ひだまり    今は古事記に夢中! 「立派な天皇」は国民の鑑である ②

アメブロから引っ越してきた過去記事の再公開と、                       もっと日本を知るために「竹田研究会」の紹介を主にしていきます。

「立派な天皇」は国民の鑑である ②

                       
「立派な天皇」は国民の鑑である ① の続きです。
どうぞ、①からお読みください。 m(__)m 



「天皇の素晴らしさは国民の鑑」だという話の続きです。

もし、

今上陛下の最後の「御行幸」を、
あんな国賊宮内庁の思惑通りに、

「震災復興で経済的に大変な時だから…」などという金勘定なんかで、
「国民も火葬が一般的だから(焼けば墓が小さくて済むから…)」
などという現代的な合理主義なんかで、

そんな伝統も、敬意も、真心もない、
浅はかな貧しい価値観で、

少しでもそれらを「簡素化」し「簡略化」したら・・・、

ほんとうにそんなことしてしまったら、

それはそのまま、
わたしたちの、陛下への気持ちの表れになるのではありませんか?

わたしたちの、陛下への気持ちが、
わたしたちの幸せのためだけに「神に仕えた天皇」への気持ちが、
その陵墓の「かたち」に、
葬儀の「かたち」に現れるのではありませんか?


陛下は昔から、代々、自分のことは一切言わない。
わたしたち国民のことばっかり気遣ってくださる。
だから 「小さくせよ」「簡素化せよ」と 代々 仰ってきた。

あんなにいつも国民のことばかり思い遣ってくださっていたのに、
最後の最後まで、「国民に負担をかけるな」 と。
わたしたちの立場ばかりを慮ってくださっているのに、

なのに、

わたしたち国民は、
平成の国民だけが「自分の都合」だけしか考えない。
そんなことでいいのでしょうか?

あなたはそれでいいのですか?

「その方が楽だから」
「その方が安上がりだから」
「自分たちと同じでいい」・・・と。

それでいいのですか?


それが、わたしたちの「気持ち」なのですか?
それが、わたしたちにできる「せいいっぱい」なのですか?

ほんとうに、そんなのが、
あの「宮内庁プラン」が、
わたしたちの陛下への気持ちとして「かたち」にされていいのですか?

それを先人たちに胸を張って誇れるのですか?
それを後世の人たちに胸を張って誇れるのですか?


そして、 それを神に見せるのですか?


あなたはそれで平気ですか?


つい先だって行われた「伊勢の遷宮儀式」をちゃんと見ましたか?

あの全貌を知った人なら思うはずです。

あの、一部も、一ミリも、1300年前と違わない心と形で神々に奉り続けてきた
伊勢の神官や、全国の神職、そして、
それを支えてきた「伊勢の民」に、恥ずかしいとは思いませんか?

あの遷宮儀式は、当日の儀式だけではありません。
その何年も前から、ともすれば、遷宮儀式が終わった瞬間から、
もう次の遷宮への準備は始まっています。

そして、当日の晴れの儀式からは目に見えないところにも、じつに様々な形で多くの人々に支えられ、
その家にしかできない伝統から、一般の庶民まで、
有形無形の伝統の技と精神が先祖代々引き継がれて今日の儀式が成り立っているのです。

そこには、妥協も、合理性も、経済性もありません。
ただひたすら伝統を守り、引き継ぐ精神だけです。
それがすべてです。そのための儀式なのですから。

たとえば、
遷宮儀式で神に奉納する装飾品のひとつに使われる宝剣の飾りを代々作ってきた家があります。
20年ごとの儀式のための技術を代々途絶えることなく、今に伝えています。
あんな古式ゆかしい仕事・・・いつも発注があるわけでもない、そのときだけの仕事のための技術を、
ただそれだけのために伝え残すという使命感はいかばかりか・・・
こんな便利に、ハイテクになった時代なのに、
そんな享楽から隔絶されたかのような生活、職場の雰囲気・・・
ほんとうに頭の下がることです。

もし、20年に一度の遷宮儀式がなかったら、
そんな伝統技術はとっくに途絶えてなくなっていたと思いませんか?

式年遷宮の儀式の意味は、そういうところにもあると思うのです。
しかも、それは、ただ「技術」だけを伝承しているのではないんです。

その宝剣の飾りには、本物の「朱鷺の羽」が2枚、どうしても要るのだそうです。
ご存じのとおり、朱鷺(トキ)は天然記念物になるほど希少な動物です。
絶滅危惧種です。
今年は、かろうじて日本の動物園にいる朱鷺の落ちた羽根を、
大切に大切に頂戴して、それは作られたそうです。

朱鷺が生きていてくれたからです。

つまり、その朱鷺が絶滅してしまったら、その宝剣は「再現」できない、ってことです。
1300年以上続いた伝統儀式は、そこで「再現」できなくなるのです。

そこで「神」は知るのです。
われわれが失ってしまったものを・・・

また、多種多様に大量に作り直される神職の衣装や装飾品の織物は、
すべて日本の蚕から作られた「国産の絹」のみ、だそうです。
皇室でも、皇后陛下が率先して蚕を育てていらっしゃいますように、
すべての儀式で天皇陛下がお召しになるものはすべて日本の絹だけです。
今は、安かろう悪かろうの中国産が押し寄せ、国内の絹製品のほとんどが日本産ではありません。
もし、安い中国産に駆逐されてほんとうに、完全に国産の絹がなくなってしまったらたいへんです。
遷宮儀式に、神に、「まがいもの」を供することになってしまいます。

そして「神」は知るのです。
われわれが失ってしまったものを・・・

しかし、これまで、幾多の危機や困難を排して、それは守られ、今に伝えられてきたのです。
世俗と切り離されているような特殊な世界を頑なに守ってくれる人たちによって。
絶対に失ってはいけない、絶対に途絶えさせてはいけないという、強靭な思いによって。

遷宮の儀式というのは、そういうものに支えられてきたのです。
そして、それによって、我々の国は守られてきたのです。

誰かが言ってました。
伊勢のお社が20年しか持たないからといって、
それをコンクリートで固めてしまったら意味がない
・・・と。


「朱鷺の羽根はいつなくなるか分からないものだから、今から鷺の羽根で代用しておこう」
というのが、今回の(いつもの)宮内庁の言い分です。

「朱鷺を絶滅から守る」という努力をせいいっぱいするよりも、
「今から代用品でよし(朱鷺が絶滅しても大丈夫)」というのが、今の宮内庁の考えです。

伝統も敬神も畏敬の念もまったくない。

陵(みささぎ)の土地が将来足りなくなるかもしれないから、
「将来のために今から墓を小さくする」のではなく、
足りなくなりそうなら、陵にできる豊かな土地がなくならないように
せいいっぱいの努力をすべきなんじゃないですか?

陵墓にできる豊かで清浄な土地を確保し、保護し、
そのために無暗な土地開発を規制する・・・
それが本筋じゃあありませんか?

ましてや、
「墓を小さくするために陛下を火葬にすればいい」など、
もってのほかです。


ほんとうの宮内庁なら、

ほんとうに陛下を慮るのなら、
「これ以上開発が進むと御陵にする土地がなくなります。
陛下にこれ以上ご心配をおかけしないためにも、国土開発はもっと考慮するべし

・・・と、行政や国民に進言するのが本筋なのではありませんか?

そのための「陛下の代弁者」なのではないですか?

自分の主義思想やプランのために「陛下のご意志を語る」などもってのほか!です。


木がなくなったからプラスチックで、
紙がなくなったからビニールで、
墓を小さくしたいから「陛下の体も焼けばいい」・・・
それが宮内庁、左翼の発想です。


式年遷宮がなぜ20年に一度なのか?

なぜ、お社が朽ちたときではいけなかったのか?
なぜ、
まだ使えるうちに、また新しく「再現」しなければならないのか?


それは、そういうことだと思うのです。

20年ごとにわれわれは試されているのです。
八百万の神を敬う心に曇りはないか? と。


その「証し」になることとして、
自然を敬い、自然を守る心が失われていないか? と。

蚕はいるか?
朱鷺はまだいるか?
緑はあるか?
清らかな水や、清らかな土地があるか?

それをわれわれは問われているのだと思います。


神に捧げてきたもの・・・
それは、そのまま、
人間にとっても大切なものだったのです。

「日本人が守るべきものを日本人はまだ守っているか?」
「よこしまな欲に惑わされて大切なものを手放してはいないか?」

それを、20年ごとに問われてきたのです。
そのための遷宮なのです。

20年ごとに問われてきたから、それらは守られてきたのではないでしょうか?
そして、
それを守ってきたから、われわれは守られてきたのではないでしょうか?


なのに、

あんな宮内庁の不敬なプランに乗っていいと思いますか?

そんな恥ずかしいものを、神に見せるのですか?


「これが平成の日本人の心です
」と、
世界に、次世代に 見せるのですか?



3世紀初頭に、われわれの祖先は世界最大級の天皇陵を造りました。
あの「仁徳天皇」の陵墓です。

今の、わたしたちはどうですか?
貧しい人もいるでしょうけど、お金持ちもたくさんいますよね?
日本人のほとんどは、どこの国より豊かに平和に生活してますよね?

どこが「簡素化」する理由があるのですか?
今、できるなら何故やらないのですか?
何故やれないのですか?

やりたくないからでしょう?
誰が?
宮内庁が。天皇が嫌いな左翼が。天皇を持たない敵国人が。

そんなことを「希望」してるのは、そんなやつらだけですよ?
本当に、あなたは、そんなに天皇を陛下を粗末にしたいと思っているのですか?

「え? どっこも粗末じゃないでしょう? 充分金かかるし、立派じゃないか」
って、ほんとに思います?
そんなのが左翼の考えなんです。

一度それを認めたら、次は、
「じゃあ即位の礼も簡素化でOKだね?」
「じゃあ宮中祭祀も簡素化で(雅子さん助かるしね~)」
「ついでに、宮中儀式も簡素化で」
「皇族警備も簡素化で」・・・
そうやってだんだん、一気に、進みますよ? 
「親しみやすさ」という詭弁によって、
皇室軽視、天皇軽視が、そしてゆくゆく「皇室廃止論」が。


それが目的です。そこが本丸ですから。

一度 軽々しくみられたものは、二度と、元の地位には戻せません。
一度「それでいいんじゃない?」となったら、二度と、今までのような敬意は払えません。

そうしてきましたから。
宮内庁が。マスコミが。教育が。


それを食い止めることができるのは、
今回のこの宮内庁の暴走を止めることです。

今、 しかできません。


将来の日本人に宿題を遺してはいけません。
遺恨を残してはいけません。

わたしたちがやらなければ。
わたしたちは決めなければ。

それができなければ、神の恩恵など受けれられようがありません。



「民を幸せにするために、神が自分を天皇としてお遣わしになった」・・・と
真剣に信じているから、無私の人生を送ることができ、
それを真剣に信じているからこそ、あの儀式ができるのではありませんか?

そんな「天皇」を、民が軽んじていいのでしょうか?

そんな「天皇」を、背伸びしてでも民が支えなくていいのでしょうか?


象徴天皇とは、
天皇の姿に、その背後に、「日本の姿」を見ることができる。
そういうものです。

天皇の立派さが、日本の評価にもつながります。

しかし、同時に、
天皇の立派さは、「民の鑑」 だと思います。



だからわたしは思います。

天皇のせいじゃない。


もし、このままにして、

将来、

たとえ天皇が立派じゃなくなっても、

たとえ民が天皇を敬えなくなっても、

それは天皇のせいなんかじゃない。


そうなったら、

それは、

左翼の口車にのって、

守るべきものを守る努力を怠った
 
われわれ国民のせいだと思います。




。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。



★世界に誇る日本の鉄道ダイヤの正確さは、すべて 「皇室」の存在の賜物であった!


★「海賊と呼ばれた男」のモデル 出光佐三が亡くなったとき、昭和天皇が初めて
 一般人に向けて歌をお詠みになった

※ぜひ、お読みください。




関連記事
スポンサーサイト
コメント
コメントの投稿
管理者にだけ表示を許可する
リンク
このブログをリンクに追加する
最新記事
カテゴリ
月別アーカイブ
検索フォーム
プロフィール

うさんぽ

Author:うさんぽ
アメブロにいた「うさんぽの小径」のうさんぽです。
普通の子持ちの主婦です。
うさぎブログのはずだったのに、気がついたらこんな重いブログになっていました…
思いっきり、主婦目線、母親目線、オバサン目線でいろんな情報に感想を書いています。

記事を引っ越してきたので改行が狂ったりリンクが開けないなど見苦しいところがあり申し訳ありません。

QRコード
QR
RSSリンクの表示