ひだまり    今は古事記に夢中! 2013年12月

アメブロから引っ越してきた過去記事の再公開と、                       もっと日本を知るために「竹田研究会」の紹介を主にしていきます。

百田尚樹「永遠の0」 もう一回見てきました! 

「永遠の0」見てきました。
これで二度目です。

一回目は封切り日に息子と。
そしてクリスマスの今日、娘と見に行きました。
(出そう出そうと思ってたのに、安倍総理の靖国参拝で遅れちゃった~)

※最初に見た感想と意見はこちら → 
http://20120901.blog.fc2.com/blog-entry-1561.html



そして、もう一回見たら、どうしてももう一回言いたくなったので、
主旨に合わせて、今度はこちら(「憲法改正問題」)に書きます。


上の感想の記事と重複する部分は省きますので、どうぞ ↑ から読んでください。


手短にはっきり言います。


これを見ても、これでもあなたは、
左翼が言うように、「憲法9条さえ守れば日本は平和だ」と、
「戦争放棄さえしてれば、日本人は守られる」と、
「戦争できなくさえすれば、日本人の幸福は守られる」と、本気で思いますか?

ほんとうに、
宮部は、
井崎は、武田は、景浦は、健一郎は、
生き残った日本人に、
自分たちが守った日本に、
「二度と戦争ができない国になって欲しい」などと願ったと思いますか?


彼らは、
本当に戦争を、あの特攻を体験した人たちは「言葉」少ないかもしれない。
しかし、しかし、言葉少ないその言外には、
嫌ってほど骨身に滲みたものがあったはずです。

どんなに戦争が非情で、非道で、空しいものか。

たしかに皆思たでしょう。
「戦争なんかやるもんじゃない」 と。
でも、それだけでしょうか?

「戦争はしてはいけない」 
それは当然で正しい。
でも、それだけでしょうか?

どんな状況下でも、世界が、日本がどうなっても、
「とにかく日本は戦争(戦うことを)しない」のが絶対的に正しい・・・と、
あなたは本気でまだそう思いますか?
かれらもそう思ったと信じますか?

「戦争のない世の中」を望むのと、
「絶対に戦わない(戦えない)日本になる」ことが、本当に同義だと思いますか?

「戦えない」=「勝てない」ということなのに?
かれらはそれを望んでいたと思いますか?

「勝てなくてもいいから戦えない国」が理想だと、そう思いますか?

かれらは、そのために死んだのですか?

「戦争さえしなければ、日本人は幸せになれる」・・・と信じて?


戦争さえしなければ、
わたしたちは自由で幸福だと本気でそう思いますか?

そう信じてきた人、
これまで漠然とそうかと思ってきた人、
この映画を見ても、この作品を読んでも、そう思いますか?


無条件に戦争を放棄して、
「戦わずして敗北する」ことを本気で想像したことがありますか?
それがどういうことか、本気で想像したことがありますか?
戦わずして負けることがどういうことか、
国を明け渡し、自由や権利を奪われることがどういうことか、
それを想像したことがありますか?

左翼は、「9条信者」たちは、それに言及したことが、
それを若者に想像させたことがありますか?


わたしたちは一度もそれを経験したことがない希有な民族なので実感がない。
実感を持てと言っても無理なことなんです。
だから、これまではいいように左翼の言うままに洗脳されてきました。

しかし、以前ならともかく、今はネットがあります。
中国が実際にチベットやウイグルでやっていることを、
ベトナム戦争で韓国軍がベトナム人女性たちにしたことを、
日本の統治が終わったあと、台湾に入って来た中国軍が台湾人にした仕打ちを、
ちょっと調べれば分かることです。

日本人も戦後、「堪えがたきを耐え」た。
しかし、それでも、ほんとうに国体を奪われた国の悲劇だけは味わってはいないのです。

かれらはそれを守ったのです。
日本のほんとうの無駄死を、
それを味わう悲劇かららわれわれを守ったのです。

命を賭して。


その命の上に、わたしたちの生があるのです。


憲法が守ってくれてるんじゃない。
「9条」が守ってくれたんじゃない。

戦って死んでいった人たちが守ってくれたんです。
罪を背負って処刑された人たちが守ってくれたんです。


それを忘れてはいけない。
忘れてはいけないと思う。

それを、ちゃんと教えてこなかったような人たちの言葉なんて
もう聞いちゃいけない。

われわれの真実を一度も語ってこなかった人たちの言うことなんて
聞いてはいけない。



最前線で敵と戦って、
戦っても戦っても勝利が見えてこない現実の中で、これからの祖国を思うとき、
「二度とこんな戦争を起こしてはならない」と思うと同時に、
「もし、今度戦うときは、ぜったいに勝たなくてはならない」 と思ったでしょう。
切実にそう思ったことでしょう。

戦わないでいられるなら、それが一番いいに決まっています。
しかし、「戦う前に負けてもいい」 などとは、ぜったいに思わないでしょう。
なぜなら、もし戦争になったら、勝たなくては守れない からです。

そうです。
かれらは「戦争をしたこと」を後悔したのではない。
「戦争に負けたこと」を後悔したのです。

「愚かな戦い方」をしたことを。
「勝てる戦争」をしなかったことを。

国を守るために、家族を守るために、戦うことを選択したのだから。
戦うしか家族は守れなかったのだから。
まさか、「もっと弱い(無防備な)日本であるべき」などとは死んでも思わなかったでしょう。

左翼は、そのことだけは絶対に語りません。

「戦わない」ということは、
最初から、国を守ることも、家族を守ることも「放棄する」ということになるのだから。

かれらは、守るために戦ったのに、
左翼は、そこだけはぜったいに教えません。

ただ「国に殺された」としか「軍に殺された」としか子供たちに教えません。


しかし、それで国は守れるのでしょうか?

日本は強くなれるのでしょうか?
日本の平和は守れるのでしょうか?

それで、ほんとうに、国民の幸せは守れるのでしょうか?

ほんとうに「強くなくてもいい」のなら、「戦わずして平和が守れる」なら、
なぜ、かれらは命を賭して「ゼロ」に乗り込んだのでしょう?
なぜ、死ぬと解っていたのに、敵に向かっていったのでしょう?
あの「美しい手紙」を遺して。


「特攻隊は一種のテロリズムだ」
「天皇や国のために死ぬなんて、洗脳されたヒロイズムだ」

「そうさせたのは、日本の軍国主義のせいだ」
「軍部の独断と暴走が若者を無駄死にさせ、国を滅ぼしたのだ」

「それを許した日本の民族性のせいだ」・・・と左翼は言う。

だから「戦争放棄することで日本の平和は守られるのだ」・・・と。
だから「民族性や伝統を守ることに価値はない」・・・と。

戦後左翼は徹底的に、
「0戦」も「特攻」も、「日本軍」も、
「天皇」も、「帝国憲法」も、「日本人の民族性」も、何もかもを否定した。
ただ、ただ、「悪だ」「過ちだ」「価値などない」と否定してきた。

わたしたちはずっとその「声」だけを聞いてきた。
それが反日左翼の「声」だとは知らずに。

なぜ、日本があんな「愚かな作戦」をとらなければならなかったのか?
左翼はけっして、そこには触れようとしません。


ただ単に「戦争をしたから」特攻が行われたのでしょうか?

もし、日本がもっと早く勝っていたら・・・
もし、日本にもっと物資があったら・・・

そしたら「特攻」なんてするわけがなかった。

当のアメリカ人も、世界中も思ったでしょう。
日本に最初からもっと物資があったら、負けていたのはもしかしたらアメリカだった・・・と。

特攻だけが日本の戦いぶりではなかったのだから。
「特攻」だけを米兵は恐れたのではないのです。
その他の日本軍の戦いぶりも、日本軍の振舞いも知っていたのだから。

それゆえに、「恐れて」いたのだから。
「もう二度と、日本とは戦いたくない」 
「思い詰めたかれらと対峙したくない」 と。

そう思わせたからこそ、
その後の「一億玉砕」を回避するために、
日本統治をつつがなく遂行するために、
「天皇」が、
「国体」が守られたのです。
それが守られたから、今の日本があるのです。

あの戦いがなければ、
「あの戦いぶり」がなければ、
アメリカの「日本統治」はまったく違ったものになっていたはずです。

マッカーサーは予定通り天皇を処刑し、
日本の国体は完全に破壊され、国民は精神的支柱を失い、
今よりずっと、決定的に、日本人は誇りも、気力もなくしていたでしょう。

日本人は、初めて「天皇のいない日本」を経験することになったでしょう。

それがどういう意味を成すのか。
日本はどうなってしまったのか。
一度も植民地になったことのない日本人、一度も母語を奪われたことのない日本人には
到底理解することも、想像することすらできないでしょう。

それをいいことに、
左翼は戦後の日本人にそれを想像することも、仮定することすらさせなかった。
「天皇のいない日本」の恐ろしさに気づかせようとしなかった。

「戦争に負ける」 ということは、普通、「天皇を失う」ことに等しい。
あれだけの大きな戦争をして、あれだけの負け方をして、
「天皇が生きている」ことを想像した外国人はいなかった・・・。

処刑されるか、命乞いして亡命するか、暗殺されるか、
それしか普通は、通常は、選択肢がなかった。

けれど、日本にだけは、それとは別の選択肢がもたらされた。
けれどそれは「奇蹟」に近いことだった。
普通はありえないことだった。

それを可能にしたのが、
天皇とマッカーサーとの会見と、
特攻隊や硫黄島の戦いや、沖縄の戦い・・・だったのだと思う。

天皇の存在だけでは国体は守られなかった。
特攻隊だけでは国体は守られなかったと思う。
その両方があったから、
実際に天皇に出会ったマッカーサーと、
実際に特攻隊と交えた米兵たちがいたから、その奇蹟は実現したのだと思う。

そんなことを
神風特攻隊のものたちは想像したのではなかったと思う。
けれど、かれらの存在が、かれらの「選択」が、それを生んだのは間違いないと思う。


「この戦争が終わったあと
(自分たちが死んだあと)、この国はどんな国になっているのだろう」

その答えをかれらに教えてあげられるとしたら、
わたしはこう答えるだろう。

「あなた方のおかげで日本の国体は守られました」
「あなた方の死はけっして無駄じゃなかった」
 と。



それを確認できた映画でした。

それを何度も確認したくて、
わたしはおそらく、来年もまたこの映画を見るでしょう。

原作も二度読み直しました。
映画を見たあと、読み直すことをお薦めします。
映画が語り尽くせなかった部分を、
また、原作以上に映画が語ってくれた部分を再確認できます。



今年はほんとうにいろいろあった年でしたが、
何から何まで特別な年だったような気がします。

まさに、この「永遠の0」と「靖国参拝」で暮れが締めくくられたことに
日本の新しい夜明けを感じています。


良いお年をお迎えください。


。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。


★映画「永遠の0」を見て来ました! 
日本映画、戦争映画にはめずらしい、左翼思想の全く入らない、百田氏の思いを裏切らない、
まっすぐな日本人のための映画でした!

★「命をかけて愛する国の為に戦った彼らを誰が馬鹿に出来るというのだろうか?」  
~ 神風特攻隊についての海外の反応 と 百田尚樹 『永遠の0』


★宮崎駿監督「風立ちぬ」 ③ 我々日本人に最後に伝えたかったもの・・・

★「永遠の0」作者 百田尚樹が国防軍・憲法改正の反対者に物申す!!

★特攻隊員の遺書

★「硫黄島の御霊 ①」 日本を守った2万人

★<動画>竹田恒泰~
硫黄島の戦いが戦後の占領政策を変えた 安倍政権が滑走路移設を表明


★ マッカーサーを心服させた昭和天皇

★欧米が驚愕した天皇陛下と日本人


★「君は間違っている! 日本が ”日出ずる国”で あるのは戦争に強かったからではない」

★再 楊素秋 「日本人はとても素敵だった」 2

★誰も知らない「日本国憲法」の真実 ②  日本国憲法は破棄してはいけない!!    
日本は世界で唯一の『君民共治』の理想国家



「祖父の軍歴を知りたい」 厚労省に問い合わせ請求3割増 「永遠の0」の影響か?


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やっぱり大掃除は大事! 守ろう! 日本の「きれい好き」は貴重な民族性  ~片付けることを放棄してしまった中国学生寮の実態・・・

みなさん、年末の大掃除、もうお済ですか?

これから・・・っていう人、まだまだかかりそう・・・っていう人。
これを見たら、
「やっぱりきれいなことはいいことだ!!」って思うかも・・・

いや、逆説的にね・・・

やっぱり、神様は、汚れたところには住みたくないでしょうしね・・・


日本がこんな風にならないように、
子供たちにも大掃除手伝わさなくっちゃ~~!!!



みんな片付けることを放棄してしまった・・・ 中国学生寮の実態
http://www.sekairo.com/286.html

中国では列車の窓からゴミを捨てることが当たり前で、
線路の周りには絶えずゴミの山が出来ていると聞きます。
列車の中もゴミだらけで、たまに掃除する人来るのだけど、
集めたゴミを結局外へ放り出すという、本当かどうか、冗談みたいな話も聞いたことがあります。

一概には言えませんが、
中国人はひょっとして「片付ける」という概念が薄い民族なのではと思ってしまいます。
それを裏付けるかのような画像が幾つかありましたのでご紹介します。

ある学生寮の写真なのですが、一目瞭然、もはやゴミ屋敷です。
まるで誰からも見捨てられてしまい、ゴミ捨て場のようになってしまった廃墟みたいにも見えますが、
あくまでもこれは現存している学生寮です。
当然学生達が日々ここで暮らしているわけです。

1)通路

ゴミ溜め学生寮

何ヶ月も片付けられないまま放置されたゴミの山・・・


2)ラウンジ?

ゴミ溜め学生寮

ゴミ箱という概念がなさそうです。


3)通路

ゴミ溜め学生寮

誰もゴミの放置状態に関しては興味を示さないようです。


4)部屋

ゴミ溜め学生寮

床を掃いたりホコリを取り除いたり・・・ということは誰も発想しないみたいです。


5)中庭

ゴミ溜め学生寮

建物の窓から投げ捨てられたゴミたち。


6)中庭

ゴミ溜め学生寮

庭のほんの少しの緑も泣いています。


7)中庭

ゴミ溜め学生寮

別の角度から。満遍なくゴミで満たされています。


8)夜の中庭

ゴミ溜め学生寮

夜になって風が吹くと上空にゴミが巻き上がります。


9)部屋

ゴミ溜め学生寮

11)部屋

ゴミ溜め学生寮




。。。。。。。。。。。。。。。http://www.sekairo.com/286.html より抜粋転載


ここまで顕著な風景を見たのは初めてですが、
わたしが中国に住んでいるとき、タクシーに乗って街を走っているとき見かけたのは、
おそらく掃除したあとの汚水やゴミを部屋の窓から下に放り投げてる風景でした。
そう、ほんとにやるんですよ。
最初は驚きましたが、だんだん見慣れます。
マンションの通路には、壊れた使用済み(たぶん洗ってない)の便器が転がっていたり、
棟と棟の間の通路には紙ゴミや生ゴミが散乱していて、冬の間はまだいいんですが、夏になると、
いえ、雪が解けて春になると、悪臭を放って、近くを通るとき(道路挟んでいても!)ハンカチで鼻押さえ
ないと息もできないとか、そんなのは当たり前でした。
そんな風にゴミや汚水をそのまま川に流すので、春、氷が解け始めると異臭が漂ってきます。

本来の中国人、つまり今のお年寄りたちの感覚は、
「自分の家の中だけはきれいにしておくけど、一歩家を出たら他所のことはまったく無頓着で
汚し放題でも構わない」っていうのが普通です。
だから家の掃除はするんです。自分の分だけは。
が、掃除して出たゴミを玄関の外の通路にポイ。拭き掃除したあとの汚水を窓から下へサバーッ。
これが普通。
でも、それでもまだマシだったと思う。
大人がそんなだから、そりゃ今の「一人っ子政策」で我が儘放題に育った若者が
自分で自分の部屋の掃除しないなんていうのは当然だと納得します。

よく中国人は大事な子供だから(とくに男の子を)「王様のように育てる」っていうけど、
その「王様」っていうのは、ただただちやほや大事にされて、やりたい放題に甘やかされてるだけだから、
誇り高いとか慈悲深いとかいう人間性は一切育てないので、
中国人は結局、自分で自分の首を絞める「暴君」を育ててるようなもの。
「王様」ならいいけど、あの「一人っ子政策」は、
実質、自分の国を食い潰す「イナゴ」を大量発生させてしまったようなものだと思います。

つまり、上の写真は、
現在のそして未来の中国社会の荒廃と終焉を移す「鏡」だと思う・・・。




あ、それから、

ほんと、迷惑なことに、その「ゴミ」はどこに行くかというと、
腹立つことになんと「日本」へやって来るんですよ!!

日本海側の沿岸砂浜には、中国(または韓国)から流れ着いた漂流ゴミが、一地域だけでも
年間5000トン以上だとか!

ゴミをきちんと責任もって処理しようとか、できるだけ無駄なゴミを出さないようにしようとか、
出てしまったゴミが社会に迷惑をかけないよう国が予算をつけるとか、
そんなことは一切考えない国ですから。

「流してしまえばいい(他所へ行くだけ!)」
「放っておけばいつかなくなる(他所へ移動するだけだよ!!)」
っていう考えだから、

だから、核実験放射能も、原発放射能も、大気汚染も、水質汚染も、土壌汚染も・・・
まったく無頓着で無責任なんです。
責任なんて、感じるどころか、
「海も空気もつながってるんだから、そのうち自分とこだけの問題じゃなくなる」
その程度の感覚しかありません。

ほんとに、
こういう民族性の国に権力なんて与えるもんじゃありません。



関連記事

戦勝国の歴史認識だけが「正しい」のか? 戦争に敗れても矜持を失わない日本に拍手を … アルゼンチン

■ JAPANESE WAR CRIMES: I'M SORRY?
-- Adrian Salbuchi (政治評論家・コメンテーター / アルゼンチン)


日本の安倍首相の靖国神社参拝に、中国と韓国が激怒している。

靖国神社は250万人の戦没者を祀る東京の神社だ。
多くの人が怒っているのは、この19世紀創建の神社に祀られている人々の中に、
米国の占領軍によって「戦争犯罪人」という烙印を押された第二次大戦時のヒーローらが
含まれているためだ。
その中には、米国によって1948年に処刑された戦時指導者東條英機大将など、
「戦争計画」に関わったとされる14人の「A級戦犯」も含まれている。

戦勝国が敗戦国に対して当然に獲得する権利は、領土要求に関するものだけではない。
敗戦国の都市や土地、国民、資源、工場、特許権、軍事装備、そして国際法上の諸権利に対しても、
完全かつ欲しいままに支配する権利を、戦勝国は獲得する
…… 悲しむべきことだがこれが現実だ。

そして戦勝国は、戦争の端緒となった対立に関する歴史記述を書く(あるいは書き直す)「権利」をも
獲得する。
自国の見解・論理を「真実」とする権利を獲得し、敗戦国を「間違った国・邪悪な国・戦犯国・ 侵略国」
だと非難するのである。
「俺たちは善人、相手は悪者だ。」「私たちの息子らは英雄。
向こうは 殺されて当然の悪魔だ、2歳の幼児までも。」という考えは人類の歴史を同じほど古い。
第二次大戦後の70年間のプロパガンダが明瞭に示しているとおり、20世紀と21世紀も例外ではない。

だが日本は今なお屈しようとしない。
これは賞賛すべきことだ。

平身低頭して世界に再三再四赦しを請うているドイツの姿とは対照的だ。
だがドイツ自身も良く了解しているとおり、たとえ何度謝罪しようと、世界のメディア・出版・教育を
支配する人々は決してドイツに赦しを与えることはあるまい。

歴史認識についてハラキリしたドイツとは違って日本は顔を伏せず、敢然として軍事的敗北の結果に
耐え続けている。倫理面で屈服してはいないのだ。

なるほど確かに、連合国による極東国際軍事裁判、いわゆる「東京裁判」の結果、日本の多くの軍事・
政治指導者らが「A級戦犯」だとされた。
だが安倍首相は、2006年にJapanTimesで報じられたとおり、
「靖国神社に祀られた14人のA級戦犯は国内法上の犯罪者ではなく、東京裁判の結果を日本が受け
入れたのは独立を回復するためのものだった。<中略>
A級戦犯の起訴理由となった『平和と人道に対する罪』は連合国によって戦後に作られた概念で、
法律に定められたものではない」
と考えている。

日本よ、良くぞ言ってくれた。

もし我々が、戦勝国・敗戦国を問わず全ての国の戦争犯罪を真摯に罰しようとするなら、
とんでもない規模の国際軍事裁判所が必要だろう。
そしてその裁判所は、ダブルスタンダードと検閲から自由でなければならない。

そう、ダブルスタンダートから、だ。<後略>
ドレスデン空襲や原爆投下で連合国が多数の民間人を殺傷しているが戦争犯罪とはされていない点など。


▽ソース:RT.com(ロシアRTテレビのニュースサイト)(英語)(2013/12/27 12:24)
http://rt.com/op-edge/japan-war-crimes-867/



【日米】「李明博の竹島上陸はだんまりで、安倍首相の靖国参拝には干渉か」米国大使館FBに抗議の声
★4[12/28] ほか
http://awabi.2ch.net/test/read.cgi/news4plus/1388282221/


...................................

※12.30 追記;
★ Japan and Argentina アルゼンチン船は日の丸を降ろさなかった
※ぜひご覧ください!

★「君は間違っている! 日本が ”日出ずる国”で あるのは戦争に強かったからではない!」


関連記事

靖国神社に公式参拝した国 反対している国・・・ (追記あり)

靖国神社に公式参拝した国 反対している国 ・・・

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インド国民軍の戦友会も日本に 感謝を示すために、
同じ年に靖国神社に感謝状を奉納しました。

http://blog.livedoor.jp/abechan_matome/archives/35995410.html

平成九年(1997年)八月にインド独立五十周年の式典が行われましたが、
挨拶に立ったラビ、レイ元下院議長は
「このよき日を祝うに当たって、1905年を忘れることはできない。
日本が日露戦争に勝ったことによって、インド国民が勇気づけられて独立運動に立ち上がったからである」

と述べました。

独立運動の闘士として知られ、インド法曹界の重鎮でもあるレイキ博士も インパール作戦にふれ、
「太陽が空を輝かし、月光が天地を潤(うるお)し、満天に星がまたたく限り、
インド国民は日本の恩義を忘れない」

、と日本への感謝の意を表しています。

戦時中、インパール作戦を戦ったインド国民軍の戦友会(I N A 委員会)も日本に感謝を示すために、
同じ年に靖国神社に感謝状を奉納しました。

          

靖国神社に奉納された感謝状 ↓

『インドが日本のお陰を蒙っていることは、言語に尽くせない大きなものがあります。
偉大な貴国はインドを解放するにあたって、可能な限りの軍事援助を提供しました。
何十万人にものぼる日本軍将兵が、インド国民軍の戦友として共に血と汗と涙を流してくれました。

インド国民軍は日本帝国陸軍がインドの大義のために払った崇高な犠牲を、永久に忘れません。
インドの独立は日本陸軍によってもたらされました。
ここに日印両国のきずながいっそう強められることを祈念します。 』




。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。



※追記)

あと、こういう情報もありました。


こんなのもあったぞ

アメリカの「失望した」発言の裏には、下記の事象があるとの噂が・・・

-------------------------------------------------------

韓国政府は借金100兆円と発表してたのに
IMFが「嘘つけ、監査する」って言ってきて
急いで「本当は1500兆ウォン」ですって発表したけど、
それでもIMFが「それも嘘だろ。監査する」って言われてた
監査の結果発表が、年末か年始に出る。

だから、【韓国は日本に乞食しにくる気だった。】

あと、アメリカが韓.国と仲良くして欲しいのは、
そのIMF絡み。
韓国の主要銀行の7つの内の6つはアメリカが出資している銀行。
【日本が韓国を見捨てたら、アメリカが助けるしかなくなる】のです。

公共機関の負債も合算し、国債1500兆ウォンに…韓国政府
http://japanese.joins.com/article/513/173513.html

-----------------------------------------------------

つまり
「ババ抜き」で先に上がった日本にアメリカが文句を?w


Posted by ワロス at 2013年12月29日 08:30


http://www.news-us.jp/article/383831402.html

...............転載おわり


(意訳  米「このヤロ こっちにババ押し付けやがって~ (ずるいぞ)」)

これが「失望」の真意?




2014.1 追記;
安倍総理の靖国参拝に反対している(とされている)ドイツと中国との関係・・・

http://asianews2ch.livedoor.biz/archives/36132326.html より

中国紙「安倍首相在任期間中に日中関係が改善する余地はほぼなくなったと指摘している。」
・・・に対するコメント~

政府はどうか知らないが、
民間ではいまだにシナと付き合おうとしてる所は有るよ。
なんでも、あのベンツがシナで車を作る動きがあるって言ってたし。


   既に安いベンツは中国製だ
   買う奴は馬鹿


   今までは、重要部品はドイツで作って、
   それをシナに持ち込んで車を組み立ててるだけだったが、
   今度はエンジンもシナで作るらしいよ。


   だからドイツは、安倍の靖国参拝で
   もしも日中関係が悪化して、
   中国人が日本企業から給料貰えなくなったら丸損だぁぁぁぁぁぁ
   と、大騒ぎ(笑)



。。。。。。。。。 



なるほどね~


ドイツ紙が日本叩きするときは決まって書いてるのが反日在独中国人(韓国人)だって聞いたけど、
こんな利害関係があったら、そりゃ日中関係が悪くなることに「失望」するよね。


マスコミ報道は「うそ」ばっかり!! です。
日本の大手マスコミが毎度「アメリカが~」「イギリスが~」「ドイツが~」と
「反対しているぞ」「たいへんだっ」「どうするんだ?」って騒いでいるのは、
何も各国の正式な政府見解なんかではなく、たんなる一新聞紙の一コラムニストか一記者が
そう「書いてる」だけに過ぎません。
しかも、それを書いてるのは、たいてい、在米、在英、在独の「韓国人」ですって。

あらそ~~

のレベルです。

または、中立的に、道義的に、まっとうな見解を述べているにすぎない公式見解を、
お得意の妄想嗜好読解癖で、勝手な都合のいい「翻訳(誤訳)」をしているに過ぎません。

街頭インタヴューも、まったく正反対な意見にアテレコしたり、
都合のいい意見を言ってくれるサクラを用意したり、

グラフやなんかも、都合のいい一部分だけを切り取って、
「ホラ、こんなに急激に…」と情報操作します。


マスコミが作る「常識」は嘘だらけ!!

お気をつけください。



※日本のことは、本当に日本のために生きた日本人の言葉だけを聞け!

「特攻隊員の遺書」


★テレビ、新聞が安倍晋三を必死に叩く理由



★韓国人はなぜこうまで日本にこだわるのか?
 わが隣国はこんな国・・・ 韓国人の歪んだ平等主義 「怪声(奇声)を叫ぶ子どもたち」


★STAP細胞の小保方さん叩きの現象は、まるで米国でのトヨタ叩きと同じ気がする・・・




関連記事

特攻隊員の遺書

映画「永遠の0」の公開と、安倍総理の靖国参拝の実現を機に、
あらためて、日本人として一度は読んでおきたい先人たちの「言葉」を紹介したいと思います。

ここに挙げた「手紙」はほんの一部分ですが、
中には、映画で有名になった一文もありますが、
この「手紙」の”使われ方”は、
これまでの戦争映画と、今回の「永遠の0」とでは、まるで違うことを感じていただきたいです。

われわれ日本人は、これらの「手紙」を、かれらの「言葉」を
本来、どのように受け取るべきだったのか・・・

今こそ、それが問われているのだと思います。


真の日本人として。

あの戦争で、かれらが命をかけて守り抜いた「日本」を受け継ぐ者として・・・


。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。
。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。


2013/08/09

特攻隊員のことを、軍国主義の犠牲になって殺された、無駄死に、とか自殺行為等批判する人がいます。
自殺は死ぬことが目的であり、特攻隊は死ぬことが目的ではありません。

軍国主義に殺されたのでもなく、けして無駄でもなく、特攻隊員は真の日本人として、
愛する祖国、家族のために勇敢に命を賭して戦い、日本を守り、今の日本があると思います。

特攻隊員に対する感謝の気持ちを忘れてはなりません。
是非お読みになってください。




妻宛書簡
陸軍衛生伍長 伊藤 甲子美命 二十六歳マリアナ島にて戦死

季代子 かう呼びかけるのも最後になりました。短かつたけど優しい妻でした。
有り難く御礼申し上げます。
まこと奇しき縁でしたけど、初めて幸福が訪れた様な気がして嬉しく思つていました。
折角永遠の誓ひを致しながら最後になりますのは、何かしら心残りですけど、
陛下の御盾として果てる事は、私にとりましても光栄と存じます。

短い生活で、もう未亡人と呼ばれる身を偲ぶとき、申し訳なく死に切れない苦しみが致しますが、
すでに覚悟しての事、運命として諦めて頂きたいと思ひます。
若い身空で未亡人として果てる事は、決して幸福ではありませんから佳き同伴者を求めて下さい。
 私は唯、幸福な生活をして頂きますれば、どんな方法を選ばれませうとも決して悲しみません。
さやうなら季代子、何一つの取り柄のない夫を持つて、さぞ肩身の狭き思ひで有りませう。
至らない身、お詫びを致します。
何日の日か幸福な妻にさして上げたく思ひ乍ら、その機会もなく心残りでなりません。
どうぞ御健やかに御暮らし下さいます様、お祈り致しています。
さやうなら。




植村眞久命 東京都出身 海軍第十三期飛行科予備学生
昭和19年10月26日没(満25歳) 海軍大尉
昭和19年10月26日、「第一神風特別攻撃隊大和隊」隊員として「爆装零戦」に搭乗、
比島セブ基地を出撃、スリガオ海峡周辺洋上にて戦死。

素子 素子は私の顔を能く見て笑いましたよ。
私の腕の中で眠りもしたし、またお風呂に入ったこともありました。
素子が大きくなって私のことが知りたい時は、お前のお母さん、佳代叔母様に私のことをよくお聞きなさい。
私の写真帳もお前のために家に残してあります。
素子という名前は私がつけたのです。
素直な、心の優しい、思いやりの深い人になるようにと思って、お父様が考えたのです。
 
私はお前が大きくなって、立派なお嫁さんになって、幸せになったのを見届けたいのですが、
若しお前が私を見知らぬまま死んでしまっても、決して悲しんではなりません。
お前が大きくなって、父に会いたいときは九段にいらっしゃい。
そして心に深く念ずれば、必ずお父様のお顔がお前の心の中に浮かびますよ。
父はお前が幸福者と思います。
生まれながらにして父に生き写しだし、他の人々も素子ちゃんをみると真久さんにあっている様な
気がするとよく申されていた。
またお前の伯父様、叔母様は、お前を唯一の希望にしてお前を可愛がって下さるし、
お母さんも亦、御自分の全生涯をかけて只々素子の幸福をのみ念じて生き抜いて下さるのです。
 
必ず私に万一のことがあっても親無し児などと思ってはなりません。
父は常に素子の身辺を護っております。
優しくて人に可愛がられる人になって下さい。
お前が大きくなって私のことを考え始めたときに、この便りを読んで貰いなさい。




海軍少佐 篠崎眞一命 横須賀海軍航空隊
昭和十九年六月二十九日 内南洋方面にて戦死
東京都出身 二十四歳

玲子
 玲子は日本一、否世界一の妻なりと思ってゐる。
苦勞のみかけ、厄介ばかりかけ、何等盡し得なかった事済まなく思ってゐる。
四月十五日以来僅な月日であったが、私の一生の半分に價する月日であった。
父母に孝養を盡してくれ、私の分迄。
私に逢ひ度くば空を見よ、飛行機を見よ、軍艦旗を見よ。私は其処に生きてゐる。

結婚のすべての手續き、六月十二日に横空で完了して置いた。
くれぐれも後を賴むよ。
私の出来なかった事も玲子には出来る。
後顧の憂、一つなく征ける身の幸福を感謝してゐる。
最愛の玲子、御身を常に見守ってゐるよ。




谷 暢夫 海軍少尉 昭和19年10月25日
神風特別攻撃隊敷島隊出撃 散華(享年20歳)
母親と面会して

 子を思う御国の母は有難し 千里万里もわれを訪ぬつ

山よりもはるかに高し 海よりもはるかに深き 親の恩かな


家郷への最後の書簡

親を惟ひ 国を憂ふる心あらば 身を桜花となりて 散りゆかん

遺書

はじめありて 終りあるもの 鮮し
永らくのご厚思を謝す。何一ツ親孝行らしきことなき小生も、最初の最後の親孝行を致します。
 忠孝一致、とは古人、実によく云ったものと感心します。ご両親の長命を切に祈ります。
日の本の空征くものの心なれ 散るを惜しまぬ桜花こそ

辞世

身は軽く つとめは重きを思ふとき 今は敵艦に ただ体当り
 身はたとひ 機関もろとも沈むとも 七たび生れ撃ちてしやまん





海軍大尉 水知創一命
回天特別攻撃隊「轟隊」昭和二十年七月十六日 本邦東南海面にて戦死
兵庫県出身 早稲田大学 二十一歳

愼二様
 急に休暇が許され、又余りにも短かったので呼ぶ事が出来ず悪い事をしました。愼二は私のたった一人の弟です。早く立派な人になって父上、母上を喜ばしてあげて下さい。兄の様な親の心配を掛けてばかりゐる様な男になってはなりません。今に兄達が必ず敵をやっつけますから後は、愼二達が一所懸命勉強して日本をますます良い国にして下さい。では元気でしっかりやって下さい





海軍大尉 林 市造命
昭和20年4月12日南西諸島方面にて戦死
福岡県宗像郡赤間町出身 京都帝國大學 海軍第14期飛行科予備学生 23歳

一足さきに天国に参ります。天国に入れてもらえますかしら。
お母さん祈つて下さい。
お母さんが来られるところへ行かなくては、たまらないですから。
お母さん。さよなら。




母マツヘさんの手記

泰平の世なら市造は、嫁や子供があつて、おだやかな家庭の主人になつていたでしょう。
けれども、国をあげて戦つていたときに生まれ合わせたのが運命です。
日本に生まれた以上、 その母国が、危うくなつた時、腕をこまねいて、見ていることは、できません。
そのときは、 やはり出られる者が出て防がねばなりません。
一億の人を救ふはこの道と母をもおきて君は征きけり(戦後識す)





昭和20年4月7日
二飛曹 清水雅春 18才
神風特別攻撃隊第三御盾隊として、沖縄海域にて特攻戦死


今度攻撃命令を拝して、出撃することになりました。
日本男子の本懐これに過ぐることなく、喜びに耐えません。
父上様方も聞かれましたら、さぞかしご満足されることでしょう。
今更言う事はありませんが、一寸の孝行もせず、ただただ二十年の人生を育てて下された
父上様、母上様、祖母様方に何とお詫び申し上げてよいか判りません。
まだ戦争に行ったことがないので不安な点もありますが、弾が命中したら、必ずや敵の空母を撃沈します。
突然でさぞかし驚かれると思いますが、立派に男子の本懐を全うします。
出発まで時間がありません。
一言、最後の言葉を。





昭和20年4月7日
海軍一等飛行兵曹 松尾 巧 享年20才
佐賀県出身 乙飛17期


謹啓 御両親様には、相変わらず御壮健にて御暮しのことと拝察致します。
小生もいらい至極元気にて軍務に精励いたしております。
今までの御無沙汰致したことをお詫び致します。
本日をもって私もふたたび特攻隊員に編成され出撃致します。
出撃の寸前の暇をみて一筆走らせています。
この世に生をうけていらい十有余年の間の御礼を申し上げます。
沖縄の敵空母にみごと体当りし、君恩に報ずる覚悟であります。
男子の本懐これにすぎるものが他にありましょうか。

護国の花と立派に散華致します。
私は二十歳をもって君子身命をささげます。
お父さん、お母さん泣かないで、決して泣いてはいやです。ほめてやって下さい。
家内そろって何時までもいつまでも御幸福に暮して下さい。
生前の御礼を申上げます。
私の小使いが少しありますから他人に頼んで御送り致します。
何かの足しにでもして下さい。
近所の人々、親族、知人に、小学校時代の先生によろしく、妹にも......。
後はお願い致します。
では靖国へまいります。

四月六日午前十一時記す
 神風特別攻撃隊第二御盾隊銀河隊





昭和20年8月9日
一飛曹 高須孝四郎 23才
神風特別攻撃隊第七御盾隊第二次流星隊員として、本州東南洋上にて戦死

攻撃直前記す。

御姉上様、合掌、最後に当たり何も言うことはありません。
僕が常夏の国南米伯国より日本の国へ帰って、何も知らない僕を、よく教え導いてくださったことは、
心から感謝しております。
身を海軍に投じて以来未知の生活、日本の兵隊生活は最後の魂の道場でした。
海軍に入営してより、日夜の訓練によって心身共に磨き清めて来ました。

今、国のために散って行く私です。
日本に帰るときに母様より呉々も言われた事、頼まれたことを果さずに散ってゆくのは心が残ります。
最後に年老いた両親に迷惑かけたことを、深く悔やんでおります。
今私は澄んだ気持ちです。白紙の心です。
皆々様もお元気に。
では私は只今より攻撃に行きます。
再合掌。





昭和20年5月10日 午后5時48分
海軍一等飛行兵曹 伊東 勲 享年20才
大分県九重町町者原出身 乙飛18期 


何も書く事はありません。
只御両親様及び久美子の健在を祈るのみ、勲は決して人におくれはとりません。
潔よく散るのみです。
目標は正規空母です。
十日位したら徳島海軍航空隊第14分隊5班、上野功君に便りして下さい。
写真は受けとったと泣かずにほめて下さい。
幸多かれと祈るなり、親戚の皆様に宜敷く。孝養を頼むぞ久美子、安よ頑張れ。
 
宮崎航空基地にて
御両親様     神風特別攻撃隊第六菊水隊





神風特別攻撃隊 第二御盾隊
海軍上等飛行兵曹 小松 武 (高知県)
昭和20年2月21日 硫黄島周辺の艦船攻撃中戦死

待ちに待った晴れの出陣を、明日に控えました。
突然でいささかあわてましたが、大いに張り切っておりますので、何とぞご安心下さい。
生を享けて、ここに二十二年になります。
何の恩返しも出来ず誠に申し訳ありません。
何とぞお許し下さい。
国家のために散って征くことを、最大の孝行としてお受け下さい。
私が戦死したと聞きましたら、赤飯を炊き、黒い着物など着ず、
万歳と叫んで喜んで遺骨を迎えてください。
多分骨はないものと思いますから、体操シャツを一枚送ります。
これは昭和十七年七月十一日土浦航空隊に天皇陛下が行幸されたときに使用した記念すべき品です。
私と思って大切にしてください。
 
今となっては別に言い残すことはありません。
とにかく、命のあるうちは徹底的に頑張り抜く覚悟でおります。
必ずや、敵空母の一隻や二隻は沈めてみせるつもりです。
取り急ぎ乱筆になりました。感無量で何もかけません。これでペンを置きます。
ずいぶんとお元気で、いつまでも暮らしてください。 
小父さん、小母さんたちによろしく。
ではご機嫌よう。さようなら。
 母上様






神風特別攻撃隊 大和隊員
一飛曹 塩田 寛 18才
昭和19年10月26日 レイテ沖にて特攻戦死

戦いは日一日と激しさを加えて参りました。
父母上様、長い間お世話になりました。私も未だ十九才の若輩で、この大空の決戦に参加できることを、
深く喜んでおります。
私は潔く死んでいきます。
今日の海の色、見事なものです。
決してなげいて下さいますな。
抑々海軍航空に志した時、真っ先に許されそして激励して下さったのは、父母上様ではなかったでしょうか。
既に今日あるは覚悟の上でしょう。
私も魂のみたてとして、ただただ大空に身を捧げんとして予科練に入り、
今日まで猛特訓に毎日を送ってきたのです。
今それが報いられ、日本男子として本当に男に花を咲かせるときが来たのです。
 
この十九年間、人生五十年に比べれば短いですが、私は実に長く感じました。
数々の思出は走馬燈の如く胸中をかけめぐります。
故郷の兎追いしあの山、小鮒釣りしあの川、皆懐かしい思出ばかりです。
しかし父母様にお別れするに当たり、もっと孝行がしたかった。
そればかりが残念です。
随分暴れ者で迷惑をおかけし、今になって後悔しております。
 
お身体を大切に、そればかりがお願いです。
親に甘えた事、叱られた事、皆懐かしいです。
育子、昌子の二人は私の様に母に甘えたり叱られたり出来ないかと思うとかわいそうです。
いつまでも仲良くお暮らし下さい。
私も喜んで大空に散っていきます。
平常あちこちにご無沙汰ばかりしておりますから、何卒よろしくお知らせ下さい。
お願いします。御身大切にごきげんよう。






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参考:
「靖国神社と日本人」、引用:会報「特攻」第43号
特攻隊員の遺書は、靖国神社境内において昭和35年から毎月一通ずつ公開され、
100篇ごとに製本もされています。
鹿児島の知覧記念館からも発行されています。
【右京雄一研究室】


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『安倍総理の靖国参拝』


★「命をかけて愛する国の為に戦った彼らを誰が馬鹿に出来るというのだろうか?」  
~ 神風特攻隊についての海外の反応 と 百田尚樹 『永遠の0』



★映画「永遠の0」を見て来ました! 
日本映画、戦争映画にはめずらしい、左翼思想の全く入らない、百田氏の思いを裏切らない、
まっすぐな日本人のための映画でした。


「祖父の軍歴を知りたい」 厚労省に問い合わせ請求3割増 「永遠の0」の影響か?

★「海賊と呼ばれた男」のモデル 出光佐三が亡くなったとき、
 昭和天皇が初めて一般人に向けて歌をお詠みになった

※宮部久蔵だけが特別な人間だったわけじゃない。 あれが「日本人」だったのです。

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