ひだまり    今は古事記に夢中! 再 「DoDaDancin’!ヴェネチア国際編 ⑩ 」 日本人の自由に対する誤解と偏見 (後編)

アメブロから引っ越してきた過去記事の再公開と、                       もっと日本を知るために「竹田研究会」の紹介を主にしていきます。

再 「DoDaDancin’!ヴェネチア国際編 ⑩ 」 日本人の自由に対する誤解と偏見 (後編)




「DoDaDancin’!ヴェネチア国際編 」 ついに完結しましたね。

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以前バレエ記事で紹介した槇村さとるのバレエ漫画「DoDaDancin’!ヴェネチア国際編 ⑩ 」
ついて書いたものですが、最近「たかじん」の改憲論でもでてきた
「日本人と欧米人では自由とか権利とかに対する基本的な考え方か違う!」
ってことについて
なぜかバレエの記事なのに、けっこう詳しく(熱を入れて)解説していたので、
その記事を再編集してみました。

※どうぞ「前篇」から読んでね。


。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。


「DoDaDancin’!ヴェネチア国際編 ⑩」について、
じつはほんとに書きたかったことがまだ書いてなかったので、追記です。
いつも長くてすいませんっ m(__)m


この⑩巻は、
今までのバレリーナにはない、とても人間くさい存在感が売りの主人公 桜庭鯛子が、
本命のコンクールへ向けて「白鳥」の最後の仕上げをするべく、パリオペラ座の世界的カリスマ
ダンスールノーブル(王子様役の似合うカリスマ男性舞踊手)とペアを組むことから始まります。

そして、
初めての「個人主義」の洗礼を受け、誤解したり凹んだり、混乱しながらも、
その西欧人と日本人との間に立ちはだかる「壁」を、相手への「敬意」で乗り越えようとする・・・
パリの「個人主義」と鯛子の日本人としての「自分らしさ」をどう昇華して究極の「白鳥」を仕上げ
ていくのか・・・
とまあ、ざっくりこんなお話です。

前の記事にも書いたいろいろ感心するエピソードや表現に彩られているのですが、
でも、感心したのはそこだけじゃないんです!
じつはこれを書きたくなった理由は、
鯛子が本場バレエの殿堂、オペラ座バレエでのレッスンで、
バレエの演技要素として必須の「マイム」を勉強するシーンのことなんです。

(「マイム」とは、セリフのないバレエで使われる、手話のように決められた仕草のことです。)

オペラ座の優等生キム(なぜか韓国人・・・)が、教師の要望に応えて
「わたし」と「あなた」というマイムを披露します。

天下の「パリ・オペラ座」バレエでどんなすごい勉強を教えてくれるのか、・・・と思いきや、
「わたし」 と 「あなた」 ですよ?  

最初に模範演技をしたキムに、教師はそれを完璧だと絶賛します。
そして今度は鯛子・・・
しかし、鯛子がやるマイムに教師は延々とダメだしをする。
ただ、「わたし」と「あなた」という単純なマイム(手話のような振り)に。


この「あなた」というマイムは、簡単にいえば、
「相手」に手を差しのべる・・・という感じの仕草です。
対して「わたし」は自分の胸に手を当てるような仕草だと思ってください。
小学生にだってできる簡単なマイム(仕草)です。

それでも教師は、「全くダメ」だと言う。
一体、キムと鯛子のマイムはどこが違うのか・・・?
「完璧」と「ダメダメ」その差は一体何なのか?

それは、作中では言葉でははっきりした説明はないけれど、
先の記事の「個人主義」の概念を踏まえておけば大体理解できると思うのです。

つまり、キムは、フランス人と同じくガチガチの「個人主義」仕込みの人間だっていうこと。
対して、鯛子は 「和の精神」の中で育まれたドロッドロの日本人。
東京郊外の下町商店街の魚屋で人情たっぷりの環境で育った「異色のバレリーナ」ですから、
こういう設定のバレエ作品のヒロインってこれまでいなかったよね?
 大体、清く正しく美しく…っていう、大好きなお母さんがいなかったり、不幸で貧しい美少女…
 みたいな設定が昔は多かったよね。あ!鯛子もお母さん死んでるか! なじぇ?)


なにしろ、あの「ドン・キホーテ」を「柴又の寅さんだ!」っていうヒトですもん! 
そういう、とっても日本人らしい日本人。


そのキムと鯛子の絶対的な違いを示唆するのに、作者は苦肉の策をほどこしています。
キムのマイムの、「わたし」と「あなた」の間に、「カチッ」っという音がするコマが入るのです。
もちろん、実際の音ではありません。 
「切り替えスイッチ」の入る音・・・だと解釈します。

これは、「わたし」と「あなた」との「切り替え」を強調するためで、
「わたし」と「あなた」との「厳格な区別」を意味し、
「わたし」と「あなた」の世界はけっして「交わらないもの」

だという感覚を強調するものだと思います。

個人主義感覚のキムは当たり前にそれを厳格に区別して表現しているのです。

対して、鯛子の「それ」は、
「わたし」と「あなた」との間には「何か」がある・・・

それは、ときに、「愛情」であったり、「信頼」であったり、「尊敬」であるかもしれないが、
とにかく、「わたし」と「あなた」の間には、目に見えないものが存在し、
それによって相互は「切っても切れないもの」としてつながっている・・・

もちろん、本人はそれを意識していないかもしれない。
日本人の鯛子にとって、それは当たり前すぎて意識していないかもしれないが、
きっと、「わたし」と「あなた」の間にあるものを探すために、自分はここにいるのであって、
バレリーナとして舞台に立つのであって、人を愛するのであって、生きているのだ・・・
と、本人が意識していなくても、言葉にできなくても、鯛子の生き方はまさにそれだと思う。

でも、それこそが、ダメだしの理由だったのです。
「わたしと他人の間にあるもの」それが、フランス人、欧米人には理解できないことだったのです。

それを鯛子はあまりにも無意識のうちに「自然」に当たり前に表現してしまうので、
個人主義のパリではそれは理解不能であり、
それは「NON]であり、否定されるものでしかないのです。


鯛子は、そんな自分とキムの差が何なのか? 自分のどこを直せばいいのか?
鯛子のそれを否定する教師の意図がまったく理解できないので戸惑いショックを受けるのです。


でも、まだ鯛子は救われました。
なぜなら鯛子は、
たとえば、現実に日本人がよくバレエ留学するような14~5歳のような子供ではなく、
すでにいい大人で、しかも、日本人の中でもガチのど真ん中日本人といってもいいような純朴な育ち
をしていたおかげで、日本人としてのアイデンテティがすでに出来上がっていたからです。

それでも、
今まで自分を当たり前のように育んできた社会と違う価値観の中に放り込まれると困惑するのです。

自分はどこが間違っているのか?
何が自分に「足りない」のか?

その鯛子の困惑こそが、たぶん、
ベンゲル監督が心配するところの日本人が陥り易い「誤解」 だと思うのです。

西欧に対する「美しすぎる誤解」、日本に対する「卑屈すぎる誤解」です。

つまり、
それは、日本人が「足りない」のではなく、日本人に「欠けている」ところでもなく、
それが日本人と欧米人との決定的な「差」であるというだけであり、
けっして、
日本人が間違っているわけでも、劣っているわけでもない、ということです。

なぜなら、ベンゲル監督が言うように
日本の方こそが「奇蹟のような幸福な国」なのですから!


でも、現実は、
ここで鯛子が困惑するように、初めて海外へ出て行った日本人は、
まず、自分の非や足りないところを探してしまう。
実際、そうしてコンプレックスに押しつぶされてしまう人が多い・・・

この鯛子のように、才能もあって、その才能を開花させるだけの努力も惜しみなくできて、
しかも、そんな足りない自分を理解しようとしてくれる仲間もいて・・・
な~んていう超ラッキーな人ならいいけど、現実問題、
大抵の場合は挫折して劣等感だけを持ち帰ってしまいます。


そんな中で、漫画やアニメの「ヒロイン」だけは、
「自分の中の足りないもの」を見つけ、紆余曲折の末それを手に入れ、
「日本人の甘え」を捨てて、「これまでの日本的な価値観」を捨てて、もしくは変えて、
壁を乗り越え「成長」して成功していく・・・
っていうのが、これまでの「サクセス・ストーリー」の常套でした。  (よね?)

でも、ほんとにそうなのかな? 

それだけなのかな?
それが真理で、それが「クール」ってことで いいのかな?

・・・と、わたしは疑問に思うのです。

わたしは最近、あることに気づいたのです。

それは、
世界でそこそこ「成功している」人は、
たしかに日本のやり方を捨てて欧米のやり方に合わせた人が多いけど、
でも、世界でもトップクラスにまでなる人は、それを通り越して
むしろ「日本人らしい」やり方で、「日本人にしかできない」やり方で成功している、
または、世界一になっている、と思うのです。

違いますか?

そして、世界から賞賛され、尊敬される人もまた、
「もっとも日本人らしいやり方」で成功した人たちだと思うのです。

だからね、思うのですよ、
日本に残っている、「人の情け」と書いて人情と呼ぶもの、
その、西洋人が「個人主義」と引き換えに捨て去った「情け」という財産は、
もはや日本だけのもの・・・と言ってもいいと思います。

欧米人が、もはや書物やドラマの中でしか知らない「美しい絵空事」が、
この日本では、まだ普通に 当たり前に人の暮らしや価値観のなかに生きている。

それを捨てさせようと、あんなに執拗に画策されてきたにもかかわらず、
われわれはなぜ、それを完全に手離さずにこられたのか?
それは、何度も言ってますが、
日本に封建制度という「家」を守る制度が厳然としてあったからだと思うんです。

戦後、それが戦勝国によって撤廃させられたにもかかわらず、
日本人の精神の中にしっかりと根づいていたそれは今も失われていなかった。

そのくらい、日本人には深く馴染んだ性質であり、
言葉で教える以前に持って生まれたものだと思うんです。

もちろん、それが発動されるには、
日本という土壌が必要なんでしょうけどね。
日本で、日本語で育つ、ということが必須でしょう。
つまり、外国育ちじゃないことです。

優秀な「帰国子女」が日本の社会に馴染めず、
結局海外に行ってしまうというのも解ろうというものです。
幼少期、成長期に「日本語で考える」ことの重要性、
または「日本語で感じる」ことの重要性 が、それでわかります。

ともかく、
欧米から戦後「諸悪の根源」のように教え込まれてきた「封建制度」(封建社会)というものが、
それこそが、
世界がその恩恵と機能をすでに失いつつある「家庭」(家族の絆)というものを担保し、
その絆があるゆえに成り立つ厳しい規律遵守(しつけ)が日本人の「公徳心」を高め、「秩序」を作り、
それが「種」を守り、「村」(共同体)を守り、
秩序と思い遣りに満ちた社会を築き、この「日本」という国家を作っている・・・

それが日本だと思うんです。

「家」とはそういうものなのです。
「国の家」と書いて「国家」と呼ぶのも、この日本語だけです。
日本精神の源である「家」が土台となって「国家」を作っているから、
この日本は秩序と思い遣りがあり、平和なのです。

けっして、左翼が言うような、
「憲法9条があるから日本は平和」なのではありません。

対して、西欧のそれは、
「家」を捨て、「家族」を捨てて「個人主義」を取ったために捨てざるを得なかった。
だから西欧の「家」は「個の集まり」なんです。
日本人が思う「家」とはぜんぜん違う。
日本の「家」というのは、「八紘一宇」の昔から基本は変わっていないのです。

フランス人の家族は同じ家に住む必要もないし、
結婚して「名前」や「家」を守る必要もないし、
子供は「父」「母」でなくても、「保護者」さえいればどこでも育つように「自立」させられるし、
(親がなくても子は育つ…ってか? いやそれ、日本と意味違うし)

だから夫婦も親子も「別姓」でいいんです。
(ホラホラ、左翼が推し進めているあれですよ)
大事なのは「個」であり、「家」や「共同体」ではないからです。

おかげで、子供は「家庭」とういうものを知らず、
たとえば週末ごとに別の保護者と過ごすという生活を強いられるわけです。
だから、その家のカラーとか、ルールとか、躾の方針とか、家訓とか、
そういう「いい意味での縛り」が一切ない。 
「俺はお前をうるさく縛ったりはしない。
 そのかわり、自分のことは自分で責任取れよ」 です。

まさに「自由」です。
でもその自由の権利は「針のむしろ」の上に立っているのです。

人と人との信頼関係の上のある日本人が考えるような「自由」とは大きく違います。


この話の中でも、下宿先の大家の家には孫のパスカル(小学生?)がいて、只今離婚調停中だし、
母親も不在?状態で、祖母の家に預けられ、先週は母、今週は父親に会いに行くという生活。
それを見て鯛子は、
「わたしには想像もできないような人生をパスカルは生きているんだ」とつぶやく…。
鯛子は母親を亡くしている。が、パスカルは一応両親共に健在でも、親を亡くしていなくても、
鯛子の悲しみや虚しさとはぜんぜん違う。鯛子のそれは喪失感だ。
その喪失感の大きさは、そのまま、失うまで確かに与えられ続けてきた母親の無限の愛情が存在して
いた証しでもある。
その亡霊(勝手に作った足枷)に縛られていた間低迷し、そこから解き放たれたとき花開いた。

(※この先、10巻以降を読んでない方は読まないでね! ネタバレ満載です)

また、国際コンクールでペアを組む天才カリスマダンサーのミーシャ(ロシア人)は、気難しくて、
プライド高くて、他人を信じなくて、白人のくせに白人を恨んでる…? という超偏屈男・・・。
その裏には、バレエがすべてで人生かけて(バレエで人生変えようと)頑張ってボリショイを首席で
卒業したとき、ソ連が崩壊して無政府状態で国家に放り出された・・・という苦汁をなめていた。
それでも踊って踊って貧しい家族を支えていたけど、ついには人間不信と国家への不信がつのって
国を捨てた・・・?(そこまで詳しく描いてない…)わけで、国から見放され、国を見捨てた異邦人。
まあ、パリにはそんなのはゴロゴロいるけどね。
だから、そこは居心地がいいのかも。パリにいればそれが普通。誰も自分を憐れまない…。
そのかわり愛なんてどこにもない。
才能さえあれば、完璧な技術で「悲劇の王子」を演じれば舞台の上では
帝王にもヒーローになれた。
でも舞台を降りれば人間なんか信じない。信じているのは自分の才能だけ。
そりゃ、パートナーにも冷たいわ。

最後に現れる頂上対決のライバル、オーレリアは、もろ孤児院育ち。親は分からない。
孤児院で兄妹のように育った男の子と共に裕福な家庭に養子として引き取られる。
そこで、何不自由ない生活をしていても、養父母や兄から愛されても、埋められない溝がある。
常につきまとうのは、「自分は誰?」という疑問。
それから解放されるために、自分に認められた才能で居場所を見つけようとする。
「天才バレリーナ」の地位は、それ以上でもそれ以下でもない。
常に舞台で確かめ続けなければならない「自分の居場所」。
最後に、病気で踊れなくなった自分に絶望した彼女に「兄」がプロポーズする。
「結婚しよう。僕たちの家を作ろう」
(そう、今まで住んでいたのは「自分たちの家」じゃなかった…ってこと)

唯一の日本人、通訳のココも、
「エトランゼ・ココ」と称すくらい、海外を転々として、もっとも落ち込んだパリに居つく。
「(期待するのを)諦めたら楽になった。大人になったきがする…」と。
久しぶりに出会ったもっとも「日本人らしい」鯛子の存在が、そんな彼女の内側をまた変えていく。
最初は「自分と相手を区別できないのは、親が子供をかわいがるからよ」
「日本のかわいいは可哀そうと同じ。自分のものとして扱うのよ」
と言っていたココが、いつの間にかうっかり、鯛子の恋人が現れると、
「鯛子は私のもんだよ」と言い放つ。(あれ?)

ライバル(にもならなかったが…)の韓国からの留学生キムは、幼い頃から娘の才能を信じてひたすら
自分のために尽くしてきた母親を失望させまいと、自分が優勝するために形振りかまわずライバル鯛子
を追い落とす画策に必死・・・(命すら奪おうとする)
が、すでにまわりは鯛子の人間性に魅了され、ヘンクツ王子までいつしか閉じた心も開き始めていた
ので、妨害工作は功を奏せず、かえってミーシャと鯛子の信頼関係は深まることになる。

なに?このおもいっきり「ブーメラン効果」も計算の上?
作者、いくらダンナが韓国人だからって、ここまで描いちゃっていいの?

このキムにまつわるセリフがまた意味深で・・・

「キムに納得してもらわなければ。
今の自分の境涯は人のせいでなく じぶんの責任だってね。」

「なんでわたしが?キムをあきらめさせるために? めいわくだわ」
「なんでかわからないけど、
縁あってめんどくさいコトにもつきあわなきゃならないコトがたくさんある」

「小さくて、怯えて、不安でいっぱいなバレリーナの卵に 何をしてあげられるんだ」
「鯛子が与えようとしても、受け取る力がキムにあるかどうか」
「追い詰められた動物みたいで、ゆとりがない。 かわいそうに。」
「かわいそう? かわいそうなのはわたしだよ」

「かわいそう。
キムが苦しいのは、勝つことしか考えられなくなってるから。」
「キムのいちばんの望みは・・・ (ガキ!)
子供の望み・・・・・子供の望みなんて ひとつしかない。」 
・・・で、お母さん登場。

あああ、この関係って・・・まるで日本とかの国じゃない?
いいのか? こんなに解り易くて・・・ 

そうなの。
この話は、いじわる自己中の韓国女が、自滅して完全敗北する話になっているところもすごいの。
それほどメジャーな連載じゃないので、OKだったのか、もしこれがアニメ化されるような話題の
ヒット作だったら、到底、ぜったい、こんな設定はないでしょう。(できない)
その筋からの猛攻撃で阻止されますからね。(「ヒカ碁」はすごかったらしい…)
たしか、この作者、槇村さとるの夫は韓国人だったと思うが、それも関係しているのかしらん…?

それでね、
鯛子がキムと決着をつけるときに、そこで思いっきり「日本的おせっかい」を焼くんです。
自分に敗れてボロボロに傷つくキムを絶望させまいと、事前に母親を呼び寄せるんです。

自分に向けられた敵対心の根源はガキっぽい自己中精神・・・つまり、ガキ=子供 なら、
「子供の望みなんてひとつしかない」と、鯛子は確信できるんです。
自分も母親を亡くしてからずっと、埋めたくても埋められない部分はまさにそれだったから…。

だから鯛子は自然に当然のように思う。
欠けているものを探すのが人が生きている目的だと。
その根源は結局、親とのつながり、人とのつながりだと。

だから、どんなに振り回されても、自信をなくしかけても、これだけは譲らない。
欠けた部分を埋めてくれるものは、憎しみや諦めなんかじゃない、ということを。


ここまではっきり、これでもかっていうくらい、
日本社会(日本人の通念)とヨーロッパ(外国)との違いを描いたバレエ漫画って
これまでなかったと思う。 (夫が外国人のせい?)

そう、
これでもかって描かれているのは、
ヨーロッパでは「家」とか「家族」とか「親子」とかっていう重みが
日本とぜんぜん違うってこと。

そう言うと、
「え~?欧米だって、ちゃんと結婚してる人も、夫婦別姓じゃない人もいるよ?」
って思うでしょう?
でも、よく考えてください。
そういうものを大事に「守っている」人たちは、「守るべきもの」がある人たちじゃありませんか?
端的にいえば、あり余る「財産」だとか、代々の「家柄」だとか「土地」だとか「仕事」だとか・・・
そういう「守るべきもの」を持っている「一族」の人たちは、「自由」より「伝統」(しきたり)を
自ずと大切に守りますよね?
それはどこの国でもいっしょです。

ただ、日本と違うところは、
日本では、それがどんな小さな単位の「普通の家」でも、
もっといえば「粗末な家」でも、大切に守っているということなんです。
いえ、正確にいえば、「大切に守っている」という自覚もなく
「当たり前に思っている」のです。
うっかり「反日教育」に乗せられてしまった人を除いて・・・

なにしろ、日本は「八紘一宇」の国ですから。
「皆、ひとつの家」です。
それが、日本独自の封建制度の「賜物」なのだと思います。

だから、「万世一系の天皇制を変える」とか、「政教分離」とか、
「家督制度の廃止」とか「戸籍制度の廃止」とか
「夫婦別姓」とか「婚外子(非嫡出子)の相続の平等」とかいうものは、
本来の秩序と信頼で成り立っていた日本には必要ないんです。

いえ、それこそが、
今日の日本社会を、日本という国家を傾けてきた諸悪の根源だったと思います。

日本人に「人情」が残ったのは、封建制度という規律や戒律があったからこそ。
つまり、「人情」とか「思い遣り」「人へのやさしさ」などという「豊かな人間性」とは真逆の概念
だと思われがちな「封建制度(社会)」こそが、
欧米から失われてしまった
人の幸福な社会を築くもっとも大切な精神を守っていたのだと思うのです。

厳しい規律に守られた厳格な社会があってこそ、
その中で暗黙の了解(規律を守らなければ社会から弾かれるという恐れ)に守られているからこそ、
人々は安心して相手との垣根を低くして、お互いに支え合い、助け合い、高め合うことで、
「自己の使命」に没頭できたのです。(※下記参照)

でも、間違えないでください。
ここまで聞くと、おそらく外国人なら、
「日本が規律と秩序が保たれているのは、やはり厳しい法律や罰則があったからなんだ」
と思うでしょうけど、それは間違いです。

確かに、今でも日本は世界一の「法治国家」と言えるでしょう。
しかし、思い出してください。
たとえば、あなたが道や駅でカバンや財布を拾ったとしましょう。
どうします? おそらく交番か警察に届けますよね?
ほとんどの日本人がそうしますよね。
では、なぜそうするのでしょう?
お財布を交番に届けてあげるとき、あなたは、
「これを届けないと厳罰が待っているから・・・」と考えますか? 
「これを届けないと犯罪者になるから・・・」と考えたことがありますか?

でも、たとえば中国人や欧米人の中には、本気でそうだと思っているらしいです。
「日本はよっぽど厳しい法律があるんだろう」と。

そんなことはないですよね。
きっと、あなたの心の中にあったのは、
「お天とう様が見てるから」
「落とした人は困ってるだろうな」
「ああ、なんかいいことした後は気持ちがいいな」
くらいではないですか?

では、それはどこで身に付けた考え方ですか?
いつの間にかそう思ってた・・・というのは、つまり、
「家庭」で身に付いたということですよね。

日本人が規律正しく、誠実で、公徳心が高いのは、なにも、厳しい法律を怖れて
「怖いから従っている」わけではありません。
「当たり前」だと思っているからできるんです。
そうでしょう?

それが「家庭」の力です。
その日本人のすべての家庭の模範となってきたのが「天皇家」です。
日本人が家庭で教わる、お辞儀とか、挨拶とか、縁起担ぎとかいうもろもろの考え方の指針、
その根本は、天皇家が守ってきた神道や「和の精神」です。

それが崩れなかったのは、今もそこに天皇家があるからです。
王族でも皇帝でもない、
日本人のために二千年以上祈り続け、日本を守り続けてきた天皇家があるからです。

日頃はそれに気付かなくても、
平穏な生活が失われたとき、または、あってはならぬことですが、
天皇家がその権威を失った時、その恩恵の大きさに気づくことになるでしょう。

あまりに当たり前すぎで感じないだけで、
それはたしかに、わたしたち日本人の中に根付いているのです。

それは、西欧の「自由」でも「権利」でも「平等」でもない。
そういう西欧の価値観では到底測れない、言い換えられない、日本独自の価値観なのです。


それが日本人です。
だからこそ、日本は今日のように文明も文化も発展でき、
人間性を失わずに経済発展を遂げたのです。

もし、人間性を無視して経済だけ発展していたら、
もうとっくに、今の中国みたいに矛盾を抱えて破たんしているでしょう。

そういう意味でも、
日本人の「家」を守る意識が、
今日のあらゆる「日本の奇蹟」を支えてきたと思うのです。
われわれが忘れがちだったそれを、今、
海外の人たちもが「尊いもの」として認識してくれたのです。

しかし、

われわれと違い、
厳格な規律という「見えない契約書」を持たない人たちは、
誰がいつ嘘をつくか、誰がいつ自分を裏切るか、
誰がいつ自分の領域を侵しにくるか、いつ寝首をかかれるか分からないので、
そういう信頼感や安心感がないので、
自分の利益を守るために、
「自分」と「他人」との区別をはっきりさせる必要があったのです。


「自分 」 と 「自分以外」 という、はっきりとした「境界線」がかれらには必要だったんです。
自分の利益を守るために。

それがすべての行動原理になっている。
それが価値観の源流になっている。

つまり、はっきり言うと、
彼らが身に着けた「自由」とは、
日本人が思い描いているような「美しいもの」じゃないんです。

自分以外は基本的に信じない
お互いに信じない上での「自由」なんです。


「それって、泥棒の始まりじゃない?」って思いません?
そう思ってくれたあなたは普通の日本人です。  (^_^;)

日本の中にいるだけだと、「日本はどんどんダメダメになってきた」・・・って思うでしょうけど、
それでも、まだ欧米に比べれば、
日本は、人を信じてもいい「奇蹟のような国」なんです。

でも、実際、日本人は誤解している・・・

この鯛子のように・・・
自分では悟っていると思っているココのように・・・

(あああ~~、やっと話が元に戻ったぞ! (T_T;)   )


だからね、

まだ「結論」は出てないけど、この話では、
ココによって、日本人と欧米人との「けっして交じり合えない壁」を示唆され、
それを乗り越える手段として、鯛子が選ぶであろう、

相手にすべて迎合するのではなく、自分を曲げて相手に合わせる・・・のではなく、
相手への敬意を示すことで自分の信念を貫く・・・
相手への敬意を示すことで相手からの「信頼」を勝ち取り、
相手に合わせているように見せかけながら、
じつは、自然と相手を自分の方へと導いていく・・・

という道こそが正しい!


と思うのです。 (あれ? 今の安倍外交がまさにそれだよね)

というか、
これから欧米と対等にやっていくために、
ガキんちょ中韓をうまくなだめて付き合っていくために、
一番必要なことだと思います。




そして、

内なる敵から身を守るために、
日本人の価値観とは違う「自由」や「平等」ばかりを謳う
今の憲法を改正する必要があるとわたしは思います。






<参考記事>

★夢を叶える力は家庭から

★自民法務部会 民法改正案の了承見送り
 西田議員「婚外子を認めると家庭が崩壊する」!! 



★「たかじんのそこまで言って委員会」 5.19 大 改憲論! その② 津川氏の神発言
※「日本国憲法」に謳われた人権や自由は、
日本人の価値観を無視した「狩猟民族」「欧米思想」で作られている!


★なぜ憲法改正が必要か? ① 日本国憲法は日本人の誇りを守ってくれない!
★なぜ憲法改正が必要か? ②  日本国憲法は日本人の幸せを保証しない

★誰も知らない「日本国憲法」の真実 ②  日本国憲法は破棄してはいけない!!    
日本は世界で唯一の『君民共治』の理想国家


★日本ほど素晴らしい国は世界中のどこにもないだろう ~ アーセン・ベンゲルhttp://20120901.blog.fc2.com/blog-entry-359.html

★日本人にしかできないこと 再 「共存共栄」の思想
http://20120901.blog.fc2.com/blog-entry-295.html


★震災後 なぜ日本人は冷静なのか?  あるフランス人の洞察 
http://20120901.blog.fc2.com/blog-entry-439.html


★竹田恒泰の 誰も知らない「 昭和天皇と昭和論 」
小林よしのり…なんて胡散臭いもの読んでないで、本物の「昭和天皇論」を聞こう!
目からウロコの真実がズラリ・・・日本人でよかったと心底思えます。


要約・改訂版 『電車やバスのケータイ通話ってなぜいけないの?』
http://20120901.blog.fc2.com/blog-entry-918.html

日本人は恥ずかしくない!

★多文化共生がもたらした「取り返しのきかない」悲劇
http://20120901.blog.fc2.com/blog-entry-858.html

ヨーロッパ社会の現実・・・


わたしのホントのバレエ記事・・・ ↓
「わたしをバレエに連れてって!! 吉田都の奇跡」
http://20120901.blog.fc2.com/blog-entry-109.html


吉田都のチャリティーコンサートの舞台裏
http://20120901.blog.fc2.com/blog-entry-223.html




関連記事
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コメント
追加補足
日本人が二千年来培ってきた価値観の集大成として出来上がった
大事な「家族法」(和と規律)を
これ以上左翼たちに破壊される前に、
誤解だらけの欧米的な自由や権利ばかりを謳う
左翼的な(人権屋にばかり都合のいい)現憲法は
早く改正すべき!
・・・という観点から、これを「憲法改正問題」に入れました。

2016/09/04(日) 11:00 | URL | うさんぽ #-[ 編集]
Re: 追加補足
世界で最も安定した日本社会の礎となっている家族法がいかに大切で貴重なものか、
浅はかな反日左翼の口車に乗ってそれを失うことがどれだけ危険で怖ろしいことか、
日本を弱体化しようとしたGHQが真っ先にそれを破壊しようとしていたことを、
左翼がそれを踏襲していることを、日本人は知らない。

「日本の貴重な民族性を家族法が守っている(から破壊しちゃダメ!」
…って書くと、すぐ左翼が
「今の家族法なんて、たった数十年か百年前に作られたものであって、
長い歴史を持つ日本の民族性からいって全然関係ない(はい論破!)」
って噛みついてくるけど、それ二重に愚かなことだから!


「家族法」っていうのは、その国の「伝統」そのもの。
だから家族法を触るのは、いわゆる皇室典範を触るのと同じくらい
慎重に大事に扱う覚悟が必要。
それを、歴史や伝統の浅い国、
あまりに酷い価値観のためにずっと破壊と改革まみれだった欧米や
中華思想の左翼たちの勝手にされてたまるか!
です。

「家族法」というものは、日本の場合、二千年来の歴史に培われ、
紆余曲折、取捨選択、時代の価値観に合わせて考えに考え抜かれて
最終的に「これだけは守るべき」「どんな時代であっても変えてはならない」
という日本人にとって大事なものが担保されているのです。
国家の繁栄や日本人の幸せにとって必要不可欠なものの集大成。
だから敵国は壊しに来るんです。
2016/09/04(日) 11:06 | URL | うさんぽ #-[ 編集]
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アメブロにいた「うさんぽの小径」のうさんぽです。
普通の子持ちの主婦です。
うさぎブログのはずだったのに、気がついたらこんな重いブログになっていました…
思いっきり、主婦目線、母親目線、オバサン目線でいろんな情報に感想を書いています。

記事を引っ越してきたので改行が狂ったりリンクが開けないなど見苦しいところがあり申し訳ありません。

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