ひだまり    今は古事記に夢中! 2011年12月

アメブロから引っ越してきた過去記事の再公開と、                       もっと日本を知るために「竹田研究会」の紹介を主にしていきます。

日本は「八紘一宇」の国であるということ


みなさん、今年一年ありがとうございました。


わたしのだらだらと長い文章に、いつも根気よく辛抱強くお付き合いしてくださってること、

ほんとうに頭が下がる思いとともに、感謝の気持ちでいっぱいです。

ほんとうにありがとうございます。 m(__)m


コメントしてくださる方、賛同してくださる方も、苦言を呈してくださる方も、

ぺたしてくださる方も、メッセージくださる方も、

足跡は残していなくても、いつも読んでくださっている方々も・・・

ほんとうにありがとうございました。 m(__)m


趣味ブログが逸脱して、ほとんど脳内だだもれ状態の勢いで書いてるヘビーな記事に

こんなにたくさんの人が読んでくださるようになったのは驚きとともに

うれしい気持ちと、こわい気持ちと、感謝の気持ちでいっぱいです。


何度も、やめよう、やめよう・・・と思いながらも、

あ~、また、おこられる~~ っと思いながらも、ここまで来てしまったのは、

ひとえにみなさんからの応援と励ましのおかげです。


最近「専業主婦」をあらためましたので、これからはさすがに記事は減るのか・・・と思われましたが、

あまりに、今すぐ言いたい! ってことが多すぎて、

結局、寝食削って書いてしまっている状態です。 (あ、「食」は削ってない!)


せめて年末くらいは心温まる話で締めくくろう・・・と、話を探してみました。


で、もって、いつものように、とっても長くなってしまったので、(すでに長いって~!!)

自分のコメントは割愛させていただきます。

しかし、いつもここに来てくださる方には、わたしがこれで何を感じて欲しいかは

きっと分かってくださると思います。



それでは、みなさん、

日本に幸あれと願いつつ、今年はこれでお別れです。

ありがとうございました。  m(__)m


良いお年をお迎えください。 ウサギ



。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。


「八紘一宇」のこと

http://nezu621.blog7.fc2.com/blog-entry-524.html   より抜粋転載~



戦前において、日本のスローガンとして掲げられた「八紘一宇」(はっこういちう)について書きます。

「八紘一宇」というと、多くの人は「第二次大戦中、日本の海外侵略を正当化するスローガンとして用いられた」

という程度の認識しかないようです。

ほんとうにそうなのでしょうか。

世界大百科事典では、「八紘一宇」を、
「自民族至上主義、優越主義を他民族抑圧・併合とそのための国家的・軍事的侵略にまで拡大して

国民を動員・統合・正統化する思想・運動である超国家主義の典型」

と説明している。

昭和32年9月、衆議院文教委員会で、松永文部大臣は、
「戦前は八紘一宇といって、日本さえよければよい、よその国はどうなってもよい、よその国はつぶれた方がよい

というくらいな考え方から出発していた」

と説明。

昭和58年1月衆議院本会議で、中曽根康弘総理大臣は
「戦争前は八紘一宇ということで、日本は日本独自の地位を占めようという独善性を持ち、日本だけが例外の

国になり得ると思った、それが失敗のもとであった」

と説明しています。

ほんとうにそうなの?

普通に考えて、人々が口々に唱える日本のスローガンがそうした「侵略」目的のものであったとするなら、

多くの日本人は、ついてこない。
そう思いませんか?

「八紘一宇」を唱え、命をかけて戦ったのは、私たちの祖父であり、祖母であり、曾祖父・曾祖母たちです。しかも彼らは青春を「八紘一宇」に賭け、「八紘一宇」のもとに青春を駈け抜け、そして亡くなられた。

仮に、いまこれを読んでいるあなたが、あるいはボクが、

「日本には八紘一宇という侵略思想があるのだ。その思想は、他国を蹂躙して財物や婦女を奪い、その国の

庶民を殺しまくるものだ。だから一緒に悪事を働こう!」 と言われたら、その気になりますか? 

そのことに命をかけて戦いますか?

自ら特攻までして命を落としますか? 

玉砕戦を最後まであきらめずに戦いますか?

ボクならしませんよ。

逃げだしますよ。馬鹿馬鹿しい。誰が好き好んで悪事に手を貸しますか。

内地にいた多くの母親たちだってそうです。

誰が好き好んで愛する我が息子・・・(それも、兵役にとられるのは、学業優秀、身体頑丈な、とびきりかわいい

息子です)を、そんな悪事に加担させるために送り出しますか?

婦人会、町内会、子供会・・・村中総出で、日の丸の小旗を振って、出征兵士を送ったのですよ?

それが侵略のためですって?? 

誰がそう考えていたのですか? 

軍部ですか?

じゃあ、軍部・・・いまで言ったら自衛隊が、独善主義に陥り、自民族至上主義、優越主義を他民族抑圧・併合

とそのための国家的・軍事的侵略にまで拡大して国民を動員・統合・正統化するから、

子どもを差し出せと言ったら、

あなたたちは万歳といって子供を差し出すのですか?

戦前、出征兵士を送った人たちも、送られた兵士たちも、いまとおなじ、我々と血の繋がった日本人なのです。

時代がそうさせた? じゃぁ時代ってなんです?

その時代のひとつの理想が、あったんじゃないですか?

みんながその理想に納得し、みんながその理想を本気で信じたから、命がけで戦った・・・

そう考えた方が、自然なのではありませんか?

その時代の理想・・・それが「八紘一宇」だった。

「八紘一宇」とは、日本書紀に出てくる言葉です。

「掩八紘而爲宇」
(=八紘(あめのした)を掩(おお)ひて宇(いえ)と爲(なさ)む))が語源となっています。

(「日本書紀」巻第三神武天皇の条)

「八紘」というのは「8つの方位(東西南北、北東、南西、南東、北西)」です。
8つの方位は、天地を結ぶ8本の綱だ。そしてこれが転じて「世界」を意味する語となった。

「一宇」というのは、「ひとつの家」という意味です。

つまり、「八紘一宇」は、世界はひとつの家族だ、という意味になります。

明治天皇の和歌にある、

 四方の海
  みなはらからと 思う世に 
   など、波風の たちさわぐらむ

四方の海=八紘 です。
みなはらから=一宇 です。

「一宇」を指して、「これは天皇の傘の下に世界を統一しようという侵略性を持った言葉である」などと

したり顔をして説くアホがいるけれど、上に示した日本書紀の文のどこに「天皇が」と書いてあるのか?

単に世界は一家と説いているだけで、どこにも「天皇が」などいう主語はつけられていない。

よく文章を読め! と言いたいです。

そして東京裁判の折、清瀬弁護人は、
「八紘一宇は日本の固有の道徳であり、侵略思想ではない」と述べている。

その通りだと思う。

「八紘一宇」について語るとき、よくひきあいに出されるのが、

日蓮宗から新宗教団体国柱会を興した田中智學です。
彼は、1903年(明治36年)、日蓮を中心にして「日本國はまさしく宇内を靈的に統一すべき天職を有す」

と説いた。
これが、八紘一宇の侵略性を示していると説く人もいる。

まったく、ヽ(´o`;lll オイオイです。
いつから戦前の日本は日蓮宗の国になったのか?

なるほど日蓮は、日本の宗教を日蓮宗に統一し、国立戒壇の建立を説いた。
しかし、戦前の日本は国家神道であったはず。

いつから国の宗教が日蓮宗の、それも当時の新興宗教「国柱会」になったのですか?

彼の意見は、多様な価値観と言論の自由を許容する日本社会の中の、ひとつの少数意見にすぎない。

こう書くと、

「そんなことはない、日本には憲兵がいて、反日思想をとりしまったじゃないか」という人がいる。
それも違う。

田中智學がこの説を説いたのは明治36年(1903年)のことだ。

一定の言論統制をした大東亜戦争の40年以上も前のことです。

当時の日本では、実に様々な言論が、自由に主張されている。

だいたい創価学会が結成されたのも1930年だ。

「八紘一宇」は、戦前の日本の国策とされました。
それは、昭和15年7月26日の「基本国策要綱」に掲げられています。

皇国ノ国是ハ
八紘一宇トスル嚢国ノ大精神ニ基キ
世界平和ノ確立ヲ招来スルコトヲ以テ基本トナシ
先ツ皇国ヲ核心トシ
日満支ノ強固ナル結合ヲ根幹トスル
大東亜ノ新秩序ヲ建設スル

ひらたくいえば、

「日本の国是は、世界はひとつ、人類はみな兄弟という我が国の道徳観に基づき、世界の平和を希求し、

日本国(満州・台湾等を含む)を中心に東亜の新秩序をつくる」

という意味です。

これって、いまの日本国憲法の前文そのままです。

「東亜の新秩序」というのは、アジア諸国が植民地支配を脱し、それぞれの国の独立を促すという意味で、

実際、戦中から戦後にかけて、

多くのアジアの国々が独立を果たし、植民地支配という隷属からの脱出を図ることに成功した。

その被植民地からの脱出と独立にあたって日本がおこなった現地での学校建設、行政指導、教練等が、

きわめておおきな役割を果たしたのは、その後の歴史が物語る通りです。



※ ※



「八紘一宇の精神による東亜の解放・・・そんなものは日本の大義名分にすぎず、

内容は侵略戦争だった」 という人がいる。

もしほんとうにそうなら、

なぜ、日本軍は、

インパール作戦で、38,000人の戦死者を出し、4万人以上の戦病を出し、

街道に日本兵の白骨を折り重なるように晒しながら、

その街道筋にある民家や畑を襲っていないのでしょう?

飢えと病に苦しみながら、
何日も水さえ呑めずに撤収する街道筋には、

ビルマの村や寺が点在している。

現地の人が住んでいる。

家畜もいる。畑もある。女性もいる。
しかも彼らは非武装だ。
そして、敗軍となって徒歩で帰る日本兵は、実弾を込めた銃を持っている。

にもかかわらず、

日本兵はその街道筋で、ただの1件も、盗みをしていない。

強姦もしていない。殺人もしていない。

自らが、飢えと空腹、渇きにあえぎながらも、だたの1件も奪わず、

殺さず、姦せず、飢えに苦しみながら、日本兵という名の多くの日本人の若者が死んでいった。

これが侵略者・掠奪者の姿ですか?

八紘一宇は、我々日本人にとって、大義名分などではなかった。


いやそれ以上の、我々日本人の生きざま だった。

心の柱だった。


どんなことでもそうじゃないですか?
生きるということは、心です。

戦うということは、銃をポンポン撃つことではない。
明確な目的のために命がけで戦うということです。

ボクはね、戦争を美化するつもりも、礼賛するつもりもありません。
しかし、

命を賭けて戦った先人達の思いと、その心を、

単に「大義名分であり」、「侵略だった」などと蔑むような真似だけは、絶対に許せない。


なぜならそれは、先人に対する冒涜だし、

先人を冒涜するということは、

とりもなおさず、いまを生きるわたしたちひとりひとりを冒涜することだからです。


※ ※



「八紘一宇」の精神は、なにも戦前の特殊な思想ではありません。

「八紘一宇」は、


世界の人類は皆、兄弟だ、という人類普遍の心だとボクは思うのですが、

みなさんは、どうお感じになりますか?

http://nezu621.blog7.fc2.com/blog-entry-524.html




。。。。。。。。。。転載おわり



★「海賊と呼ばれた男」のモデル 出光佐三が亡くなったとき、
 昭和天皇が初めて一般人に向けて歌をお詠みになった

※宮部久蔵だけが特別な人間だったわけじゃない。 あれが「日本人」だったのです。


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あのとき、いっしょに考えてあげられなくてごめんなさい。

最後の懺悔をさせてください。

わたしは、ついこの間まで、このブログを書き始める少し前まで、
正確にいえば日本を出て、帰って来るまで、
まったく政治のことにも、経済のこのにも関心のない、
子育てと自分の趣味しか頭にない普通の一専業主婦でした。

そんなわたしが、どういうわけか、
何かに憑かれたかのように、こんな「反体制」的な原発反対記事を書いている・・・
(「反体制」っていう言葉だって、人から言われて初めて そうなんだ…と思ったくらい)


でも、だからこそ、
今、関心のない人たちの気持ちも少しは分かる。

ほんとに、気づくか、気づかないか、
考えるか、考えないか・・・は、紙一重のきっかけひとつ。
その「きっかけ」に出会えさえすれば変われるのだと、
自分で証明しているから分かるのです。


今思うと、どうして、あれほど関心がなかったか不思議です。
でも、それでも、それなりに、一生懸命生きていた。
でも、社会のことも、原発のことも、ぜんぜん自分の中に入ってこなかった。

とくに原発に関して、
わたしを含めて、地元住民じゃない人にとっては、
身近に原発がなかった人にとっては、自分を庇うわけじゃないけど、
無関心以前に、関心を寄せるだけの「情報」自体がなかった。

ここは中部電力の本社が地元にあるだけで、
少なくとも、原発のある地元住民が行く説明会の様子や、
抗議運動があったりするようなところと比べると、
まったく比べられないほどの「温度差」があったと思います。

「情報」はあったかもしれないけれど、
それにまったく引っかからないくらい、
今まで誰とも、わたしの周りでは一度も話題にのぼったことがないほど、
まったく危機感を感じないまま生活ができていた。

同じ日本にいながら、ぜんぜん「蚊帳の外」でいられたくらい・・・


正直に言います。

パソコンを使っていなかった時代、
そこまで原発が危険なものだなんて考えたことがなかった。

チェルノブイリの事故を知っても、ニュースを数回見ただけで、
たんに「知識」として知ってるだけで、
正直に言って、対岸の火事のような感覚だった。

なぜだか日本への不安はそれほどなかった。
まったくなかったと言ってもいいかもしれない。

チャルノブイリの子供たちへの募金をしたことはあった。
それでも、身近なこととして感じてなかった。
たいして危機感を持たないまま、そして、すぐに忘れ去っていた・・・

それが現実でした。

日本の技術力は世界一だと思っていた。
日本の原発はその最新技術で守られてると思っていた。
「信じていた」 とも言えないくらい、なんの認識も持っていなかった。

それが現実でした。


政治について右も左も分からなかった頃、
原発推進派が誰とか、右翼だとか左翼だとか、
反対派の激しい運動があることも、建設地住民の苦悩もまったく知らなかった。

恥ずかしいけれど、
情けないけれど、 それが現実です。


だから、
今回の事故が起こった時、
ブログを始めていたおかげで、すぐいろんな情報を集めることができて、
その事実に、現状に、大きな衝撃を受けました・・・

「自分は何をしていたんだろう・・・」 と。



だから、これは懺悔です・・・

知らなかった、気がつかなかった、何もしてこなかった自分への怒りと反省を込めて
毎日睡眠を削って勉強して、情報を上げ続けてきました。

いまでこそ、政府情報がどれだけでたらめで嘘だらけで、無責任かが知れ渡っていますが、
事故直後はとくに、
「政府発表を信じないで何を信じるんだ?」っていう意見が多い中、
不安の中で、政府発表を信じて安心したい人たちにとってはきつい、酷な意見ばかり書いてきました。


ただ、それは、
気づかない人、動かない人、楽観視しすぎている人を
責めているのでも非難しているのでもありません。

むしろ、長年気づかないできた自分に対して情けない申し訳ない気持ちから
贖罪の気持ちで訴えを書きなぐってきたようなものです。


だから、最後にもう一回言わせてください。


あのとき、気づいてあげなくてごめんなさい。

あのとき、一緒に考えてあげられなくてごめんなさい。


あなた方が、

どこかで自分を誤魔化しながら 無理やり受け入れてきた原発を、

長年にわたって悩んで、苦しんで、

いろんな気持ちを呑み込んで受け入れざるを得なかった原発を、

こんなことになってやっと、

今頃になって やっと反対しているわたしたちを どうか許してください。



今頃になって、やっと、

あなたたちの不安や苦痛に気づいたわたしたちを許してください。



あのとき、気づいてあげられなくて ごめんなさい。

もっと早く気づいてあげられなくて、ごめんなさい。

もっと早く、いっしょに考えてあげられなくてごめんなさい。



原発を 自分のこととして考えてこなかったことを
今は心から悔やみます。

こんなことになって、やっと目が覚めるように いろんなことを知りました。

原発がどんなものだったのか。
原発がなぜ日本に作られたのか。
どんなに放射能が怖いものか。
なぜ、こんなに認識に温度差があったのか・・・


とにかく、原発は日本にあってはならないものだと思いました。
気づくのが遅いけど、遅すぎるけど、
気づいたから、ちゃんと考えようと思いました。

考えて、調べて、勉強して、考えて・・・
知れば知るほど、一刻も早く止めなければ・・・という思いを強くします。


政府やマスコミが、今まで国民に深く考えて欲しくなかったこと、
「原子力利用」と、「安全保障問題」をもう一回ちゃんと知って、

ちゃんと勉強して、
それをみんなで考えて、
ほんとうの意味で、みんなで考えて、

民主主義国家として、
この国の姿勢を、この国の役割を世界に示していくべきだと、
反省を込めて、今、わたしはそう思います。


だからいっしょに考えましょう。

子供たちの健康のこと、
これから生まれてくる命のこと、

子供たちに残せる未来のこと、



そして、

あなたの痛みが どうやったら癒せるかを・・・



もう、すべてを元どおりにはできないけれど、
それでも、もう後戻りはできないから、前へ進むしかないから、

二度と、
こんな思いを子供たちにさせたくはないから、

だから、
その痛みや、不安の癒し方を いっしょに考えましょう。


わたしたちにできることを。

わたしたちが残せることを。

今度こそ、 逃げないで、 誤魔化さないで、

いっしょに考えましょう。

わたしたちの日本を守るために。




関連記事

原発がやめられない本当の理由 ⑤ 経皮毒被害も放射能被害も政府の対応は同じ




「放射能被害」も「経皮毒被害」も、国の対応はいっしょだと思います。


国は逃げるばかりで、誠意ある責任もとらないし、適切な対策もとらない。

国民は被害を受け続け、被害を作った側の人が儲けるばかりです。


(※ これは以前出した記事を再編集したものです。)



、坂東栄治の朝の番組で、タブー中のタブーと言われる「経皮毒」 問題をめずらしく取り上げたときも、

次の日、あっさり「お詫びと訂正」が入り、番組HPからもその情報のコーナーが削除されていました。


もちろん、内容はなにひとつ間違ったことは言っていません。

むしろ、国民すべてが知らされていなければいけない情報であり、

他の国ではすでに問題視されて、国民だけでなく国も取り組んでいることなのです。


日本ではその認識があまりにも遅れています。


「日本でも添加物(内容成分)が『全成分表示』になったじゃないか」

という人もいるでしょうけど、

では、その表示された「成分」の内容(性質)についての説明はありましたか?

その成分についての「知識」を国民に与えていますか?


あなたは、その成分の「名称」を見て、それがどういうものか、

体にいいのか悪いのか、どのくらいいいのか悪いのか、知っていますか?


それが「逃げ道」なのです。

国は「全成分」を一見「正直」に表示させていますが、

それを「どう読み取るか」を国民に「教えていない」のでまったく意味がないのです。


何か問題(合成化学物質による被害)が起こっても、

「ほら、ちゃんとここに何が入っているか正直に全部書いてあるでしょ。

それが体に毒だというのなら、買う前に、使う前に、それを見て自分で判断できたじゃないか」 

と、

「表示はしてあるのだから、あとは使う国民の自己責任だ」 というわけです。


つまり、その「全成分表示」は責任逃れのためにあるようなものです。


成分は確かに「正直に」表示してある。

でも、それが「何か」を教えていないのであれば、

字が読めない幼児に「ここに危険と書いてある」といって言い逃れているのと同じです。


さらに、落とし穴は「医薬部外品」です。

「医薬部外品」の称号を得ると、全ての成分表示をする義務がなくなります。

ますます、何が入っているか分からなくなります。



それを、その「からくり」とその表示成分の「正体」を暴いたのが例の番組でした。

書店に山積みされた「経皮毒」関連の本を映し出し、

様々な医学者や化学者が「経皮毒」という言葉を作って警鐘を鳴らしていることを説明し、

ある一人の「経皮毒犠牲者」の患者の体験談(左の帯の「経皮毒」の本の著者)を織り交ぜて

たいへん「正直」に解り易く解説していました。


わたしは、「やっとテレビが取り上げてくれたか! あっぱれ!」 と思いましたが、

ところが、翌日、その内容をまるで「全否定」するかのように「謝罪」と「削除」が行われたのです。

スポンサーから「苦情」(脅し?)があったとしか思えません。


なぜか?

それは、その「知識」が国民に知れ渡ると、番組スポンサーである製薬会社日用品会社困る・・・

それだけのことです。

「訂正とお詫び」も、視聴者に対するものではなく、

あれはテレビ局からの「スポンサー」に対するお詫びだとしか思えません。


わたしは、その「経皮毒」も「放射能」も、まったく根っこは同じだと思います。



国は、国民に、国民の健康や命にかかわる大事なことを隠している。

それが重大であればあるほど、

それを隠してきた責任が大きければ大きいほど、

けっして国はそれを認めようとしません。



日常的に自然と浴びる放射能は避けられないからこそ、

日常的に避けようがない合成化学物質が溢れているからこそ、

これ以上、不必要に取り入れてはいけないんです。


原発事故が起こる前から、

この社会には、癌や不妊やアレルギーになる要因が五万と転がっています。


だからこそ、

選択の余地があるものは できるかぎり回避しなければならないのです。


「微量だから大丈夫、大丈夫」 などと言っていたら、

あなたの体に降り積もった「毒」が、

いつ許容量(しきい値)を超えて発症するか分かりません。


しかも、その症状は、

癌とかアレルギーとか「病名」がすぐにつくようなものばかりではなく、

理解も補償もされないまま、じわじわと延々と苛まれ苦しむ場合もあるのです。




国は、政府は、企業は、

そのための情報を正しく開示し、国民の健康を守る義務があるはずです。


国は企業だけでなく、国民の利益と権利を守る義務があるはずです。



避けようがない部分がたとえ「微量」だとしても、それは日々蓄積されていくんです。

「数日で体から排出される」ものがあるといっても、それを毎日のように摂り続けているんです。


取り入れたくなくても、避けたくても、

呼吸しているだけで、食べているだけで、生きているだけで、

それはわたしたちの体に毎日摂り込まれ続けているのです。


企業利益を優先するあまり、

この世は、人間にも自然にも仇名すもので溢れ返っています。



たとえば 「経皮毒」とよばれる合成化学物質。

食べ物から、薬から、化粧品から、シャンプーや入浴剤から、食器や洗濯物から、

クリーニングした衣類から、整髪剤や髪染め液から、防虫剤や殺虫剤や、消臭剤や除菌剤や

芳香剤やヘアスプレーや、家具や壁紙から、煙草の煙から、排気ガスやストーブの不燃焼ガス・・・


わたしたちは、毎日、毎日、しかも一日中、

ありとあらゆる合成化学物質に囲まれ、避けたくても避けようもなく、

いつのまにかかなりの化学物質を体に摂り込んでいるのです。


その影響がいつ、どこに、どのような形で現れるのかは個人差もあり、

たとえ発症しても、複合的な要因が絡むため特定が難しく、

ほとんどの場合、因果関係は「立証」されないのです。


どんなに心ある学者が長年警告しても、訴えても、

どんなに実際にアレルギーや癌や不妊や流産(奇形)や原因不明の体調不良で苦しむ患者がいたとしても、

因果関係が明らかに特定されなければ「加害者」は責任を取らなくてもいいことなっています。


たとえば、極端な例でいえば、

裁判の争点が「化学物質」なら、製薬会社や日用品会社は「電磁波」や「放射能」のせいにすればいいし、

争点が「電磁波」なら、電力会社は化学物質のせいにすればいいのです。


実際、イギリスのセラフィールド原発事故の犠牲者の子供たちにも、

特定場所の子供に白血病の発症が異常に多いことに関して政府は、

日頃はけっして認めようとしない「高圧電線が原因かもしれない」といって責任を回避していました。


原発を持つ国の政府の誠意はどこでもそんなものなのです。



被害を与えた側(企業)、または、それを知りつつ放置した側(国)は、

認めたくないものは認めません

逃げ道はいっぱいあるからです。


化粧品、日用品、薬品、農薬の中の化学物質だけでなく、

排ガス、タバコ、電磁波、紫外線、医療被曝、自然被曝、放射能汚染・・・

この世は、癌や不妊になるような原因要素がごまんと転がっていますから。


しかも、

それらを放置すればするほど「かれら」には都合がいいのです。


なにしろ、原因をそれだけに絞ることができなければ、

結局「実証できない」として責任を追及されないからです。


それが、これまでの裁判のやり方でした。


だから、被害者を踏みにじりながら、「経皮毒」も「原発」も見直されることがなかったのです。



「市販されているものは国が動物実験で安全だと保証しているはず」

「安全だから国が市販を許しているんじゃないの?」   


・・・と思っていませんか?

しかし、

国が「安全」を認めているのは、製品を売りたい企業側が出してきたその製品「単品」での「安全性」です。

しかも、その「成分」そのものが「安全」だということを証明しているわけではないのです。

巨額の税金を使って動物実験で証明されるのは、

「これをこのくらい薄めれば 直ちに健康に影響が出ない」  ということだけなのです。


第一、動物実験しなければならないのは、それが「有毒」だとわかっているからです。

有毒と知りながら、その利便性や経済性(企業利益)を優先しているのです。

そのために、動物実験をして、

直ちに健康被害が証明されない程度に薄めているにすぎません。


つまり、国が行っている「保証」は、国民のためではなく、企業の利益のためなのです。

国民の健康よりも企業利益を守っているのです。
それが、「安心」を保証していると思われている動物実験の正体です。


しかも、動物実験では、それ「単体」では「直ちに症状が出ない」までに薄まっていますが、

他の合成化学物質を数種類複合して摂取した場合どうなるか?

それらが長年蓄積したあとどうなるか?

体質や年齢や生活習慣の違いによる「個体差」は?

・・・そんな安全性までは、国はまったく研究も確認も求めていません。


日本の合成化学物質の規制の厳しさは、ヨーロッパに比べると何十分の一の甘さです。(※下記参照)

これでは国民の健康や安全などまったく考えていないのといっしょです。 (中国はもっと甘いです…)




これ・・・どこかで聞いたような話だと思いませんか?


そう、「放射能被害」と同じなんです。

これまでの原爆訴訟、そして、今回の原発事故後の放射能への国の説明や対応は、

まさに「経皮毒問題」と同じです。


ということは、

「直ちに健康被害が出ない」ものは、

あとから健康被害が出ても、国はけっして その因果関係を認めません。


それは、過去の原爆被害訴訟の裁判でも明らかになっています。

その時、国側の弁護に立ち、大した根拠もなく権威を振りかざして、

けっして国側の責任を認めなかった学者を見てごらんなさい。

それが今、国が助言を求める、マスコミや企業が重用している「御用学者」たちです。


原発被害のときだけ、「国の言った通りにしたんだから国が責任を取ってくれる」

・・・なんて考えは間違いだと思います。

「因果関係」が認めれれないものは(かれらが認めたくないものは)あっさり切り捨てられてきたのです。

あとから、「やっぱり健康被害はあったじゃないか!」 と言っても、

それを証明するのは自分なんです。

国が証明してくれるわけではありません。




だから、騙されないでください。

チェルノブイリでも、それでたくさんの人が騙され、いまも健康被害に苦しんでいます。


いえ、健康被害なんてもんじゃない。

ひとつの村がなくなる事態です。


子供が生まれにくくなり、生まれてきても育ちにくくなっています。

生きている人だけでなく、これから生まれる人たちも、

何代にもわたって体や遺伝子が蝕まれているのです。

今なお政府の無策により汚染された物を食べ続けているからです。


(それは、日本も同じです・・・

 たぶん、これからも、原発があるかぎり、その政策(無策)は変わりません。)


その甚大な被害を生んだのは、

あのとき「問題なし」と言い切って被曝患者を切り捨てたのは、

日本の放射線影響研究所の長です。


世界初の原爆被害国の研究所の長という肩書で チェルノブイリ事故の被害認定にさえ携わり、

常に核を使った側の立場に立った「証言」をしてきたのです。


今、それとまったく同じことが日本で繰り返されようとしています。

そのかれらの主張が今回の原発事故処理にも「生かされ」たのです。


それが政府の姿勢です。


「立証しにくいものは切り捨てる」準備です。



「レントゲンの方がずっと強い放射線を浴びているのだから大丈夫」

「もともと自然から微量の放射能を毎日浴びているんだから それと同じ」


もう、うんざりです。


そうやって核を使いたい側を庇って、

本当の重大な情報を隠し続け、国民をだまし、被害を拡大し続けるんです。




また、


「経皮毒なんて言葉は学界で認められていない・・・」

などとする「火消し」の意見がありますが、

もう、その論理破綻にも気づいて欲しいと思います。


学界が認めていることだけがすべてでも、正しい訳でもありません。


実際に被害患者を追跡調査して研究している学者と、

権威にしがみついて、すでに自分では実際に研究しなくてもいい学者の間では、

往々にして意見が分かれます。


もちろん、マスコミや政府が重用するのは後者の方です。

かれらは「原子力村」の同志なのです。


あなたはそのどちらを信じますか?



公的に認められている・・・


ということだけが正しい訳でも、安全なわけでもないということは、

いやってほどに多くの犠牲者(患者)が証明しています。


それに、今回の原発事故においても、もうお分かりでしょう?

たとえ公式発表でも、あとから、あとから、

とんでもない間違いや訂正(10ケタ違い)= 意図的な隠ぺいがあったことは 、

もううんざりするほど身を持ってあなたも体験したはずです。



つまり「権威」とは、たかだかそういうものなんです。


「権威」を守るためには国民の生活も命をも簡単に犠牲にする。

そういうものです。



「経皮毒」を政府が絶対に認めないのは、

マスコミが情報を流さないのは、

「経皮毒」で儲けている企業を守っているからです。



「ワクチン問題」 でもそうです。 


ろくでもないワクチンで大儲けしている人がいて、

国は、国民の利益よりそちらの(製薬会社の)利益を守っているのです。



経皮毒=合成化学物質に絡む利権も、

ワクチンにからむ利権も、

原発にからむ利権も、根はいっしょです。



「やめたら莫大な儲けがなくなる」 だからやめたくないだけです。



国民に嘘をつき続けても、

国民の健康を犠牲にしても、

国民の生活や人生をメチャクチャにしても、「自分たちの利益」を守りたいんです。

 


だから気をつけてください。


マスコミが触れようとしないことは怪しい。

マスコミがあわてて隠すことは怪しい。


知られてはまずいこと。 

国民が知っては困ること。

国民を騙して儲けているから、そのからくりを知られては困るのです。

だから、隠すんです。


マスコミが隠していること、

マスコミが言いたがらないこと、

それにこそ注意を払ってください。



「国が認めているから大丈夫」 だとか、

「学会や公的機関が認めていないから嘘」 だとか、

うっかり公的発表だけを信じていたら、あなたの不利益にしかならないかもしれません。



そして、

あなた方ひとりひとりの不利益は、そのまま、この国の不利益になるのです。


わたしたち国民が騙され続けている・・・

ということは、

それ以外の国の誰かが、

または、それに加担している誰かが、

わたしたちの幸福を踏み台にして不当に膨大な利益を得ている・・・

ということになるのですから。




情報を持つことで、どうかあなたを、あなたの大切な人を守ってください。



そして、今まであなたの利益(幸福)を阻んできた「論理の嘘」から どうか脱却してください。





。。。。。。。。。。。。。。。



ウサギ すみません・・・汗

三部作・・・なんて言っておきながら、結局五部作になってしまいました。 m(__)m;;;;

長々とわたしの思考だだもれ文章にお付き合いくださいまして本当にありがとうございます。


もし、ご賛同していただけましたら、

どんなかたちでも構いませんので、

どうぞ、あなたの意見を政府に届けてください。


あなたの声で日本は変わると思います。






「有害表示指定成分」として国が認めている数。
ヨーロッパ(ドイツ)・・・・・約5000種類
アメリカ・・・・・・・・・・・・・・・・約800種類
日本・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・103種類    







「原発(米)を止めたら子供の死亡率が下がった。

 日本でも核実験をした時期は死産率が上がっていた。」

http://www.youtube.com/watch?feature=player_embedded&v=_SgPh2dqO1w



関連記事

原発をやめられない本当の理由 ④  原発を「経済」で語るな


「原発をやめられない本当の理由」 ①、②、③ と書いてきましたが、

すみません、まだ言い足りないのでもう少し・・・ m(__)m


「原発」こそが、つじつまの合わないものだったんです。

「原発」こそが、この世でもっとも「道理」の通らないものなのです。

そんなものを固持する方こそ 「感情論」だと わたしは言いたい。



そして、


原発を「経済」で語るな! と言いたいです。



そりゃあ経済も必要だけど、その前に、安全と生命でしょ?


人が安全に生きられない環境で何が経済です?

この状況でまだ経済しか見えてないようでは困るんです。


サバンナの真ん中で、

ライオンに囲まれた状態で札束切ったって何の役にも立ちませんよ?


それとおんなじで、


人の安心や安全が確保できなくて、命や健康が確保できてなくて、

そもそも経済が成り立つわけがないのでは?


現実が見えていないのはどちらか と言いたい。


放射能汚染の影響被害は、これからの方が深刻なんです。


これからの何十年か先には、元気で働ける大人が激減してるかもしれないのです・・・


働きたくても、働けない、結婚したくても結婚できない、

子供が欲しくても子供ができない、子供を生んでも健康に育たない・・・


そんな社会がくることの方がじつはずっと現実的 であり、

それをこそ危惧して、そうならないように緊急に対処すべきだと思います。


しかし、

原発があるかぎり、それはぜったいできません。


原発を擁護するかぎり、

放射能の影響は否定されつづけ、

ますます被害は拡大し、犠牲者は見捨てられ続けるのです。


今、経済を優先させても、

それは、今の老い先短い老人が救われるだけです。


将来そんな世の中しか残らなかったら意味がないし、

それどころか日本はすぐに亡びます。


経済は「お金」だけで成り立っているのではなく、

支える「人」で成り立っているんです。


日本の経済や社会は、日本人が支えるもので、

その果実を享受するのも、それを活用するのも、

日本人であるべきです。


それが、


今、「経済至上主義」を優先させるということは、
最低最悪政策の「移民」 を呼び込み、

外国資本の台頭を早め、

外国人の数(血統)とその価値観(権利)の台頭 を早め、

日本にいながら 日本人が駆逐され

結果的に、日本を崩壊させることになるのです。


日本はただ利用され、食い尽くされるだけになってしまいます。


そちらの方がずっと「現実的」です。

すでにそうなっている国があるのですから。 

 (※ 移民の先にあるのは『民族浄化』?


そんな「経済」が欲しいんでしょうか?

そんな未来が欲しいんでしょうか?



原発がある以上、その体質は変わらない。

緑よりコンクリート、人よりお金、命より経済・・・


原発はその最たるものです。




ジョブズ氏が魔法の箱を残してくれた・・・


世界がつながり、

出会えない人とも心がつながり、


おかげで独裁政権が倒れた。


たしかに、

経済至上主義の社会の中で優れたものが生み出され、人々は様々な恩恵を受けてきました。


でも、だからって、

経済の恩恵に預かった人間は、安全や命を語ってはいけないの?

経済の恩恵を受けてきた人は、未来の安全を求めてはいけないの?


じゃあ、経済ってなに?


人のために、人間社会のためにあるのでないなら、

だれか特定の人の儲けや、特定の人間の「既得権」のためにだけにある「経済」を

どうして守る義務があるの?


推進派の人のなかに、既得権をなげうってでも事故が起きないようにと

「正しく恐れて」尽力した人がいましたか?


だれかに任せて、丸投げして、

安全なところで「経済」だけを語っていたんじゃないですか?


そんな無責任さで、そんな覚悟で、偉そうに経済を語らないで欲しい。



でもね、

なにもわたしは、

経済がすべて悪いとか、まったく経済は必要ないとか言ってるんじゃないんです。


ただ、

人の暮しの身の丈に合った経済さえあればいいのではないか

と言っているんです。


今の経済はおかしいでしょ?


②でも言いましたが、

これは、原発のために作られた「歪な社会」が生み出した、

原発を使うための「異常な需要」だと思います。


けっして、人々が自ら望んで自ら求めた「需要」ではなかったと思うのです。


そんな異常な需要は、いつか破綻がくるはずです。


それなら、どうせ破綻するなら、

頻発する原爆事故や戦争によって、突然、覚悟のないままそれを迎えるより、

自分たちの意志で、

自分たちの手で計画的に、覚悟の上でそれを遂行すべきだと思うのです。


人の身の丈に合った経済を目指して。

人の営みと、自然の営みが共存できる経済を目指して。


それが、日本の責任の取り方だと思うのです。




だからね、


先回の記事で述べた通り、

日本が原発を持ったこと自体が間違いだったと気づいたから、

本来の日本には、「原発依存」というものほど似合わない、サイズの合わない服はなかった

と思ったので、あえて大言を吐いてみました。
日本こそが、

世界に先駆けて、完全なる脱原発を宣言すべきだと。



…っていうと、「ドイツがすでに脱原発宣言をしてるじゃないか」って言われそうですけど、

ドイツと日本は違います。

なぜ「完全なる脱原発」か・・・それは、日本はドイツと違って

自分の国の原発をやめて他所の国の原発のエネルギーをもらうのではなく、

原発に頼らない、エネルギーの完全自給自足を目指すのです。

もちろん、目指すだけじゃなくて達成可能だからやるんです。

そこが、世界に先駆けてできるという意味です。


日本はじつは、すごい資源大国だってこと知ってます?

「石油はないだろう?」 っていうのも、今のうち・・・

今、日本では「藻」で石油を生産する 技術が成功しています。

豊富な海洋資源と、都市鉱山

地熱に水も風も・・・と、日本は自然エネルギーの宝庫なんです。


今まで、それを野放しで持ち腐れていただけ。

原発擁護の法律さえなくなれば、それらの開発と改良がどんどん進むでしょう。

それを妨げていたのが、「原発」だったのですから。


原発がなくなりさえすれば、「原発をやめる」と決めさえすれば、

その開発を妨げてきたものがなくなるわけです。


え? 他にも様々な問題点・・・?

そんなの、活断層の上の原発の危険に比べたら微々たる問題です

それに、これからじゅうぶん解決できる問題です。


え? 解決策を今すぐ提示しろ って?

ふふふ・・・ 

わたしに今すぐそれができないにしても、

少なくとも、

どう考えても一生解決しようのない大きすぎるリスクを背負った原発よりは

ず~~~っっっとまし! なのだけは確かです。





日本がもし、原発を止めると方針を変えたら、

かならず世界も動くでしょう。

それによって救われる子供たちが、日本のみならず世界中に大勢います。


今も、これから生まれる命も、ずっと先の未来まで。

きっとかれらは、日本の英断に感謝するでしょう。



でも、

もし、

こんな事故を起こしたにもかかわらず、

日本がこのまま何も変わらず、原発に依存し続けて行ったなら、


それが、原発を持つ国の指針となり、

悪例、悪法は二度と改善されることなく、

確実に地球環境の未来は苛酷なものになるでしょう。


そして、

人類社会も加速度的に苛酷になるでしょう・・・。



この国に、

原発を持つ国の政府に、人に対する「誠意」が持てるのか?

事故を起こした反省が、かれらにいか程あるものか・・・?


こんな無責任な体たらくでいいのでしょうか?

わたしたちは変わらなくてもいいのでしょうか?



わたしたちのその姿勢が、日本の今後の方針が、

地球の未来を決めていくのだと思います。




ウサギ    ウサギ    ウサギ    ウサギ    ウサギ  


※ これはわたしの個人的な考えです。

わたしは専門家ではありませんので、ネットで自分が調べた情報を元に、自分の考えを述べただけです。

もし、共感を覚えた方がいらしたら、これを頭から鵜呑みにせずに、ご自分で調べてみてください。

情報が、自由に探せるうちに・・・



関連記事

原発をやめられない本当の理由 ③  推進派の「論理」こそが感情論



原発がやめられない本当の理由 ① 論理の罠

原発をやめられない本当の理由 ② もしも 日本に原発がなかったら・・・

の続きです。 いつも長くてすみません・・・m(__)m;;


原発はやめられます。  (※①


やめる自信がもてないのは、

やめてみた国がまだないからだと思います。


日本がその最初の国になればいいだけです。

それで世界は変わると思います。


原発に頼らなくていい未来を、日本が先駆けて作ればいいのです。



「まあ、そんなこと簡単に言ってくれちゃって!」


って思われるでしょうけど、あえてここは言っておきます。


だって、

国会ですらどんなに正しいことを言ってもぜんぜん効力がない世の中ですもの・・・

自分のブログでくらい自分の思うことを言ってもいいでしょう? ウサギ



以前にも書きましたが、


わたしがこういう「水掛け論」をしていて一番腑に落ちないところ、

それは、

反対派が原発を「やめる」「やめられる」と言うときにだけ、なぜ、

「完璧なプラン」や「完璧な実証」が求められるのか?  ってことです。


あんないい加減な原発を作るときは、

あんな危険な原発を無理やり動かし続けるときには、

完璧なプランも、

完璧な安全対策も、

完璧な安心保証なんて どこにもなかったではありませんか?


嘘まみれで、強引に、見切り発車でやってきたではありませんか?


なのに、なぜ、

そんないい加減さで、とうとうこんな深刻な事故を起こしておきながら、

どこにも反省も、安心も、確証もないまま、

なんの責任もとっていないうちに、

これからも責任とるつもりもないくせに、

それでも「稼働したい」としているくせに、


そっちの道理こそが通ってないのに、

どうして、「やめる」というときだけ、「完璧」を求めるのですか?




じゅうぶん想像できていたリスクを

すべて「想定外」で片付け続けてきたせいで こんな事故を起こしたのに、

なのに、まだ、

放射能による将来の影響の心配を、「まだ起こってもいない杞憂に過ぎない」

すべて「感情論」で片付けようとするのですか?



「経済」を語る者は正しくて、

目に見えない危険や不安を語るのはすべて「感情論」ですか?



今、分かってきた情報を鑑みると、(日本のマスコミは言わないけどね)

この状況で「経済」や「原発維持」を語る方が よっぽど感情的だと思うのですが?




もし、最初から、

心ある専門家が訴えていた「杞憂」を真摯に受け止めて対処していたら

こんなことにはならなかったのに、

なぜ今なお、同じ心ある専門家が懸命に警告する今後の影響を無視し続けるのですか?


その「無視続けられる心境」自体が すでに論理的でない「感情」の産物だと思うのですが?


その「心境」を、その「判断理由」を論理的に説明できないのはなぜですか?


あなた方がいってきた「想定外」も、

「あってほしくないものはありえないとして考えないことにした」結果でしたよね。


目に見えないもの、直ちに結果が出ないものはなかったことにしよう・・・

ってできる思考回路の方が、よっぽど感情的ですよね?



そして、今でも、

目に見えないもの、数字に出てこないものは、

危険すぎて計測できないものさえ「なかった」と、「心配ない」としてきましたよね。



そういう対応を見て「信用できない」と思うのが「感情的」ですか?


「こんな不安なものはやめてほしい」と思うのが「感情的」ですか?



経済至上主義のせいで原発を作ったのに、


経済至上主義のせいで原発事故が起こったのに、


経済至上主義のせいで今も被曝被害を拡散し続けているのに、


それでも「経済」を語ることが一番偉いですか?



そんな「空論」を語っている間にも、

確実に子供たちの未来が、地球の未来が汚され失われていくのに。




①からずっと言っていますが、


「原発」こそが、つじつまの合わないものだったんです。


「原発」こそが、この世でもっとも「道理」の通らないものなのです。


そんなものを固持する方こそ「感情論」だとわたしは言いたい。




放射能で冒された体で、または、

放射能で冒された遺伝子を背負った子供たちが

これからの社会を生きて支えていくのです。


その社会に、

その人たちに一番必要なのは、

経済ではなく、人としてのまっとうな暮らしです。

これ以上放射能で怯えなくていい安心な社会です。


まずは、それを用意すること、

それをなんとしてでも残すことが、われわれの使命であり、急務ではないですか?



それに、

「これまで通り」の生活をどんなに望んだとしても、

どちらにしても、こんな爛熟社会は終わりを告げる時期がきていたのだと思います。


たしかに、わたしたちは過去の人類の中で、もっとも豊かな熟した時代を生きることができた。

とくに日本は平和で豊かで他の国から見たら楽園のように映ったでしょう。


そしてわたしたちは、貪るだけ貪って、

破壊するだけ破壊し尽くして、

気がついたら地球を瀕死に追いやっていた・・・


今の人類のこの在りようは、

地球にとって悪性腫瘍か寄生虫のようなものです。

このままでは、宿主といっしょに共倒れです。


もう、わたしたちは変わらなければなりません。


たとえ他の誰ができなくても、日本人ならできると思います。


軌道修正するなら今しかありません。

軌道修正できるのは、日本しかありません。

次にもっと苛酷なシビアアクシデントがあるとしたら、

それは、もっとも可能性が高いのは、この日本だからです。


世界で、もっとも原発に適さない国、

もっとも原発が似合わない国がこの日本だからです。


それに、日本には責任もあります。

こんな事故を起こしてしまった責任です。


この状況下で、またこんなことが起きれば、

CO2だの、原油の高騰だのとは言っていられません。



放射能の影響を怖れることが「妄想」だというのなら、

わたしは、「経済」だけが頼りだと考えることも、

経済評論家や経団連のいうことを聞いてればなんとかしてくれる思ってることも

すでに「幻想」なんだと思う。

かれらこそ、あらぬ「幻想」を撒き散らしている元凶だと思う。


そもそも、

ずっと同じような、しかも上り調子で良い時代が50年も60年も続いたのは

奇跡のようなものだったのです。

歴史がそれを証明しているでしょう?



「歴史」とは、そうやって「学ぶ」ためにあるんです。

政治利用するための「ストーリー」ではないんです。

それは「プロパガンダ」であって「歴史」ではありません。

妄信的な「プロパガンダ」しか知らない人は「過去から学ぶ」ということができず、

真の発展や成長ができないのだと思います。
歴史とは、

人類が先人たちの生き様を振り返り、過去から学び、

反省を「未来に生かす」ためにあるのです。



もし、それができていたら、

世界初の原爆被害者である日本が、

こんな最悪な事故を起こさなかったはず・・・


チェルノブイリ事故の調査にあたり、研究を続けてきた日本人が、

こんなお粗末な犯罪的な事後処理をしなかったはずです。


われわれは過去から何も学んでいなかった。

何も教えられず、何も反省せず、なにもしてこなかった。


それをしっかり認めて、今度こそ学ぶべきです


あなたがそうじゃないというのなら、冷静に考えてみれば分かると思う。


もともと人類は、大きく方向転換すべきときだったのです。


すぐに変われなくても、もう、やるべき時がきていたんだと思います。



人類は、こんなことでも起きないかぎり、なかなか動き出せない生き物なんです。


でも、情けないけど、もういい加減気づきましょう。

もともと日本も、世界も、

人類はそういう大きな転換期に来ているのだと・・・


それに早く気づいて、

「経済至上主義」なんていう過去の亡霊にしがみつくより、

もっと大切なものを後世に残すべきはないかと思います。



ああ、こんなこと言うと、

すぐに「原始時代に戻るのか?」とか「戦後の貧しい社会に耐えられるのか?」

とか言い出しそうですけど、なんでいきなり極論へいくかな?


もっと冷静に想定してみてください。



原発をやめたら、即、日本が経済破滅するようなことを言われますが、

ほんとうにそうでしょうか?



まだ起きてもいない「経済破綻」をそこまで深刻に心配するのなら、

それと同時に、

それ以上の危機感で、

これから起きるかもしれない大規模自然災害へのリスクも考えるべきなのでは?


経済や生活は人の努力でなんとかなりますが、

自然は人の力ではどうにもなりません。


そちらをこそ、もっと怖れて憂慮すべきでは?


マスコミ世論は疑問です。


なぜ、どちらかが優勢になると、片方の重要性が消えるのでしょうか?


なぜ、経済を憂慮する論調に入ると、

いつの間にか経済が最優先になり、

同時に、

それ以外のリスクは心配する価値すらなくなったように語られなくなるのでしょうか?


「経済の方が大事だから」、

「その促進を妨げるものは何を言われたって切り捨てていい、考えなくていい」


・・・それが、これまでの原発推進のやり方でした。


そうやって、専門家の進言も聞かず活断層の上に次々と原発を作り、

何度事故を繰り返しても反省せず、改善せず、今回の大事故を起こしたんです。


経済、経済・・・と言ってきたから、大事なものを見落として事故が起こったのです。


かれらは原発維持を守るためならなんでもします。

なんでも言います。

なんでも無視します。


反省なんか、改善なんかしない。



情報が隠されていた頃ならいざ知らず、

これだけ情報が上がってきて、

あなたたちの言い分はすでに論理破綻しているのに、

それでもお構いなしに平気で嘘を言い続けます。


反省も修正もなしに、

判で押したような同じことを繰り返します。


そこには心どころか、思慮というものさえ感じられない。


まるでマルチのセールストークのように。

まるでどこかのプロパガンダのように。


そう、これは、

中韓人の対応と同じだと思いました。


かれらは意外と事実を知らない。

いえ、「事実」なんてどうでもいいんでしょう。


だから最新事実や最新情報や、ほんとうの世論の動きを知らない。


マスコミに上がる世論と

実際の市民の本音とでは、フジの「韓流ブーム」くらい温度差があることを。




だからね、


あまりに「考えないように」しているから、

こちらが声を荒げて訴える破目になるのです。


必死に訴えること = 感情論  ではありません。


もう一度言います。


「原発」こそが、つじつまの合わないものだったんです。


「原発」こそが、この世でもっとも「道理」の通らないものなのです。


そんなものを固持する方こそ「感情論」だとわたしは言いたい。





ウサギ    ウサギ    ウサギ    ウサギ    ウサギ  ちがう?



※ これはわたしの個人的な考えです。

わたしは専門家ではありませんので、ネットで自分が調べた情報を元に、自分の考えを述べただけです。

もし、共感を覚えた方がいらしたら、これを頭から鵜呑みにせずに、ご自分で調べてみてください。

情報が、自由に探せるうちに・・・




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アメブロにいた「うさんぽの小径」のうさんぽです。
普通の子持ちの主婦です。
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思いっきり、主婦目線、母親目線、オバサン目線でいろんな情報に感想を書いています。

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