ひだまり    今は古事記に夢中! 2010年10月

アメブロから引っ越してきた過去記事の再公開と、                       もっと日本を知るために「竹田研究会」の紹介を主にしていきます。

運命の出会い~ 千住家にストラディヴァリウスが来た日

千住家にストラディヴァリウスが来た日

千住家にストラディヴァリウスが来た日

価格:380円(税込、送料別)


号泣した。汗汗

何度読んでも、そのくだりに行くと号泣してしまう。

自分のことでもないのに、あたかも自分めがけて何かが突進して迫り来るような、

そんな錯覚を起こして、思わず同調して鳥肌が立ってしまう・・・。



神が用意したとしては、あまりにドメスティックなシナリオなのです。

なぜなら、これは、千住家でしか成し得なかったことだから。


千住家の三兄弟は誰しもご存知でしょう。

長男 博は日本画、次男 明は作曲、そして妹 真理子はバイオリニストという、

しかも、それぞれが超一流という、まるで芸術家御三家のような家族です。


生涯、学者魂を貫いた父親は、娘に「巌のようになれ」と言い残したそうです。

父親が厳格なら、その妻の母親もかなりの頑固者。

独創的で、ユーモアたっぷりで、子供が全部芸術家になってしまうくらいの柔軟性はあったとはいえ、

初志完徹、頑固一徹は夫に張り合えると思う。

でなければ、これだけの偉業を成し遂げられようか。


千住家の教育白書 」なる本も執筆しておられるが、

これを読んで感動するのはいいとして、

ゆめゆめこれを真似しようとは思わないことです。

なぜなら、これは、母親一人の意志や力では到底成し得ないことだからです。

大黒柱である夫の人間性と、それを支えた妻の人間性と、

それらを脈々と培ってきた土壌 ( 身内や友人の理解なくしては無理だと思う )

そして、兄弟それぞれがお互い支え合い、高め合うという・・・

どれ一つ欠けても成り立たない、どれ一つほころびても成し得ない、

まさに奇跡のような家族愛と人間修行の物語だといえるからです。


その家族が紡ぎ出したのが、

この「千住家にストラディヴァリウスが来た日」という物語です。


運命とか、宿命とか、試練とか、そういう天から与えられたどうしようもないものを健気に受け入れ、

息も絶え絶えになるほど弱り 倒れようとも 、決して手を抜こうともせず、

一度は挫折し投げ捨てかけた音楽に 再び人生と我が身一切 を賭した彼女、千住真理子と、

その彼女を支えた家族の元へ、

人類の遺産ともいえる奇跡の名器ストラデイヴァリウス・デュランティ が、

まるで自らの意志で運命の相手の元へと辿り着く 奇跡の物語なのです。

その、ストラデイヴァリウス とは、何ものかって?

18世紀の天才楽器職人、アントニオ・ストラデイヴァリウスがこの世に残した比類なき音色を奏で出す

弦楽器、殊にバイオリンは、300年以上経った今でも、すべての演奏家の羨望の的であり、

ときには投資の対象にもなり、数億単位で取引される愛好家垂涎の、 いわば 「バイオリンの王」

とでも言おうか。

なぜ、そんな古い楽器に桁外れの価値が付くのか?

それは、その音色に謎があるからだ。

その、他の追随を許さない独特な音色の謎は、現代の科学をもってしても未だ完全には解明されていない。

ストラディヴァリウスはその製法の秘密を弟子にも誰にも残さなかったのだ。

そして彼の死後、その手がかりは、残された楽器本体のみになってしまった。

つまり、現存する希少な本体が失われたとき、人類は永遠にその音色を失ってしまうのだ・・・。

そう思うと、楽器演奏家としての夢の到達点のひとつに、

いつかこの楽器を手にしてみたい、この手で王たる楽器をかき鳴らし支配してみたい・・・ 

そんな願望が生まれないなずはない。

プレミアなんて言葉が軽々しいほど、この楽器に対するすべての音楽家、すべての音楽愛好家の

畏敬の念は、この夢の楽器に対する当然の値なのである。


ちなみに、日本音楽財団は、この世界的に希少な名器を(比較的)数多く所有している。

通常、この法外に高価な楽器は、個人所有はまれで、ほとんどの演奏家は、財団や投資家から貸与されている。

つまり、貸主が、その演奏家はこの楽器を与えるに値しないと判断すれば、その権利を失うのである。

それほど、得難い名器なのである。 


しかも、「彼」は弾き手を選ぶ。

生半可な奏者では、「彼」本来の美声を聞かせてはもらえない。

さらに、どんなに腕があろうとも、生涯の伴侶を選ぶような絶対的な相性がある。

たとえ、どんなにお金を持っていても、スポンサーがついていても、

恋した「彼」に気に入られなければ、「契約」は成立しない。

自分の腕と魂に叶う相手に出会い、相手に認められ心を開いてもらえるかどうか・・・

そんな「伴侶」を求めて、長年彷徨っているバイオリニストはたくさんいるのだろう。

さて、そのストラデイヴァリウス・デュランティ だが、

現存するストラデイヴァリウスの中でもさらに特別な「血統書付き」 なのである。

実は、ストラディヴァリウスという名を戴いていても、そのほとんどが「完全体」ではないのである。

あまりに希少なため、長い年月のうちに修繕修復を繰り返すうちに、いわゆる「継ぎ接ぎ」状態になって

しまっていて、ストラデイヴァリウスが最初の依頼主に手渡したまま全くの手付かずで現存するものは、

さらにさらに希少なのである。

しかも、生まれてこの方、一度も演奏家の所有物となることもなかったとなると・・・ 

つまり、


深窓にひっそりと眠り続けた筋金入りの処女ともいうべき奇跡のような楽器



・・・それが、このストラデイヴァリウス・デュランティ なのです。


その、特別な由来を持つ、「幻の」という冠を戴くこの楽器が、

スイスの大富豪の死後、いかにしてこの極東の小さな国にまでやって来くるのか・・・。

300年間の永い眠りから目覚めて、初めての主人を 自らの意志で探し定めたかのように、

奇跡を絵に描いたような経緯で、奇跡そのもののようなこの楽器が、はるかなる時空と海を越えて

やって来るのです。


羨望と中傷、挫折と回生を乗り越え、全てを賭して音楽にかけるに至った彼女と、

その彼女を支えた家族の元へと・・・。



こんなドラマに心が打ち震えないわけがありません。


奇跡とは偶然起こるものではなく、

起こすべき準備をし 期が熟したとき、起こるべくして起こるものだ。


・・・ということを、

この家族が物語っているように、わたしは思う。








バイオリン

・・・これ、書いてたら、

わたしって、ことごとくAmazon の書評と闘っているみたい

って思った。

だって、わたしが納得する説明がひとつもないんですもの・・・
わたしの受け止め方は変わっているのかも・・・?

千住家の家族愛にアンチテーゼを唱える人は、

きっと、千住家の爪の垢を齧ったらお腹をこわした人・・・

なんじゃないかと思うのよね・・・?     ( だ~から 真似しちゃだめだってば~! )

ほとんどの人には不可能なことだけど、彼らにとっては自然だったし、有りだったんだと思う。

だからこれは、家族の自慢話でもなんでもなくて、

運命の出会いや、奇跡って、時と人を選んで、起こるべくして起こるんだよ、ってことなんだと思うの。

素直に読めば・・・  

違うかな?

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浅田真央という存在意義


前述の、「日本人にできること」 (2010.10.10) で、



列強国が、その手先の小国が、

寄って集って何度踏みにじっても、どうやって貶めても、 

けっして穢れない、けっして壊れない・・・

そんな「恐ろしい国」 ・・・ それが日本だ。



日本人が目指すのは、世界一になることじゃない。

世界で唯一であり続けることだ。


・・・ というのを書いたのですが、


まったく、手前味噌でたいへん申し訳ないのですが、 m(__)m


この  「日本人」っていうところを、「浅田真央」 に替えてみてください。


ね? まんま、真央ちゃんのことでしょ?  (^^)v



つくづく納得。

ほんとうに、浅田選手は、

日本人を、「日本人の魂」を体現してくれる存在なのだと思いました。


そして、

それを忘れかけていたわたしたちに、魂を打ち震わせ、

日本人としての誇りと矜持を取り戻させてくれる・・・

そういう存在なのだと、あらためて実感しました。



また、 これも、手前味噌で申し訳ないですが、  ***



その魂を見失ってはいけない。

それを手離したら、日本人は

世界で唯一、真実を貴び、正義を尊び、穢れないもの、美しいものを尊ぶ心を失ってしまう。


そして、

それは、日本のみならず、

この地球上から、そういう美しいものを見失ってしまうことになるのだ。



                         


これも、

そのまま真央ちゃんの存在価値というか、

浅田真央という存在理由といえるのではないでしょうか?


真央ちゃんは、人類の夢を叶えるために生まれてきたように思う。


名誉やお金のためなんかじゃなく、

ただ純粋に、ひたむきに、

「より高く、 より強く、 より美しく 」 という人類の夢を叶えてくれる稀有な存在です。


それは、達成されたときのみならず、

そこへ至るまでの過程までもが人々の胸を打つ。



この時代に生まれてよかった!


同じ時代に生まれて、

同じ日本人に生まれてよかった・・・ と思います。


それは、彼女を自慢したいがためじゃない。


彼女を貶める側の立場に生まれなくてよかった。

彼女を守れる側の立場に生まれて、ほんとうによかった!

だからこそ

真央ちゃんを守らねば!!



真央ちゃん、あなたはこの汚れた世界の救世主。

あなたは、泥の中に咲く 穢れなき蓮の花であり、

世界の中心で咲く ただひとつの薔薇なのです。


けっして、彼女を散らしてはならない。

「水に降る雪」にしてはならない。


日本人のみならず、

これは、人類としての誇りにかけても、

彼女の成し遂げようとするものを穢してはならない、

と、わたしは思います。


人 として、頭(こうべ)を上げて生きるために。


$浅田真央ファン夢日記

   




   あああ、この写真、好きなんです!


   見てるだけで幸福になれそうな気がするでしょう?







<参考記事>

浅田真央という救世主


再・世界のトヨタと真央ちゃんが教えてくれたこと 
http://20120901.blog.fc2.com/blog-entry-244.html

少しでも多くの人に気づいて欲しいから・・・
http://20120901.blog.fc2.com/blog-entry-107.html

日本ほど素晴らしい国は世界中のどこにもないだろう ~ アーセン・ベンゲル
http://20120901.blog.fc2.com/blog-entry-359.html

「可愛い子には旅をさせましょう」
http://20120901.blog.fc2.com/blog-entry-143.html  


「夢かうつつか・・・」   ジュピター 
http://20120901.blog.fc2.com/blog-entry-375.html

うまし国 言霊の国 の日本
http://20120901.blog.fc2.com/blog-entry-412.html

日本人は自分のことをよく知らない
http://20120901.blog.fc2.com/blog-entry-558.html

なぜ日本人は「日本人らしさ」を失わずにこれたのか?
http://20120901.blog.fc2.com/blog-entry-631.html

『再 日本人の「共存共栄」の心』
http://20120901.blog.fc2.com/blog-entry-833.html


『天皇、皇室についてのさまざまな誤解について』
http://20120901.blog.fc2.com/blog-entry-815.html


日本人は知っているだろうか… 東京裁判の嘘と大東亜戦争の真実

大日本帝国が世界で初めて提案した『人種差別撤廃案』は『日本書紀』の言葉から生まれた!
http://20120901.blog.fc2.com/blog-entry-812.html


★ <真央ちゃん関連記事一覧>
http://20120901.blog.fc2.com/blog-entry-972.html
※真央ちゃん関連の記事を探しやすくまとめてみました。

★「高橋大輔選手の芸術性」
http://20120901.blog.fc2.com/blog-category-71.html
★「フィギュアの品格」
http://20120901.blog.fc2.com/blog-entry-133.html
★「日本人にしか見えないもの」
http://20120901.blog.fc2.com/blog-entry-187.html
★「フィギュアスケートに「芸術点」が必要だった理由(わけ)・・・」
http://20120901.blog.fc2.com/blog-entry-515.html
★「チャン選手の爆上げ点に思うこと」
http://20120901.blog.fc2.com/blog-entry-261.html


子宮頸がんワクチンについて これだけは知っておいてほしいこと



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わたしをバレエに連れてって!! ④ 

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これは、娘が小二の頃好きだったバレエ漫画です。

つたない絵だけど、お子様向けな内容だけど、笑ってはいけない。

わたしだって、そんな頃には、この程度の漫画に夢中だったのだから・・・。



さて、バレエ大好きだったわたしは、小学生の高学年の頃には、

もうこんな夢を描いていました。

「結婚したら女の子を二人産んで、一人はお琴と日舞、もう一人にはピアノとバレエを習わせたい♡」 


ピアノとバレエは分かるけど、どうしてお琴と日舞??

・・・それはたぶん、当時読んでた岸祐子の「玉三郎シリーズ」 の影響だろうと思う・・・が、

ここでは深く追求しないことにする! ( 歌舞伎界の若きプリンス 坂東玉三郎が絶頂期の頃でしたから♡ )


まあ、しかし、長女がモロ、「ピアノとバレエ」 を習ってくれたので、夢の半分は叶ったことになる。 (^^)v

ただ、わたしの目論みでは、

娘はバレリーナ目指して各地のコンクールに出たり、ローザンヌへ行ってるはずだったのに・・・ (T T;)

たしか、3歳で始めて、習い始めたばかりの時に先生から、

「どちらの教室で学ばれてましたか?」  って聞かれたくらい、適性があったはずなのに・・・

並み居るバレリーナの卵たちの中でも、

誰よりも細くてしなやかで、長くて優雅な脚をしていたはずなのに・・・

6歳のとき、恒例のお楽しみ会みたいなやつで、母の手作りの衣装を着て、

パブロワばりの「瀕死の白鳥」を踊りきって、将来を嘱望されていたはずなのに・・・

 

あれは、小5の夏だった。


バレエの足しになれば・・・と5歳で始めたピアノだった。

ミッキーのおもちゃのキーボードしかなかった我が家に、やっとローランドのエレピを買ってもらって

小3でバイエルが終了した頃、引越しを機に教室が変わり、

先生から、「バイエルが終わっているなら、もう 生ピアノ買ってください。」 と言われ、

やっとアップライトピアノが我が家に・・・

そして、3つも年上のお姉さんが練習していた曲に憧れて、小5で初めて発表会に出たときだった。

(前の先生のところでは発表会がなかった)

音高受験曲のベートーベンのソナタ 「熱情」を弾いたお姉さんの演奏を聞いた娘がこう言った。


「お母さん、わたし、ああいうのがやりたいの。」


「先生、娘がこう言ってるんですけど・・・。」

「週一回30分のレッスンじゃ教えられないので、専門コースに入って下さい。」


なんだかよく分からないうちに、うっかり乗っかってしまったピアノ専門コース

レッスン代が4倍に跳ね上がり、 叫び 

グランドピアノが居間の4分の1を占拠し、 ( 誰だ、C-5を買えなんて言ったの!)

ただでさえ、週3~4回バレエのレッスンがあるのに、ピアノレッスンとソルフェージュで週3回・・・

おまけに、その頃はまだ書道にそろばんに学習塾・・・

当然、自然淘汰されていくにしても、キリのいいところまでは毎日ダブル、トリプルのお稽古事。

右へ左へ、アッシーお母さんは毎日走り回りました・・・。 (もう、あんなことできない・・・(T_T;) )


小6の時、発表会で、「眠れる森の美女」の中の「やさしさの精」をソロで踊らせてもらって最後の花道を飾り、

あとは細々とバーレッスンに通うくらいに・・・


それは、まあ、

娘が自分で選んだ道ですから、いいですよ?

いいですけど・・・

わたしは、あの梅宮アンナか神田うのかっていう、 細くて長い脚が自慢だったのに・・・

いきなりレッスンが激減したのと食べ盛りが重なって

みるみるうちに、ふつうのおみ足に・・・ (T T;)

なってしまったのもしょうがない。  しょうがないよね・・・ (T T;)


でも、

でもね・・・



しかし・・・、

しかしですよ?


娘がバレエを習い出したのを口実に、

趣味と実益を兼ねて母が収集した膨大な数のバレエ関係の資料はどうなるの? (T T;)

バレエ映画からレッスンビデオ、もちろん、公演のビデオやレーザーディスク(当時はDVDはなかった)、

CDや書籍、バレエ雑誌などの資料は??  

( 「クララ」 「バレリーナへの道」 は創刊号から持ってるぞ!)


本棚まるまる一個分はあった 母の秘蔵ライブラリーは・・・ ?


( ずっと未練がましく取ってあったけど、中国から帰って来たとき大量処分しましたよ・・・

 なんと、不燃ゴミ45L袋に18個分!! ・・・ (泣) )



それに・・・

バレエ習ってる頃は、それを口実に娘といっしょに いいバレエ公演を渡り歩いていたのに・・・

                                      ( ↑幸せな時期 ♡ )

それが・・・

今では、娘の学校の関係の定期演奏会やら、先生のコンサートやら、やれ発表会だコンクールだって・・・

おまけに、息子のバイオリンのコンサートもあるし、あこがれの五嶋龍だ、千住真理子だ・・・って、

こんだけ音楽に囲まれた生活を送っているのに・・・


ぜんぜんバレエを見に行くゆとりがないんです~~!!

                                                           

( はあはあ・・・ )


(T T;)





ね?

これでわかったでしょ?

え?  

だ・か・ら~、

タイトルの ほんとの意味ですよ~ !! (><);;;





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少しでも多くの人に気づいて欲しいから・・・

前述の「中国と日本のマスコミ」 を読んだ娘から、

「これは、大事なことだと思うから、この部分だけもう一度強調して載せて欲しい。」

と言われたので、

抜粋し加筆してもう一度出すことにしました。




わたしはほとんどテレビを見ません。

主人が朝のニュースや夜のスポーツニュースを見る時はありますが、基本的にわたしが自分からテレビをつけることはまずありません。

なぜなら、あることをきっかけに、

日本のテレビやマスコミに嫌悪感を感じたからです。

そして、日本を離れ中国へ行ったことで、ますます、

「なんだ。テレビなんてつけなくてもぜんぜん暮らしていけるじゃないか。」 

ということに気づいたのです。

それどころか、テレビをつけないと、

とても、心静かで 穏やかな生活を送れる ということも実感できました。

テレビがないと、たとえ家の中にいても、家の外を渡る風や、梢の音、

庭にくる小鳥のさえずりや、かすかな季節の始まりの虫の音にも気づくことができます。

もちろん、人の気配や、息遣いも、ちょっとした空気の変化にも敏感に気づくことができます。


まるで、心のひだの中の垢が洗い落とされたように、とてもすがすがしい気持ちで毎日を送れます。

いかに、今までテレビがわたしたちの心を、感性を毒していたかがよく分かりました。


テレビは、時としてあってもいいけど・・・、

フィギュアスケートや、オリンピックや、バレーボールや芸術劇場や、ドラゴンズが日本一になる瞬間とか・・・

見たいものはたしかにあるけど、

そういう自分の意志でチャンネルを合わせたものだけを見ることにしています。


テレビをつけっぱなしにしないと眠れない人・・・

家に帰ったらまずテレビをつけて、見ていなくてもテレビの音声の中で生活している人・・・

テレビがお友達の人・・・

いろんな人がいると思います。  (かつてのわたしもそうでした)


でも、もし、これを最後まで読んでくれて、

ちょっとでもわたしの話に関心を持ってくださったら、

これからテレビを見るとき、ちょっとだけ意識を変えてみてください。



テレビの報道を見るとき、

特定報道局の言うことだけを素直に鵜呑みにしないことです。

各局、よくよく聞き比べてみると、微妙にニュアンスが違って聞こえてくるはず。


マスコミというものは、

テレビのこわいところは、

あるひとつの事実を伝えるにも、

微妙なニュアンスひとつ、念入りな刷り込みひとつで、

いくらでもわたしたちの感情や意識、常識さえも塗り替えることができるのです。

「テレビでそう言ってた」 というのは、

子供がよく使う、「みんな持ってる!」 「みんな言ってる!」 と同レベルなんです。 

しかし、 得てして、わたしたちのいう「常識」とは、そうやって作られているのです。


「そんなの常識じゃん!」 という、その「常識」はマスコミが作ったものではありませんか?

それはじつは、まったく「常識」でも「流行」ですらなかったことが多いのです。

そうやって、マスコミが流行らせたい、思い込ませたいことを刷り込んでいるだけです。

つまり、ほんとうに巷で流行っているのではなく、テレビの、その「映像だけ」のことが多いのです。

かの「ヨン様フィーバー」もそうして作り上げられたものです。

これは、本当にフィーバーなんか起こるずっと以前から本当にファンだった人も証言しています。


なぜ、ニュースが、ただ事実だけを坦々と語られることがないのか?

なぜ、かならずといっていいほど、ニュース「解説者」なるキャスターが要るのか?

なぜ、「コメンテーター」なるものの存在が必要なのか?

考えたことありますか?


昔のニュースキャスターは、ただ事実を正確に誠実に伝えていたのではないでしょうか?

昨今のキャスターのように、自論をべらべらと語ったりはしませんでした。

おまけに、今では「コメンテーター」 なる伏兵まで引き連れて、

いかにも専門家の権威をひけらかす、どこかの大学教授だったり、

わたしたちが安心するような、素人の代弁者のような、

主婦の代表選手や若者層の代表選手のようなゲストコメンテーターまで用意するのはなぜなのか?

考えてみてください。


「あれは、素人に分かりやすく解説してくれている」 と思っていたら、今すぐ見方を変えてみましょう。

 ( いや、わたしもそう思っていましたから )


わたしが思う、その最大の効果とは、

視聴者に自分の言葉で考える隙間を与えさせないこと です。


視聴者は、ただ、チャンネルを合わせるだけで、用意された、馴染みよい言葉、

すでに半分はどこかで聞き覚えのある(何度も刷り込まれてきた言葉によって、

何の疑いもなく、その事実に関する認識を 「だれか」の都合のいい方向に誘導されているのです。

「ああ、そうか。 やっぱり、そうだったんだ。」 と、

あたかも、自分の考えだったかのように・・・


もし、これが本で読んだことだったら、

本を閉じて、じっくり自分で考える時間がありますよね。

その本の著者以外の人が横からいろいろ要らぬ進言をして

あなたの考えを「サポート」してくれたりは、しませんよね?


だから、あなたは、自分で考えるしかないし、自分で気になる箇所や言葉を記憶しておいて、

あとで調べたり、他の知識や経験から考えて、自分なりの結論や感想を導き出せるはずです。

たとえ、最後まで解からないことがあっても、

自分に腑に落ちないことを、「洗脳」によって定着させられてしまうよりはマシだと思いませんか?


マスコミの、テレビの怖いところは、

そういう、人としての権利を 知らないうちに奪われてしまうことなのです。

人間はつい、楽な方に流される性質があります。

それを巧みに利用し、わたしたちから主体性や感受性を奪い、

わたしたちを 「でくのぼう」 に仕立て上げようとしているのです。

そのための番組作りとしか思えないようなものばかりではありませんか?



例えば、

あなたは、ほんとうに、地デジは必要だと思いますか?

「国が決めたこと」 それで納得していますか?

考えてみてください。

そんなに「交通整理」が必要なほどのチャンネル数が本当に要ると思いますか?

そんなことより、ひとつひとつの番組の内容の質を上げる方が重要ではないでしょうか。

つじつまを合わせるために捏造や偽造を繰り返し、視聴者にとってどんなに不誠実でも 視聴率さえあれば存続し、

どんなにすばらしい内容でも、良い情報でも、視聴率が取れない番組は次々と姿を消してゆく・・・

見ている、わたしたちの都合やしあわせは一切考慮にありません。

これが、「公共」の電波? 

そんなもののために、高い視聴料や、高圧な電磁波を強いられるのはまっぴらごめん!

と、わたしは思います。


すでに、アメリカの市民は有り余るほどのチャンネルで「情報」を貪り、暇と時間を費やしている。

それを堕落と呼ぶのは間違っているでしょうか?

その証拠に、キャリアと呼ばれる人々はテレビなんか見ていませんよ。

それは、日本も同じです。


そんなにチャンネルを増やして、

何も自分で考えない、「洗脳しやすい国民」を大量に作って  どうするつもりなんでしょう?


「洗脳しやすい国民」とは、

たとえば、

ちょっとコントロールすれば、自分に 「一票」 入れてくれる市民であり、

または、

自分たちの民族意識や誇りを簡単に見失い、自虐的に、自暴自棄になって荒廃しやすい国民です。

そういう「自分たち」に都合のいい民衆を作るために必要なこととしか思えないのです。



どうして、日本人が日本人をダメにする必要があるか、って?


ほんとうに、こんな理不尽なことってないですよね?

でも、それが現実に起きてることだから恐ろしいんです。

それは、日本最大の広告代理店(って言うのかな?)であり、 世界的シェアで圧倒的強大な権力を有する

「電通」の最高権力者が、日本人ではないからなのです。


それが何を意味するのか・・・

これ以上は、コワイので自分で調べてください。

すぐ解かりますよ。 (^_^;)



中国のように、

正しい情報を与えない、完全に遮断する、・・・というのも恐ろしいですが、

それはあからさまであるが故に、まだ気づき易いという救いがあります。

しかし、日本のマスコミのように巧妙になると、とても気づくのが難しい。


大半の国民は、その「事実」にしか目が行っていませんが、

「事実をちゃんと知らされている」 と信じて安心しきっていますが、

じつは、その「事実」を使って、国民の認識をある方向にコントロールしていると、

一体どれだけの人が気付いているでしょうか?

報道されている中心部分は確かに「事実」ですが、それを捉える方向性を着実に「誰か」の都合のいいように

わたしたちはコントロールされているのです。



わたしはこう考えます。

マスコミが99の事実を伝えたとしましょう。

わたしたちは、通常、それでもうじゅうぶん満足できると安心してしまうが、

マスコミがけっして報道しない、たったひとつの「事実」、 

それこそが、

ほんとうに わたしたちにとって大切な、わたしたちが知らなければならない 「真実」 なのではないか、と。



かれらは、 わたしたちに知られてはならない「真実」 を隠すために、

巧妙にたくさんの事実をばらまき、追求の目をくらまそうとしているのです。

わたしから言わせれば、

どんなにたくさんの 「功」 を見せつけられても、 ( 健康番組、教育番組、等やたら増えたけど・・・ )

たったひとつの 「罪」 の大きさと 重さに代えられるものではないのです。


わたしたちが、いかに多くの大切なものを奪われているか、気づいてほしいです。



日本人がすでに陥っている罠・・・

それは、

いつの間にか、「テレビで言ってることは正しい」・・・と大人も子供も信じ込まされていること。


「テレビ」は日本人にとって、正義でも、教師でも、必須ツールでもない。

なのに、まるで正義であり、ときに教師であり、なくてはならない これがないと生活できない必須ツールだと

思わされているのではないでしょうか?



中国のお家芸ともいえる、中央コントロールの網は、

わたしたち日本社会の中にも、じわじわと浸透してきていると思えないでしょうか?


危機感が足りないのは、なにも政治家だけではないと わたしは思います。






★再 マスコミが教えない ジェンダーフリー思想 の真実 ①
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★「日本社会の崩壊」は 「韓流」と同じ「勘違い」の捏造から作られている ①
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★マスコミが教えない ジェンダーフリー思想の正体 ~ まとめ
要約・改訂版 ★『電車やバスのケータイ通話ってなぜいけないの?』

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わたしをバレエに連れてって!! ③  吉田 都 の奇跡



吉田都というバレリーナをご存知だろうか?

世界最高峰のバレエ団のひとつ、
英国ロイヤルバレエのプリンシパル(主役を踊るプリマバレリーナ)
でも、そんな肩書きがすごいんじゃない。

彼女がトウで立ち上がった瞬間、目の前の空間に奇跡が起きる。
そう表現して過言でない、今世紀稀な真のバレリーナ! だと思う。

彼女が空間に軌跡を描く。

「空を切る」 のでも、「空間を支配する」 のでもない。

彼女は、その脚で、その腕で、 そのつま先で、その指先で、
空気の中を泳ぐように踊る。

まるで、空気が彼女を支えているかのように見える。

それが、わたしの吉田都への最初の印象だった。

それは、森下洋子の完璧さとも違う。
マーゴット・フォンティーンの神がかり的な空気とも違う。

彼女が何を目指したかは分からないが、
わたしが求める、もっとも尊いもののひとつ、
「人間の木偶な身体が描くもっとも美しいかたちを体現すること・・・」
それを彼女の中に見た。

その衝撃は、
今までに見た、どんな恵まれた肢体や容姿を持つバレリーナより、
どんな優れた身体能力を持った才能より、
わたしを一瞬で惹き付けた。

その器に、みるみるうちに、熱い血潮としなやかな心が注ぎ込まれていった。
もう、わたしは、こう思うしかなかった。
バレエの神様は、彼女をお選びになったのだ と。

わたしにとっては、ギエムの才能より、フォンティーンのカリスマより、
彼女の存在そのものが奇跡だと思った。

なぜなら、
彼女が日本人として生まれたこと自体が、「奇跡の始まり」だと思うから。

極限までの鍛錬を積み、
ロイヤルのエリートの中で激しいコンプレックスに悩み、

それをバネに、これまでたゆまぬ努力で鍛え上げてきたプライドは、他の誰のものでもない。

それは、日本人であるがゆえ、だった。


生まれつきの恵まれた身体も、バレエ向きのメリハリのある容姿も、

すべてを当たり前に持ち合わせたバレエエリートたちとは違う。

持っていないからこそ、彼女は渇望し、研究し、鍛え上げ、獲得したのだ。

誰よりも美しいライン。

誰よりも美しい動き。

誰よりも美しい呼吸を。


彼女が描くラインも軌跡も、情熱も、品格も、他の誰にも真似できないものだ。


わたしは、吉田都に比べたら、ギエムは最も優れた「ダンサー」だったとさえ思う。

わたしの中の「バレリーナ」とは、品格が骨格と筋肉を着たようなものだ。


「ダンサー」は空間を支配して自己主張するが、

「バレリーナ」は、羽根や魚のように、空気の中を泳いで融合するものだと思っている。


それは、

アリシア・アロンソの「ジゼル」を見たときから、

わたしの中に 「この世にバレエが存在する意義」 として植えつけられた。


それを、体現できるのが 吉田都だと思った。



タリオーニが初めてトウで立ったそのときから、パブロワやニジンスキーたちが目指したもの、

それは、

人間の身体能力の限界を知ることでも、見せつけることでもなく、

愚鈍な身体が描き出すもっとも美しい「軌跡」を見つけること だったんじゃないかと思う。


それは、人類の夢の到達点のひとつではないかと思う。


人類が二足歩行を選んだときから、一度は永久にあきらめ、

そして、あこがれ続けたものではないだろうか?


鳥のように自由に空を舞うこと。

魚のように自由に水のなかを泳ぐこと・・。


地に足を付け、重い頭を支え続ける脊椎を持ったときから、

それは、人類にとって 永遠の憧れになったのだと思う・・・。


立っているだけでは叶えられかった夢が、「踊る」ことで空間を泳ぎ、

跳び上がることで 空を目指し、

トウで立ち上がることで、重力の支配から逃れた。


人類のこのたゆまぬ欲求と努力によって、

先人たちが「バレエ」という、夢を描くためのパレットを残した。


それから数百年・・・

極東の小さな島に、吉田都という少女が生まれた。

革命も戦争も差別も知らない日本に生まれた彼女が、

代わりに 「身体コンプレックス」 という慟哭の中で築き上げたもの・・・。

それこそ、

人が求める、もっとも尊い、もっとも美しい感動に導くための「奇跡」 だと わたしは思う。







追記 (2011.10)
イギリスの著名な批評家が、
“ロイヤルの至宝・吉田都”の引退に際し、次のように書いている。

「吉田都こそは、
ダンスの本質へ到達する方法を探し当てることを
自分自身のエゴよりも優先させた
ダンサーの中のダンサーである」





★バレエへの熱情再び ~ もう一度 吉田都 が見たい!!
※貴重動画いろいろから抜粋転載~

吉田都 バーミンガム・ロイヤル・バレエ くるみ割り人形 パ・ド・ドゥ




眠れる森の美女 2幕  オーロラ姫の幻想




『ロミオとジュリエット』 吉田都 スティーヴン・マックレー




Rhapsody
- Miyako Yoshida and Yohei Sasaki



もう一度言う。吉田都のパ・ドゥ・ブレは完璧です!!
なぜクラシック・バレエにパ・ドゥ・ブレが必要だったか? それは、これらを見れば解ります!
バレエにおけるジュテ(ジャンプ)も、ピルエット(回転)も、パ・ドゥ・ブレ(足運び)も・・・そのすべては
「人の体を重力から解き放つためにある」ということを再認識させてくれます!



「わたしをバレエに連れてって!! 吉田都の奇跡」
http://20120901.blog.fc2.com/blog-entry-109.html


吉田都のチャリティーコンサートの舞台裏
http://20120901.blog.fc2.com/blog-entry-223.html


吉田都インタヴュー ~ 「自分でない自分にはなれない」
http://20120901.blog.fc2.com/blog-entry-581.html



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