ひだまり    今は古事記に夢中! ドラマ版があまりに酷くて映画「永遠の0」の素晴らしさを再認識しました。 ②            田中泯の影浦の演技に心打たれた件

アメブロから引っ越してきた過去記事の再公開と、                       もっと日本を知るために「竹田研究会」の紹介を主にしていきます。

ドラマ版があまりに酷くて映画「永遠の0」の素晴らしさを再認識しました。 ②            田中泯の影浦の演技に心打たれた件

   
                           
さて、「ドラマ版があまりに酷くて映画「永遠の0」の素晴らしさを再認識しました。①」の続編です。

前の「TVドラマ版「永遠の0」はまるで韓国人のドラマみたいだった! ②」にも少し書きましたが、
映画版の演出に中でもっとも特筆すべき田中泯演じる影浦の名シーンについて語ります。

そして、ドラマ版の「日本人として絶対おかしい」違和感を説明します。


わたしは映画で、田中 泯が演じた影浦のあのシーンの神がかった演技、いや、
「影浦という人物の心」に胸打たれました。
カメラワークを駆使した
「宮部さんの機を絶対に守る!」 云々・・・という名セリフのシーンです。

あの場面は、原作以上に感動しました。
あの場面だけを何度もリピしたいくらい、
あの場面をもう一度観たいがために何度も映画館に足を運んだと言っても過言でないくらい、
あの映画の中であそこが一番好きです。

あの台詞、あの目力、あの気迫・・・、
それは俳優としての気概、プライドが、ビシバシと伝わってくるものでした。
そして演出家としても。

あの場面、あの演技のおかげで、
影浦が抱く「宮部」という人間の生き方への憧憬、敬意が顕されていたと思います。

そして、同時に、その影浦の心情を通して、
宮部という男の生き方は、日本人にとっての普遍的な価値を持つことを、
その尊厳は日本人にとって、何人も冒し難いものであることを暗に示していたと思います。
そういう日本人の価値観というものを。

それほど大事なメッセージがあそこには込められていたとわたしは思います。


自分とは真反対だった宮部に反発しながらも、心の底では惹かれ、
それを認めるのが嫌で宮部を憎もうとしたが憎み切れずに苦しんでいた影浦の情の深さ。
あれほど反発しながら、それでも、宮部という存在の貴重さ、尊さをきちんと認めていた
影浦の真の人間性、真の気高さ。
それが、尊いものを尊いと認める心、貴いものを自然と貴く扱える心・・・
日本人に共通する自尊他尊の精神である「他を尊ぶ」心であると教えてくれます。

たとえ尊い存在に出会っても、自分に尊い心がなければ、
尊いものを認める心がなければ、それを貴重なものとして認めることも、大切にすることもできない。
それを認めることができることこそ、その者が気高い心を持っている証拠だと思うのです。

それと逆に、自分が卑しい心しか持っていないと、
たとえ尊いものを目にしても、賎しい目でしか相手を見ないし、賎しい対応しかできないと思います。


簡単に言えば、

「育ちの良い、素直で、真面目な人間だけじゃなくて、
育ちも良くない、皮肉れてやさぐれた人間でさえ、
貴いもの、尊いものを見極め認める心を持っている・・・それが日本人だ」
ということを、この影浦という人物の描写から感じ取ることができるのです。

とくに、あの台詞です。
あの鬼気迫る迫真の演技、渾身の名セリフです。

宮部を失う瞬間にやっとその存在の重さ尊さに気づいたことへの後悔と、
それを埋めようとしてこれまで生きてきた影浦の人生の慟哭を一瞬で垣間見ることができます。

影浦という人間の本性の気高さが見事に表現されていました。

つまり、かれはただのヤクザじゃない。

チンピラの親分・・・などではないのです!
昔の任侠映画でいえば、たとえば「昭和残侠伝」の高倉健のような?
たとえば池部良のような? そんな存在だと思います。

なぜ彼がヤクザに身をやつしたかが原作の方には語られています。
しかし映画にはそういう心境や経緯は一切語られていないけれど、
たしかに彼が、ただ世の中に迷惑をかけるだけの暴力団ではないということが
あれでわかります。

それは、そういう演出であり、俳優のオーラであり、
その俳優、ああいう演出を選んだ制作者たちの
原作の真髄を伝えようとした明確な信念の表れであると思います。




それに比べて、ドラマの方のあれはなに??

日本のヤクザを馬鹿にしてるの?

あんなの本当のヤクザじゃない。
あの時代の、本物の日本人ヤクザはあんなんじゃない!
あれはただのチンピラです!
しかも、薄汚い感まである・・・ 少なくとも、「気高さ」というものがない。
出てきた瞬間にテレビ消したくなりましたよ!

たとえヤクザに身をやつしても、日本人ならあんなことしない。
お金を、
あんな風に相手にお金を「ぶつける」なんて下劣なことは、日本人の感覚ではない。
しかも、あんなシュチュエーションで、
恩人の、自分が「愛する」男の妻にお金を「投げつける」行為をするわけない!

どこが「原作に忠実」なのか?

たしかに無駄なところは忠実だった。
どうでもいいところだけに忠実なだけで、
こういう肝心なところは勝手に解釈を変えているとしか思えない。
原作の意図を、映画製作者の矜持を貶めているとしか思えない。


あのドラマの設定はおかしい。
まったく原作と違います。

影寅は、ずっと宮部の妻のことを気にかけていたはず。
ずっと松乃を探していたはずなのです。

そして、ついに情報を掴んだのでしょう。
どこぞのチンピラやくざに無理やり手篭めにされ囲われていると・・・
そして、乗り込んで行った。
偶然なんかじゃないはずです。
松乃が見た「殺人」は、ただの暴力団抗争ではない。
宮部の妻を救い出すために影浦が意図的に行った「出入り」のはず。

なのに、ドラマのあの演出は、
まるで、出入り抗争中の現場で「たまたま松乃を見つけた」ようになっている。
松乃にいやらしく刃を向けているのですから。 (あれはない!)
たまたま・・・? 
宮部が持っていた写真を一度垣間見ただけの記憶で、
やくざの情婦を切り殺そうかと思った瞬間、一瞬顔を見ただけで、
瞬時に思い出して「これが宮部の妻だ」となぜ分かる?

もし、そうなら、仮にそういう設定だとしても、予定された出会いでないなら、
なおさら、今、刀を向けた非礼を、無礼を詫びる気持ちも顕さなければ不自然では?
せめて自分の行為に恐縮し、もう少し態度を和らげて、丁寧に敬意をもって対応するのでは?

なぜあそこで数枚の札を「投げつける」?
なぜ投げつける必要があるのか?

原作では、「生きろ」と、「財布を投げた」とあります。
生きるための命銭なら、あらかじめある程度用意してきたはずでは?
ドラマのように、抗争に出向いてきたときたまたま持ってた財布の中のお金じゃ
ぜんぜん足りないのでは? 
それともあれは「これでちょっといいものでも食べろ」と?お小遣いをやったと?

あの態度は完全に馬鹿にしている。 完全に相手を侮蔑し、見下している。
宮部の妻に対してあれはない。


それに、なぜ原作では「財布を投げた」のか?

それは、日本人なら当然こう考えるでしょう。
というか、あまりに当たり前なので気が付かないだけだと思います。
お金を裸で渡すのは「失礼」だと思うのが日本人では?

かといって、あの場合、わざわざ用意してきたかのようにのし袋に入れてるのもおかしいから、
(影浦は最初から松乃に本性を明かす気はない)
だから「財布ごと投げた」のでしょう。

おそらく、ドラマの制作者は、その「投げた」という言葉だけから連想したのでしょう。
そして、日本人でない発想から、ああして松乃に「ぶつけた」のでしょう。
かれらにとって、「投げる」も「ぶつける」も大差ないのでしょうが、
でも、日本人にとっては違います。
日本人なら、相手に金をぶつけるなんて行為はよほど相手を軽蔑し見下していないとやりません。
その行為自体が、相手へのサインでもあるからです。
自分より格下で、侮蔑の対象であることを示すことだからです。
むこうの人なら、簡単にそれをするでしょうけど、日本人ならしないでしょう。
せめて、足元にお金をドサっと落とすでしょう。 顔や体に投げつけはしないと思います。

違いますか?

あのドラマは、あの演出ではまるで、
まるで穢れた者に穢れたモノを「与えてやる」かのような不遜な態度・・・
宮部への敬意が、その妻への尊意がまったく感じられません。

あんなことを日本人ならするわけない!!
わたしは即座にそう思いました。

となりで見ていた娘も同じでした。
「今、お金投げた! は? ありえん!!」 と。
まだ二十代前半の娘ですら、「あれは日本人じゃない!」と。

「たま~にだけど、バイト先のお客さんでトレイにお金をポイって放る人がいるんだけど、
あれ見ただけですごく不愉快。その人の人間性を疑う。
だってお金は渡すか置くものでしょう?その日は一日気分が悪いくらい、あれは嫌!」 
だと言います。

そういう不遜な態度に腹が立つ(あり得ない)というのが普通の感覚ではありませんか?


それとも、そんなところにこだわるのはわたしたち親子だけ?

もし、そうでないなら、あなたもあれに違和感を感じるなら、
どうかそれをまわりに堂々と伝えてください。
そのあなたの正しい違和感を堂々と公言してください。

でないと、ネットでは、「素晴らしい」「感動した」という先行情報によって
それに安易につられてリピする現象が起きてしまいます。

あの俗悪「アナ雪」効果のように。


テレビドラマの評判の悪さは、視聴率の低さは、
原作のクオリティのせいでも、原作者百田氏のせいでも、ない。

ネットでそういう喧伝がされてるようですが、それこそが 怪しい。

ただ、普通の正しい日本人の感性を持った人が、
原作を認め、映画を認めている人が、
テレビを信じていないから、映画より酷いと分かっていたから、
だから見る人が少なかっただけ。
見た人がすぐやめただけ。

あの少ない視聴率を支えたのは、おそらく、
もともと原作も映画も見てない、まだテレビを信じている情報弱者の方たちか、
原作を貶めたいという意図を持っている人たちであろうとわたしは思います。





★映画「永遠の0」を見て来ました! 
 日本映画、戦争映画にはめずらしい、左翼思想の全く入らない、
 百田氏の思いを裏切らない、まっすぐな日本人のための映画でした。



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