ひだまり    今は古事記に夢中! 再 ・ 萩尾望都 「半神」 を読んで思うこと・・・   

アメブロから引っ越してきた過去記事の再公開と、                       もっと日本を知るために「竹田研究会」の紹介を主にしていきます。

再 ・ 萩尾望都 「半神」 を読んで思うこと・・・   

    
すべての人が幸福になれる方法 なんて、もともとないんじゃないですか?
すべてが丸く収まるような完璧ないい方法 なんて、どこにもないじゃないですか?


半神 自選短編作品集 萩尾望都Perfect Selection 9 (フラワーコミックススペシャル)半神 自選短編作品集 萩尾望都Perfect Selection 9 (フラワーコミックススペシャル)
(2008/02/26)
萩尾 望都

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※これは、2011年6月に出した記事でしたが、
昨今の新聞見出しに踊る言葉にあっさり迎合する人たちに対して言いたいことがあって、
この問題を今一度問うてみたくて抜粋編集して再度出しました。






主人公の双子の姉妹は、腰の辺りがくっついている「一卵性の双子」。

妹は天使のように愛らしく美しいが頭が弱く、姉は頭は良いが容姿が醜かった。
妹は、姉の体が作り出す養分を使って生きている。体は弱いが、美しい金髪でお肌もつやつや。
しかし姉は、妹に養分を吸い取られるため、顔も体も干からびた老婆のような風貌だった。

頭が弱くても美しいから誰にでも愛される妹。
頭が良くても醜い風貌のため顧みられない姉。

妹は頭も体が弱くて可哀想だと何をしても許され、
姉は頭も体もしっかりしているからと常に我慢を強いられる。
体がくっついているために、姉は常に虚弱体質の妹の世話を焼かねばならなかった。
落ち着いて本を読んだり勉強したくても、何も考えてない無邪気な妹に邪魔をされ、
ついにキレれて妹に怒ると、
父親から「知識はあっても やさしい心はないのかい?」と諭される…
そんな姉の妹に対する憎しみは募るばかり。

2人が13歳になったとき、分離手術の話が持ち上がった。
このままでは二人とも成長できないからだ。
しかしそれは、どちらかしか救えない手術だった。
どちらかを切り捨てるとしたら、当然、自分で養分を作り出せない妹を切り捨てることになる。
しかし、もしかしたら両方とも命を落とす危険すらあった。
両親は当然、両方失いたくない。
しかし、決断しなければ確実に両方ともを失うことになるのだ。

姉はリスクを承知のうえで手術をする事を承諾する。
手術は成功し、二人は切り離され、姉は「ひとり」で寝ていた。
姉はみるみる回復してゆき、妹はみるみる衰弱していった。
妹の病室行くと、美しかった妹の面影はなく、かつてあれほど嫌悪した
自分そっくりの姿になった妹がそこに寝ていた。

干からびた妹は、かすかな微笑みさえ浮かべて静かに息を引き取っていった・・・



この「半神」は、設定こそ奇異ではありますが、
人の心の中の「どうにも解決できない悲しみ」がみごとに描かれていますよね。

彼女、双子の姉が「幸せ」になるためには、
どうしても「半身」である妹を切り捨てる必要があった。
このままでは両方とも「不幸」になると分かっていたから、
「最善」の方法として、せめてどちらか一方だけでも「幸せに」と、
誰もがそう認識してくれた。
「それしかない」と。

でも、それでも、
他者(妹)を切り捨てて「幸せ」になった姉は、かつての妹そっくりの自分の姿を見るたびに、
自分の幸福のため不幸をひとり背負って静かに逝ってくれた妹
「切り捨てられた半身」のことを思う…。




これを読んであらためて思ったことは、
人間が自己の「幸福」を願い叶えるためには、きっと常に
こういう「二者選択」が行われているんではなかろうか…? 
ということです。

気がつかないうちに、人はきっと、誰かを、何かを、
いつも「切り捨て」ながら生きているんだ…と。

その切り捨てられた「半身」のことを誰もが忘れている。
もしかしたら、人は「忘れる」ことで精神の均衡を保っていられるのでは・・・

しかし、この「半神」では、
忘れようとしているけれど、普段はすっかり忘れているのに、
自分が、いつしか切り捨てた「半身」とそっくりになってしまったことによって、
どんなに自由でを謳歌していようと、幸福な暮らしをしていようと、
鏡に映った自分の姿を見るたび、そのことを突きつけられる・・・

静かに微笑みながら干からびて死んでいった妹の存在を忘れるな・・・というように。

誰もが「忘れる」ことで平穏に幸せに生きているのに、
彼女にはそれが許されない。
「自分の切り捨てた半身」のことをいつも突きつけられ、
答えの出ない自問、自責を、一生背負って生きていかなければならないのです。




でも思うんです。
人生って、世の中って、生きてる限りこういうことなんじゃないでしょうか?  

「100%誰もが幸せになれる」
なんていう道は、この世には存在しないんじゃないでしょうか?

人にはいろいろな価値観があって、
右を向いている人も、左を向いている人も、
未来を見つめている人も、過去ばかりを見ている人もいる・・・

そんな多種多様な「幸福感」を持っている大勢の人たちが作る社会において、
どだい、「全員が」「今この場で」「完璧に幸せになれる」
なんていう方法は、この世には存在しないのではありませんか?

人間でなくても、自然界の動物たちの社会においてさえ
「平等」なんてものが存在しないのと同じように、もともとそんなもの自体が「不自然」で、
物理的に万人が手放しで「幸せ」になるということは不可能であり、
それこそが「不条理」なんじゃないでしょうか?

誰かの幸せは、ぜったい誰かの犠牲(我慢)の上になり立っているんじゃないのか?
誰かの犠牲(我慢)が、誰かの幸福を支えているんじゃないのか?

それを「我慢」と思うか、「不幸せ」や「犠牲」と思うかも、
それぞれの感性、それぞれの価値観であって、それも絶対ではないと思うのです。

不幸せだと思えば不幸せだし、幸せだと思えば幸せだと思うし、
誰のための不幸せなのか、
誰のための幸せなのか、
誰を基準に考えているか、どこを、いつを基準に考えているかで
捉え方はまったく違ってくるはずです。

幸せになった人や自分より得をした人を妬んだり 憎む人もいるだろうし、
けっしてそればかりじゃない人もいるだろうし、
その犠牲を全く顧みない人もいるだろうし、一生背負って生きる人もいる・・・

その痛みや苦しみを、ただの苦痛と思う人もいれば、
その試練の先にある結果のための喜びと感じる人もいる。

子供のために、自分の食事や着る物を我慢することだってそうです。
会社を守るために自分が頭を下げることだってそうです。

今、自分が我慢することで、
社会が、国が、後輩が、子孫が守られ幸福になるなら苦労も犠牲も厭わない・・・
それも人間のはずです。


それが日本人だったのでは?
そういう日本社会だったからこそ、日本はここまで輝き続けたのでは?



原発にしたって、
憲法改正にしたって、
消費税増税にしたって、
円高、円安にしたって、
それが是でも、非でも、
「誰も犠牲にしないで済む方法」 なんて、
「誰も痛みを伴わない方法」なんて、
「すべての人が平等に幸せになれる」などという上手い方法なんて、
果たしてあるんでしょうか?、

誰一人傷つかない、誰一人我慢しなくていい方法なんて、
「みんなが笑顔で万々歳」 なんて方法は、そもそもこの世にあり得ないんじゃないですか?


それでも、なんとかしなければならない。

「決断」はしなければならない。

「何か」を切り捨ててでも、守らなければならないものがある・・・。

早くなんとかしないと、決断が遅れるごとに、
救われる「半身」の生存率が刻一刻と狭められ、結局は全員が共倒れ・・・ 
そんな最悪な結末だけは避けなければならないと思うのです。

その最悪の結果を生み出しそうなこの議論の「停滞」の原因はなんなのか?
それだけははっきりしていると思うのです。


今回のことだって…


昨今のマスコミの「声」を聞いているとつくづく思います。

犠牲や平等という言葉は、個人の救済ではなく、
特定の人たちの利益の追求のために使われることもあるのです。

また人は、都合のいいときに「平等」を求め、
別の都合では一人の利益のために大勢の犠牲を強いることもできる。

どちらが優先されるかは、
どちらが正しいか、どれだけ議論したかではなく、
おおよそ、単に「声が大きい方(先に広めた方)」に有利になっているのが今の現実だと思います。

世論をマスメディアが報道しているのではない。
マスメディアに乗った方が世論を作っているのです。

それって おかしくないですか?


「平等」とか「不公平」だとか、
そういう言葉を自分の都合だけに合わせていたら
自分の都合だけに合わせてくれるのを聞いていたら、
それはあなたにとっては心地よく聞こえるかもしれません。

が、あなたの財布の中身「だけ」を心配してくれる「甘言」に惑わされてはいけません。

それはあなたの財布を守る振りをして、じつは、あなたの「家」を奪うつもりだからです。
あなたの安全を守る振りをして、じつは、あなたを守ってくれる「国」を奪うつもりだからです。

財布を守っても、家が焼かれたら何にもならない。

たとえ財布がいっぱいでも、子供から笑顔が消えたら何にもならない。

あなたの財布にいくら万札を入れてもらっても、
国が傾いて日本人として生きにくい世の中になったら何にもなりません。

たとえ、ファーストクラスのチケットをもらっても、
国力が弱って、日本国のパスポートの「効力」がなくなったら、
何の自由もなくなりますし、誰もあなたを守ってはくれません。

ポケットがいくら膨らんでいても、帰る家がなければ何にもなりません。



ちょっと思い返してみてください。

誰だって矛盾をかかえて、それでも常に選択してきたんです。
まったく何の痛みを伴わないで、
まったく何も諦めずに全方位に上手くいくことなんてなかったでしょう?

それが、わたしたちの生きている現実世界なのではないでしょうか?

何か大事なことを決断するとき、
わたしたちはかならず「何か」を切り捨ててきたはずです。

「今の犠牲」より、「未来の喜び」のために。

自分より大切な「誰か」の幸福を守るために。



そして今度こそ、
間違った切り捨て方、間違った判断をしないように、
「わたしたちの意見」で日本を守らなければならないと思うのです。





・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 追記 ・・・・・・・・・・・・・・・・



マスコミ左翼のシュプレヒコールにうっかり騙されて
「憲法が改正されたら徴兵制になって戦争に行かないといけなくなる!」
などと本気で思ってしまった人たちにわたしは言いたい。

そう思ってしまったのはなぜか分りますか?
なぜ、マスコミの言葉を信じなかった人たちと、あなたのように信じてしまった人がいるのか、
その違いが何なのか、分りますか?

あなたがなぜ「それは嫌だ」と、「それは困る」と思ったのか?
なぜその「情報」をあなたが信じてしまったのか、支持してしまったのか、
わかりますか?

あなたが「嫌だ」と反対した意見を支持した人たちと
何が違うのかわかりますか?



あなたには幸福を追求する権利があります。

そのための自由を選択する権利があります。

嫌なことを拒否する権利もあります。


でも、その「権利」だけで、
本当に人は幸せになれるのでしょうか?

社会は、国は、良くなるのでしょうか?


自分の損得や好き嫌いだけでなく、
本当に誰かのためを思って払うべき犠牲も必要ではないでしょうか?

今の平和な日本、豊かな日本を作るために、
わたしたちの日本を守るために、命もかけて犠牲を払ってくれた人たちがいたことを
あなたは考えたことがありますか?

彼らがもし、あのとき「嫌だ」と逃げていたら、
今の日本はなかったことを、
今のあなたの人生もなかったかもしれないことを考えたことはありますか?


自分だけは「守られ」て、
その犠牲は誰かに丸投げしても構わない・・・

誰かの犠牲の上にこれまで自分の幸せが守られてきたことは考えない・・・

自分が犠牲を払う番になったら、
さっさと逃げ出して安全なところから相手を非難する・・・


そんな自分が 鏡に映ってはいませんか?





。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。



★萩尾望都 『半神』
※以前書いたこれは、はっきりとは書いてないけど、「原発」について言及したものでしてた。
もちろん、今回のも原発にも当てはまりますが、
今回の総選挙で争点になっている消費税問題や憲法改正問題、
特定秘密保護法、在日特権問題等についてもそうなのではないかと 思います。








<参考記事>
★「海賊と呼ばれた男」のモデル 出光佐三が亡くなったとき、昭和天皇が初めて
  一般人に向けて歌をお詠みになった

「忍び難きを忍び、耐え難きを耐え…」は、陛下が国民を信じていたからこその言葉。
日本国民がその信頼に応えたからこそ、
日本人が自分の損得だけを考えるような浅ましい国民ではなかったから、
今の日本の復興と繁栄があるのです。


『韓国の子育て観』 と 『日本人の子育て』を「子供の日」に考える・・・


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