ひだまり    今は古事記に夢中! 日本人に謝りたい  ~ あるユダヤ長老の懺悔(ざんげ) ~  ①

アメブロから引っ越してきた過去記事の再公開と、                       もっと日本を知るために「竹田研究会」の紹介を主にしていきます。

日本人に謝りたい  ~ あるユダヤ長老の懺悔(ざんげ) ~  ①

日本人に謝りたい
 ~ あるユダヤ長老の懺悔(ざんげ) ~

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あるユダヤ人が天皇と日本について語った文がある。

彼の名はモルデカイ・モーゼ。
戦時中にルーズベルト大統領のブレーンとして日本を研究し、
戦後の対日処理立案(GHQ政策)にも加わったという。
彼は『日本人に謝りたい』という、極めて異例な内容を含んだ本を残している。

彼はこの本の中で、「共産主義」はユダヤ人が作り出したものだと言明し、
日本を揺るがした美濃部達吉の「天皇機関説」もユダヤ人ゲオルグ・イエリネックによる
国家機能弱体化運動の一環であったとか、宮本共産党委員長を育てたのもユダヤのラビ
(ユダヤ教指導者)だったとの衝撃的な事柄を記述しているが、その上で、
このユダヤの長老モルデカイ・モーゼは、

実はユダヤ人は日本を誤解していた、
日本こそユダヤの永遠の理想があると言い切り、「日本人に謝りたい」 と語っているのである。


■■■第1章:戦前の日本に体現されていたユダヤの理想


戦後すでに30数年を経た今日、
日本人は真の日本歴史を構築してきたという実感を全然感じない、とよくおっしゃる。
私にはその意味がよく分るような気がするのである。

それの意味するところは、経済の驚異的高度成長に反比例する精神面の退化現象と
この二者にみる跛行性のことではないだろうか。
戦後は虚妄だといわれて久しい。

私がここで考えることは、何よりもこの跛行性の原像を日本人はまだつかんでいないのでは
ないかということである。
この病理のルーツが分からないと、治療法も発見できないのは至極当然であろう。

日本をこよなく愛する私としては、この問題を解明して日本人が真の日本歴史を生き生きと
構築できるよう側面から及ばずながらお助けしなければならないという強い義務感、責任感
におそわれるのである。

何故か。それはこれら病巣のルーツがほとんど誤れるユダヤ的思考の所産であるからに
他ならないからである。
我々は信じ難いほど頭が悪かったのだ。
もともと、我々が犯した誤ちはごく単純そのものの誤ちだったのだ。

しかるに、この小さな誤ちの及ぼした影響は想像以上に大きかった。
それは、戦前まで日本が世界に冠絶した類い稀れなものとして誇っていた数々のものを
破壊してしまう結果となったのであった。

このことを知るに及んで、我々の心は痛むのである。
しかも、その日本が戦前もっていた類い稀れな長所というものが我々ユダヤ民族の理想の
具現化されたものでもあったことを知り、ますます我々の苦悩は倍加されるのである。


最近、日本でいろいろ比較文化論的にユダヤ人と日本人を対比した論調が出回っているよう
であるが、それらはいずれも軽佻浮薄なものばかりのようである。
もっとも、それらは若い同胞やユダヤ人の仮面をかぶった日本人の書いたものであるから、
その程度のレベルにとどまっているのもむしろ当然かも知れない。

たとえば、イザヤ・ベンダサン(山本七平)氏もその一人かも知れない。

彼は、日本の戦後史の非連続性を嘆くかの如きポーズをとり、
日本人の小善人的な性質をくすぐり、日本の病理は指摘しつつも、我々の犯した過誤に
頬被りしようとしている。
しかし、日本の戦後史は、我々ユダヤ人が過去の過ちを真摯な態度で告白しなければ解明
できない性質のものなのである。

私は、今後末永く日本人と親しく友好関係を保たせていただきたいと心から願うものとして、
日本の戦後の歴史的非連続性、いいかえれば何故戦前の理想的な数々の長所が失われたのか、
そのために真の日本歴史の構築を阻まれている日本人の深い苦悩からの脱出をお助けするために、
これら病巣のルーツを解明する作業を進めたいと思うのである。

それはまた同時に将来我々ユダヤ民族の理想を追求するときにも
再び大きな助けとなるであろうと信ずるからである。

ハーマン・カーンの『21世紀は日本の世紀』、
最近のエズラ・ボーゲルの『ジャパン・アズ・ナンバーワン』などは哀心よりの親日的な論調
であることは日本の皆様もご理解願えると思う。
しかし私にいわせれば、これらの前にどうしてもしておかなければならない大切なことがある
のである。
それをとばして今後の日ユ親善はあり得ないと思うのである。
もしユダヤ人が最も大切なことに頬被りしたままで日ユ親善を求めるなら、
それは間違いなく失敗に終わるであろう。

私は今後の末永き日ユ親善のためこの筆をとったのである。
この拙稿がささやかな日ユ親善の礎となれば望外の喜びである。

 

■■ユダヤ人こそ日本人から学ばねばならない


日本における近ごろのユダヤブームの特徴は、
比較文化論的にユダヤ人と日本人を二元論的思考で対置し、大抵の場合、
ユダヤ人は頭がいい民族である、日本人も学んだらどうか、というパターンのようである。

そこでは、ユダヤ人がさも自慢げに、タルムードその他の宝典から都合のいいものを
抜き出して得意然として高説をぶつ、というパターンが多いようである。
これに対して日本人は、お説ごもっともと謹しんで拝聴しているが如くである。
この光景を見ていると、ユダヤ人が先生であり日本人は常に生徒ということのようである。

また同時に、文化的、歴史的、思考的、感覚的特徴を二元論的に対置して比較するほとんど
のケースは、ユダヤ的なものを主役としているようである。

私から見た場合、日本にいる若いユダヤ人が以上のようなことで得意然となっているのであれば、
わがユダヤ民族の将来も決して明るいものではないという気がする。
と同時に、
黙って拝聴している日本人の謙虚深さにむしろ敬意を表さなければならないと思う。

私は、逆に、ユダヤ人こそ日本人から真に多くのものを学びとらねばならないのだということを、
若いユダヤ人に教える義務があると信ずるものである。





日本にいていろいろと著作その他で活躍しているユダヤ人は、戦後の日本しか知らないのである。
しかし、真の日本の世界に冠たる長所は、残念ながら戦後の日本にはもはやないのである。
ということは、戦前までの日本には存在したということである。

この事実を全く知らずに若いユダヤ人達は、
日本でさも得意顔で日本のウイークポイントと思われることを槍玉にあげて優越感に浸っている。

私が悲しむのは、これら若い世代のユダヤ人達が自分達ユダヤ人の理想とするものが
何であるかさえ知らないということだ。

そのような状態であるから、彼らは自分達ユダヤ人の真の理想とするものが戦前の日本に
あったということなど全く知る由もない。
日本人が黙って君たち若いユダヤ人の能書きを拝聴している理由がわかったことであろう。
全く問題にしていないのである。反論するにも値しないということだ。

ただ例外は、日本にしばらくいたことのあるラビのマーヴィン・トケイヤーであろう。
彼は『日本人は死んだ』という本を著わし、それは日本でベストセラーになったものであるが、
この中でトケイヤーはユダヤ人の真に理想とするものが戦前の日本には多々あったとし、
それが戦後全く失われてしまったのを非常に悔んでいるのである。

一人よがりの狭量をふり回して、あたかも日本人にものを教えてやってるんだと妄信して
得意然としている同胞の若者の多いなかで、このトケイヤー君はさすがラビだけあって
急所を突いている。こういう同胞を私は誇りに思う。

 


ラビ・マーヴィン・トケイヤー
1936年にハンガリー系ユダヤ人の家庭に
生まれる。1962年にユダヤ神学校でラビの資格
を取得。1967年に東京広尾の「日本ユダヤ教団」の
初代ラビに就任。1976年まで日本に滞在し、ユダヤ人と
日本人の比較文化論を発表。早稲田大学で古代ヘブライ
文化を教えたこともある。アメリカに帰国後、ユダヤ人
学校の校長を歴任。現在ニューヨーク在住。

 

日本でいろいろ能書きをたれている同胞の若い連中の恥知らずの愚行に対して
ユダヤ人として一言弁護させてもらえるなら、彼らは例えばタルムードの内容についても
すべてを知らない。
彼らが日本で書きまくっているユダヤ的思考法、タルムードの宝石などなどで彼らがあまりにも
多くのミスを気がつかずに過ごしていることには、実は我々長老にその責任のすべてがあると
いってよいかもしれない。

戦後生まれのユダヤ人は、タルムードの思想といってもその最も肝要な部分を教えられていない。
それはタブーとされているからである。
彼らはしたがって、真のユダヤの理想というもの──それは恐らく人類の理想でもあるだろうが──
を全く教えられていないのである。

このような同胞の若者が、日本に戦前あったすばらしいものを感知するわけがない。

尊敬する日本の皆さん、
私はユダヤ人の長老として、これら若僧の犯している恥知らずな次元の低い誤りを
お詫びすると同時に、我々ユダヤ人が犯したところの大きな誤り、第二次大戦終結直後の
日本人の精神的空白につけ込んで我々が持ち込んだところの諸々の誤れる思想について、
その過誤の原因および内容的非論理性、反真理性について詳しく分析し、
それが如何に日本人にとって有害なものであるかということを実証してみたいと思う。

勿論、この問題からみると、同胞の若僧どもの無知からくる誤りなどはものの数ではないのだが。
これによって一日も早く、尊敬する日本人が戦前あった世界に燦たる民族的長所を復活させて
頂きたいのである。

何故ならば、それが即ち我々ユダヤ人の理想でもあるのだから。

 

■■天皇制は古代からユダヤ民族の理想だった


日本民族のもつ最大の財産は天皇制である。
これは全く世界に類例のない偉大なものであり、
人類の理想とするものである。

 

18世紀フランスの思想家
ジャン・ジャック・ルソー

 
かつてユダヤ人の大思想家でフランス革命に大きな思想的影響を与えたジャン・ジャック・ルソーは、
かの有名な『社会契約論』で次の如きことをいっている。

「人もし随意に祖国を選べというなら、君主と人民の間に利害関係の対立のない国を選ぶ。
自分は君民共治を理想とするが、そのようなものが地上に存在するはずもないだろう。
したがって自分は止むを得ず民主主義を選ぶのである。」

ここでいう君民共治というのは、君主が決して国民大衆に対して搾取者の位置にあることなく、
したがって国民大衆も君主から搾取されることのない政治体制のことである。

ところがここで驚いたのは、日本人にこの話をするとみな不思議そうな顔でキョトンとする。
私は最初その意味が全くわからなかった。
しかし、だんだんその意味がわかってきた。

日本の天皇制にはそのような搾取者と被搾取者の関係が存在しない、
ということを私が知らされたからである。
今度は私の方が驚かされた。





日本人のためにちょっと説明しておくと、
欧州でも、また最近追放されたイランの王室でも、君主はみな国民大衆に対しては
搾取者の地位にあるものである。
したがって、亡命するときは財産を持って高飛びする。これが常識である。

だが、日本人の知っている限り、
このようなことは君主制というものの概念の中には全く存在しないのである。

しかるに、ユダヤ人ルソーの思想は搾取、被搾取の関係にない君主制を求めているわけである。
これは確かに理想である。
しかし残念ながら、ルソーはそのようなものが実在できるはずもないから
やむを得ず、民主主義を選ぶというものである。

私がルソーの時代に生きていたならば、ルソーにこういったであろう。
「直ちに書きかけの社会契約論など破り捨て、速やかに東洋の偉大な君主国へ馳せ参ぜよ」
と。

ここで非常に重要なことをルソーはいっているのである。
今日本で絶対の善玉の神として一切の批判をタブー化されている民主主義というものは、
ルソーによれば君民共治の代替物にすぎないということである。

私が日本人を最高に尊敬するようになったのも、
この天皇制というものの比類ない本質を知ったからである。

日本では戦前、比類なき国体という言葉があった。
またポツダム宣言受諾の際にも、この国体の護持という点が一番問題になったのである。
これは真に賢明なことであった。





この日本の天皇制はユダヤ思想の理想であったことはルソーの言葉でもわかるが、
他にもあるユダヤ人の言った言葉に次のようなものがある。

「わがユダヤの王は、目に見えない護衛だけで守られる。
われらの王は威厳にみちてその権力を行使するのは人民の幸福のためにだけであり、
決して王自身や王朝一族のためにこれを用うることはない。
かくして王への尊敬と威厳はいやが上にも高まり、人民に崇拝され敬愛されるのである。
そのため王は神格化されるだろうが、それはひとえに王の権威が人民に安らぎと幸福を保証する
コーディネーターの役を果たすからに他ならない。」

断っておくが、これは日本の天皇制の描写ではない。
ユダヤ民族の理想の表現なのである。
これを見てもおわかりと思うが、
ユダヤ人はルソーのいった如く、国民との利害関係をもたない君主が理想なのである。

私が日本の天皇制の本質を知ったときの驚きが如何なるものであったかは、推して知られたい。
地球上にユダヤ民族の理想が実在したのである。
一般のヨーロッパ人は、とてもこのようなすばらしいものを創ることはできないであろう。

我々ユダヤ民族も残念ながら未だ創ってはいないのであるが、
しかしそれがすばらしい理想であるということを知っているだけでも日本人に近く、
ヨーロッパ人よりも優れていることを日本人に認めていただければ無上の光栄である。

一般にユダヤ人が天皇制の類い稀な点を発見したのは、
戦後の天皇とマッカーサーの会見の時であった。
かといって、ユダヤ人全部が知ったわけではない。
今日本で勝手気ままにペンを走らせている若僧たちはもとより、こんなところまで知っているわけではない。

それではユダヤ人が初めて天皇制の類い稀れな世界に燦たる本質、
我々ユダヤ民族の理想である要素を完全に我々に教えてくれた、天皇とマッカーサーの
会見の時の様子を述べてみよう。

 

マッカーサーと昭和天皇
 ■■世界に類例のない君民共治

天皇が開口一番、自分の事はどうなってもいいから国民を救ってほしいと切り出した時、
マッカーサーは驚天せんばかりであった。

この席にルソーが同席していなかったのが真に残念であるが、
西洋の君主というものはそれこそマルクスのいう支配者、搾取者である。
一般大衆は被支配者、被搾取者に甘んじなければならない。

西洋の君主は、大衆から収奪した莫大な財産をもっている。
戦後GHQが天皇の資産16億円と発表した時、日本人はキョトンとしていた。
つまり、GHQは西洋の君主並みに日本の天皇も収奪した財産をもっているはずである
と考えたから、それを直ちに国民の前にみせつけたわけであろう。

ところがこれを聞かされた日本人は一様に、
そういう感覚の持主もいるのかと内心驚いたということである。
しかし西洋の常識としてはこれは奇異でもなんでもなく、至極当然なことだったのである。

かような西洋の君主は、いざ革命、戦争、政変などのあった場合は、
直ちに自己の生命の保証と財産の保全を求めて亡命などを計るのを常とする。
したがって、マッカーサーも最初天星が訪問の希望を述べた時、非常にきびしい顔をしていたという。
いってみればそれは当然のことであろう。
日本の天皇もいよいよ生命の保証と財産の保全のためどこか適当な亡命先の斡旋を懇願に来る
のであろうとマッカーサーが考えたのも、無理からぬ話であろう。

しかるに前述の如く、天皇は開口一番、自己の生命や財産の保証ではなく、
国民の財産や生命の保証を求めたのであった。

国民を質入れして自己の保身を計る西洋の君主とは逆に、
自己を質入れして国民の救済を求めたということである。

マッカーサーたるもの、すべからくルソーに対して自分が味わった感激を報告すべきであろう。

戦後の占領改革にも拘らず天皇制が存続できたことは、私の最も喜びとするところである。
これはひとえに当時GHQを牛耳っていたニューディール派、
つまりユダヤ勢力が天皇制に自己の民族の理想を見出したからに他ならないのである。

日本国憲法は後で詳しく述べる如くユダヤ人がユダヤ思想に基づいて作った作品であるが、
その憲法の冒頭に天皇の項を設けたのはこのためである。


http://inri.client.jp/hexagon/floorA6F_he/a6fhe800.html より 抜粋転載~


★“日本民族のもつ最大の財産は天皇制である。
 これは全く世界に類例のない偉大なものであり、人類の理想とするものである。



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★「海賊と呼ばれた男」のモデル 出光佐三が亡くなったとき、
 昭和天皇が初めて一般人に向けて歌をお詠みになった


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