ひだまり    今は古事記に夢中! 2012年01月

アメブロから引っ越してきた過去記事の再公開と、                       もっと日本を知るために「竹田研究会」の紹介を主にしていきます。

再 マスコミが伝えない麻生元総理の功績~第二次麻生政権希望の署名運動



「署名TV」で第二次麻生政権希望の署名運動やってます。

麻生さん支持の方 ご協力お願いしま­す。

http://www.shomei.tv/project-1828.html

携帯用 http://bit.ly/rdfcfw


企画者: がんばろう日本
提出先: 自民党
開始日: 2011年09月11日
期限: 2012年03月11日

第二次麻生内閣実現を目指すための署名です。
マスコミによる猛烈なバッシングにより潰されてしまいましたが、その政策の数々はどれも本当に日本や国民を思ってつくられたものばかり。
経済戦略、外交手腕、一国を担うリーダーとしての決断力や先見性、どれをとっても最強の総理なのです。

「日本は強くあらねばなりません」
(所信表明演説より抜粋)

日本人がマスコミに洗脳される時代は終わりました。
まさに国難の今、強く明るい日本へ飛躍するために、麻生総理の再登板が必要なのです。


 マスコミが伝えない、麻生元首相の功績 http://bit.ly/ocIyR0
    



また、並行してこちらの署名活動も行っております。

【民主党不信任案】
http://www.shomei.tv/project-1830.html

(携帯用)
http://www.shomei.tv/mobile/project.php?pid=1830

民主党政権に対する不信任案提出のための署名です。
数々の失言、失策、殺人的無作為・・・
この2年間で、どれだけ日本の国益が損なわれたでしょうか。

ネットでのリアルな声は、マスコミが報道する「支持率」にかき消されてしまいます。
今こそ、署名という形で「国民の真意」を伝えませんか?

提出先: 自民党・みんなの党を始めとする野党
開始日: 2011年09月12日
期限: 2012年03月12日


麻生内閣の功績

2008.09.29 所信表明演説 。
反日マスコミは批判したが、 櫻井よしこ氏を初めとする健全な国民は高評価
      
http://www24.atwiki.jp/free_nippon/pages/81.html

2008.10.03 「竹島は固有の領土」とする答弁書を閣議決定
      
http://www24.atwiki.jp/free_nippon/pages/82.html

2008.10.06 「麻生氏は危険な軍国主義者であり 中国様、韓国様の機嫌を損ねた 」とするNYタイムス誌の
捏造批判記事に抗議
      
http://www24.atwiki.jp/free_nippon/pages/83.html

2008.10.07 日本の不良債権処理の成功経験から、米国に対し資本注入を促すよう指示
       解説執筆中 

2008.10.10 北朝鮮経済制裁の半年延長を閣議決定
      
http://www24.atwiki.jp/free_nippon/pages/84.html  

2008.10.12 G7行動計画を支持、日本は外準活用の支援表明=IMFC  ★重要★)
      
http://www24.atwiki.jp/free_nippon/pages/85.html

2008.10.15 2年ぶりに拉致対策本部の会合を開く
      
http://www24.atwiki.jp/free_nippon/pages/86.html


2008.10.16 一次補正予算成立
2008.10.17 北朝鮮制裁の徹底を中川財務・金融相が指示
2008.10.19 安保理事国に当選。 非常任理事国としては史上最多の10回目
2008.10.25 IMFがアイスランドに緊急融資。アイスランド外相の政治顧問が「日本のおかげ」と感謝
2008.10.27 日印安保共同宣言に署名
インドと安保、経済、環境、エネルギーなど幅広い分野で戦略的協調  ★重要★
2008.10.29 朝鮮総連傘下組織を家宅捜索。税理士法違反容疑(無資格で確定申告書作成)
2008.10.31 大陸棚拡張を国連に申請決定。 日本国土の倍が新たな海底資源の採掘領域へ  ★重要★
2008.11.01 水産庁、韓国漁船の違法操業の防止強化の方針決める
2008.11.14 IMF専務理事が、麻生総理のIMFに対する資金提供・リーダーシップ・多国間協調主義を価
(英語版 )

2008.11.14 麻生首相「金融危機打開には、日本の経験が有効」とする論文を米紙に寄稿
2008.11.14 大陸棚拡張を国連に申請完了
2008.11.15 日本と世銀が途上国の銀行支援ファンド設立決定
2008.11.20 麻生首相から書状を受け、「生きていて申し訳ない」が口癖の上原さんが誇りを取り戻す
2008.11.23 日露首脳会談で、事務レベル領土交渉への反映・平和条約を要求。
露大統領「領土問題を次世代には委ねない」
2008.11.24 中国の胡錦濤国家主席との会談を通じ、金融危機での日本の存在感を内外へ印象付ける
2008.11.27 税理士法違反で朝鮮総連傘下団体元幹部を逮捕
2008.11.27 朝鮮総連傘下団体の捜査中に公妨容疑で逮捕
2008.11.27 集中豪雨被害を受けたパナマ共和国に対し緊急援助
2008.11.28 事故米不正転売の次官ら幹部25人を処分。農水相は報酬自主返納
2008.12.03 国連で日本が提出した「核兵器の全面的廃絶に向けた新たな決意」が圧倒的賛成多数で採択
2008.12.03 税理士法違反で朝鮮総連傘下団体総務部長を逮捕
2008.12.09 外務省HPの「竹島は日本の領土」という宣伝資料を10カ国に拡大
2008.12.09 豪雨による洪水被害を受けたイエメン共和国に約80万ドル(約9,000万円)の緊急無償資金協力
2008.12.13 初めて政府主催で拉致問題の集会を開く
2008.12.16 「道徳・情操教育を拡充」「教科書ページ倍増」教育再生懇 第2次報告案  ★重要★
2008.12.17 社会保障費抑制のため、年金特別会計の「埋蔵金」から1400億円程度を充当する方針を固める
2008.12.17 食品偽装業者をすべて公表するため、JAS法の運用指針を改正
2008.12.17 交付税増額分で雇用を創出するよう、地方6団体に要請
2008.12.17 公益法人から1076億円を国庫に返納させることを決定  ★重要★
2008.12.17 商店街活性化の政策ビラを配布
2008.12.18 高潮被害を受けたパプアニューギニア独立国を緊急援助
2008.12.18 ミャンマー難民約30人を2010年度から試験的に受け入れ
2008.12.18 障害福祉サービスへの報酬を2009年4月から平均5.1%引き上げ
2008.12.18 日豪の安全保障協力促進の共同文書発表。防衛協力と情報共有の促進
2008.12.18 高潮災害にあったパプアニューギニア独立国に約1,300万円相当の緊急援助物資を供与
2008.12.19 教育再生懇を再開
「理念」より「質」の点から公立学校を学力アップさせ、新たな内需喚起狙う  ★重要★
2008.12.19 改正国家公務員退職手当法が成立。
在職中の不祥事発覚で退職金の強制返納が可能に  ★重要★
2008.12.19 民主党とマルチ業界の癒着に関する中間報告。来期通常国会で追及へ
2008.12.23 パレスチナ自治区への無償資金協力「ジェリコ市内生活道路整備計画」に関する書簡の交換
2008.12.24 失業者に旧公団空き家活用 471戸・家賃2割引き
2008.12.26 コレラが流行してるジンバブエへ150万ドル(約1億6,950万円)の緊急無償資金協力
2008.12.26 社保庁のヤミ専従問題で現役・OB計40人を刑事告発  ★重要★
2009.01.02 厚労省が派遣の皆さんのため講堂を宿泊用に開放
2009.01.03 1千万ドル提供を餌にパレスチナに停戦を要請
2009.01.03 厚労省が派遣の皆さんのため旧学校施設を宿泊用に開放
2009.01.24『日中遺棄化学兵器処理問題終結』 ★重要★

(最大60兆円の血税が、中国に毟り取られる可能性のあった 遺棄化学兵器問題が実質終結した)
2009.01.25 日本の排他的経済水域(EEZ)の起点となる「国境離島」を含む無人島などの保全・活用に
本格的に取り組む。
2009.01.29 李大統領による日韓首脳会談での「慰安婦謝罪要求放棄誓約」
2009.02.06 反ダンピング関税 欧米並み 発動迅速化。
これにより、不当に安い価格で販売されている輸入品に対して国内産業を迅速に保護できるように。





 動画で見る 

マスコミが伝えない、麻生元首相の功績http://bit.ly/ocIyR0




    

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槇村さとる 「Do Da Dancin’! ヴェネチア国際編 ⑩ 」 後編

【中古】afb_Do Da Dancin'! ヴェネチア国際編 全10巻 (オフィスユーコミックス) [コミックセッ...



※※これについては、さらに詳しく書き直しましたので、
  どうぞ、こちらからお読みください。 ↓

 再 「DoDaDancin’!ヴェネチア国際編⑩ 」日本人の自由に対する誤解と偏見 ( 前篇)
 http://20120901.blog.fc2.com/blog-entry-1036.html



。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。



「DoDaDancin’!ヴェネチア国際編 ⑩」について、

じつはほんとに書きたかったことがまだ書いてなかったので、追記です。

いつも長くてすいませんっ m(__)m


この⑩巻は、

今までのバレリーナにはない、とても「人間くさい」ドラマティックな存在感が売りの主人公 桜庭鯛子が、

本命のコンクールへ向けて「白鳥」の最後の仕上げをするべく、パリオペラ座の世界NO.1 カリスマ.

ダンスールノーブル(王子様役の似合うカリスマ男性舞踊手)とペアを組むことから始まります。

そして、

初めての「個人主義」の洗礼を受け、誤解したり凹んだり、混乱しながらも、

その西欧人と日本人との間に立ちはだかる「壁」を、相手への「敬意」で乗り越えようとする鯛子・・・

パリの個人主義と鯛子の日本人としての自分らしさをどう昇華して「白鳥」を仕上げていくのか・・・


とまあ、ざっくりこんなお話です。


前の記事にも書いたいろいろ感心するエピソードや表現に彩られているのですが、

でも、感心したのはそこだけじゃない!

じつはこれを書きたくなった理由、最初に「絵がないと理解が難しい」と言ったのは、

鯛子が本場バレエの殿堂、オペラ座バレエでのレッスンで、

バレエの演技要素として必須の「マイム」を勉強するシーンのことなんです。

(「マイム」とは、セリフのないバレエで使われる、手話のように決められた仕草のことです。)


オペラ座の優等生キム(なぜか韓国名・・・)が、教師の要望に応えて

「わたし」と「あなた」というマイムを披露します。

天下の「パリ・オペラ座」バレエでどんなすごい勉強を教えてくれるのか、・・・と思いきや、

「わたし」 と 「あなた」 ですよ?  目


模範演技をしたキムに、教師はそれを完璧だと絶賛します。

そして今度は鯛子・・・

しかし、鯛子がやるマイムに教師は延々とダメだしをする。

ただ、「わたし」と「あなた」という単純なマイム(手話のような振り)に。


この「あなた」というマイムは、簡単にいえば、「相手」に手を差しのべる・・・という感じの仕草です。

対して「わたし」は自分の胸に手を当てるような仕草だと思ってください。


キムと鯛子のマイムはどこが違うのか・・・?

「完璧」と「ダメダメ」その差は一体何なのか?


それは言葉でははっきりした説明はないけれど、

先の記事の「個人主義」の概念を踏まえておけば大体理解できると思うのです。


つまり、キムは、フランス人と同じくガチガチの「個人主義」仕込みの人間だっていうこと。

対して、鯛子は ドロッドロ日本人

東京下町の商店街の魚屋で、人情たっぷりの環境で育った「異色のバレリーナ」ですから、

(バレエのような特殊世界では、ある意味我が儘で自己中でプライドの塊でないと大成しないというからね…)

なにしろ、あの「ドン・キホーテ」を「柴又の寅さんだ!」っていうヒトですもん! (こんなバレリーナ他にいたか?)

そういう、とっても日本人らしい日本人。

「じゃあ、キトリ(このバレエのヒロイン)は魚屋の娘か」 

って、すぐ理解しちゃう相手、「世界の三上」(世界的に有名な天才ダンサー)も、やっぱり日本人だけどね~


そのキムと鯛子の絶対的な違いを示唆するのに、作者は苦肉の策をほどこしています。、

キムのマイムの、「わたし」と「あなた」の間に、「カチッ」っという音がするコマが入るのです。

もちろん、実際の音ではありません。 

「切り替えスイッチ」の入る音・・・だと解釈します。


これは、「わたし」と「あなた」との「切り替え」を強調するためで、

「わたし」と「あなた」との「厳格な区別」を意味し、

「わたし」と「あなた」の世界はけっして「交わらない」もの

・・・だという感覚を強調するものだと思います。

個人主義感覚のキムは当たり前にそれを厳格に区別して表現している、ということだと思うのです。


対して、

鯛子の「それ」は、

「わたし」と「あなた」との間には「何か」がある・・・


それは、ときに、「愛情」であったり、「信頼」であったり、「尊敬」であるかもしれないが、

とにかく、「わたし」と「あなた」の間には、目に見えないものが存在し、

それによって相互は「切っても切れないもの」としてつながっている・・・


もちろん、本人はそれを意識していないかもしれない。

日本人の鯛子にとって、それは当たり前すぎて意識していないかもしれないが、

きっと、「わたし」と「あなた」の間にあるものを探すために、自分はここにいるのであって、

バレリーナとして舞台に立つのであって、人を愛するのであって、生きているのだ・・・

と、本人が意識していなくても、言葉にできなくても、鯛子の生き方はまさにそれだと思う。


それをきっと、鯛子はあまりにも無意識のうちに「自然」に表現してしまうので、

個人主義のパリではそれは理解不能であり、

それは「NON]であり、否定されるものでしかないのでしょう。


でも、鯛子は、

そんな自分とキムの差が何なのか、自分のどこを直せばいいのか?

鯛子のそれを否定する教師の意図がまったく理解できない・・・。


自分はどこが間違っているのか?

何が自分に「足りない」のか? 


その鯛子の困惑こそが、

たぶんベンゲル監督が心配するところの日本人が陥り易い「誤解」 だと思うのです。


西欧に対する「美しすぎる誤解」、日本に対する「卑屈すぎる誤解」です。


つまり、

それは、日本人が「足りない」のではなく、日本人に「欠けている」ところでもなく、

それが日本人と欧米人との決定的な「差」である、というだけであり、

けっして、日本人が間違っているわけでも、劣っているわけでもないのです。


なぜなら、ベンゲル監督が言うように、

日本の方こそが、「奇蹟のような幸福な国」なのですから。



でも、ここで鯛子が困惑するように、

初めて海外へ出て行った日本人は、まず、自分の非や足りないところを探してしまう。

実際、そうしてコンプレックスに押しつぶされてしまう人が多い・・・


この鯛子のように、才能もあって、その才能を開花させるだけの努力もできて、

そんな足りない自分を理解しようとしてくれて(そんな奇特な人はいない)、支えてくれる仲間もいて・・・

な~んていう超ラッキーな人ならいいけど、大抵の場合は挫折して劣等感だけを持ち帰ってしまいます。


そんな中で、「ヒロイン」だけは、

「自分の中の足りないもの」を見つけ、紆余曲折の末それを手に入れ、「日本人の甘え」を捨てて、

「これまでの日本的な価値観」を捨てて、もしくは変えて、壁を乗り越え「成長」して成功していく・・・


っていうのが、これまでの「サクセス・ストーリー」の常套でした。  (よね?)




でも、ほんとにそうなのかな? 

それだけなのかな?

それが真理で、それが「クール」ってことで いいのかな?


・・・と、わたしは疑問に思うのです。


わたしは最近、あることに気づいたのです。

それは、

世界でそこそこ「成功している」人は、たしかに日本のやり方を捨てて欧米のやり方に合わせた人が多いけど、

でも、世界でもトップクラスにまでなる人は、むしろ、

それを通り越して「日本人らしい」やり方で、「日本人にしかできない」やり方で成功している、

または世界一になっている、と思うのです。

違いますか?


そして、世界から賞賛され、尊敬される人もまた、

もっとも「日本人らしい」やり方で成功した人たちだと思うのですが・・・


だからね、思うのですよ、

日本に残っている、「人の情け」と書いて人情と呼ぶもの、

その、西洋人が「個人主義」と引き換えに捨て去った「情け」という財産は、もはや日本だけのもの・・・

と言ってもいいと思います。

欧米人が、もはや書物やドラマの中でしか知らない「美しい絵空事」が、

この日本では、まだ普通に 当たり前に人の暮らしや価値観のなかに生きている。


それを捨てさせようと、あんなに執拗に画策されてきたにもかかわらず、

われわれはなぜ、それを完全に手離さずにこられたのか?

それは、何度も言ってますが、

日本に封建制度という「家」を守る制度が厳然としてあったからだと思うんです。


戦後、それが戦勝国によって撤廃させられたにもかかわらず、

日本人の精神の中にしっかりと根づいていたそれは今も失われていなかった。

それは、脳ではなく、頭で解っているだけではなく、

きっと日本民族としてのDNAの中に深く刻み込まれているから失いようがなかったんだと思うのです。


そのくらい、日本人には深く馴染んだ性質であり、言葉で教える以前に持って生まれたものだと思うんです。

もちろん、それが発動されるには、日本という土壌が必要なんでしょうけどね。つまり、外国育ちじゃないことです。

「帰国子女」が日本の社会に馴染めず、結局海外に行ってしまうというのも解ろうというものです。

幼少期、成長期に「日本語で考える、または日本語で感じることの重要性」 がそれでわかります。


ともかく、

欧米から戦後「諸悪の根源」のように教え込まれてきた「封建制度」(封建社会)というもの、

それこそが、世界がその恩恵と機能をすでに失いつつある「家庭」(家族の絆)というものを築き、

その絆があるゆえに成り立つ厳しい規律遵守(しつけ)が日本人の「公徳心」を高め、

それが「種」を守り、「村」(共同体)を作り、社会を築き、日本という国家を作っている・・・
それが日本です。

「国の家」と書いて「国家」と呼ぶのも、この日本語だけです。
(※現代中国語は日本語からの逆輸入語が多い)


対して、西欧のそれは、「個人主義」を取ったために捨てざるを得なかった。

だから西欧の「家」は「個」の集まりなんです。

だから、家族は同じ家に住む必要もないし、結婚して「家」を守る必要もないし、

子供は「保護者」さえいればどこでも育つように「自立」させられるし、(週末ごとに別の保護者と過ごす 等)

だから夫婦も親子も「別姓」でいいんです。

大事なのは「個」であり、「家」や「共同体」ではないからです。


そう言うと、

「え~?欧米だって、ちゃんと結婚してる人も、夫婦別姓じゃない人もいるよ?」

って思うでしょう?

でも、よく考えてください。

そういうものを大事に「守っている」人たちは、「守るべきもの」がある人たちじゃありませんか?

端的にいえば、あり余る「財産」だとか、代々の「家柄」だとか「土地」だとか「仕事」だとか・・・

そういう「守るべきもの」を持っている「一族」の人たちは、「自由」より「伝統」(しきたり)を自ずと守りますよね?

それはどこの国でもいっしょです。


ただ、日本と違うところは、

日本では、それがどんな小さな単位の「普通の家」でも、もっといえば「粗末な家」でも、大切に守っている

ということなんです。

いえ、正確にいえば、「大切に守っている」という自覚もなく「当たり前に思っている」のです。

うっかり「反日教育」に乗せられてしまった人を除いて・・・


なにしろ、日本は「八紘一宇」の国ですから。

「皆、ひとつの家」です。

それが、日本独自の封建制度の「賜物」なのだと思います。


話を元に戻すと、

日本人に「人情」が残ったのは、封建制度という規律や戒律があったからこそ。

つまり、

「人情」とか「思い遣り」「人へのやさしさ」・・・などという「豊かな人間性」とは真逆の概念だと思われがちな

「封建制度(社会)」こそが、

欧米から失われてしまった もっとも大切な心を守っていたのだと思うのです。


厳しい規律に守られた厳格な社会があってこそ、

その中で「暗黙の了解(規律を守らなければ社会から弾かれるという恐れ)」に守られているからこそ、

人々は安心して「自己の使命」に没頭できたのです。(※下記参照)  


「やりたいこと」ではなく、「やらねばならぬこと」のために人は生きてきた。

だからこそ、

日本は今日のように文明も文化も発展でき、人間性を失わずに経済発展を遂げたのです。

家を守りながら、村や社会を守りながら。


もし、人間性を無視して経済だけ発展していたら、

もうとっくに、今の中国みたいに矛盾を抱えて破たんしているでしょう。

(あ、もう中国は破綻してきましたよ!)

そういう意味でも、

日本人の「家」を守る意識が、今日のあらゆる「日本の奇蹟」を支えてきたと思うのです。


われわれが忘れがちだったそれを、今、海外の人たちもが「尊いもの」として認識してくれたのです。


しかし、

われわれと違い、厳格な規律という「見えない契約書」を持たない人たちは、

誰が嘘をつくか、誰がいつ自分の領域を侵しにくるか、いつ寝首をかかれるか分からないので、

そういう安心感がないので、

自分の利益を守るために、「自分」と「他人」との区別をはっきりさせる必要があったのです。


「自分 」 と 「自分以外」 という、はっきりとした「境界線」がかれらには必要だったんです。


それがすべての行動原理になっている。

自分以外は基本的に信じない、お互いに信じない上での「自由」なんです。


日本だったら、「それって、泥棒の始まりじゃない?」って思いますよね?

そう思ってくれたあなたは普通の日本人です。  (^_^;)


日本の中にいるだけだと、「日本はどんどんダメダメになってきた」・・・って思うでしょうけど、

それでも、まだ欧米に比べれば、

日本は、人を信じてもいい「奇蹟のような国」なんです。



でも、実際、日本人は誤解している・・・

この鯛子のように、

自分では悟っていると思っているココのように・・・


(あああ~~、やっと話が元に戻ったぞ! (T_T;)   )


だからね、

まだ「結論」は出てないけど、

この話では、ココによって、日本人と欧米人との「けっして交じり合えない壁」を示唆され、

それを乗り越える手段として、鯛子が選ぶであろう、

相手にすべて迎合するのではなく、自分を曲げて相手に合わせる・・・のではなく、

相手への敬意を示すことで自分の信念を貫く・・・

相手への敬意を示すことで相手からの「信頼」を勝ち取り、

相手に合わせているように見せかけながら、じつは、自然と相手を自分の方へと引っ張っていく・・・

という道こそが正しいというか、

これから欧米と対等にやっていくために一番必要な大事なことだと思うし、

じつは、だ~~~れも教えてくれないことだと思うし、(この真逆のことなら教えてくれるけどねっ!むかっ

他のこれまでの「欧米至上主義」漫画 とは違うところ・・・だと思うのです。



(以前、三上の顔がこれ以上崩れる前に、さっさっと連載を終わらせろ・・・なんて言ってごめんなさいっっ!!)






う~~~~んと、 ウサギあせる 

ここまで深読みする人はいないかもしれないけど、

こんなの、わたしだけの勝手な解釈で妄想かもしれないけど、

でも、

そんなことを、こんなことまで、こんな「漫画」の中で確認できるのです。

それだけでも素晴らしいでしょ?


それほど、

日本の漫画は(作家によるけど)、「文芸」の域まで達しているという証明であり、


これこそが、

「漫画」を日本が誇る文化 と呼べるゆえんではないでしょうか?




だっから、漫画はやめられない!

漫画は子供の娯楽じゃないのよ~~~


・・・って、結論そこかよ!! って? (^_^;);;;;


やっぱり、ぜんぜんバレエの話じゃなくてごめんね~~~!! ウサギあせるあせる


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日本ほど素晴らしい国は世界中のどこにもないだろう ~ アーセン・ベンゲルhttp://20120901.blog.fc2.com/blog-entry-359.html

日本人にしかできないこと 再 「共存共栄」の思想
http://20120901.blog.fc2.com/blog-entry-295.html



「わたしをバレエに連れてって!! 吉田都の奇跡」
http://20120901.blog.fc2.com/blog-entry-109.html


吉田都のチャリティーコンサートの舞台裏
http://20120901.blog.fc2.com/blog-entry-223.html


吉田都インタヴュー ~ 「自分でない自分にはなれない」
http://20120901.blog.fc2.com/blog-entry-581.html



※※これについては、さらに詳しく書き直しましたので、
  どうぞ、こちらからお読みください。 ↓

 再 「DoDaDancin’!ヴェネチア国際編⑩ 」日本人の自由に対する誤解と偏見 ( 前篇)
 http://20120901.blog.fc2.com/blog-entry-1036.html



関連記事

槇村さとる 「Do Da Dancin’! ヴェネチア国際編 ⑩ 」 前篇

【中古】afb_Do Da Dancin'! ヴェネチア国際編 全10巻 (オフィスユーコミックス) [コミックセッ...



※※これについては、さらに詳しく書き直しましたので、
  どうぞ、こちらをお読みください。 ↓

 再 「DoDaDancin’!ヴェネチア国際編⑩ 」日本人の自由に対する誤解と偏見 ( 前篇)
 http://20120901.blog.fc2.com/blog-entry-1036.html



。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。


以前にも紹介した槇村さとるのバレエ漫画「DoDaDancin’!ヴェネチア国際編 」です。

※ 「わたしをバレエに連れてって! ~師が生徒を手放すとき 」  )


その最新刊、10巻を読んで、「これは・・・」と思うエピソードがあったのでお話したいと思います。


ただ、これは「絵」を見ないとピンとこないかもしれないのですが、頑張って説明してみます。


まず、このお話は、

今までのバレリーナにはない、とても人間くさいドラマティックな存在感が売りの遅咲きのプリマ、

主人公 桜庭鯛子が、全日本を制し、本命の国際コンクールへ向けて「白鳥」の最後の仕上げをするべく、

パリオペラ座の世界NO.1 カリスマ. ダンスールノーブル(王子様役の似合うカリスマ男性舞踊手)とペア

を組むことから始まります。

鯛子にとっては初めての海外、しかも、たぶん日本人とはもっとも合い慣れない強固なアイデンティティを持つ

フランスのパリで、早速、その「洗礼」を受ける鯛子。

しかも、最初に鯛子に洗礼を授けたのはフランス人ではなく、

奇しくもパリの日本人女性、通訳のマドモアゼル・ココだったのです・・・


ここがミソですね。 

読者の理解を助けるのに、これほど上手い設定はないでしょう。

元々日本人であり、日本人としてパリで「洗礼」を受けて挫折した経験を持ち、

日本人の感覚を捨てることでそれを乗り越えパリの感覚に馴染んだという、

日本人とヨーロッパ人との違いを頭ではなく体で分かった人間によって、それは過不足なく(ページの無駄もなく)

その「カルチャーショック」を表現し、読者に理解させ、消化することができる。

上手いな~ と感心。 ウサギ 


その「洗礼」っていうのはですね、フランス人の鉄の「個人主義」のことです。


なんてったって、ヨーロッパ人のなかでも、とくにフランスっていうのは「個人主義」の横綱。

日本人感覚では信じられないほど解放されすぎた「自由」という感覚は、

日本人が考えるような、

「自由とは権利を果たしてからこそ主張することができるもの」とか、

「他人に迷惑をかける行為や考え方は自由ではなくたんなる身勝手」

・・・な~んていう優等生的な考えは、彼らには「寝言」としか聞こえない。


だって、かれらの「自由」とは、

「自分が一番大事」 「誰も守ってはくれないから自分のことは自分で守る」

という信念から発しているものだから。


公より私、他人より自分。

だから、「自分」と「他人」、「自分」と「相手」という観念は、はっきりと「区別」されている。

その「区別」という観念だって、日本人のそれとは大分違う。

その違いを手っ取り早く言えば、「相手」とは、「自分ではないもの」・・・ということ。

       

え?  そんなの当たり前だって?

            

ううん。ちがうんです。

かれらにとっての「自分でないもの」とは、イコール「敵対するもの」「自分を害するもの」と言ってもいい。


冗談抜きで、そのくらいの感覚の違いがわれわれ日本人との間にあると思った方がいいんです。

だから、かれらの「当たり前」は、

日本人の甘っちょろい自由や個人の概念とはまるで違うんです。

日本とは、歴史も違えば成り立ちも違う。

なめてかかると痛い目に遭います。この鯛子のように・・・


でもそれって、

思い遣りで成り立つ日本社会から見たら、その「自由」のために捨て去ったものの大きさを埋めるために

さらにより「個の権利」に固執せざるを得なかったってことで、「負のラビリンス」にしか見えないんです。

その本質を知らなかった若い頃はわたしも憧れていましたけど、

でも今は、わたしとしてはな~んにも羨ましいとも、讃えるべきでもないと思います。



その証拠に、日本にきたフランス人は日本社会の在り様にびっくりすると言います。

とくに、今回の大震災のような「非常時」に証明された、日本人の真の姿に。

自分たちが持っていない、自分たちの国でも他所の国でも見たことがない「公共心」というもの、

「私より公」、「個より共」を重んじる姿を初めて目の当たりにして驚嘆したといいます。


しかも、それが命令や服従ではなく、誰に言われるのでもなく、当たり前のように振る舞うことに、

自分の要求を通そうという積極的な行動ではなく、

自分のことより、もっと困っている人を瞬時に優先して、自分の欲求を抑え、我慢し、譲り合う姿に、

しかも、それが東北人だけでなく、全国から人が集まる大都会の東京人までもが黙ってそれをする姿に。


そういう「信じられない光景」の数々を目の当たりにしたかれらは、

日本人の真のすごさ、真の強さを発見し、真の「理想的社会」を日本に見て感動したと言います。


それに感動できるということは、彼らだって、そういう行動をするのが「美しい」ということは頭では分かっている・・・

けど、

そんな「バカなこと」をする人間はフランス(ヨーロッパ)にはいない・・・ということも分かっています。

そんな日本人の「美しい姿」にどんなに感心しても、どんなに見習おうと思っても、

自国に帰ってそれをやったら馬鹿をみるだけになってしまう・・・ことも分かっているのです。

彼らは結局、個人主義という水の中でしか生きられないということも・・・。


それは何もフランス人だけじゃない。

他のヨーロッパ人も、アメリカ人も、中韓人だってそう。


あの、ベンゲル監督が

「欧州事情に疎い日本人が欧州に行ったら、精神に異常を来たしてしまうのではないか?」
と心配してくれたように、

「日本は奇跡のような国」だと言ってくれているように、

冷静な見識ある西洋人から見ても、

そのどちらが「負」であるか・・・それはシビアな現実なんです。



・・・ということを踏まえて読んでいる読者は少ないと思う。

おそらく、そこをよく分かっている作者は、

そんなお花畑を歩く日本人にも分かるように、そっとやさしく教えてくれるんです。

一度はパリで落ち込んで凹んで、セーヌへ身を投げようとしてから たくましく生き返った、

「マドモアゼル・ココ」の目線と言葉を通じて・・・



ココの友人たちの会話
「なんで日本人は自分の気分が相手に自然に伝わると思っているの?」
「日本人はエスパーなんだよ。 イシンデンシンっていうのさ」

欧米人は「相手の心を慮る」っていう行為を当たり前にできるのは
神様か聖人だって思ってるから・・・


ココの心の声

「わたしが願うような わたしにやさしい、わたしを甘やかしてくれる街 

なんて、幻想だってわかった」

「そんな都合のいい世界なんてない って現実を受け入れたの。 そしたら楽になった。」

日本で信じられてきたことが、ここでは単なる絵空事か奇蹟のようで
期待するだけ生きにくいと、諦めることを悟った。



そういうことだと思うんです。


でも、

でもね、

でも、ちょっと気になったことがあるんです・・・。


このココのように、

日本人がいきなり西欧の現実に面喰ったら、

自分たち日本人は、「やさしい社会」で「甘やかされてる」って感じるのは無理もないと思う。

たしかに、それは、日本の中にいたらけっして実感できないことでしょう。

真逆の国へ行ったから、日本から出て初めて分かることです。

だから、それはそれでとても意味のあることだと思います。

     

でも、「日本人は甘やかされてる」 ってことに気づくことだけが真実?

「西洋人から見た日本人への評価」 もっといえば、
「日本人を理解しない西欧人目線の日本への評価」それだけが真理ですか?


そこまでだったら、

それは結局、「西洋人目線」での気づき、でしかないのでは?

つまり、それは、本物の「気づき」へのスタート地点であって、

けっして「真理」への帰着点ではないとわたしは思うのです。

               

そこが、日本人が未だ「西洋至上主義」から脱却できないところであり、

あのベンゲル監督もいう、日本人の「美し過ぎる誤解」だと思うんです。


そう、表面だけ見たら、

「外国人の考え方」から見れば、たしかに、日本人は「甘やかされてる」と映るでしょう。

「自立」と「甘え」が対義語のように使われれば、

それは単純に「フランスの個人主義」VS「日本の人情」という感じで認識されることでしょう。

それがあたかも普遍的であるかのように、その固定観念が日本ではできあがっています。


でも・・・


でもね?


日本人特有の「人情」が「甘え」であると、ほんとうに一括りにしていいのでしょうか? ウサギ汗

「人情」が「人に甘えること」、「自分から働きかけないこと(人の手を待っていること)」だと定義して、

そんな固定認識してしまっていいのでしょうか?


ほんとに日本人がただ「人の情けに甘やかされてる」だけだったとしたら、

ほんとに日本人が西欧で壁にぶつかり上手く生きられない原因がその「甘え」からくるもので、

それが「他人の好意の上に胡坐をかいていただけ」という「日本人の欠点」なんだとしたら・・・


ほんとうにそうなら、

阪神淡路や東日本の大震災のときに、

世界中が絶賛して、「日本人を見直した!」「われわれは日本人気質というものを誤解していた」

「これが本当の日本人気質の凄さであり、素晴らしさだ!」

・・・と見直し、敬意まで表してくれたでしょうか?


その認識のギャップはどう説明したらいいのでしょう?



せっかく外国人が日本人を見直してくれたのに、

それなのに、まだ、

日本人は自分たちを卑下したいの?


「イシンデンシン(以心伝心)」とは、相手が自分を甘やかしてくれることを期待して黙っていること?

違うでしょう?


日本人はいつも相手の気持ちを慮って行動する・・・

「情けは人のためならず」 という言葉も、他人に対する思い遣りが前提としてあってこその話です。


それがどうして、わたしたち日本人までもが、

人への思い遣りという「人情」と、

ココが日本人の負のアイデンテティとして捨て去ったその「甘え」とを混同してしまったのでしょうか?


というか、たしかに、混同しがちなんですよね?

とくに、今の若い世代の人たちは・・・

その大代表がココだと思えばいいのかな~??


ところで、

日本がじつは、「弱者にやさしい社会」という仮面(大義名分)の下で、

強い者が弱い者を「私物化」してる・・・ってことに気づいたことがありますか?


( え~!どこまで話が飛ぶの? って思われるかもしれないけど、

 まあ、さらっと聞いといてください。(^_^;)


戦後日本に、

戦勝国の企みで、それまで封建社会の規律の中で暮らしていた幸福な日本人には無縁だったはずの

欧米の「自由主義」や「平等主義」や「人権至上主義」・・・などが津波のように入ってきました。


もしそれが「敗戦後」でなければ、日本人はあそこまで一気に迎合しなかったかもしれない・・・と思うのです。

当時の若者がほんとうに求めた自由というのは、

いわゆる「自由を縛る封建制度」からの脱却・・・という自由ではなく、ほんとうは、

戦中戦後の軍部、特高の「言論統制」による「自由」のない窒息しそうな社会から、または、

戦後の「倫理や論理の逆転」という理想の崩壊による矛盾や不条理という泥沼から自由になりたかったのでは

ないでしょうか?


そんな若者たちの 日本人らしい潔癖な心理が手伝って、

一度懐を開いてしまったが最後、外国勢力の思うがままに、あたかも、それこそが「絶対正義」のように、
それこそが「日本人に欠けているもの」だと刷り込まれ続けてきたんだと思うのです。

言葉の表面的な上辺だけを「輸入」して、
分かったような顔をした「教祖」たちに踊らされ、

それが日本人精神を腐敗させるための「呪文」だとは気づかず、
いいように洗脳され、ここまできてしまった・・・

と思うのです。



あの頃の日本人には、アメリカやヨーロッパがすべてにおいて先進的で素晴らしいものに映っていた。

日本があの戦争で果たしたほんとうの偉業や、その尊い意義は教えられず、

ただ「負けた」という現実しかなかったのだから、そんな日本人の絶望的な敗北感も手伝って、

相手の何もかもが優れていると感じてしまっても無理はないと思う。

みんながそうだとは言わないけれど、そういう心理を利用されたのは確かだと思うのです。

今まで信じてきたものが崩れ去り、自信と自尊心を奪われ、混乱し鬱々としていた当時の若者にとって、

「自分たちより優れた国」から入ってきた先進的な思想や概念に魅力を感じるなという方が無理でしょう。


しかし、それを正しく「輸入」できた人はほとんどいなかったんです。


それもそのはず、

ヨーロッパの素晴らしさは意図的な「宣伝」によるものであって、

それは、新商品を売るためのCMのようなもので、実体験からくる評価(真価)とは違ったのだから。


魅力的な言葉の、とくに扇情的ではあるけど日本人が受け入れやすい概念だけをつまみ食いして、

それを個々の思惑に合わせて都合のいい解釈に拡大湾曲し、日本人に宣伝・洗脳してきたに過ぎないんです。


もちろんわたしだって、小さい時からずっとシャワーのようにそれを浴びてきました。

「個人の自由」とか、「権利の主張」とか、「~主義」とかいうそれは、

中学生で初めて持った万年筆のように、いつも胸ポケットに入っていました。

(今の子にすれば「スマホ」のようなものかな?)   

今思えば、

わたしたちは、自分たちのサイズに合わない、根拠のない主義主張を猿真似して空回りしていただけ・・・

そして、

その結果、ただの我が儘で甘ったれた「自由人」が量産された。


それが、欧米のしかけてきた戦略だったのです。

気づく、気づかないにかかわらず、その「波」を浴びなかった日本人は一人もいなかったのですから。


でも、救われたのは、

日本が生まれたての赤子のような真っ白な状態ではなかったこと。

日本人は、西欧の国にはない、筋の通った古い古い伝統と尊い歴史を持っていたから、

「言葉」や「理屈」を超える、

畏れとか尊ぶべき、守るべきものを持っていたからです。

日本独自の封建社会が根付いていたおかげで、「個」ではなく、「家」がそれを守ってきたからです。

だから、

洗脳されても、どんな波を被っても、骨の髄まで浸食される前にそれを撥ねのけるだけの「透明の盾」

「防御システム を先人たちは持っていました。


日本人が「日本語」で考え、日本人の感性で生きるだけで、

その「防御システム」 は作動し続けるのです。



でもね、

それは日本の中にいるだけじゃ分からない。

分かるわけがないんです。日本と他の世界とは違いすぎるから。

日本の社会は、この地球上でもとても特異で、希少で、まったく別次元なものなのです。

だから、わたしは、

このマドモアゼル・ココもまた、じつは「井の中の蛙」だと感じます。


これは、所詮、

日本にいて「日本の中から世界を見た感覚」だと思うから。

つまり、日本の中の「外国から入ってきた外国の情報」・・・で認知された感覚だと思うのです。

わかります?

言い方を変えると、「外国人目線での日本人観」、

もっといえば、「外国人が日本人に与えたい情報(固定観念)」・・・だと思うんです。

わかります?


解り難くってごめんね~~~あせる


そういう意味で、彼女の「達観」にわたしは違和感を感じたのです。


だから、とくに若い読者の人たちが、これを読んで、または、途中そこだけ読んで、

「そうか~日本人ってのは甘ちゃんなんだ~ もっと自我を強くもって自立しなきゃね~」

って思うだけじゃダメなんじゃないか・・・って、

ダメっていうか、それは危険じゃないか・・・? って思ったんです。


あああ、老婆心~~~



つまり、わたしが言いたいのは、

日本人は(ただ)甘えているんじゃないのよ~ ってこと。


このココが勘違いしていたように、日本人はみんな誤解してると思う。

だいたい、

日本人の「甘え」の感覚っていうのは、とても西欧人には理解不能未知感覚のはずなんです。

それを、付け焼刃的な知識で知ったかぶりして、 (お前もだよ! って?ウサギあせる

「サムライ」や「蝶々夫人」を未だ激しく誤解したまま「直そうともしないプライド」で

勝手に解釈して日本を壟断した意見を、

そのまま当のわたしたち日本人が鵜呑みにして納得していてはいけないと思うんです。



たしかに、日本人は「自由」を誤解しています。

今になってはそれはもう「日本人の(日本的)自由」と言う感覚ですが、

そもそも外国から入ってきたとき、そのときから解釈が間違っていたんです。たぶん、恣意的にね。

その「誤解」に気づかないまま、

日本的な自由や個人という概念でそのまま西欧人の自由や個人主義を語るのは、

とても危険なことだと思うのです。


日本人の認識が甘いというのは、

日本人の人情やその基盤となる「自尊他尊の精神」を維持したままそれを求めて得られるようなもんじゃない、

ということを、


ほんとうの「自由」を謳歌するには、

苛酷な「個人主義」(排他主義)を貫く覚悟がなきゃダメなんだ!


・・・ってことを知らないまま(教えられないまま)、

「自由」=「甘えていい」と誤解(洗脳)されてきただけ・・・だと思うんです。


つまり、

ほんとに、ほんとうのこと↑を全部知らせていたら、

だ~れも 「自由」や「個人主義」を 「素晴らしい!」「先進的だ!」などと手離しで讃えなかったろうし、

高潔な賢い日本人は簡単に受け入れなかったでしょう!

・・・ということです。


そうなの。

自由の国の「個人主義」は、

ぜったいに日本社会、われわれ日本人に合い慣れないもの。

けっして、日本人には必要ないもの だと思うのです。


(パリでフランス人の中で生きて行くためには必要かもしれないけどね!)




相手を理解することと、

相手に迎合し同化することとは違う。


少なくとも、

日本人がそれを身につける必要も、

日本人がそれに合わせて「日本人らしさ」を捨てる必要もない!



だから、ココが言ってることはフランスの中での「正解」ではあるけど、

そのすべてが絶対普遍の真理ではないということ。


ココの進言は「対・個人主義」の突破口への鍵とはなったけど、

それはある意味、「相手」に対して銃口を向けることとも同義・・・


わたしは、鯛子が選んだ「相手への敬意」こそが、

「相手」と「自分」との距離を埋めるもの、真に「相手に届く」ものだと思うのです。



それが言いたかったの。 ウサギ汗  


ごめん、ぜんぜんバレエの話じゃないね・・・





長くなったので、じつはまだまだ その②へ続く・・・  m(__)m;;;


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「わたしをバレエに連れてって!! 吉田都の奇跡」
http://20120901.blog.fc2.com/blog-entry-109.html


吉田都のチャリティーコンサートの舞台裏
http://20120901.blog.fc2.com/blog-entry-223.html


吉田都インタヴュー ~ 「自分でない自分にはなれない」
http://20120901.blog.fc2.com/blog-entry-581.html



★日本ほど素晴らしい国は世界中のどこにもないだろう ~ アーセン・ベンゲル


関連記事

外国人はどのように日本が見えていたのか? ① 外国人から見た日本の姿 Ⅱ  


「外国人はどのように日本が見えていたのか? ① 
外国人から見た日本の姿 」
  の続きです。

どうぞ  からお読みください。


今、われわれ日本人が知らない ほんとうの日本
われわれ日本人が忘れかけている 本来の日本人像は、
過去の外国人による「感嘆と賞賛の記録」から垣間見ることができる。

わたしたちは、それをすっかり忘れていただけ。
いえ、あえて「教えられていなかった」だけなのです。

でも大丈夫!!

わたしたちは、それを思い出せばいいのです。
「記録」を紐解けばいいのです。

それは事実なのだから。

それは何人もの有識者が、幾重にも、異口同音に証言していることなのだから。

そして、それらの日本人としての記憶は、確かに、
わたしたち日本人のDNAの中にしっかりと刻み込まれているのですから。

主に、 当時の他の国々やどの先進国と比べても、
日本人がいかに 差別のない真の平等意識、高い公共意識(公徳心)をもっていたか
を窺い知ることができる「証言」の数々、
また、それが、諸外国とは違い、特別な地位にある人たちだけでなく、
西洋人の言うところの「下々の 庶民までもが高貴な意識を持っていた」 ということが、どれだけ外国人
にとっては驚異であり、感動的であったかが分かる「記録」、
そして、その思いもよらぬ日本国民の見識と分別と誇り高さによって、日本がいかに対外的に真摯で
高潔な行動をしてきたかがわかる証言をいくつか集めてみました。


どの言葉をとっても、
最近、「経済大国」「先進国」デビューを果たしたばかりのお隣りの国の方々に
聞かせてあげたい言葉ばかりです・・・


。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。


ぼやきぽっくりさん
http://kukkuri.jpn.org/boyakikukkuri2/log/eid387.html
 より抜粋転載~ (順不同)



■オットー・カロン
=ドイツ人。ボン大学教授

「天皇の真実」(河内正臣)より
1950年(昭和25年)のカロンの言葉

ローマ大帝国も、ナポレオンの国でさえも、一度戦いに負ければ亡びている。
私の国のカイゼル陛下にしても、また生前中は神の如く慕われていたヒットラーも、
イタリアのムッソリーニも、戦いに負けたらすべてそのまま残ることはできない。
殺されるか、外国に逃げて淋しく死んでいる。
だから
日本の天皇も外国に亡命すると思っていた。
しかし、そんなことは聞かない。だからすでにこの世におられないと思っていた。

ところが最近、日本から来た記録映画を見て驚いた。
天皇が敗戦で大混乱の焼け跡を巡っておいでになる姿である。
しかも、二年もの長い間、北の端から、南の端まで、焼き払われた廃墟を巡って、国民を慰めておられる。
陸軍も海軍もすでに解体されているのに、一兵の守りもないのに、無防備のままで巡っておられる。

平穏無事なときでも、一国の主権者が、自分の国を廻られるその時には、厳重な守りがなされている。
それでも暗殺される王様や大統領がある。
それなのに、
一切の守りもなく、権力、兵力の守りもない天皇が
日本の北から南まで、焼き払われた廃墟を巡る。国民を慰める。
何という命知らずの大胆なやり方であろうか。いつどこで殺されるか。
こう思って映画を見ていた。

しかし驚いたことに、国民は日の丸の小旗を打ち振って天皇を慰めている。
こんなに美しい国の元首と国民の心からの親しみ、心と心の結び、これはどこにも見られないことである。

われわれは改めて、日本を見直し、日本人を尊敬しなければならないと思っている。


(引用者注:昭和天皇の御巡幸は昭和21年から29年まで続き、沖縄をのぞく、全都道府県をまわられた。
お立ち寄り箇所は1411カ所に及んだ)





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■ハーバート・G・ポンティング
=イギリス人。1910年(明治43年)にスコット大佐の第二次南極探検隊に加わり記録写真を撮った
写真家。1901年(明治34年)~1902年(明治35年)来日。日露戦争にも従軍。
「英国人写真家の見た明治日本」より

プラットホームに立っていると、そこにロシア軍の捕虜を満載した列車が到着した。
乗っていた捕虜の全員が、戦争から開放された喜びで大声で叫んだり、歌を歌ったりしていた。
・・・反対の方向から別の列車が入って来た。
それは日本の兵士を満載した列車で、兵士達は前線に行く喜びで同じように歌を歌っていた。

 ロシア兵と日本兵は、お互いの姿を見るや否や、
どの窓からも五、六人が頭を突き出して、皆で歓呼の声を上げた。
ロシア兵も日本兵と同じように懸命に万歳を叫んだ。
列車が止まると日本兵は列車から飛び出して、不運?な捕虜のところへ駆け寄り、
煙草や、持っていたあらゆる食物を惜しみなく分かち与えた。
一方ロシア兵は親切な敵兵の手を固く握り締め、その頬にキスしようとする者さえいた。

私が今日まで目撃した中でも、最も人間味溢れた感動的な場面であった

(中略)
松山で、ロシア兵(捕虜)たちは優しい日本の看護婦に限りない賞賛を捧げた。
寝たきりの患者が可愛らしい守護天使の動作の一つ一つを目で追うその様子は、
明瞭で単純な事実を物語っていた。

何人かの勇士が、病床を離れるまでに、
彼を倒した弾丸よりもずっと深く、恋の矢が彼の胸に突き刺さっていたのである。

ロシア兵が先頃の戦争で経験したように、
過去のすべての歴史において、敵と戦った兵士がこれほど親切で寛大な敵に巡り合ったことは
一度もなかったであろう。
それと同時に、
どこの国の婦人でも、
日本の婦人ほど気高く優しい役割を演じたことはなかったのではあるまいか。




。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。



strong>■ファン・オーフルメール・フィッセル
=オランダ人。1820年(文政3年)~1829年(文政12年)、長崎・出島のオランダ商館に勤務。
ヤン・コック・ブロンホフ、フランツ・フォン・シーボルトの二人に仕え、江戸参府にも随行。
「日本風俗備考・1」より

日本人は完全な専制主義の下に生活しており、したがって何の幸福も満足も享受していないと
普通想像されている。ところが私は彼ら日本人と交際してみて、まったく反対の現象を経験した。
専制主義はこの国では、ただ名目だけであって実際には存在しない


(中略)
自分たちの義務を遂行する日本人たちは、完全に自由であり独立的である。
奴隷制度という言葉はまだ知られておらず、封建的奉仕という関係さえも報酬なしには行われない。
勤勉な職人は高い尊敬を受けており、下層階級のものもほぼ満足している。


(中略)
日本には、食べ物にこと欠くほどの貧乏人は存在しない。また上級者と下級者との間の関係は丁寧で
温和であり、それを見れば、一般に満足と信頼が行きわたっていることを知ることができよう。



。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。



■蔡焜燦=台湾人。実業家。少年兵募集に応募し1945年(昭和20年)1月、
少年航空兵として陸軍航空学校に入校。司馬遼太郎「台湾紀行」で“老台北”として登場。
2000年11月30日付産経新聞「産経抄」(石井英夫)より

 きのう小欄にJRの運賃誤表示の問題を書いた。社会のタガがはずれ、モラル連鎖崩壊の“終着駅”
はないのかと嘆いたところ、朝、台湾人・蔡焜燦(さいこんさん)さんからわが家に電話がかかってきた。

「いま東京のホテルで産経抄読みました。モラルの崩壊を止める“終着駅”ありましたよ。
名古屋駅です。南口で駅員さんに助けられました。うれしかったので電話してしまいました」。

二十六日のことだという。蔡さん夫妻は上りの新幹線に乗るつもりだった。

スーツケースを数個持っていたので赤帽を探したが、勝手がわからない。ようやく詰め所を見つけたが
人がおらず、列車の時間は迫ってくる。すると制服の駅員がかけ寄り、重いスーツケースを両手にもって
階段をあがってくれた。
礼をいうと、「いえ、教育が悪くご迷惑をかけてすみませんでした」と謝ったという。
急いで名前を聞くと改札係員のOさんである。
「ただそれだけのことでしたが、日本人の親切がよくわかりました。
まもなく台湾に帰りますが、鉄道のモラルいまだ滅びず、です」

蔡さんは司馬遼太郎氏の『台湾紀行』に登場する“老台北”である。
先日『台湾人と日本精神(リップンチェンシン)』(小学館文庫)という本を書いて「日本人よ胸を張りなさい」
と直言した。「自国の歴史を正当に評価し、自信と誇りをもって堂々と羽ばたいてほしい」と。


蔡さんは「台湾に“親日家”はたくさんいますが、私は“愛日家”です」という。
だが決して“媚(び)日家”ではなく、ずけずけ日本の批判もするし、日本人に注文も出す。
その厳しい愛日家は電話口でうれしそうに名古屋駅をほめた。こちらもうれしくなった。



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■廬千恵(ロー・チェンフィ)
=台湾人。児童文学者。1955年、国際基督教大留学のため来日。
夫とともに台湾独立運動にかかわり、92年まで帰台できなかった。

産経新聞2007年6月19日付
【「話の肖像画」セピアに光る ふたつの故郷(3)廬千恵さん】より

廬千恵
「日本では最近、不平等が広がっている、二極化が進んでいるといわれています。
中国や韓国からはバッシングを受けることも多いですね。
しかし、この半世紀にわたって民主的で平等な国であり続けた。
台湾もまた、民主化されて平等になりました。

台湾の人々は、アジアでは日本と台湾だけが平等な国だと思っています。
だから、自信を持ってほしいです」


--台湾には、日本に親しみを感じてくれる人が多いと聞きます

廬千恵
「勤勉で誠実な日本人の精神が好きだと思う台湾人が多いのではないでしょうか。
確かに統治時代には威張っていた日本人も多かったが、台湾人の側に立ってくれた人も多くいました。
戦後になって日本の統治時代を懐かしみ、「リップンチェンシン(日本精神)」という言葉ができたくらい
なんです」



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■エドワード・シルベスタ・モース
=アメリカ人。明治10年代に計3回日本に滞在。東京大学で生物学を講じた。大森貝塚を発見
「日本その日その日1」より

 世界中で、両親を敬愛し老年者を尊敬すること、日本の子供に如(し)くものはない。


「日本その日その日2」より

 日本人は確かに児童問題を解決している。
日本の子供ほど行儀がよくて親切な子供はいない。
また、日本人の母親ほど辛抱強く愛情に富み、子供につくす母親はいない。




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■氏名不詳(インド 地下鉄公団総裁)

「とてつもない日本」(麻生太郎)前書きより

 平成十七(二〇〇五)年の暮れ、外務大臣としてインドを訪問する機会があった。
首都ニューデリーに滞在中、できたばかりの地下鉄を視察したのだが、
この時インドの方々からうかがった話が今でも忘れられない。

この地下鉄視察が日程に組み込まれたのは、日本の政府開発援助(ODA)を使って建設されたもの
だからであった。
私たちが訪ねた駅には日本とインドの大きな国旗が掲げられており、日本の援助で作られたということ
が大きな字で書いてあった。
改札口にも大きな円グラフが表示され、「建設費の約七十パーセントが日本の援助である」と分かるように、
青で色分けしてあった。

その配慮に感激し、私は地下鉄公団の総裁に御礼の言葉を述べた。

すると、逆にこんなふうな話をしながら、改めて感謝されたのである。

――自分は技術屋のトップだが、最初の現場説明の際、集合時間の八時少し前に行ったところ、
日本から派遣された技術者はすでに全員作業服を着て並んでいた。
我々インドの技術者は、全員揃うのにそれから十分以上かかった。
日本の技術者は誰一人文句も言わず、きちんと立っていた。

自分が全員揃ったと報告すると
「八時集合ということは八時から作業ができるようにするのが当たり前だ」といわれた。
悔しいので翌日七時四十五分に行ったら、日本人はもう全員揃っていた。
以後このプロジェクトが終わるまで、日本人が常に言っていたのが「納期」という言葉だった。
決められた工程通り終えられるよう、一日も遅れてはならないと徹底的に説明された。

いつのまにか我々も「ノーキ」という言葉を使うようになった。
これだけ大きなプロジェクトが予定より二か月半も早く完成した。
もちろん、そんなことはインドで初めてのことだ。
翌日からは、今度は運行担当の人がやってきた。彼らが手にしていたのはストップウォッチ。
これで地下鉄を時間通りに運行するよう言われた。
秒単位まで意識して運行するために、徹底して毎日訓練を受けた。
その結果、数時間遅れも日常茶飯事であるインドの公共交通機関の中で、
地下鉄だけが数分の誤差で正確に運行されている。これは凄いことだ。

我々がこのプロジェクトを通じて日本から得たものは、資金援助や技術援助だけではない。
むしろ最も影響を受けたのは、働くことについての価値観、労働の美徳だ。
労働に関する自分たちの価値観が根底から覆された。
日本の文化そのものが最大のプレゼントだった。
今インドではこの地下鉄を「ベスト・アンバサダー(最高の大使)」と呼んでいる――。


私はこの話にいたく感銘を受けた。

地下鉄建設に携わった
日本人技術者たちの仕事ぶりそのものが、優れた外交官の役割を果たしたのである。

彼らはなにも、よそ行きのやり方をやって見せたわけではない。
いつものように、日本で普通に行なっているスタイルで仕事をしたに過ぎない。
しかしそれが、インドの人々には「価値観が覆るほどの衝撃」だったのだ。




。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。




ここまでは、戦前や、そのもっと前、開国当時やそれ以前のものまで含んでいたのに対して、
最近の日本(戦後の日本政府)の姿勢に対して、のやや辛辣な声を並べてみました。
しかし、その『批判的な声』は、
昨今耳にタコのお隣の国のような根拠もない一方的な非難や謂れのない蔑みではありません。

特筆すべきは、感じ取っていただきたいのは、
過去の「素晴らしい日本」を知る外国人たちの、
今の「情けない日本」に対する厳しい視線、「ガッカリ」感が伝わってくる厳しい進言、苦言、
そしてその声が、
真剣に、心から、日本を心配し、日本人に成り代わって危機感すら感じて
「日本よ、目を覚ませ」と、多くの方々が叱咤・激励している記録です。




■サンパス将軍
=インドネシア人。元復員軍人省長官。東欧大使を歴任。
「祖国と青年」1994年2月号
『アラムシャ陸軍中将の大東亜戦争肯定論』(中島慎三郎)より

 平成3年、村山首相がASEAN諸国を謝罪して回った時、
インドネシアの元復員軍人省長官で東欧大使を歴任したサンバス将軍は
「日本の戦争目的は 植民地主義の打倒であった。
その目的の大半は達成したが、南アフリカ、アジアにまだ(課題が)残っている。
そんな時に行った村山演説は、植民地主義打倒の悲願を放棄したことになる。
村山さんは日本の果たしてきた歴史を踏まえ、
A・A(アジア・アフリカ)の悲願を代表して、まだ残る植民地主義を攻撃すべきであった。
かつての日本は、スカルノ、ハッタ、バー・モウ、ラウレル・アキノ、汪兆銘、チャンドラ・ボース等を
応援したのに、たった一度の敗戦で大切な目的を忘れてしまったのは遺憾である
となげいていた。




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■アラムシャ陸軍中将
=インドネシア人。インドネシア大統領特使として1993年(平成5年)7月、来日。

「祖国と青年」1994年2月号
『アラムシャ陸軍中将の大東亜戦争肯定論』(中島慎三郎)より

平成5年7月、インドネシアのアラムシャ陸軍中将は大統領特使として来日しました。
その時福田元首相や塩川自治大臣(当時)などと会見し、大東亜戦争について
「大東亜戦争が長引いたばかりに労務問題などで、ご迷惑おかけしました。」
と述べると
「とんでもない。むしろ大東亜戦争を途中でやめたことが残念であったと思ってる。
あと5年はやるべきであった。これは私だけの意見ではない。
アフリカに行けば、みんなから聞く意見だ。中東に行けばみんなから聞く意見だ。」

「どういうことですか?」
「なぜアフリカがあんな状態なのか。
我々と同じく40数年前に独立すべきであったがそうできなかったからだ。
あそこ はオランダ人とイギリス人とユダヤ人が握っているから、どうしようもない。
もし日本があと5年大東亜戦争を続けていたならば恐らく中東まで進出していただろうから、
中東諸国ももっと早く独立できたであろうし、日本軍の大変な勢いがアフリカにも伝わって、
アフリカ諸国もインドネシアのようにもっと早く独立で きただろう。
そうすれば、南アフリカも現在のように苦しまずに済んだはずなのだ」

とアラムシャ陸軍中将は語りました。


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■N・ヤルマン
=トルコ人。大学教授。

「中央公論」1998年5月号
「アジアの知識人は日本をどう見る」より

アジアにおける支配の歴史というマイナスの面があるため、日本人は沈黙しがちです。
しかしもう話すときがきた。
南アジア諸国は、日本のおかげで現在自由があることを認識しなければならない。
そうでなかったら今でもフランスやオランダやイギリスに支配されている。



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■W・リム
=シンガポール人。大学教授。

「中央公論」1998年5月号
「アジアの知識人は日本をどう見る」より

日本は、西洋的なやり方でなく、独自のやり方で近代化を成し遂げた国であることを認識すべきです。
だがアジア諸国はこのことを認識していない。
日本がそれについて話をしないからです。



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■ノーマン・メイラー
=アメリカ人、作家。

「プレイボーイ」日本版1999年10月号より
中国系アメリカ人作家アイリス・チャンの「ザ・レイプ・オブ・南京」がベストセラーになった理由について

 アメリカ人にはヒロシマに関して深い罪の意識がある。
だから、日本人が1937年に南京で中国人にひどいことをしたと耳にすると、ほっと安堵するのだ

それにしても、これまで南京虐殺なんて聞いたこともなかった。
少なくともこの50年間は。それがいま突然話題になった。


(中略)
まあ、日本に対する敵意というのは確かにある。
いや、多くのアメリカ人は反日的なものを見たいのかもしれない。
次の世代はアジアが支配するのではないかという恐怖心が隠されているからだ。


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子供たちにぜひ聞いてほしい 日本の話


★「海賊と呼ばれた男」のモデル 出光佐三が亡くなったとき、昭和天皇が初めて
 一般人に向けて歌をお詠みになった


大日本帝国が世界で初めて提案した『人種差別撤廃案』

★左翼教育はなぜ これを日本の子供たちに教えようとしないのか?

★日本人に謝りたい  ~ あるユダヤ長老の懺悔(ざんげ) ~  ①

★「立派な天皇」は国民の鑑である ① 


★青山繁晴氏が 在米中韓人に虐められている日本人の子供たちに語ったこと・・・

★ねずさん・小名木善行先生の他とは違う 『 従軍慰安婦・南京大虐殺の嘘を暴く話 』















原発をやめられない本当の理由 ② もしも 日本に原発がなかったら・・・


関連記事

外国人はどのように日本が見えていたのか? ① 外国人から見た日本の姿 Ⅰ  


外国人はどのように日本が見えていたのか?


今、われわれ日本人が知らない ほんとうの日本、

われわれ日本人が忘れかけている 本来の日本人像は、

過去の外国人による驚愕と感嘆の記録から垣間見ることができる。



わたしたちは、それをすっかり忘れていただけ。

いえ、教えられていなかっただけなのです。



でも大丈夫。


わたしたちは、それを思い出せばいいのです。

「記録」を紐解けばいいのです。


それは事実なのだから。


それは何人もの有識者が、幾重にも証言していることなのだから。



そして、それらの日本人としての記憶は、

わたしたち日本人のDNAの中にしっかりと刻み込まれているのですから。





主に、 当時の他の国々やどの先進国と比べても日本人がいかに 差別のない
真の平等意識、高い公共意識(公徳心)をもっていたかを窺い知ることができる「証言」の数々。
また、それが、諸外国とは違い、特別な地位にある人たちだけでなく、
彼等のいうところの「下々の 庶民までもが高貴な意識を持っていた」 ということが、外国人にとって
どれだけ驚異であり、感動的であったかが分かる「記録」、 そして、
その思いもよらぬ日本国民の見識と分別と誇り高さによって、日本がいかに対外的に真摯で高潔な行動
をしてきたかがわかる証言をいくつか集めてみました。


どの言葉をとっても、
最近、「経済大国」「先進国」デビューを果たしたばかりのお隣りの国の方々に
聞かせてあげたい言葉ばかりです・・・


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ぼやきぽっくりさん
http://kukkuri.jpn.org/boyakikukkuri2/log/eid387.html
 より抜粋転載~ (順不同)



■イザベラ・バード
=イギリス人。当時の女性としては珍しい旅行家で、1878年(明治11年)以降、日本各地を旅した。
「日本奥地紀行」より

ヨーロッパの多くの国々や、わがイギリスでも地方によっては、外国の服装をした女性の一人旅は、
実際の危害を受けるまではゆかなくとも、無礼や侮辱の仕打ちにあったり、お金をゆすりとられるので
あるが、ここでは私は、一度も失礼な目にあったこともなければ、真に過当な料金をとられた例もない。

群集にとり囲まれても、失礼なことをされることはない。馬子は、私が雨に濡れたり、びっくり驚くことの
ないように絶えず気をつかい、革帯や結んでいない品物が旅の終わるまで無事であるように、細心の
注意を払う。

(中略)
私は日本の子どもたちがとても好きだ。私は今まで赤ん坊の泣くのを聞いたことがなく、
子どもがうるさかったり、言うことをきかなかったりするのを見たことがない。
日本では孝行が何ものにも優先する美徳である。何も文句を言わずに従うことが何世紀にもわたる
習慣となっている。
英国の母親たちが、子どもを脅したり、手練手管を使って騙したりして、いやいやながら服従させる
ような光景は、日本には見られない。

 私は、子どもたちが自分たちだけで面白く遊べるように、うまく仕込まれているのに感心する。
家庭教育の一つは、いろいろな遊戯の規則を覚えることである。規則は絶対であり、疑問が出たとき
には、口論して遊戯を中止するのではなく、年長の子の命令で問題を解決する。
子どもたちは自分たちだけで遊び、いつも大人の手を借りるようなことはない。


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■アリス・ベーコン
=アメリカ人。1881年(明治14年)来日。華族女学校(後の学習院女学校)の英語教師として活躍。
「明治日本の女たち」より

平民階級を語る上で忘れてならないのは、その多くを占める職人である。
日本が芸術や造形、色彩の美しさを大切にする心がいまだにある国として欧米で知られて
いるのは、彼等の功績である。

職人はこつこつと忍耐強く仕事をしながら、芸術家のような技術と創造力で、
個性豊かな品々を作り上げる。
買い手がつくから、賃金がもらえるから、という理由で、見本を真似して同じ形のものや
納得できないものを作ることはけっしてない。
日本人は、貧しい人が使う安物でさえも、上品で美しく仕上げてしまう。

一方、アメリカの工場で労働者によって作り出されるあらゆる装飾は、
例外なくうんざりするほど下品である。

(中略)
もちろん、日本の高価な芸術品は職人の才能と丁寧な仕事をよく体現している。
しかし、私が感心したのはそのような高級品ではなく、どこにでもある、安い日用品であった。
貴族から人夫にいたるまで、誰もが自然のなかにも、人が作り出したものにも美を見出し、
大切にしている。



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C・P・ツュンベリー =スウェーデン人。

医師・植物学者。ケンペル、シーボルトと並んで「出島の三学者」と謳われた。1775年(安永4年)来日。

「江戸参府随行記」より

地球上の民族のなかで、日本人は第一級の民族に値し、ヨーロッパ人に比肩するものである。

・・・

その国民性の随所にみられる堅実さ、国民のたゆまざる熱意、そして百を超すその他の事柄に関し、

我々は驚嘆せざるを得ない。

政府は独裁的でもなく、また情実に傾かないこと、

・・・飢餓と飢饉はほとんど知られておらず、あってもごく稀であること、

等々、これらすべては信じがたいほどであり、

多くの人々にとっては理解にさえ苦しむほどであるが、

これはまさしく事実であり、最大の注目をひくに値する。

(中略)

日本人の親切なことと善良なる気質については、

私は色々な例について驚きをもって見ることがしばしばあった。

それは日本で商取引をしているヨーロッパ人の汚いやり方やその欺瞞に対して、

思いつく限りの侮り、憎悪そして警戒心を抱くのが当然と思われる現在でさえも変わらない。

国民は大変に寛容でしかも善良である。

(中略)

正義は外国人に対しても侵すべからざるものとされている。


いったん契約が結ばれれば、ヨーロッパ人自身がその原因を作らない限り、

取り消されたり、一字といえども変更されたりすることはない。



・・・・・・・・・・



バジル・ホール・チェンバレン =イギリス人。

1873年(明治6年)~1905年(明治38年)、日本で教師として活躍。

「日本事物誌1」より

日本人の間に長く住み、日本語に親しむことによって、この論文の後半において簡単に述べた最近の戦争や、

その他の変化の間における国民のあらゆる階級の態度を見ることができたが、

これらの外国人すべてに深い印象を与えた事実が一つある。

それは、日本人の国民性格の根本的な逞しさと健康的なことである。


極東の諸国民は――少なくともこの国民は――

ヨーロッパ人と比較して知的に劣っているという考えは、間違っていることが立証された。


同様にまた、異教徒の諸国民は――少なくともこの国民は――

キリスト教徒と比較して道徳的に劣っているという考えは、誤りであることが証明された。

過去半世紀間、この国のいろいろな出来事を充分に知ってきたものは誰でも、

ヨーロッパの総てのキリスト教国の中に、

日本ほど前非を認めるのが早く、あらゆる文明の技術において教えやすく、

外交においては日本ほど率直で穏健であり、

戦争に際しては、これほど騎士道的で人道的な国があろうとは、とうてい主張できないのである。


もし少しでも「黄禍」があるとするならば、

ヨーロッパ自身の良き性質にもまさる さらに高度の良き性質を、

その新しい競争相手が所有しているからにほかならない。



このように驚くべき成果が生じたのは、

日本人が苦境に立たされていることを自覚し、断乎として事態を改善しようと決意し、

全国民が二代にわたって熱心に働いてきたからにほかならない。

(引用者注:「黄禍」=19世紀半ばから20世紀前半にかけて、アメリカ・ドイツ・カナダ・オーストラリアなど白人国家において、アジア人を蔑視し差別する「黄禍論」が現れた)






「日本事物誌2」より

絵画や家の装飾、線と形に依存するすべての事物において、日本人の趣味は渋み―の一語に要約できよう。

大きいことを偉大なことと履き違えているこけおどし、見せびらかしと乱費によって美しさを押し通してしまう

ような俗悪さなどは、日本人の考え方のなかに見出すことはできない。

(中略)

金持ちは高ぶらず、貧乏人は卑下しない。

実に、貧乏人は存在するが、貧困なるものは存在しない。


ほんものの平等精神が(われわれはみな同じ人間だと心底から信ずる心が)

社会の隅々まで浸透しているのである。

ヨーロッパが日本からその教訓を新しく学ぶのはいつの日であろうか――


かつて古代ギリシア人がよく知っていた調和・節度・渋みの教訓を――。

アメリカがそれを学ぶのはいつであろうか――


その国土にこそ共和政体のもつ質朴さが存在すると、私たちの父祖達は信じていたが、

今や現代となって、私たちはその国を虚飾と奢侈の国と見なすようになった。

それは、かのローマ帝国において、道徳的な衣の糸が弛緩し始めてきたときのローマ人の、

あの放縦にのみ比すべきものである。
しかし、

日本が私たちを改宗させるのではなくて、私たちが日本を邪道に陥れることになりそうである。


すでに上流階級の衣服、家屋、絵画、生活全体が、西洋との接触によって汚れてきた

渋みのある美しさと調和をもつ古い伝統を知りたいと思うならば、今では一般大衆の中に求めねばならない。




・・・・・・・・・・・・・・・



エドワード・シルベスタ・モース =アメリカ人。

明治10年代に計3回日本に滞在。東京大学で生物学を講じた。大森貝塚を発見。

「日本その日その日1」より

外国人は日本に数カ月いた上で、徐々に次のようなことに気がつき始める。

即ち彼は日本人にすべてを教える気でいたのであるが、

驚くことには、

また残念ながら、

自分の国で人道の名に於いて道徳的教訓の重荷になっている善徳や品性を、

日本人は生まれながらに持っているらしいことである。

衣服の簡素、家庭の整理、周囲の清潔、自然及びすべての自然物に対する愛、

あっさりして魅力に富む芸術、挙動の礼儀正さ、他人の感情についての思いやり・・・・

これ等は恵まれた階級の人々ばかりでなく、最も貧しい人々も持っている特質である。

こう感じるのが私一人でない証拠として、我国社交界の最上級に属する人の言葉をかりよう。

我々は数ヶ日の間ある田舎の宿屋に泊まっていた。

女の一人が、我々のやった間違いを丁寧に譲り合ったのを見て、この米国人は

「これ等の人々の態度と典雅とは、我国最良の社交界の人々にくらべて、よしんば優れてはいないにしても、

決して劣りはしない」

というのであった。

 



・・・・・・・・・・・・・



レジナルド・カーニー =アメリカ人。 

歴史学者。黒人学専攻。ハンプトン大学助教授。

「20世紀の日本人-アメリカ黒人の日本人観 1900~1945」(1995年発行)より

第一次大戦が終わると、ヨーロッパの戦勝国は世界の秩序をもとに戻そうとパリで講和会議を開いた。

それぞれの国にはそれぞれの思惑があったが、一致していたのは、日本とアメリカからの申し入れには

耳を傾けよう、という姿勢だった。

ウィルソン大統領は、世界秩序回復のための十四カ条を手に、パリに乗り込んだ。

彼がまず唱えたのは、国際法と国際秩序の確立であった。

日本の代表団は、ウィルソンが出せなかった十五番目の提案を持って講和会議に出席した。

「わが大日本帝国は国際連盟の盟約として、人種平等の原則が固守されるべきことを、ここに提案する」

これこそが、いわゆる十五番目の提案であった


……人類平等の実現をめざしていた日本と、そうでなかったウィルソン、

その差がここに出たといってもよいだろう。

もし日本のこの十五番目の提案が実現されていれば、

アメリカ黒人にとって、おもしろいパラドックスが生じていたかもしれない。

……アメリカ黒人がほかの連盟国の人間と同じように、民主的に扱われるためには、

アメリカ以外の外国に住まねばならなかったはずである。

そんなパラドックスが生じていたかもしれないのだ。

……「おそらく世界で最も有望な、有色人種の期待の星」、それが日本であるという確信。


日本はすべての有色人種に利益をもたらすという確信があったのだ。

それは、たとえ一つでも、有色人種の国家が列強の仲間入りをすれば、

あらゆる有色人種の扱いが根本的に変わるだろうという、強い信念によるものだった。


……全米黒人新聞協会は、次のようなコメントを発表した。

「われわれ黒人は、講和会議の席上で、人種問題について激しい議論を闘わせている日本に、

最大の敬意を払うものである」

「全米千二百万の黒人が息をのんで、会議の成り行きを見守っている」。

(引用者注:日本が提出したこの「人種差別撤廃法案」の投票結果は賛成17、反対11であったが、委員長を務めていたウィルソンが、かような重要案件は全会一致でなければいけないとして、不採択を宣言した)



・・・・・・・・・・・・




キャサリン・サムソン =イギリス人。

外交官の夫と1928年(昭和3年)~1939年(昭和14年)東京で暮らした。

「東京に暮す 1928~1936」より

日本人とイギリス人の基本的な類似点は

派手よりは地味を好むこと、静かで落ち着いた態度を好むということです。

そうでないイギリス人もたくさんいますが、私たちが理解し尊敬する性質や行動の基準と、

日本人がよいと考えるものはとてもよく似ているのです。

 ギリス人が地味な服装を好むということは、イギリス人の性格を考えると納得がいきます。

特に優秀な人は別として、イギリス人は謙虚さを好み、理想とします。

従って自慢とか、謙虚さの無い知識のひけらかしを嫌い、そういう人たちを信用しません。
この傾向は日本人になるともっと強くなります。

だから自慢したり威張ったりする日本人に会うと、私たちの方が驚いてしまいます。

日本人は非常に謙虚な国民で、慎み深い振舞いや言葉遣いがすっかり身についています。

彼らも他の国民のように誇り高いのですが、自慢することを嫌います。


日本人としての誇りを持ち、かつ外国人から学ぼうという謙虚な姿勢のために、

日本は今日の世界の中で重要な位置を占めるようになったのです。




・・・・・・・・・



フランク・ロス・マッコイ陸軍少将 =リットン調査団のアメリカ代表。

「朝鮮新話」(鎌田沢一郎)(昭和25年発行)より
 1932年(昭和7年)に宇垣一成・朝鮮総督に語った言葉


自分は昨夜来東洋における一つの驚異を発見した。

それは、今回の長い旅行における大きい収穫であつた。

同時に、自分の今日までの研究不足をしみじみと愧(は)ぢている。

何であるかといへば、朝鮮に対する全般的な認識の相違である

吾々は、朝鮮といふ所は、地理的には大体満州の延長であるから、

相変らず匪賊(盗賊)が横行し、産業も振るはず、赭土(あかつち)色の禿山の下で、

民衆は懶惰(らんだ)の生活を送つてゐるものとばかり思つてゐた。

然るに

列車が一度鴨緑江の鉄橋を越ゆるや車窓に隠見する事々物々、皆吾々の予想に反し、

見渡す山河は青々として繁茂し、農民は水田に出て、孜々(しし)として耕作に従事し,

平壌その他工業地帯の煙突は活発に煙を吐き、

駅頭に散見する民衆は皆さつぽりした衣服を纏(まと)い、

治安はよく維持せられていて何ら不安はなく、民衆は極めて秩序正しく行動し、

且つその顔に憂色がなく、満州に比べて実に隔世の観がしたのである。

これはとりもなほさず、貴国の植民政策が妥当であつて、

歴代の総督が熱心に徳政を施された結果であることを卒直にお歓びすると同時に、

今後における吾々の朝鮮観を根本より改めるであらう。






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子供たちにぜひ聞いてほしい 日本の話


★「海賊と呼ばれた男」のモデル 出光佐三が亡くなったとき、昭和天皇が初めて
 一般人に向けて歌をお詠みになった


大日本帝国が世界で初めて提案した『人種差別撤廃案』

★左翼教育はなぜ これを日本の子供たちに教えようとしないのか?

★日本人に謝りたい  ~ あるユダヤ長老の懺悔(ざんげ) ~  ①

★「立派な天皇」は国民の鑑である ① 















原発をやめられない本当の理由 ② もしも 日本に原発がなかったら・・・


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