の努力で彼女が手に入れた他の追随を許さない品格ある完璧なフォルムこそ、
クラシックバレエが求め目指したもの。
それこそが、
彼女が舞台から訴えてくる、
「この世にバレエが存在する意義」だとわたしは思います。(豪語!!)












↓ この「くるみ割り人形」の「こんぺいとうの精」の踊りは秀逸です!
これを見るとなぜか高橋選手のステップを思い出すのはわたしだけ?
軸をわざとずらして「揺らぎ」を表現できるなんて、すっごい高度なコントロールが要るし、
身体能力+音楽的センスが要るでしょう?
ふつうしないよ?こんなこと!
ただきれいとか、かわいいとかじゃなくて、
大人になる過程の冒険心というか、ためらいや揺らぎとか、アンバランスさとか、
子供の世界に決別する切なさとか、
そういうものを脱皮してみごとに花開いてゆくような感じがとても好きです。

「ロイヤルの至宝」?
いえいえ、吉田都は今世紀バレエ界の至宝ですよ!






★バレエへの熱情再び ~ もう一度 吉田都 が見たい!!

「わたしをバレエに連れてって!! 吉田都の奇跡」
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吉田都のチャリティーコンサートの舞台裏
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吉田都インタヴュー ~ 「自分でない自分にはなれない」
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バレリーナ はかくあるべき! ② 『ジゼル』 アリシア・アロンソ編


さあ、
ついに、わたしの「バレエ観」を決定づけた運命のバレリーナ
「キューバの至宝」と呼ばれた アリシア・アロンソ を紹介します!

これを見て、「前回紹介されたジゼルに比べて、ずい分 ヨタヨタしてるな~?」
と思われた方、それは仕方がありません。
なにしろ、これは彼女が60歳のときの映像です。

わたしが、はじめて彼女の踊りを見たときも、60を過ぎた頃でした。
そのときの衝撃は今も忘れることはできません。

しかも、そのときも、「ジゼル」第二幕のパ・ド・ドゥでした。

「これがクラシックバレエというものか…」 と、

そう、頭の中で鐘が鳴り響いておりました。
そして、わたしのバレエ好き人生の「色」を決定づけてしまったのです。

わたしの中の、普遍的な「バレエを見る価値」というものを。


まあ、だから、
昨今の舞台を見まくっているしあわせな方々が書くバレエ観と わたしのそれが、
どうしても相成れないところがあるのは、そういうわけなんです。

今のバレエを批判するつもりも、気持ちもまったくないです。
ただ、わたしがバレエに求めるものの原点がこれなのです。

ただの懐古趣味に思われるかもしれませんが、(音楽においてもそうだけどね)
これだけは譲れないものです。

クラシックが最近の若い世代に受け入れられるようにと、
涙ぐましい努力やよこしまな画策をしている各業界の方たちには申し訳ないけど、
わたしは、「クラシック」が存在する意味というのは、
たとえば、生き馬の目を抜くような、こんな世知辛い時代だからこそ、
その作品が生まれた時代の、そして、それを受け継いできたそれぞれの時代の息づかいや、価値観、
今のそれとは違う ゆったりとした時間(とき)の流れや、今よりも激しい生命感や躍動感…
そういったものを感じとれること、そして、そういったものから、どんな時代にも共通する、
人の心の幸福感や深淵といったものを感覚的に再認識でき、
現代にも通じる「普遍的な価値」を見いだせること、そういうものだと思うのです。

人間社会がどんなに合理的になろうと科学的になろうと、
何百年も昔でも、どんな時代の人間でも同じように、
なくしてしまったものへの後悔や、希望や絶望や郷愁や再生も、そのすべてがそこにある…
それを感覚的に一瞬にして共有できる… それがクラシックの存在する意義だとわたしは思う。
そういうものが「クラシック」の伝統の中に濃縮されて保管してあるのだとわたしは思う。

ま、簡単にいえば、
現代の日常生活の中で忘れてしまったり手離してしまった「大切なもの」を思い出させてくれる…
そういったところでしょうか? 
 (じゃあ、簡単に言えよ! って? (^_^;) )
 
中学生の頃からクラシックにはまって、まわりに全然理解者がいなかったため、
「なんでこんなにクラシック離れが進んでいても、それでもけっして手離さないでいるのか、
どうして、うっかりクラシックで感動してしまうのか…」 と、ずっと一人で悶々と考えて、
勝手に自分で納得してることです。
だから、ぜんぜんこれが定義でも正解でもありませんよ! 念のため!


もちろん、わたしも、いちいちそんなこ難しいこと考えてるわけじゃありません。
でも、
クラシック音楽でもクラシックバレエでも、
「そんな古臭いもの」を見て(聴いて)、思わず心が震えてしまうのは、
胸が、目頭がじんわり熱くなってしまうのは、やっぱりそういうことだと思うのです。

それが、大昔の先人たちの残した「メッセージ」を受け取った瞬間だと思うのです。

青春時代に聴いた歌をきくと思わずタイムスリップして心が動くように、
同じ「人間」が違う時代に作った作品を通して、
人類のDNAに刻まれた「何か」を思い出させてくれる…
そういうことだと思うのです。

(そうか、こうやって簡単に言えばいいんだな…)

だから、
たとえば、「のだめカンタービレ」でクラシック音楽が一般に認められたことはいい。
ただ、そこから、クラシックが単なるBGMで終わらないように、
こんな時代だからこそ、あえて、
演奏者と自分の間に作られる「空気」のなかに
日常の「雑音」を洗い流してくれるようなオーガニックな感覚を取り戻してほしい・・・
そう思うのです。

それに触れることができたら、その「ギフト」を受け取ることができたら、
その人の人生はさらに豊かになれると、そう思うのです。


もちろん、それが叶うのは、それを伝えられるのは、
たゆまぬ努力と鍛錬と選ばれた才能… そういう磨き抜かれた本物だけです。

「本物」といのは、たとえば、
ジュリエットが13歳だからといって、本当に「本物の13歳」が演じることじゃない、ってこと。
オーロラ姫が16歳だからといって、本物の16歳じゃないとお姫様になれない訳じゃない、
ってこと。

そう、たとえば、60歳過ぎた坂東玉三郎が鷺娘や娘道成寺を演じるようなもの。
それを「本物の16歳」の娘が演じても、それは薄っぺらいリアルでしかない、
ってこと。 かな。


本物でさえあれば、それは「完璧」である必要はないとわたしは思います。
逆にいえば、「完璧」なものが心を打つとは限らないからです。

だからわたしはお薦めします。

懐古趣味だと言われようが、時代錯誤だと言われようが、
かれらが残した普遍的な価値はけっして失われていません。
いえ、失われては困るのです。

あなたも、
だまされたと思って、
ちょっと片足つっこんでみませんか? (^_^;)

最近の、どうにもやりきれない閉塞感や焦燥感をしばし忘れて、
ほんの一時だけでも、
異次元空間へと魂を飛ばしてみませんか?

それが叶う映像のひとつだとわたしは思います。 m(__)m

  




見た~?

ね? これを見たら、
「どれくらい足が上がる」とか、「どのくらい高く跳べる」とか、
そういうのばかりがバレエの醍醐味じゃないということが分かっていただけたでしょ?

これこそが、クラシックバレエの神髄!
これこそが、クラシックバレエが存在する意義!!

そう言って過言では…、いいえ、間違いないと思います!

ね? これでわかったでしょう?
わたしが あのギエムでさえ ただの優れた「ダンサー」だと言った理由が…。



あ、一幕のも見つけたのでこちらもどうぞ!

フィギュアスケートで使われるのは、じつはこの一幕目です。
心臓の弱い踊りが好きな可憐な村娘が、恋を知った喜びから一転、恋人の裏切りに絶望し、
あっという間に失意のまま息絶えてしまうシーンです。
二幕を支配する「死霊」のウィリーとは違う「生きた娘」ジゼルです。
(途中映像古すぎてごめんなさい。 m(__)m;;)















※2018.1.25 久しぶりに見たら、こんな動画を見つけたので追記します。















<参考記事>

「48歳のオディールと73歳のジゼル アリシア・アロンソ」
http://ameblo.jp/bella-donna/entry-10136630475.html

「キューバの至宝 アリシア・アロンソ」
http://d.hatena.ne.jp/arakan/20090313/1236958034


★バレエへの熱情再び ~ もう一度 吉田都 が見たい!!

「わたしをバレエに連れてって!! 吉田都の奇跡」
http://20120901.blog.fc2.com/blog-entry-109.html




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