ひだまり    今は古事記に夢中! 一年ありがとうございました。

アメブロから引っ越してきた過去記事の再公開と、                       もっと日本を知るために「竹田研究会」の紹介を主にしていきます。

一年ありがとうございました。


みなさま、今年一年ありがとうございました。 m(__)m


わたしのだらだらと長い文章に、いつも根気よく辛抱強くお付き合いしてくださって、
ほんとうに頭が下がる思いとともに、感謝の気持ちでいっぱいです。
ありがとうございます。 

コメントしてくださる方、賛同してくださる方も、苦言を呈してくださる方も、
足跡は残していなくても、いつも読んでくださっている方々も・・・
ほんとうにありがとうございました。

趣味ブログが逸脱して、ほとんど脳内だだもれ状態の勢いで書いてるこんなヘビーな記事に
こんなにたくさんの人が読んでくださるようになったのは驚きとともに
うれしい気持ちと、こわい気持ちと、感謝の気持ちでいっぱいです。

長い専業主婦生活からこのトシになって仕事を始め、年と共に体が追い付かなくなってきて、
やたらと病気がちになり、ブログやTwitter生活に支障をきたすことが多くなった一年でした。
休もう、休もう、と思いながら、ちょっと復活すると頑張りすぎてまたダウン・・・
というのを繰り返して、皆様にもご迷惑をお掛けいたしました。 m(__)m

自分で書いてて胸が熱くなる記事も多々ありますが、自分としてはほぼそれなんですが、
なかには、読んでる方によっては、聞き捨てならないことが多かったらしく、
数々の苦言や苦情も寄せられ、なかなか神経をすり減らすことも多く、
何度も、やめよう、やめよう・・・と思いながらも、
あ~、また、おこられる~~ っと思いながらも、
結局、寝食削って書いてしまって (あ、「食」は削ってない)
ここまで来てしまったのは、ひとえにみなさまからのあたたかい応援と励ましのおかげです。

本当にありがとうございました。



日本に幸あれと願いつつ、今年はこれでお別れです。

最後に心温まる話で締めくくろう・・・と、話を探してみました。 
(過去記事からもってきただけなんだけど)



。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。


「八紘一宇」のこと

http://nezu621.blog7.fc2.com/blog-entry-524.html   より抜粋転載~


戦前において、日本のスローガンとして掲げられた「八紘一宇」(はっこういちう)について書きます。
「八紘一宇」というと、多くの人は「第二次大戦中、日本の海外侵略を正当化するスローガンとして
用いられた」という程度の認識しかないようです。

ほんとうにそうなのでしょうか。

世界大百科事典では、「八紘一宇」を、
「自民族至上主義、優越主義を他民族抑圧・併合とそのための国家的・軍事的侵略にまで拡大して
国民を動員・統合・正統化する思想・運動である超国家主義の典型」と説明している。

昭和32年9月、衆議院文教委員会で、松永文部大臣は、
「戦前は八紘一宇といって、日本さえよければよい、よその国はどうなってもよい、よその国はつぶれた
方がよいというくらいな考え方から出発していた」と説明。

昭和58年1月衆議院本会議で、中曽根康弘総理大臣は
「戦争前は八紘一宇ということで、日本は日本独自の地位を占めようという独善性を持ち、日本だけが
例外の国になり得ると思った、それが失敗のもとであった」と説明しています。

ほんとうにそうなの?

普通に考えて、人々が口々に唱える日本のスローガンがそうした「侵略」目的のものであったとする
なら、多くの日本人は、ついてこない。そう思いませんか?

「八紘一宇」を唱え、命をかけて戦ったのは、私たちの祖父であり、祖母であり、曾祖父・曾祖母
たちです。しかも彼らは青春を「八紘一宇」に賭け、「八紘一宇」のもとに青春を駈け抜け、
そして亡くなられた。

仮に、いまこれを読んでいるあなたが、あるいはボクが、
「日本には八紘一宇という侵略思想があるのだ。
その思想は、他国を蹂躙して財物や婦女を奪い、その国の庶民を殺しまくるものだ。
だから一緒に悪事を働こう!」 と言われたら、その気になりますか? 

そのことに命をかけて戦いますか?

自ら特攻までして命を落としますか? 

玉砕戦を最後まであきらめずに戦いますか?

ボクならしませんよ。
逃げだしますよ。馬鹿馬鹿しい。誰が好き好んで悪事に手を貸しますか。

内地にいた多くの母親たちだってそうです。
誰が好き好んで愛する我が息子・・・(それも、兵役にとられるのは、学業優秀、身体頑丈な、
とびきりかわいい息子です)を、そんな悪事に加担させるために送り出しますか?

婦人会、町内会、子供会・・・村中総出で、日の丸の小旗を振って、出征兵士を送ったのですよ?
それが侵略のためですって?? 
誰がそう考えていたのですか? 

軍部ですか?
じゃあ、軍部・・・いまで言ったら自衛隊が、独善主義に陥り、自民族至上主義、優越主義を他民族
抑圧・併合とそのための国家的・軍事的侵略にまで拡大して国民を動員・統合・正統化するから、
子どもを差し出せと言ったら、あなたたちは万歳といって子供を差し出すのですか?

戦前、出征兵士を送った人たちも、送られた兵士たちも、いまとおなじ、我々と血の繋がった日本人
なのです。

時代がそうさせた? じゃぁ時代ってなんです?
その時代のひとつの理想が、あったんじゃないですか?
みんながその理想に納得し、みんながその理想を本気で信じたから、命がけで戦った・・・
そう考えた方が、自然なのではありませんか?

その時代の理想・・・それが「八紘一宇」だった。
「八紘一宇」とは、日本書紀に出てくる言葉です。
「掩八紘而爲宇」
(=八紘(あめのした)を掩(おお)ひて宇(いえ)と爲(なさ)む))が語源となっています。
(「日本書紀」巻第三神武天皇の条)

「八紘」というのは「8つの方位(東西南北、北東、南西、南東、北西)」です。
8つの方位は、天地を結ぶ8本の綱だ。そしてこれが転じて「世界」を意味する語となった。

「一宇」というのは、「ひとつの家」という意味です。
つまり、「八紘一宇」は、世界はひとつの家族だ、という意味になります。

明治天皇の和歌にある、

 四方の海
  みなはらからと 思う世に 
   など、波風の たちさわぐらむ

四方の海=八紘 です。
みなはらから=一宇 です。

「一宇」を指して、「これは天皇の傘の下に世界を統一しようという侵略性を持った言葉である」
などとしたり顔をして説くアホがいるけれど、上に示した日本書紀の文のどこに「天皇が」と書いて
あるのか?
単に世界は一家と説いているだけで、どこにも「天皇が」などいう主語はつけられていない。
よく文章を読め! と言いたいです。

そして東京裁判の折、清瀬弁護人は、
「八紘一宇は日本の固有の道徳であり、侵略思想ではない」と述べている。
その通りだと思う。

「八紘一宇」について語るとき、よくひきあいに出されるのが、日蓮宗から新宗教団体国柱会を興した
田中智學です。
彼は、1903年(明治36年)、日蓮を中心にして「日本國はまさしく宇内を靈的に統一すべき天職を有す」
と説いた。これが、八紘一宇の侵略性を示していると説く人もいる。

まったく、ヽ(´o`;lll オイオイです。
いつから戦前の日本は日蓮宗の国になったのか?

なるほど日蓮は、日本の宗教を日蓮宗に統一し、国立戒壇の建立を説いた。
しかし、戦前の日本は国家神道であったはず。
いつから国の宗教が日蓮宗の、それも当時の新興宗教「国柱会」になったのですか?

彼の意見は、多様な価値観と言論の自由を許容する日本社会の中のひとつの少数意見にすぎない。
こう書くと、
「そんなことはない、日本には憲兵がいて、反日思想をとりしまったじゃないか」という人がいる。
それも違う。
田中智學がこの説を説いたのは明治36年(1903年)のことだ。
一定の言論統制をした大東亜戦争の40年以上も前のことです。
当時の日本では、実に様々な言論が、自由に主張されている。
だいたい創価学会が結成されたのも1930年だ。
「八紘一宇」は、戦前の日本の国策とされました。
それは、昭和15年7月26日の「基本国策要綱」に掲げられています。

皇国ノ国是ハ
八紘一宇トスル嚢国ノ大精神ニ基キ
世界平和ノ確立ヲ招来スルコトヲ以テ基本トナシ
先ツ皇国ヲ核心トシ
日満支ノ強固ナル結合ヲ根幹トスル
大東亜ノ新秩序ヲ建設スル

ひらたくいえば、
「日本の国是は、世界はひとつ、人類はみな兄弟という我が国の道徳観に基づき、世界の平和を
希求し、日本国(満州・台湾等を含む)を中心に東亜の新秩序をつくる」
という意味です。

これって、いまの日本国憲法の前文そのままです。
「東亜の新秩序」というのは、アジア諸国が植民地支配を脱し、それぞれの国の独立を促すという意味
で、実際、戦中から戦後にかけて、多くのアジアの国々が独立を果たし、植民地支配という隷属からの
脱出を図ることに成功した。
その被植民地からの脱出と独立にあたって日本がおこなった現地での学校建設、行政指導、教練等が、
きわめておおきな役割を果たしたのは、その後の歴史が物語る通りです。


※ ※


「八紘一宇の精神による東亜の解放・・・
そんなものは日本の大義名分にすぎず、内容は侵略戦争だった」 
という人がいる。
もしほんとうにそうなら、
なぜ、日本軍は、
インパール作戦で、38,000人の戦死者を出し、4万人以上の戦病を出し、
街道に日本兵の白骨を折り重なるように晒しながら、
その街道筋にある民家や畑を襲っていないのでしょう?

飢えと病に苦しみながら、何日も水さえ呑めずに撤収する街道筋には、
ビルマの村や寺が点在している。
現地の人が住んでいる。
家畜もいる。畑もある。女性もいる。
しかも彼らは非武装だ。
そして、敗軍となって徒歩で帰る日本兵は、実弾を込めた銃を持っている。

にもかかわらず、
日本兵はその街道筋で、ただの1件も、盗みをしていない。
強姦もしていない。殺人もしていない。
自らが、飢えと空腹、渇きにあえぎながらも、だたの1件も奪わず、
殺さず、姦せず、飢えに苦しみながら、日本兵という名の多くの日本人の若者が死んでいった。

これが侵略者・掠奪者の姿ですか?


八紘一宇は、我々日本人にとって、大義名分などではなかった。

いやそれ以上の、我々日本人の生きざま だった。
心の柱だった。


どんなことでもそうじゃないですか?
生きるということは、心です。

戦うということは、銃をポンポン撃つことではない。
明確な目的のために命がけで戦うということです。

ボクはね、戦争を美化するつもりも、礼賛するつもりもありません。
しかし、命を賭けて戦った先人達の思いと、その心を、
単に「大義名分であり」、「侵略だった」などと蔑むような真似だけは、絶対に許せない。

なぜならそれは、先人に対する冒涜だし、
先人を冒涜するということは、
とりもなおさず、いまを生きるわたしたちひとりひとりを冒涜することだからです。



。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。転載おわり


最近は、年追うごとに日本への評価は高まるばかりですが、
その評価や賛辞は、今を生きるわたしたちだけのものではありません。

こんなに素晴らしい日本を残してくださった先人の方たちに感謝しながら、
一年を無事に終われることを感謝したいと思います。


★「海賊と呼ばれた男」のモデル 出光佐三が亡くなったとき、
 昭和天皇が初めて一般人に向けて歌をお詠みになった。

※宮部久蔵だけが特別な人間だったわけじゃない。 あれが「日本人」だったのです。




。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。



今年はいろいろ波乱の年でしたが、
また、新たなる希望が見えた年でもありました。

来年はもっと素晴らしい日本の夜明けとなることを期待したいと思います。

日本や日本人がもっと輝く年になることを祈っています。


一年 ありがとうございました。

よいお年をお迎えください。



うさんぽの小径




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コメント
No title
友達に少しずつ古事記を広めております フフフ

よいお年を~~~~^^)b
2015/12/31(木) 16:03 | URL | ユリ助 #halAVcVc[ 編集]
Re: No title
ユリ助さん、コメントありがとうございます。
いつもユリ助さんのコメントにほっこりさせてもらっていました。
感謝しております。ありがとうございました。

> 友達に少しずつ古事記を広めております フフフ

わたしもじわじわ~~って感じです。
そのうち「古事記」つながりネットワークとか出来そうですね!

良いお年をお迎えください。
皇弥栄!!

2015/12/31(木) 23:11 | URL | うさんぽ #-[ 編集]
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