ひだまり    今は古事記に夢中! 2012年06月

アメブロから引っ越してきた過去記事の再公開と、                       もっと日本を知るために「竹田研究会」の紹介を主にしていきます。

神話を学ぶ意義 その2 「時じくの香の木の実」 山岸涼子がこだわる「古事記」の世界 

       



先の記事「神話を学ぶ意義」 を書いていてふと思い出したのですが、そこに、

「昔は古事記で学んだことを、今の子供たちは、アンパンマンなどの絵本で正義や勇気を学ぶ・・・」

ということを書きましたが、忘れていました! 

絵本もさることながら、

日本には「漫画」という素晴らしい文化があったということを!


そう、絵本は子供時代だけのものですが、漫画は、日本の漫画は大人になっても読まれます。

むしろ、ジャンルによっては、大人のためのバイブルや哲学書にすらなる作品もある。

それは、日本の漫画は娯楽にとどまらず、文芸の域に達するものもあるからです。

(ま、そうじゃなくても大人は読みますが…)


そこですぐ思い出されたのが、この 山岸涼子 の「青青(あお)の時代」を始めとする数々の作品です。

じつは、山岸涼子って、和洋問わず、神話を題材にした作品がとっても多いのです!


すぐ分かるだけでも、次に挙げるとおり。


<日本の神話>

「青青の時代」 「月読」 「肥長比売」 「ヤマトタケル」 「水煙」 「天沼矛」 

「木花佐久夜卑売」 「蛇比礼」 「時じくの香の木の実」 「蛭子」 「千引きの石」  

「天鳥船」 「神入山」 「常世長鳴鳥」 

・・・など。


<ギリシャ・エジプト神話など>

「パエトーン」 「キルケー」 「黒のヘレネー」 「グール」 「バンシー」 「スピンクス」 

「メデュウサ」 「ウンディーネ」 「ハーピー」 「ツタンカーメン(封印)」 「イシス」

「ハトシェプスト」 「メディア」 ・・・など。 


こうして書き出してみて、ほんと、あらためて思います。

どうして山岸涼子はこんなに神話ネタにこだわるのか!!


その謎、知ってる人、います? ( ご存じの方、ご一報ください m(__)m )


ほんとに、多いです。

しかも、彼女の場合、ただの「神話を紹介する作品」ではまったくないし、

大河ドラマみたいに、歴史上の特定人物に焦点をあてた、

新しい解釈も入ってはいるが基本は史実に基づいた作品・・・というわけでもない!

(西洋・エジプト神話に関してはそれに近いものが多いですが)


扉絵の次頁に神話の一節が書かれてなかったら、きっと、

誰もこれが神話を元にしているかなど、神話からヒントを得ているかなど、

ぜったいに分かりようがない!  というものばかりです。


「月読(つくよみ)」とか「木花佐久夜卑売(このなはのさくやひめ)」とか「ヤマトタケル」とかの

題名からしてそれと分かるものは別として、

他の作品も普通の題名とはだいぶ違う時代がかった異質のものを感じさせるけど、

でも、扉をめくった中身はほぼ現代の物語だし、よほど記紀に精通していない限り、

(記紀に詳しくても、漫画表現に詳しくなければまた難しいかも…)

言われてみないとこれが「古事記」の一節を元に膨らませた話だとは誰も思わないのではないでしょうか?

(ギリシャ、エジプト神話に関しては、その神話の時代が舞台になっているものも多い)

(※ 「記紀」・・・「古事」「日本書」の略称)



ただ、こうして見るとわかるように、

これだけ数多くの作品、しかも、数だけでなく、その取組みのこだわりようというのは、

特殊なんではないか? と思わざるを得ません。

これだけ揃ってたら、たまたま・・・なんてことはないでしょう。


「古事記」の時代にまで遡らなくても、あの一世を風靡した「日出処の天子」もまた、

飛鳥時代というかなり古代の物語ですが、

あの超絶的な解釈と世界観・・・からすると、「単なる歴史好き」などでは測れないものがあります。

どっちかといえば、ほとんど「哲学」の域ですからね。

(新事実発掘や新解釈(正しい見識)を世に呈したのは、歴史学者ではなく、「哲学者」の方でしたね。)


そういえば、

歴史ものを題材にするのを好む作家の代表(勝手に決めてます!)の木原敏江 が、

以前、なにかの対談で、

「なぜか、歴史上の人物が夢枕に立って何か伝えようとしてくる・・・。

それははっきりはしないんだけど、目が覚めるとなんだか無性にそこ(その資料があるところ)に

行きたくなる・・・」 

みたいなことを言ってました。

すると、対談相手のどっかの寺の住職さんか誰かが、

「それは、きっと、その人があなたに自分の思いを描いてほしいと訴えているんですよ。

そうやって、あなたはその人たちを供養しているんですね。」 

と答えていたのを覚えています。


それを聞いてわたしは、

そうか、きっと、その人物は、後世の歴史の中で語られている自分について、

「ほんとはそうじゃない」 とか、「そんな風に伝わって皆が信じているのは悲しい」「悔しい・・・」

と思っているので、未だ心安らかに成仏できていなくて、

それで、もっとも自分の感性に近い「表現者」を選んで、夢枕に立って、

「ほんとのことを書いてくれ~」 「ほんとの気持ちを代弁してくれ~」って訴えて、

その思いが叶うとやっと満足して成仏していったのかもしれない・・・

そうか~ 

漫画家や小説家っていうのは、そういう役目も負ってこの世に存在しているんだな~  

と、妙に納得したものです。


・・・と、考えると、

この山岸涼子も、そういう表現者として、『歴史から選ばれた一人』 なのかもしれませんね?



山岸作品については、

以前にもバレエ作品の「アラベスク」 「テレプシコーラ」

また、ギリシャ神話と原発事故をモチーフにした「パエトーン」 や、

それについての山岸氏と萩尾氏の対談  などを出しましたが、

上にあげた神話をモチーフにした作品で、とくにわたしが好きな作品というと、

あらためて作品名を聞いて思い出すのはやはり、「古事記」を題材にした

「時じくの香の木の実」です。


これは、「古事記」の中の垂仁(すいにん)天皇の逸話が元になっています。

垂仁天皇は、不老不死の妙薬といわれる「時じくの香(かぐ)の木の実」
(時を定めずしていつも黄金に輝きよい香りを放つ木の実)を入手するため、
田道間守(たじまもり)を常世(とこよ)の国(外国)に遣わします。


田道間守は船出して常世の国(外国)に向かい、万難を排してその実のなる木を手に入れ、

なんと10年ぶりにやっと帰国したところが、垂仁天皇はすでに崩御された後でした。

間守は、その木の一部を皇后に献上すると共に、残りは天皇の御陵のほとりに植え、

嘆き悲しんでいるうちに亡くなったとあります。

間守の墓は天皇陵近くの小島にあります。

西洋では、ガリラヤで「ナザレのイエス」が生まれた頃のお話です。


この「時じくの香の木の実」とは、「タチバナ ()」のことで、

日本に古くから野生していたとされる日本固有の柑橘(カンキツ)

・・・つまり、「みかん」です。

柑橘は、その実もさることながら、通年変わらず葉が緑でよい香りを放つことから、

そういう謂れができたのでは と言われています。


左近の桜と右近の橘というのを聞いたことはありませんか?

お雛段を飾る時、かならずありますよね。

あの黄色い実の成っているのが「橘」です。

これは、平安京(今の京都御所)の紫宸殿にあるものです。

神話の言い伝え通り、そこにあるということなのでしょう。


その垂仁天皇はなんと153歳! (『日本書紀』では140歳)で崩御されたと記されています。

つまり、「長寿」を望んだとき、すでに143歳・・・

といって、そこで、

「なんでそんな長生きしてまで、まだ不老長寿を望む??」

・・・と思ってはいけない!


だって、もし、その天皇の「わがまま」(勅令)がなかったら、

橘の木はここになかったかもしれないのです。


日本中どこでも誰でも、下々の庶民でも手軽に食べられる

ビタミン豊富で、風邪や万病予防にもなり、虫除けにもなって、美容にも良くて、

その実も皮も葉も、いろいろな薬効で重宝な「みかん」を

後世の人たち、つまりわたしたちの先祖はまだその恩恵を知らなかったかもしれないのです。


そりゃあ、今のような流通も通信も便利な世の中なら簡単なことですが、

当時、そんな立派な船もなし、まして鉄道もなし、通信手段もまったくない、そんな時代では、

外国のものを手に入れるのも、たとえそれが日本のどこかにひっそりあったとしても、

それを探し出し、持ち帰り、普及させることがどれだけ困難なことか・・・


それこそ、命がけです。 


それに命をかけるだけの価値があったと思えたのは、
それに命を懸けられたのは、
それは、「天皇の望み」だったから、

「勅命」だったからそれを可能にしたのです。


そう考えると、
本当は、天皇はたんに自分の長寿のためにそれを欲したのではなく、

民にはそれが必要だと考えたからそれを欲したのではないでしょうか?


実際、そのおかげで、恩恵に預かった民はその後大勢いたはずです。

今日のわたしたちまで。


「神話」の解釈って、ただ表面だけ見てるといけません。

なにしろ、わたしたちの先人は、

できるだけ少ない文字数で、できるだけ短い文章の中で、

ありとあらゆる深~い意味と「悟り」を封じ込める天才!! ・・・だったのですから。


なにしろ、「和歌」や「俳句」を考案した人たちですからね!!



しかし、

それをただの「美談」にして終わらないのが、山岸涼子の世界観です。


この山岸作品「時じくの香の木の実」は、

「特殊な方法」で選ばれた巫女の予言の力に依って、代々の権力と繁栄を築いてきた一族の話です。

あるとき、本家の娘と妾腹の娘が不思議な木の実を食べさせられます。

「この実を食べた一方だけが、永遠の命を授かる」と言われて。

選ばれて、神と通ずると思われた「生き残った」娘を、「口寄せ」の巫女として一族は重用します。

が、ほんとうに「永遠の命」を授かったのは「選ばれなかった」死んだ方の娘・・・だった。

一族は、そんな体のない未来を見る娘と、

自分は未来は読めないが予言の言葉を聞くことができる娘の二人の託宣の力で栄えていく。


生き残って巫女として生きる娘は成長し、大人の女になっていく。

しかし、死んでほんとうに「神」(と通ずること)になった娘は、まともな成長はしない。

巫女の娘は生身の体があるゆえ次第に女の性にも目覚めていくが、

「神」となった娘はそんな「穢れ」を嫌う。


体を持たない娘は、ずっと子供のまま・・・。

いくら永遠に生きても、人間社会と隔絶された世界に生きる娘は、

ただ「未来」を見て、「予言」を授けることはできても、人の心や道を知る術はない。

「道理」も「哲学」も学ばない。

中身は未熟で本能に忠実な子供のまま。

子供と言うのは、原始的な欲求に純粋に素直に正直であるから、時に「きまぐれ」である。

そしていつか、

その思慮の浅はかさが、おおいなる「災い」を呼ぶことになる・・・

そんな作品です。



それがどうして「みかん」の話に通じるの? 

って思われるかもしれませんが、

わたしはこれは、例の「パエトーン」 にも通ずる話だと思います。 (勝手な解釈ですよ~)


古来より、時の権力者たちは、「不老不死の霊薬」を追い求めてきました。

様々なかたちでその夢物語が作られてきました。

が、未だにそんなものは実際に出現していないし、

将来、発明または発見されるかどうかも分かりません。

というか、

そんなもの、ほんとうにあっていいのかどうか・・・


だって「不老不死」っていうのは、

人間の欲、しかも、我欲・・・「自分さえよければ」という発想の大代表みたいなものですよね。

金と権力を手に入れた者の大半は、もともと強欲で人なんか信用していない。

「心」より大事なものを追い求めているのですから、

いつまでたっても満たされない、淋しい、悲しい生き物です。


それは「見果てぬ夢」・・・だからこそ価値があるのであって、

ほんとに現実にそんなものを手に入れてしまったら人間はどうなるのか・・・


永遠の命を手に入れることが、ほんとうにそんなに幸せなことなのか?

永遠に生きなければならない底なしの悲哀と孤独は、

たとえば映画「インタヴュー・ウィズ・ヴァンパイア」を見れば少しは理解できるでしょう。

人に心や感情があるかぎり、それは、人としての幸福にはなり得ないということを。


だから、現実にそんなものは存在しない。

なぜなら、それは「自然の摂理」に反することだから、


神がもともと与えていないものは、

「存在しない方がいい」もの・・・なのではないでしょうか?



日本人は、昔から、それを知っていたのではないでしょうか?
自然の理(ことわり)に反すれば、現実に歪み(不幸)を発生させることになるということを。

もしかしたら、「古事記」は、それをこそ伝えたくて、
つまり、
田道間守が持ち帰った時、天皇がすでに崩御していた(天皇はそれを手にすることがなかった)
・・・というのは、それは、
天皇個人のために献上することが目的(結果)ではなかった・・・ということを
暗に示唆していたのではないでしょうか?

「人(自分)の欲」からではなく、「民を思う心」から発したことならよかったが、
それを「我欲」によって、「自分さえよければ」という発想で使うから災いが起きてしまう・・・


「自然の理」から外れようとしたため「現実」が歪み、
そのしっぺ返しは自分にだけでなく、
我欲に満ちた人間世界全体にも及ぶかもしれない・・・



そんな畏れを忘れた人間への返礼(しっぺがえし)を予期して表わしたのが、

あの 「最後の一頁」 だったのではないか・・・? 

と思うのです。









気になる方はぜひ読んでみてください。










「神話を学ぶ意義」
http://20120901.blog.fc2.com/blog-entry-821.html


日本人は自分のことを良く知らない ~
http://20120901.blog.fc2.com/blog-entry-558.html


可愛い子には旅をさせましょう 
http://20120901.blog.fc2.com/blog-entry-143.html


再考 建国記念 日 
http://20120901.blog.fc2.com/blog-entry-184.html


国歌斉唱時の教員起立義務づけ条例案 に思うこと
http://20120901.blog.fc2.com/blog-entry-287.html



<よく分かる 古事記と日本人についての講義 >
http://www.youtube.com/watch?v=2R63xtmtnUg


<『古事記完全講義』DVD PR動画>
http://www.nicovideo.jp/watch/1362032321


日本人必見!!
「なぜ日本人が古事記を読まなければならないか?」が解ります!!
 一家に一枚座右の銘に。

古事記完全講義 入門編 DVD ~ 竹田恒泰
http://www.amazon.co.jp/dp/B008RWOBSK


「全国のホテルに古事記を置こう!」プロジェクト
http://www.takenoma.com/kojiki1300.html


竹田研究会とは
http://www.takedaken.org/guidance.html


そもそも竹田恒泰って何だ? という方 → 「竹田研究会入門編①」

関連記事
スポンサーサイト

神話を学ぶ意義


「神話を学ぶ意義」   ねずさんの記事より抜粋転載~
http://nezu621.blog7.fc2.com/blog-entry-1522.html


「歴史は学ぶためにある」というのが、私の持論です。
そこで今日は「歴史を学ぶには、まずその背骨となる神話を学ばなければならない」
ということについて書いてみようと思います。

戦後教育では、日本史は「旧石器時代」「縄文時代」「弥生時代」「古墳時代」から始まり、
神話はまったく無視されています。

神話の時代は、記紀よりもむしろ支那の書物に日本がどう書かれているかが問題にされ、
卑弥呼や邪馬台国などに注目と関心が集まっています。

このように書くと、多くの方は「神話というのは、物語であって歴史ではない」とお答えになります。
それが間違いなのです。
なぜなら、
神話の理解なくして、その後の日本の歴史が「なぜそうなったのか」を知ることができないからです。

一例を申し上げます。
これは上智大学の渡部昇一先生が書かれていることです。
引用します。

~~~~~~~~~


たとえば、藤原氏と天皇家との関係である。

ご存じのように、藤原氏は平安時代に栄華を極め、藤原道長(九六六~一〇二七)のごときは
三代の天皇の外祖父(母方の祖父)にもなった。
しかしそれくらいなら「なぜ自分が天皇になってしまわないのか」という疑問が生まれる。
その根拠が神話にあるのだ。

藤原家の先祖は、天児屋根命(あめのこやねのみこと)である。
天児屋根命は、天照大神(あまてらすおおかみ)が天の岩戸にこもってしまったときに、
岩戸の前に祝詞(のりと)をあげた神であり、天孫降臨のときには瓊瓊杵尊(ににぎのみこと)に
付き従ってきた神でもある。

つまり、神話の時代から藤原氏は天皇に仕える家であると決まっているのである。

その意識があるから、藤原氏の権勢がいかに強大になろうと、自分は天皇になろうとしない。
自分の娘を天皇の后(きさき)にするのが精いっぱいなのである。

また、武家として最初に日本を治め、守護・地頭という日本支配の制度を敷いた源頼朝も、
ほかの国ならば当然、新しい帝王として君臨するはずだが、
日本の場合、そうはならない。
第五十六代清和天皇(在位八五八~八六七)から分かれた源氏(清和源氏)の嫡流である頼朝には、
神話時代から続いている皇室の系図に対し、
「自分は天皇家の皇子の子孫であるから本家を侵してはならない」
という意識が働くからである。

その後の日本の政治の実権を握った足利幕府にも、豊臣秀吉、徳川家康にも、
その意識は脈々と引き継がれていくのである。

このように、神話というものがなければ、日本の歴史の背骨にあたる部分は変わっていたはずだ。
日本では歴史時代の人々も、神話を意識し、その流れにしたがって行動していた。
そのことを忘れてはならない



~~~~~~~~~

神話は「歴史を学ぶ際の背骨」であるというのが、この渡部教授の論説からもわかります。
では、そもそも神話とは、どういう意味を持ったものなのでしょうか。
私は、それは「日本人としての価値観の源泉」であると思っています。
何が正しくて、何が間違っているのか。
人はどうあらなければならないのか。

昔の日本人は、日本の歴史を築きましたが、私達もまた、未来の日本人からみれば
「過去の時代を築いた人たち」です。
そしてその日本人の歴史の中心にある価値観の核をなしているのが、
私は神話ではないかと思っているのです。

神話は、もともとは口伝です。
親から子へ、子から孫へ、孫からひ孫へと、長い年月をかけて語り継がれてきた物語です。

日本では、いまから1万6500年前という途方もない昔の世界最古の土器が見つかっていますが、
土器があるということは、社会的分業があり、集落が存在し、言語があったという証拠です。
縄文時代は、いまから1万8千年前から3千年前までの約1万5千年続いた時代です。

記紀の成立までは約1万7千年。
ひとつの世代が交替するのがおよそ25年とすると、1万7千年は680世代が交替したことになります。
親から子へ、子から孫へ、680世代にわたって語り継がれた物語が神話です。

物語としての神話は、実は私たちが知るより、もっともっと数限りなくたくさんの物語があったかも
しれません。
けれどその中で、世代を超え、長い年月を越えて生き残り、ついには成文化されたのが、
私たち日本の神話です。
昨日今日できたものではないのです。

そしてその神話という物語が、
私たちの日常の全ての活動における価値観の源となっています。

ですから、幼いころに日本神話を学ぶこと、
あるいは日本の歴史を学ぶ際の冒頭に神話を学ぶことは、
人としての価値観や、日本の歴史における様々な事件や出来事の理解に欠かせないものとなるのです。

スサノオは、地上に降り立ったとき、八岐大蛇を退治して少女とその両親を救いました。
もしこの物語が、少女だけを救う物語だったら、どうでしょうか。
美しい女性を守るために戦うという物語は、世界中に数多くあります。
けれど、日本神話では、少女だけでなく、少女を失いたくない両親までも一緒に助けています。

これは単に、自己の欲望のために女性を助けるということに価値観を見出すのではなく、
家そのものを守ることで、その家に受け入れられ、妻を娶(めと)るのが正しい道であることを
教えてくれています。
これが日本人の価値観です。
男女の恋を、単に当事者となる男女だけの問題とはせず、
家としてのお付き合いまでを含む家族としての交際としているのです。

イザナキは、亡くなった妻を黄泉の国まで連れ戻しに行きました。
けれど黄泉の国で、死んだ妻の腐乱死体を見てしまいます。
恐怖にかられたイザナキは、驚いて逃げ出しました。
ようやく地上に出たイザナキは、比良坂の大穴の前で、
妻のイザナミに「私は一日に千五百の産屋を建てよう」と約します。

亡くなった者は、もはや子をつくれません。
生きているから子を産める。
だから生きている者にとって、子供こそ大事だという教えでです。

もし、この比良坂での対話がなければ、
単にイザナキ、イザナミだけの愛の物語となってしまう。
子をつくり、育て、子孫の繁栄を願うという価値観と、
自分の恋心や異性への欲望の充足だけの物語とは、
その背骨になっている価値観がまるで異なります。

大国主は、若い頃はいわゆるパシリでした。
徒党を組んだ兄たちにさんざんイジメられたのです。
けれど、彼は優しい心を失わず、兄たちが笑い者にした因幡の白兎を助け、
その後も兄たちに何度も死ぬほどの辛い目にあわされるけれど、
「母や女性たちの愛」に支えられることでいくども蘇り、最後には大いなる国の主となります。

この物語は私たちに、
世の中には徒党を組んで人をいじめる馬鹿者がいることをまず教えてくれています。
そして同時に、どんなにつらいことがあっても、くじけずに生きることを教えてくれます。

もし大国主が、産まれたときから全ての力を持つスーパーマンだったなら、
人は身分出自や力さえあれば、どんな欲望でも叶えられる、という
まったく異なる筋書きとなります。

けれど日本神話は、
一番苦労した者こそが、多くの人の上に立つ資格を持つのだと教えています。
だからこそ、
身分の高い者は常に誰よりも苦労し、いかなる中傷にも耐えて、努力をし続けなければならない
という、「二二六事件」のとき、陸軍幼年学校校長だった阿南惟幾大将は次のように語りました。

「どのような忠君愛国の赤誠も、その手段と方法とを誤れば、
大御心に反し、ついには大義名分さえも失うこととなる。
本気で憂国の情があるならば、
先ずもって自己の本分に邁進しなければならない。」
                 
この言葉は、人は誠実に自己の本分に邁進すれば、必ず大御心に赤誠が通じる、という
大国主の神話が原点となる思想ということができます。
政治云々をする前に、日頃、自己の本分をしっかりと果たすこと。
どんなに辛いことがあっても、人の上に立つ将校であればなおのこと、常に誰より苦労し、
明るく努力をし続けなければならないと説かれています。

二二六事件で決起した青年将校たちの思いは、痛いほどわかります。
彼らの行為のやむにやまれぬ気持ちも、よくわかる。
けれど、それでもなお、
人として果たすべき役割を、日頃からきちんと果たして行くことの重要性を説かれたとき、
私たち日本人は、ぐうの音もでなくなります。
それは、日本神話から脈々と貫かれている日本人の価値観の背骨に、触れることだからです。

こうした日本人の価値観の源泉となるものが、日本神話といえます。
そして私たち日本の「歴史」は、その「価値観の上に築かれた物語」です。

ですから歴史を学ぶことは、
結果として「日本人としての価値観を学ぶ」ことになるのです。

ところが,
戦後日本の学校教育は、歴史を「単なる暗記科目」にしてしまいました。
年号や事件名、人物名を丸暗記するだけの授業です。
おもしろくもなんともない。
なぜおもしろくないのか。
そこに「人」がいず、価値観という背骨を失っているからです。

戦後の国史教育は、教科書の始めに書かれていた神話の項目を削除しました。
その結果、歴史教科書は、価値観という背骨を持たない、無味乾燥なものとなってしまったのです。

そして神話を知らない世代は、たとえば源義経の物語を観たり読んだりしても、
そこに単なる戦いのドラマだけしか見ることができない。
信長、秀吉、家康三代の平和への道筋を読んでも、そこに戦いのドラマしか観ることができない。
日本の歴史の背骨にあたる価値観を持たないからです。
その価値観を持って、それらの歴史を見直すと、単なる戦いのドラマだけではない、
もっと深い、人々の感傷を読むことができます。
感動が違ってくるのです。

私たちは、もういちど日本の神話を取り戻すことで、
日本の誇りある伝統や歴史を「感じる」ことができるようになるのだと思います。

私達はそのために、価値ある歴史教育を取り戻したいと思っています。




。。。。。。。。転載おわり


先の皇室問題の記事でも触れましたが、(天皇、皇室についてのさまざまな誤解について
戦後の日本の教育では、「神話」を一切教えません。

教えるといっても、ただ名称と誰が編纂しただの、いつ完成しただの・・・という確認だけです。
(712年・・・「ナイフで切り貼り古事記の編纂」 と覚えたな~)

そう、ただの暗記項目でしかなかった。
その内容、そこから学ぶべきものを一切公教育は教えてきませんでした。

戦前は「古事記」「日本書紀」の内容についても教えていましたし、
学校に上がる前から絵本やお話で親しんできました。
たとえば、今の子供たちが「アンパンマン」の絵本で勇気や友情を学ぶように、
昔の子供は、「スサノオ」や「ヤマトタケル」の武勇伝に心弾ませていました。

わたしも、祖母の家の仏間に、お釈迦様の絵本とともに、
「いなばのしろうさぎ」の絵本があったのを記憶しています。
(まさかそれが日本の神話とも知らずに・・・)

家庭や学校教育でももちろんですが、巷でも、
古事記や日本書紀の中の逸話が訓示や例え話に普通に出てきてもおかしくありませんでした。
それは国民の間の「共通概念」として共有されていたからです。

今の若者がたとえば入社式で古事記からの引用で話されても、にわかに理解できないでしょう。
すでにそれが共通概念ではなくなってしまったからです。
悲しいことです。

たとえ子供の頃は本当の意味が分かっていなくても、
社会に出てから、ちょうど「論語」が語られるように、
訓示や教訓に神話の逸話が使われることで、あらためてその真意に気づくことができたでしょう。

それは国民が、その概念を共有していたからなのです。
西洋の「聖書」のように。

でも今は、「論語」をかじる学生や大人はいても、日本の古事記を知る学生はほとんどいない。
日本の神話=「古事記」だと答えられる子供がどれだけいるでしょう?

国語の中に「漢文」もあるのに、そこで「漢詩」や「論語」を教えているのに、
なぜ、日本の「古事記」「日本書紀」を教える単元がないのか?

このままでは、将来、「古事記」を知る日本人が皆無・・・になるでしょう。


「古事記」は、この日本がどのように作られているか、
また、どのようにして人々は生きるべきか、という、
慎みや、勤勉さや、思いやりや、正義や、自尊他尊の心や、弱き者を労わり、貴いものを尊ぶ心、
そういう日本人の生きる道を指し示す尊い智慧や教えが織り込まれているのです。

そんなすばらしい教材をなぜ使わないのか?

日本人はそんな古くから、人としての尊い教えや、
物理的、科学的に適った知的な教えを説いた素晴らしい文献を残していたことを、
なぜ子供に「誇らしく」教えないのか?

それは戦後、GHQによって、
「日本人の公徳心を育てる教材は一切削除せよ」 という命令により、
古事記も、あの「稲村の火」 の話なども、小学校の教科書から削除されたからです。

戦勝国が日本人に「教えないようにした」・・・それはつまり、
それが日本人にとって大切なものだと分かっていたからです。

日本人のあの凄まじい勇気と正義感と愛国心の源であったと、
そう見抜いていたということです。
それをまず、叩いておくべきだ、と。

アメリカは、開国前からずっと日本を研究してきました。
日本の植民地化を目指して。
だから、まずそれに目を付けたのは当然です。
昨日今日、日本を研究し始めていたら、そんな的を得た対応をすぐにはできなかったでしょう。

当時の日本人は、敗戦国の倣いで、選択権や拒否権を奪われていました。
しかし、もう、今はその気になればできるはずです。

日本の神話は、独自のもので、お隣りが文句をつけにくる謂れもないですし、
(いや、これまでのことだって謂れはないんですけどね!)
このまま捨て置いては、確実に次世代には神話の伝承が途切れてしまいます。

教科書への復活がすぐ実現できないとしても、
われわれ大人の方から、「古事記」「日本書紀」について興味を持ち、
さりげに、なにげに家の本棚にそういうものがあれば、
こどもは自然に目にして手に取るかもしれません。

学校で試験用の暗記物としていやいや脳にインプットする前に、
これが自分たちの民族のルーツの話だと、
日本人は、こんな太古の昔からすばらしい公徳心を教える「バイブル」を持っていたんだと、
一度耳元でささやいてやってください。

無理に押し付けなくても、子供は意外と「置いてあるもの」から何でも吸収してくれます。


「当たり前にそこにある」 それが大事なことだと思います。






※この↓記事の内容に関係する話として、この日本の神話の話を出しました。
「天皇、皇室についてのさまざまな誤解について 」



大国主(オオクニヌシ)は日本最初のイジメ被害者だった


竹田研究会入門④「古事記入門 Ⅰ」古事記を読むまで死んではいけない!
竹田研究会入門⑤「古事記入門 Ⅱ」「古事記」は選んで読むべし!


★国歌「君が代」は 日本人の心 そのもの・・・


誰も知らない「日本国憲法」の真実 ①「国民主権」ってほんと?
誰も知らない「日本国憲法」の真実 ② 日本国憲法は破棄してはいけない!!



関連記事

学校では教えてくれない 本当の江戸社会と江戸日本人のすごさ! 



教科書が教えてくれない江戸社会の真実です。

どうぞ、時間をとってゆっくりお聞きください。

今まで自分が聞いてきた日本人、信じてきた日本人というものが、
いかに誤りであったか!!  が分かります。

テレビドラマに出てくる江戸社会の表現は「意図的な脚色」が入っています。
現代の日本人にそう思わせたいという意図が入っています。

つまり、GHQが用意したシナリオ、中国朝鮮が目を光らせている「教科書」の内容から
逸脱しないようになっているのです。
日本人がそんなに素晴らしかったということを
強調して表現してはいけないことになっているのだと思います。
ありもしない素晴らしさを、誇大妄想全開で描く韓国ドラマとは対照的です。

日本は、あったはずの素晴らしさも、
あまりに抜きん出ていた優秀さも、
けっして表現できないことになっているのです。
日本のマスコミは日本人のものではありませんから。

でも、これがわれわれ日本人の真実です。

誤解だらけの江戸時代!
誤解だらけの日本人観!!

これを聞いて、われわれの真実を取り戻しましょう。



江戸の心と人間教育(陽明学研究家;橘一徳氏) vol.01




江戸の心と人間教育(陽明学研究家;橘一徳氏) vol.02
「江戸しぐさ」は、「思いやり」 「ボランティア」概念が必要なかった日本人




江戸の心と人間教育(陽明学研究家;橘一徳氏) vol.03
じつは外交が上手い日本人! 西洋人に恐怖感を持たなかった日本人




江戸の心と人間教育(陽明学研究家;橘一徳氏) vol.04
5歳から入塾、幼児教育、女子教育に厚く、「悟り」を教える日本人 
じつは西洋人よりスキンシップの多かった日本人




江戸の心と人間教育(陽明学研究家;橘一徳氏) vol.05
15歳で森羅万象を悟らせる日本  ハリスも心配した開国





歴史ミステリー 江戸は世界一




↑ を全部聞いてから、ここを ↓ を読んでね。


いかがでしたか?

今まで習ってきた江戸社会、自分が思い描いていた日本人とは、
ぜんぜん、
まったく違っていたのではありませんか?

教科書では教えてくれないでしょう?
学校の副教材でも、子供の伝記でも、こんなこと教えてくれなかったでしょう?

これは、隠されてきたことだからです。
日本人に、知らせないように、知らせないようにしてきたからです。
戦後の「政策」のおかげでね。

でも、
これが、われわれ「日本人」の本来の姿だったんですよ。

これがわれわれ日本民族のルーツであり、素地であり、
それは、最近うっかり忘れていただけで、
まだまだわたしたちの心の奥底ではそれは残っていると思うのです。

だから、今、
外国の人たちは、日本人の真の姿を見て驚き賞賛しているのです。


江戸時代といえば、やっと戦国時代が終わって平和がきて、
徳川の治世の中、さまざまな文化が花開いた時期です。
でも、
そのすぐ前はずっと乱世だったんですよ?
戦が終わったからって、すぐにこんな知性や公徳心が生まれますか?

つまり、日本人には、もともそそういう素地があったのです。
江戸時代には、それが「整った」形として花開いたのであって、
もともとそういう民族性だったということです。

なにしろ、西洋で産業革命が起こる千年も前に、
天皇や貴族といっしょに、平民の歌が同じ「歌集」(万葉集)に載るような国なのですから!
(いや、これは、ものっ すごいことなんですよ!!)
ですから、
江戸時代に日本に来た外国人を蒼ざめさせたのも分かります。

そんな日本人が「変わって」しまったのは、「明治」からです。
「明治維新」は「文明開化」と習いますが、
あれは、野蛮な西洋文化が日本の高尚な文化を侵食して汚しに来た・・・
というのが本当です。

それは、当時日本にいたイギリス人教師、チェンバレンもこう著してします。
「日本が私たちを改宗させるのではなくて、私たちが日本を邪道に陥れることになりそうである。
すでに上流階級の衣服、家屋、絵画、生活全体が、西洋との接触によって汚れてきた。
渋みのある美しさと調和をもつ古い伝統を知りたいと思うならば、今では一般大衆の中に
それを求めねばならない。」
 と。

「開国」によって、日本人は本来の日本人らしさを失っていきました。
それは、敵外国の政略にのって奪われてしまったのです。
それこそが「開国」の目的だったのです。

もし、あのとき開国していなかったら・・・、
かれらの意図によっての開国でなかったら、
日本人は、もっと、もっと素晴らしい、
今とは違った意味での高度な日本文化や産業、技術を発展させていたかもしれません。

少なくとも、
このような人間性豊かな日本人は、
けっして、けっして、
原発、核開発などに手を染めることなどなかったと、わたしは信じます。


ハリスも言っています。
「開国は、こんなに豊かで幸せな日本人にとって、ほんとうにいいことなんだろうか?」 
と。
皆、知っていたんです。
自分たちがこれから日本をどう変えていこうとしているのか・・・
心ある外国人たちは、それを心密かに憂いていたのです。

でも、目的は遂行されていった。
かれらが見聞きした報告を元に、日本改造計画が進められました。
当初の思惑とは大分手順の変更を迫られて・・・

あのままの日本人だったら、
とても白人からの支配を受けることはできなかったからです。

江戸文化を見た外国人は、
とても白人が日本人を支配できるとは思えなかった。
こんな自尊他尊の貴い精神を持つ民族を支配してきたことなどなかったからです。

「植民地」支配される民族に、
そんな高尚な社会性は邪魔でしかなかったからです。

だから、日本人から誇りや貴い心を奪うために、いろんな画策をしてきたんです。
今日まで。

かれらは日本を開国し、
西洋かぶれにして誇りを奪い、感性を汚し、
戦争に引きずり込み、
卑怯な手段を使ってでも立ち上がれなくなるまで叩きに叩いて、
自信を失い、絶望的に打ちひしがれた日本人にして、やっと、
そこまで追い込んで、やっと、かれらは日本を支配できると思ったのです。

けれど、
おそろしいほどの立ち直りで日本は復興と発展を遂げてしまった。

それが「日本人」だからです。

だから日本人は真におそれられている。
だからその手を緩めることができなかった。

だから日本人の自信になることは、けっして言わない、教えないのです。

おそろしい相手だから、徹底的に叩き、蔑むのです。
日本人に植え付けたマイナスイメージはみんな「嘘」です。

叩いても、貶めても、
反省し、自信を失っても、それでも日本人は這い上がってくる・・・
だから、
もっと、もっと、強力に、徹底的に日本人を洗脳し続け、
自分たちが作った偽の固定概念の中にずっと日本人が住んでいるように監視してきたのです。

アメリカは姑息で卑怯だから、表面上は日本と親密関係を装っていますが、
人一倍劣等感と差別意識の強い民族に汚い仕事は全部下請けさせているのです。



・・・というわけで、

今まで教えられてきた「日本人像」は嘘ばっかり!!

これがほんとの日本人です。
それだけは、確信を持っていただきたい。


日本人には「ボランティア」なんて言葉は要らない!
とってつけなくても、思いやりが当たり前の常識だった社会だったのだから。
(外国では、思い遣りは特別なことで当たり前じゃないから別概念が必要だっただけ)
それは震災のおかげで今や世界中の人たちが知っています。

日本の本来の幼児教育は、人の生きる道、「悟り」を教えることだった。
現代のように「打算的」に英語を教えても、中身がスカスカでは意味がない!
外国語と言語野の異なる日本語は、「母語」として確実に定着させてからでないと、
プラスになるどころか、日本人にとってはマイナスにしかななりません!
素人考えで下手に幼児に外国語を入れてはいけません。
「日本語」という、世界で唯一の特有な言語に、わたしたちはもっと誇りと自信を持つべきなのです。

インターネットでの使用言語で、日本語は英語に次いで世界第二位だということをご存じですか?
日本人の人口比を考えたら、これはすごいことですよね。


さあ、
もし、まだ上の動画を見てない人がいたら、上に戻って、じっくり聞いてみてくださいね。
ぜったい見てくださいね!


あらためて考えさせられます。
日本人ってすごい・・・!!



※ じつは、先の数学の話も、元素モデルの話もですが、
ここに↓ 書いたことにちょっと関係することだったのでこの動画を紹介しました。

日本人は、けっして、「迷信」や「精神性」だけで生きてきた民族ではありません!
科学的にも数学的にも優れ、そして文芸的にも優れていた上に、
世界一の公徳心や人間性を誇る民族なのです。




<参考記事>

「可愛い子には旅をさせましょう」
http://20120901.blog.fc2.com/blog-entry-143.html  


日本ほど素晴らしい国は世界中のどこにもないだろう ~ アーセン・ベンゲル
http://20120901.blog.fc2.com/blog-entry-359.html

うまし国 言霊の国 の日本
http://20120901.blog.fc2.com/blog-entry-412.html

「世界のトヨタと真央ちゃんが教えてくれたこと」 
http://20120901.blog.fc2.com/blog-entry-886.html


『再 日本人の「共存共栄」の心』
http://20120901.blog.fc2.com/blog-entry-833.html


日本人は自分のことをよく知らない
http://20120901.blog.fc2.com/blog-entry-558.html

なぜ日本人は「日本人らしさ」を失わずにこれたのか?
http://20120901.blog.fc2.com/blog-entry-631.html

『天皇、皇室についてのさまざまな誤解について』
http://20120901.blog.fc2.com/blog-entry-815.html


「日本人のプライド③」          
http://20120901.blog.fc2.com/blog-entry-228.html


必見! 『大日本帝国が世界で初めて提案した『人種差別撤廃案』』

『国旗の重み 靖国編 ~ブラジルからの手紙~』
http://20120901.blog.fc2.com/blog-entry-814.html

※「お隣り」以外の外国では日本の戦争がどういう風に評価されているのか?

『天皇、皇室についてのさまざまな誤解について』
http://20120901.blog.fc2.com/blog-entry-815.html

★再 マスコミが教えない ジェンダーフリー思想 の真実 ①
★再 マスコミが教えない ジェンダーフリー思想の真実 ②

★「日本社会の崩壊」は 「韓流」と同じ「勘違い」の捏造から作られている ①
★「日本社会の崩壊」は 「韓流」と同じ「勘違い」の捏造から作られている  ②

★マスコミが教えない ジェンダーフリー思想の正体 ~ まとめ

要約・改訂版 ★『電車やバスのケータイ通話ってなぜいけないの?』

★「弱者にやさしい社会」の裏の顔・・・

★小学生の妊娠と中絶 ~ 合法的殺人を促す米国の罠




※こちらもぜひお読みください!! 
流行する香り付き柔軟剤 
「外出できない… お願いやめて!」
過敏症の人たち悲鳴!!



※娘さんを持つ関係者だけでなく、この問題の深刻さを同じ国民として共有してください。
※ 子宮頸がんワクチンについて これだけは知っておいてほしいこと


関連記事

世界の最先端数学国だった日本

http://nezu621.blog7.fc2.com/blog-entry-1496.html より~

「産医師異国に向かう 産後厄なく 産婦みやしろに 虫散々闇に鳴く・・・」

ご存知円周率の暗記法です。
学生時代に一生懸命暗記しようとした方もおいでかもしれません。
ここまでで、
3.141592653589793238462643383279
で、小数点以下30桁までの暗記文になります。

円周率の計算は、古代バビロニアの粘度板から、当時の人々(紀元前17~19世紀)が、
3.125などを使っていたことが明らかになっています。

いまやコンピューターを駆使して、なんと小数点以下10兆桁まで計算されるようになった
円周率ですが、世界では、この円周率の計算式を求めて、18世紀から19世紀にかけて大激論
が交されていました。

ところが日本では、
江戸初期の寛文3(1663)年には、村松茂清が小数点以下7桁までの正しい値を求め、
日常的に使用する円周率を3.14と決めています。
つまり、私たちが学校で習う3.14は、
日本国内で350年もの長きにわたって使われてきたものです。

ちなみに寛文3年といえば、関ヶ原の戦いから63年目の年です。
また村松茂清は、播州赤穂藩の人です。
赤穂といえば、赤穂浪士ですが、討入りした村松喜兵衛、三太夫の親子は、村松茂清の息子の
と孫にあたります。

要するに日本では
円周率について、赤穂浪士討入り前から「3.14」が使われていたのであって、
それを日教組は、ゆとり教育だのとほざいて円周率をただの「3」にしちゃったわけです。

時代を逆行どころか、昭和、大正、明治をすっとばして、350年もさかのぼっちゃった!
で、日本人をアホにした。ありえない暴挙です。
高レベルだった日本の教育を、地に落した責任は、万死に値する、と思います。

さてこの円周率を、さらに深く研究したのが、江戸時代中期の数学者、関孝和(せきこうわ)です。

関孝和は、暦の作成にあたって円周率の近似値が必要になったため、天和元(1681)年に、
小数点以下第16桁まで、正確に算出しています。

このとき関孝和が用いた計算法は、後に「エイトケンのΔ2乗加速法」と呼ばれるようになった
計算手法を用いたものです。
ところが
この計算技法、西欧で発見されるのは、1876年(明治9年)になってからのことです。
H.von.N�・gelsbachの発見によります。

つまり、世界が「Δ2乗加速法」に目覚めたよりも、なんと約200年も前に、
日本では関孝和によって、その計算技法が使われていたのです。
これまたすごい話です。

関孝和の数学への探求は、円周率だけでなく、これを応用した暦学、多元連立方程式、
微分積分など多方面に及び、どれも世界最古といってよい内容の研究となっています。

先ほどの村松茂清は播州赤穂藩ですが、関孝和はもともと幕臣で、江戸城天守番を勤め、
後年、甲府(山梨県)徳川綱重のもとで勘定吟味役を務めています。
甲府徳川家が綱重から、子の綱豊に移ると、綱豊が将軍家宣となったため、
これについて江戸にのぼり、将軍家の財産管理理職である御納戸組頭にとりたてられています。

ただし、それだけの大役を担いながら、関孝和の禄高は、300俵です。
300俵取りというのは、米1俵が60kgですから、お米10kgを6000円とすると、
だいたい年収1000万円の大身のお侍さんということになります。


ちなみにこの関孝和というのは、実に不思議な人で、
生前の身分や功績は数多く伝わっている(本人が本にしている)のですが、
生年や来歴などは、どうやら群馬県の藤岡市あたりではないかという程度で、
あまりよくわかっていません。

ただ、彼が残した和算の技術は、彼の書や弟子とともに大きく発展し、
またたく間に全国に普及しました。
関孝和の時代のすこし後に、伊能忠敬が全国行脚して、日本全地図を正確な測量のもとで
作っていますが、これだけの地図を、伊能忠敬が短期間に作ることができた背景には、
彼が測量に歩いた全国各地に、彼の用いた和讃による測量技術がすでに普及していて、
測量に協力する者がいたということであり、関の影響力の大きさが知れるものとなっています。

この時代、日本は世界の最先端数学国だったのです。
それにしても日本人て、すごいですね。


http://nezu621.blog7.fc2.com/blog-entry-1496.html より転載



数学者列伝 - 関孝和 (1/3)  ※ 続きもぜひ!!




『天皇、皇室についてのさまざまな誤解について』

仮定がたとえ奇抜なものであっても  ~ 長岡半太郎

仮定がたとえ奇抜なものであっても 長岡半太郎

http://nezu621.blog7.fc2.com/blog-entry-1482.html   より抜粋転載~


長岡半太郎は、世界ではじめて、土星型の原子模型を提唱した人で、

ノーベル物理学者の湯川秀樹を育てた人としても有名です。


原子模型 といえば、ご覧になったことがある方が多いかと思います。


図の真ん中の、青と赤のつぶつぶのところが原子核で、
子核の中には、陽子と中性子(赤と青のつぶつぶ)が詰まっています。
そしてその周りを、電子(図の黒い丸)が飛び回っているわけです。

図ではちっちゃいですが、実際には、たとえば赤と青のつぶつぶ(陽子と中性子)を
直系1cmの大きさと仮定すると、原子核は、ちょうど野球場くらいの大きさになるのだそうです。
つまり、野球場に1円玉(の半分くらいの大きさ)が数枚、というのが原子核の姿です。

そしてその野球場を中心に飛び回る電子は、どのあたりを周回しているかというと、
なんと月も火星もはるかに越えて、ちょうど土星と木星の間くらいのところを周回している。
なんだか気の遠くなるような話です。

カバンも机も鉄も、それを構成する物質は、分子の結合によって出来ています。
その分子は、原子の結合によってできている。
その原子は、まるで宇宙空間のような広大な空間を作っているというのだから、すごい。

長岡半太郎は、
世界がまだ
「物質というのは、分子からできていて、その分子はどうやら原子からできているらしい」
という時代に、「原子は土星型をしており、原子核の周りを電子が回っているのだ」という
モデルを発表した人です。
明治37(1904)年のことです

ところが
いまでは、一般常識にさえなっているこの理論は、当時の学会ではまるで注目されません。
それどころか長岡半太郎は上の人たちから、
「そんな研究は実証的でないから止めた方がいい」とまで言われて、研究を断念してしまっています。

おかげで10年後の大正2(1913)年には、デンマーク、コペンハーゲン大学のニールス・ボーアが、
長岡と同様の原子模型を提唱し、だから上図のような原子模型は、いまでは「ボーアの原子模型」と
呼ばれています。

長岡は、研究を途中で断念したことが余程くやしかったようです。
ボーアの原子模型の10年後(大正12(1923)年)、長岡半太郎は、
教え子の仁科芳雄(にしなよしお)を、コペンハーゲン大学に送り込みました。

仁科は5年間、コペンハーゲン大で過ごし、同大学の自由な校風を日本に持ち帰ります。
そして、そこで学んだのが湯川秀樹で、長岡半太郎は湯川秀樹をノーベル賞候補に推薦し、
10年の歳月をかけて、彼をノーベル賞受賞に導いています。

長岡半太郎は、東京帝国大学の教授で、後に初代大阪帝国大学総長、貴族院議員、帝国学士院院長、初代文化勲章を受章している人なのだけれど、幼いころは学校の成績は悪かったと言われています。

生まれは慶応元(1865)年で、大村藩の藩校である五教館(いまの長崎県立大村高等学校)に入り、
9歳のときに親の上京にあわせて東京の本郷にある湯島小学校に転校しています。
なんと半太郎は、この湯島小学校で落第しているのだそうです。

大学でも、せっかく東大理学部に入学したものの、果たして東洋人に科学研究能力があるのかと悩み、
まるまる1年休学しています。
教えられたことをただ鵜呑みにするのではなく、自分の頭でものごとを深く考える性格だったのかも
しれません。

長岡半太郎は、東大を卒業後、そのまま東大大学院に進学し、東大助教授、東大教授となりました。
専攻は物理学です。

けれどこの時代の物理学は、実証主義が全盛の時代です。
目に見えない原子や分子の存在を仮定して議論を進めることは異端であり、
自然科学者の取るべき道ではないとされていたのです。

そんな中で半太郎は、
悩みながらも
「仮定がたとえ奇抜なものであっても、そこから導きだされる結論が実際の現象とよく合致する場合には、
その仮定を正当なものとして認めるべきだ」と主張します。
そして、当時ヨーロッパで花開いたばかりの原子物理学の世界に踏み込み、
冒頭の土星型原子モデルを考案したわけです。

いまでは原子モデルは、ボーアの原子模型が世界的に認められた最初のモデルだとされているけれど、
長岡半太郎の土星型モデルとの違いは、長岡モデルの絵が、原子核と電子が比較的近い場所に
書かれているのに対し、ボーアのそれはすこし離れて書いてあるという違いです。


ただ実際には、原子核とその周りを周回する電子との間には10の12乗メートル(1兆メートル)もの距離が
あるわけで、これは物理のご専門の方々には申し訳ないけれど、ほとんど目くそ鼻糞の世界にしか見えません。

ただはっきりとしていることは、

物理学は実証主義でなければならないというある種の思い込みが、
長岡半太郎の画期的な研究を中途で止めさせ、
日本における量子力学の発展を一時的にせよ阻害したという事実です。


ちなみに学会は異なりますが、
戦後の日本の歴史学会や、考古学会にも、同様の誤謬が見受けられます

たとえば戦後の歴史学会では、
とにも角にも日本文化は支那朝鮮から渡来したのだという決めつけ
から全てを量ろうとしているようです。
たとえば、仁徳天皇御陵は、墓の発掘がされていなからあそこを仁徳天皇陵と呼ぶべきでない、
地名をとって大仙陵と呼ぶべきだ、
聖徳太子は生きていた証拠がないから実在が疑わしい、名前も厩戸の皇子と呼ぶべきだ、
鎌倉幕府の成立は源頼朝が天皇から征夷大将軍の位を授かった1192年ではなく、
壇ノ浦の戦いで源氏が平氏を破った1185年とすべきだ、
江江戸社会は武家による民衆からの収奪社会であった、・・・等々、
過激な実証主義、否定主義でしか物事を見ようとせず、本来の学問のありようの姿を忘れています。

考古学会もまた然りで、
日本では縄文時代の遺跡から、当時極めて高い文明が日本にあったことを示す様々な遺品が見つかって
いるにも関わらず、文明支那渡来説、稲作渡来説から一歩も踏み出そうとしません。

けれど、
長岡半太郎の原子モデルじゃないけれど、

「仮定がたとえ奇抜なものであっても、
そこから導きだされる結論が実際の現象とよく合致する場合には、
その仮定を正当なものとして認めるべきだ」

という彼の言葉は、あらゆる学問に共通のものではないかと思うのです。

学問はイデオロギーでも、まして政治でもありません。
日本の歴史学会や考古学学会は、
もう少し謙虚に、知的、学究的になるべきではないかとボクは思います。

さて話が脱線してしまいましたが、最後に長岡半太郎の有名な言葉をご紹介したいと思います。

~~~~~~~

「何々になろう」とする者は多いが
「何々をしよう」とする者は少ない。
  長岡半太郎


~~~~~~~

この言葉、重く受け止めたいと思います。



..............................抜粋転載 おわり



ウサギ 「仮説がたとえ奇抜なものであっても・・・ 」 


それこそが、

今の、今までの政府、原子力委員会、電力会社らに必要な心得であり、

覚悟 であったと思います。


それが足りなかったからこそ、今回の事故が起きてしまった。

そして、その認識が今もまったくないからこそ、

まったく反省も改善も進んでいないまま、再稼働しようとしている。


たとえ仮説が奇抜であっても、

その仮説が重大な結果の予測であるなら、

それを回避するための最善の努力をすべきだった。


それを回避するために、その打開策のためのあらゆる仮説を、

あきらめず、何度も何度も、シュミレートして、あらゆる懸念をすべからく叩いておくべきだった。


そこまでしていたら、

かれらがそこまでしていたら、

そのとき初めて

「想定外だった」という言葉を使う資格があったと思う。


少なくとも、かれらには、一ミリグラムもその資格はなかったと思う。



「実証主義でなければならない」という思い込みが思考を停止させ、

ほんとうに必要な情報を遮断し、判断を誤らせたのです。


目に見えるもの、すぐに結果が出るものしか重要視しない風潮、

長い目で見た想定や、今すぐに起きない杞憂を「現実的でない」と

切り捨てる風潮が、原発建設時の「甘すぎる想定」を生み、

今回の原発事故や、強引な原発再稼働につながっているのだと思います。



「あってはならない(奇抜な)こと」を「あってほしくない」からといって、

「ありえない」ことと勝手に決めつけ、何の努力もしないで「想定外」などと、

ぜったい、二度と、二度と、言わせてはいけない。


二度と、言わせてはいけないと思います。



そのためにも、

わたしたちは知らなければ。

ちゃんと知らなければならないと思います。


そして、「知っている」と、

「わたしたちはちゃんと知っている」と、「だから、もう許さない」と、

今度こそ、声をあげなければなりません。



過ちを繰り返さないために。





『★6.29緊急!大飯原発再稼動決定を撤回せよ!首相官邸前抗議』

http://amba.to/MNn2C1



<日本人の誇り 関連記事>

 http://ameblo.jp/usanpo117/themeentrylist-10027734321.html 


原発なんていらない! 関連記事一覧> 
http://ameblo.jp/usanpo117/themeentrylist-10034635596.html



天皇、皇室についてのさまざまな誤解について 』 


PS. 

日本の歴史学会や考古学学会もしかり。

学会の「権威」はもはや純粋な「学問」のためにはあらず、

政治色が強すぎるため、目の前にあるものすらも見えていないふりをしているが如くです。

見えないふりをして、一度定めた固定観念から脱却しようとしない。


学会の中にいると本当のことが言えない・・・

本当のことを言おうとすると疎まれ、弾かれ研究を続けられなくなったり、

発表できなくなったりする・・・

だから、本当のことを言ってくれるのは、その専門家ではないことが多々ある。

数学者しかり、哲学者しかり・・・である。


それは、真実や進歩を是とするはずの学問の道から逸脱するものです。

そんなものを有り難がって「学会が認めている」とか「学会は認めていない」とか、

都合のいいように「権威」(名前)だけが、「真実の火消し」のために利用されているのが許せません!




関連記事
リンク
このブログをリンクに追加する
最新記事
カテゴリ
月別アーカイブ
検索フォーム
プロフィール

うさんぽ

Author:うさんぽ
アメブロにいた「うさんぽの小径」のうさんぽです。
普通の子持ちの主婦です。
うさぎブログのはずだったのに、気がついたらこんな重いブログになっていました…
思いっきり、主婦目線、母親目線、オバサン目線でいろんな情報に感想を書いています。

記事を引っ越してきたので改行が狂ったりリンクが開けないなど見苦しいところがあり申し訳ありません。

QRコード
QR
RSSリンクの表示