ひだまり    今は古事記に夢中! TVドラマ版「永遠の0」はまるで韓国人のドラマみたいだった! ②

アメブロから引っ越してきた過去記事の再公開と、                       もっと日本を知るために「竹田研究会」の紹介を主にしていきます。

TVドラマ版「永遠の0」はまるで韓国人のドラマみたいだった! ②

  
   
テレビドラマの「永遠の0」を見ました。

※どうぞ その① からお読みください。


映画が良すぎたので(わたしと娘は映画館で3回見ました)、正直、ドラマは期待していませんでしたが、
前宣伝で、映画よりも「原作に忠実」に作られているとか、
時間をかけられる分、「丁寧に」作られていることがやたらと強調されており、
それには興味はあったので一応見てみました・・・ 
が、
それは想像以上に、いや、想定外に不愉快な違和感を覚える作りでした。



映画はたしかに素晴らしかった。    ※(映画の感想はここ) 
あれは、戦争映画としては珍しい「100%日本人魂」で作られていると思いました。
昨今稀に見る素晴らしい日本の映画だと思います。

映像美もさることながら、脚本の素晴らしさに感銘を受けました。
台詞のひとつひとつにも、カメラワークや演出の妙にも、
役者の選定にしても、それに応える”役者魂” からしても、なにもかもすべてが、
短い時間の制約の中で、いかに作者の気持ちを大切に過不足なく伝えようとしているかが
窺える、製作者側の気概、プライド、心意気というものが節々に感じられる作品でした。

ある意味では、ほぼ同時期に公開された宮崎駿の「風立ちぬ」の世界観と同じものを感じました。
「これこそが日本人の作る日本の映画だ」 と、心から感動しました。

が、

ドラマ版はとても「日本人が作った」とはわたしには思えませんでした。
日本人が日本人のために作った作品とは到底思えませんでした。

日本人の精神や民族性を理解してない者が作ったとしか思えない、
日本人の美徳や価値観を理解できない者が、日本人の振りをして作った・・・
または、
あえて日本人に邪なメッセージを送るために作った・・・ としか思えませんでした。

日本人を鼓舞する百田氏の作品や映画が脚光を浴び評価されてしまったので、
その価値を下げるため、あの作品のテーマを汚すために作られたとしか思えませんでした。

少なくとも、百田氏の「これが日本人だ」というテーマからはほど遠いと思いました。

日本人らしい「あ・うん」の呼吸や、行間を読む日本人の情緒や、
日本人の当たり前のように自分の感情より相手の気持ちを思いやる心や、
それをさりげに表現する日本人らしい所作や台詞のやり取りの機微などがまるでない。

「どこが丁寧なんだ!!」
「どこが原作どおりなんだ??」 と思わずにはいられませんでした。

なぜあの原作が日本人に評価されたのか?
なぜあの原作が今になって再評価されたのか?
その意味がぜんぜん解ってない。
その価値がぜんぜん伝わってこない。

皆まで言わなければ解らないようなら、小説の意味などないじゃないか?
皆まで言わなければ解らないようなら、映像にする意味などないじゃないか?

あなたは、あのドラマを見て、そうは思いませんでしたか?

本当にあれに感情移入して、本当にあれに感動できましたか?

本当に、原作の世界観が、原作の訴えるものが表現されていると、
原作が大事にされていると、敬意が払われていると思いましたか?

わたしには到底思えませんでした。
たとえ100人の人が「いい」と言っても、
たとえ1000人の人が「感動した」と言っても、わたしは賛同できません。

誰が何と言おうと、たとえ百田さんがあれを容認しようと、
わたしはあの原作と映画を愛する者として、あそこに描かれていた日本人を誇りに思う人間として、
正直な感想だけを、正直すぎる評価を書きます。



日本人は「あうん」で行間を読む民族。
言外を察する民族です。


まして、あの時代です。
今よりずっと、なんでもかんでも言葉にしない時代です。
言葉にしなくても「空気」で解れ、目は口ほどに物を言う、まして、
ぜったい、「愛している」なんて言葉は言わない時代の話です。

何もかも言ってしまったら、それっきり。溢れる思いだからこそ、言わずもがな・・・
口に出して言うと(大事なものが)減りますから」っていうのが日本人感覚です。
なのに、
あのドラマ全編に彩られた、どうにも拭えない深刻な「違和感」はどうでしょう。

自分の思いを誰かに言わないと気が済まない
自分の辛さを相手にぶつけて分からせないと気が済まない
・・・っていうようなセリフや仕草、それって日本人ですか?

脇の憎まれ役がやるのなら解るけど、
主人公自らが、それも主要人物がみんなしてそれやってるのって、
それ、日本のドラマですか?
それ、韓国人のマインドじゃないですか?


つまり、これ作ってるのは、
原作の意図が読み取れない人、
書いてある「文字」そのまましか読み取れない人、
つまり、言外の日本人の心を読み取れない人たちだとしか、わたしには思えない。


「こんなのは日本人じゃない」
と何度も叫びながら見ておりました。
「大根役者のせい?」
でも、どの役者も過去にそれなりに「いい作品」に出たそれなりのベテラン揃い。
「いい作品」ではそれなりにいい演技をしていい役者に見えたと思いましたが、
どんなベテラン俳優でも所詮「演出次第なんだ」と、
台本次第でここまで「大根役者養成ドラマ」になるんだな~ と感心しました。

「語るに落ちる」陳腐なセリフ回し、
「機微」という言葉を知らない民族が作ったとしか思えない仰々しい顔芸や仕草、
学芸会みたいな激高シーン、携帯小説より酷い無駄解説、
これでもかという「悲劇の押し売り」・・・
あれでは、昔の「大映ドラマ」を見ているみたいでした。

(韓国ドラマの元は、百恵ちゃんが全盛期の頃の日本の大映ドラマを模範にしたそうです)

もし、かれらが韓国ドラマに出演したら、
きっとまたこういう演技しかできないんだろうなと思いました。


だって、あんな表現はおかしいでしょう?
原作とはまったく違う!
あの登場人物たちは、日本人の心も、日本人の価値観も情緒も持ってない!
少なくとも、そういう演出になっていない。

日本人ならこんなこと言わない!
日本人ならこんなことしない!! ・・・ってことばっかり!!です。

最初は映画と違ってたっぷり時間をかけられるから、
原作に忠実に作ってるのかな…って思って少しは期待したけど、だんだんこれは
「ただの時間の無駄」だと思った。
そのうち、ただの「無駄」以上に「悪意」を感じ始めました。

限られた予算内でいいものを作ろうとか、原作に恥じないものを作ろうとか、
そういう気概というか、情熱やポリシーが感じられない。

ポリシーはあるのかもしれない。
百田氏の主張をうやむやにして原作の意義を貶めようというポリシーなら。


これに比べたら、あの映画作品のクオリティの高さが改めてわかる。
映画は演出も、演技も、カメラも、台詞も、キレッキレだったな~
と、今さらながら感心します。 

前にも映画の感想で書きましたが、小説でさえ「行間」というものがあるのです。
まして、映像という武器をもつ映画、ドラマなら、小説でいう「行間」に当たるものは
演技の間とか、俳優の目力とか、セリフの妙とか、
文章では書けない、言葉に表し切れない、言葉が要らない・・・それこそが映像の強み…のはず。

映画は、それがとても効果的に生かされていて素晴らしかった。
その呼吸こそが、そのセリフの間こそが日本映画だと、日本人の心の機微だと思った。
しかし、ドラマの方は、それが まったく ない!
ないどころか、
まるで、そういう技法を知らない、そういう効果の価値を知らない、
というか、そういう心を知らない・・・
だから、知らないものは表現しようがありませんよね?
そもそも、そういう日本的な感性を持ち合わせていない。
つまりは、
日本人なら当然持ってるはずの共通認識や共通の価値観を持っていない人たちが作った
としか感じられない・・・!

だから「韓国ドラマ」だと言ったんです。


まるで、
自分の気持ちは全部言葉に出して言わなきゃ気が済まない、
自分の気持ちの高ぶりを全部相手にぶちまけなきゃ気が済まない!
・・・っていう韓国人のマインドそのまま、韓国ドラマの作りそっくりです。
そう思いませんでしたか?


日本人の「秘するが花」的な美徳感覚は一切ない。
「言葉にしないからこそ意味がある」という感覚が一切ない。

日本人は、相手の気持ちを尊重して自分の思いを「しまっておく」ものです。
それが美徳だけど、それを傍で見ていて、ハラハラ、じれったく思う・・・
のがドラマの面白さであって、見ていてじれったいんだけど、やっぱりそれが
当然だと思ってるし、だからそういう主人公に感情移入できるわけだし、
また、
わかっていても、何もかも全部は言わない、
皆まで言わずとも察するのが日本人の心。
そういうものがまったくない。
大事な思いであればこそ、簡単に言葉に出すと意味がなくなるというか、
言葉に出さないからこそ、見る人がより深く自分の言葉で感じ取ることができるとか、
そういう配慮がまったくない。

「あたまの悪い人のために原作でわかりにくい部分の答えを全部用意しておきました」
っていう配慮は感じられますけどね。 
いや、それより、
「原作や映画はさっぱり意味が解からなかったから、今度はちゃんとはっきり解かるように
親切に作りました!」っていう感じ?
って、、それも間違ってるよ! 
てか、あの原作の真意を理解できないところがもう・・・ ね?

感性で理解すべきところも、ベラベラベラベラ・・・何もかも喋りまくって、
こっち(見てる方)が感じ取る(読み取る)間も「楽しみ」も与えず、先走って
全部ご丁寧に「トンチンカンな説明」しちゃうって!

しかも、「自分可愛い」または「自分かわいそう」色に満ち満ちてるなんて!
あんなの、どこが日本人じゃ!! (怒)

そんな底の浅い、薄っぺらなセリフばっかり!!
薄っぺらな行動ばっかり!!
感動どころか、「ばかじゃないの?」 っていうシーンばっかり!

日本人なら、こういうのを恥ずかしいと思うし、
ダサいと思うし、かっこ悪いと思うし、
そうでなかったら、あの「高倉健」のような演技が愛されるわけがない。

もし、これ日本人に「これが日本人だ」と言って見せてるとしたら、
日本人を馬鹿にしすぎ!

それに気づかない日本人は馬鹿にされすぎだと思う。


あ! 
「丁寧に作った」っていうのは、「丁寧に全部説明した」 ってこと?

あたまの悪いあなたにも解るように丁寧に説明しました! って?
原作が「不親切」で、解りにくかったことを全部解説しておきました! って?

それが「丁寧」って意味だったのか!!!

視聴者を馬鹿にするにもほどがある!!    



日本人として絶対おかしい一例を挙げます。

わたしは映画で、田中 泯が演じた影浦の神がかった演技、いや、
影浦という人物の「心」に胸打たれました。
カメラワークを駆使した「宮部さんの機を絶対に守る!」 云々・・・という名セリフのシーンです。
原作以上に感動しました。
あの場面だけをリピしたいくらい、あの場面をもう一度観たいがために何度も映画館に足を運んだ
と言っても過言ではないくらい、あの映画の中であそこが一番好きです。
あの台詞、あの目力、あの気迫、
それは俳優としての気概、プライドが、ビシバシと伝わってくるものでした。

それに比べて、ドラマの方のあれはなに??

日本のヤクザを馬鹿にしてるの?
あれは「ヤクザ」じゃない。ただのチンピラです!
しかも、薄汚い感まである。
少なくとも、気高さというものがない。
出てきた瞬間にテレビ消したくなりましたよ!

あんなの本当のヤクザじゃない。
あの時代の、本物の日本人ヤクザはあんなんじゃない!

たとえヤクザに身をやつしても、日本人ならあんなことしない。
お金を、あんな風に相手に「ぶつける」なんて下劣なこと日本人の感覚ではない。
しかも、あんなシュチュエーションで、
恩人の、自分が「愛する」男の妻にお金を「投げつける」行為をするわけない!

どこが原作に忠実なんか?
どうでもいいところだけ無駄に忠実なだけで、
こういう肝心なところは勝手に解釈を変えているとしか思えない。

あのドラマは、あの演出ではまるで、
まるで穢れた者に穢れたモノを「与えてやる」かのような不遜な態度・・・
あんな、相手を愚弄するかのような高飛車で下品な態度はありえません。

宮部への敬意が、その妻への尊意がまったく感じられません。
あんなことを日本人ならするわけない!!
わたしは即座にそう思いました。

となりで見ていた娘も同じでした。
「今、お金投げた! は? ありえん!!」 と。
まだ二十代前半の娘ですら、「日本人じゃない」と。


おかしいのはまだまだあります。
戦後初めて大石が松乃に会って宮部の最後を話したときの松乃の態度も・・・
松乃への本心を語ろうとするときの大石の態度も・・・
大石の自分への献身がなんなのかを確かめるときの二人の態度も・・・
姉景子が祖父宮部の「本心」を語るシーンも・・・


原作から離れて、やっぱりちゃっかり左翼視点でモノ言ってるし・・・
「はあ? そんなの原作になかったし!!」 って、叫ぶこと数回・・・ 
つくづく、本当にこんなのに百田さんはOK出したのか疑問です。


映画では使われなかった大事な場面は、セリフはたしかに原作どおり使っているけど、
ただセリフを言ってるだけで、何も伝わってこない。

とくに、高山という新聞記者が
「その一点をもって、特攻は9.11のテロリストと同じ」
だと妄言を吐くシーンです。

あそこはせっかく、左翼新聞記者の妄言を一刀両断で論破し、
今の朝日新聞の反日捏造記事問題にも通じる、
「当時の新聞マスコミこそが、国民を軍国主義へと駆り立てた張本人だ」
ということを糾弾する大事な場面だったのに、
・・・・まるで学芸会並みの「迷演技」
というか、まるで台詞の)真実の重み」の大切さをわざと軽んじるかのような演出・演技でした。
そうは思いませんでしたか?
 
やる気あるのか?この俳優は! ・・・と思ったら、
よく見れば、この俳優、
他の映画やドラマでいつも腹黒い政治家や卑劣な悪党を演じる人じゃないか!
つまり、見る人にとって悪役イメージ・汚れ役イメージがついた俳優です。

なんで、見る人が共感できるような誠実そうな人物ではなく、
明らかに汚いイメージの手垢のついた俳優を使う?

そんなのをわざわざここに使うってところに、制作者側の悪意を感じずにはいられません。
あのやくざの影浦しかりです! (これについては こちら で)

どうみても、このドラマは「見てる人が共感できない人物」ばかりをわざわざ選んでいる
としか思えない。
セリフも、演技も、ただヘタクソというより、まるでやらされてるかのよう。
いいセリフほど、大事なセリフほど、絵空事のように、他人事のように感じる。
だから、ぜんぜん胸に迫ってこない。
セリフの意味が、言葉の重みが、まったく心に響いてこない。

「言葉が殺されている」と思いました。
 
伝わらなくてもいいこと(左翼的主張)は強調して伝え、
伝えるべきことは軽んじてうやむやにされている感じがしました。


また、娘が何度も繰り返し嘆いていたシーンは、
大石と松乃が初めてレストランでデートらしいことをしたとき、
ついに二人の関係をはっきりさせるときがきた・・・という大事な場面、
宮部の死の真相を語ることになる核心の話を松乃が切り出したシーンで、
「スプーンを手に持ったまま」まるで片手間感で大事な話をする大石の姿です。

うちの娘、二十代の若い女の子でさえそう思った。
「日本人だったら、あんな大事な真剣な話をするときは絶対に箸を置くでしょう!
あんな、スプーンを持ったまま、テーブルに肘を置いたまま大事な話を続けるなんて、
そんな態度を取られたら、わたしだったら相手に大事に思われてないんだと思う。
真剣さが伝わってこない。ぜったいあり得ない。 あのシーンはへん!!」

わたしもそれが日本人として普通の感覚だと思いますが、違いますか?

あなたにとってもっとも大事な人と食事をしているとき、
食事しながら、急に大事な話、「核心の話題」になったとき、
あなたならどうしますか? 自然と箸を置きませんか?

大事な話をするときには箸を置く・・・ 
それがごく当たり前の日本人の仕草ではありませんか?

スプーンだとて同じこと。 
大石がスプーンを持ったまま、「核心」の話を続けるあのシーンに、
あなたは日本人として違和感を感じませんでしたか?


上げたらキリがないくらい、
この作品は全編通して「日本人としてありえない演出」のオンパレードといってもいい。


これやってる俳優さんたちも、俳優としての矜持が許さないとかなかったのか?
こんなチンケな演出で、陳腐なセリフを言わされて、役者魂がブチキレなかったのか? 
製作者側もそういうプライドのない俳優を選んだってことか?


言わずとも察する・・・という日本文化、日本情緒が一切ない。
こんなドラマのどこに感動しろと?
どこに感情移入できると?    日本人を馬鹿にするな!  です。




最後に、
昨今、昔は毎年のように時期になると作っていた「忠臣蔵」のようないかにも日本人らしいドラマを
めっきり作らなくなったのも頷けました。

娘は「忠臣蔵」のドラマをひとつも見たことがないそうだ。
そういう世代ができてしまったのも、
ドラマを作るマスコミに、そういう日本人情緒や感性を理解できない人間しかいなくなったせいだと
思いました。
NHK大河ドラマや、風物詩のような人情ドラマや、英雄ドラマ、
とくに、純粋な質のいいラブストーリー物がまったく作られなくなったこと、その理由を
薄々感じてはいたけど、コレを見て確信しました。

本当に、制作サイドに日本人がいなくなったんだろうな・・・ と。




ここは辺境のただの一主婦の私設ブログですから、
わたしの感想を聞いて不愉快になって怒り心頭で書き込まれて来ても、
申し訳ありませんが、精神衛生上、読まずに却下させていただきます。





<参考記事>

★映画「永遠の0」を見て来ました! 
 日本映画、戦争映画にはめずらしい、左翼思想の全く入らない、
 百田氏の思いを裏切らない、まっすぐな日本人のための映画でした。



★「命をかけて愛する国の為に戦った彼らを誰が馬鹿に出来るというのだろうか?」
   ~ 神風特攻隊についての海外の反応 と 百田尚樹 『永遠の0』



★宮崎駿監督「風立ちぬ」は日本人精神そのもの ①  「ナウシカ」以来の入魂の傑作!!宮崎監督の日本人としてのこだわり

★宮崎駿監督「風立ちぬ」 ③ この作品が最後に われわれ現代日本人に伝えたかったもの・・・

★「海賊と呼ばれた男」のモデル 出光佐三が亡くなったとき、
 昭和天皇が初めて一般人に向けて歌をお詠みになった




■キャスト
向井理 多部未華子/桐谷健太 広末涼子
中尾明慶 千原せいじ 満島真之介 賀来賢人/金井勇太 工藤阿須加 尾上松也/石黒英雄 
澤部佑 大和田健介 木下隆行/渡辺大 中村蒼 笹野高史 津嘉山正種 近藤正臣 小林克也/
石橋蓮司 山本圭 柄本明/原田泰造 山口馬木也 渡邊このみ 高畑淳子/竜雷太 伊東四朗


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コメント
同じです
お久しぶりです。
特攻隊、永遠のゼロとなるとやっぱりノコノコ出てくる私でありましてっw。
同じってタイトルはこの場合テレビ版の事ではなく、映画版で私が最も泣いた場面が田中さんという方が演じたあの役の、あの場面でした。
あの気魄迸った演技、畳み掛ける「宮部を守る」という絞り出すようなあの言葉が今でも忘れられないのです。
そして「許してください、宮部さん」と遠ざかる宮部機に叫ぶあの声、あの顔が、今でもありありと蘇り、目頭が熱くなってしまいます。
この凄い演技をする俳優は誰なのかと思い続けて来ましたが、田中さんと言われるんですね。
うさんぽさんは「静ちゃんへの手紙」という動画をご存知でしょう?先日私は、あの大石伍長の遺影のある特攻隊の記念館に行き、彼の遺影を初めて見て、その突き抜けた美しい気魄に涙して来ました。清君というのは実は匿名であり、ネット上では捏造だと言われているのが悲しいのですが。
その大石伍長の妹への最後の手紙に溢れている優しさと清らかさこそが、殆どの特攻隊員に共通する精神性であったと私は思います。悩みながら苦しみながらも、全てを捨てて国難に立ち向かってくれた若者達への感謝と慰霊の気持は日本人すべての方々に持っていただきたいと心から願います。
だから百田さんの永遠のゼロの中の特攻隊員の心情でさえも、私にはまだ語りつくされてはいないと感じるのです。
ですからテレビ版へのお怒りはごもっともだと頷けます。
景浦のシーンが何回もみたいと私も思っていたので、今日はお邪魔させていただきました。
2015/02/19(木) 01:20 | URL | うみねこ #6AxYizGc[ 編集]
Re: 同じです
うみねこさん、コメントありがとう!!
続き書いたので見てくださいね。
いろいろ書いててお返事できなくてごめんなさい。
またあらためてじっくりお返事します。
2015/02/20(金) 12:33 | URL | うさんぽ #-[ 編集]
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思いっきり、主婦目線、母親目線、オバサン目線でいろんな情報に感想を書いています。

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