ひだまり    今は古事記に夢中! 浅田真央 実は妖精ではなく「氷上の吉本」? ~浅田真央 ソチ金メダルへの道~

アメブロから引っ越してきた過去記事の再公開と、                       もっと日本を知るために「竹田研究会」の紹介を主にしていきます。

浅田真央 実は妖精ではなく「氷上の吉本」? ~浅田真央 ソチ金メダルへの道~

笑顔の浅田真央

浅田真央 実は妖精ではなく「氷上の吉本」?

http://dot.asahi.com/sports/sp/2013122500073.html

2013年12月のグランプリファイナルで2季連続4度目の優勝を果たした浅田真央(23)。
14年2月のソチ五輪での引退を表明している。
スポーツライターの青嶋ひろのさんが、真央の歩んできた道のりを描いた。

*  *  *
 
12年2月、四大陸選手権の開かれていた米コロラドスプリングス。
トイレでおかしな動きをする浅田真央を見かけた。

手をかざせば紙タオルが自動的に出てくる機械を前に、
いかに手を素早く引いてタオルを出させないか、で彼女は遊んでいたのだ。
こちらはどんなに素早く手を引いても、紙タオルが出てきてしまう。
「だめですよぉ、こうですよ!」
と、真央は笑い転げていた。

こんな真央は久しぶりだと思った。
10年前の写真を見返すと、フライドチキンの店で、棒アイスにかじりついている姿がある。
取材中に、「真央、ガリガリ君が食べたい!」とコンビニへ走っていき、
頬張りながら機嫌よく話を続けた。

「氷上の妖精じゃなくて、氷上の吉本」とは、母の匡子さんの当時の言葉。
あれから彼女にはいろいろなことがあったけれど、
素の部分は、実はそれほど変わっていないのかもしれない。

変わったのは彼女に向けられる視線のほうだろう。
オリンピック出場年齢に満たないのに、金メダル候補を負かした、05年。
その瞬間から、ひとつのストーリーができあがってしまった。

いつかこの子は、オリンピックで金メダルを取る。
目には見えない重い枷(かせ)を、彼女も無意識に感じたのだろう。
やがてコロコロと笑わなくなった。
涙も増えた。

そして、ソチ・オリンピックシーズン。
「今回こそ金メダル?」。話題はそればかりだ。
グランプリファイナルでは優勝したが、真央の状況はそれほどやさしいものではない。
ライバル金妍児(キムヨナ)だけでなく、ロシアや米国の若手は、みな鮮やかに3回転―3回転を跳ぶ。
彼女はそれにトリプルアクセルで対抗するわけだが、まだ今季、完璧に決めるところは一度も見せていない。

時代はアイコンとして、真央にオリンピックの金メダルを課し続けてきた。
彼女のストーリーは、金メダルでやっと完結する、とでもいうように。
でもせっかくの2度目のオリンピック。どうかその枷を外して、彼女を見てあげてほしい。

15歳から、23歳へ。
浅田真央の8年間を、私たちはせっかくつぶさに見てこられたのだ。
人に見られるために存在する女優やタレントのそれではなく、
ひたすらひとつのものに打ち込んだ女の子の、美しい8年間の成長を。
日本人がこんな形で目の当たりにするのは、初めてではないだろうか。

※週刊朝日  2014年1月3・10日号


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http://blog.goo.ne.jp/mycrop/e/624d03f7cbe7dc42a46c959bacc65da0

小さいころは、男の子みたいだった、真央

小さい頃から誰にも負けたくなかった。
男の子とケンカすれば必ず勝って帰ってきた。
髪をくくるのも、スカートをはくのもまれだった。
5歳で初めて履いたスケート靴。戦隊ヒーローの箸(はし)入れを愛用していた浅田の夢は、
その時から「お嫁さん」や「ケーキ屋さん」といった女の子らしいものではなかった。
どんな大会でも負けたくなかった。どんな大会でも金メダルが欲しかった。
将来の夢は自然と決まっていた。

「五輪での金メダル」と。

小学2年の98年、長野五輪で当時15歳のリピンスキー(米国)の金メダルに感動した。
「年上の選手ばかりの中で、1人だけ小さいのに難しいジャンプを次々と決めていた」。
同年、病気で入院していた母匡子(きょうこ)さんに手紙を書いた。

「絶対にオリンピック選手になるから」

20131028235133bbc.jpg

以来、五輪の金メダルだけを夢見てきた。
リピンスキーと同じ15歳で迎えた06年トリノ五輪シーズン、
GPファイナルを制して世界の頂点に立ったが、
国際スケート連盟の年齢制限に、わずか87日足りず出場できなかった。
母に「何でもっと早く生んでくれなかったの」と冗談で話したことはあったが、
不満をもらすことはなかった。
すぐに4年後のバンクーバーへ気持ちを切り替えた。




絶不調のこのころ、身長と体重、そして体脂肪に変化が・・

08年は世界選手権で優勝し、GPファイナルも制した。
ところが、五輪シーズンで、突然の不振に陥った。
昨年10月のロシア杯ではシニア転向後自己ワーストの5位に沈んだ。

得意の3回転半ジャンプが跳べなくなった。原因は肉体の変化だった。
身長は163センチと公表されているが、加藤トレーナーは「166センチの私とほぼ同じ」と明かす。
不振のロシア杯は自己最重量の49・5キロで出場していた。
金メダルどころか表彰台さえ危ぶむ声が出た。

しかし、浅田は自らの力でこの苦境を乗り切った。
この1カ月間で1日5時間以上の猛練習を課し、ジャンプを跳び続けた。
10%ほどだった体脂肪を約7%に、体重も48キロに絞り込んだ。
3回転半ジャンプも本来の切れが戻った。自信もよみがえった。

「金メダルがほしい」と、胸を張ってバンクーバーに入った。

目標だった3回転半ジャンプを2回決めた。だからこそ、小さなミスが悔やみ切れなかった。
メダルの色以上に、大舞台で最高の演技で金と競えなかったことが、悔しかった。

「予想していたよりもすごく、悔しさの方がある。この舞台にもう1度戻ってきたい」。

ソチ五輪まで4年、金メダルを追い掛ける浅田の夢物語がまた始まる。


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・・・・・・浅田真央物語-2- 「ライバル、現る」2010年03月03日 より~抜粋転載




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思いっきり、主婦目線、母親目線、オバサン目線でいろんな情報に感想を書いています。

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