ひだまり    今は古事記に夢中! 『新しい言葉』が、社会そのものを変える『力』になる

アメブロから引っ越してきた過去記事の再公開と、                       もっと日本を知るために「竹田研究会」の紹介を主にしていきます。

『新しい言葉』が、社会そのものを変える『力』になる

    
以前書いたこの記事 
『共産主義思想』は、わたしたちが普通に使う言葉の中に入り込み、
日本の伝統や価値観を否定する為の世論作りや、日本を守ろうとする言論封殺に暗躍している。


これを万人に理解してもらえるように説明するのは、わたしの乏しい知識と筆力では困難さを感じて
いましたが、先日、ねずさん こと 小名木さんの記事でこんな話を見つけましたので紹介します。


ネットでアラシ行為をする人たち より抜粋転載~



ひとつおもしろいものをご紹介します。
日本史検定講座で藤岡信勝先生が述べられた論です。

********

湯川秀樹博士が中間子を発見しましたが、湯川博士が中間子と名付けようが 名付けまいが、
物質の振る舞いそのものは変わりません。
ところが社会についての言葉は、
言葉をつくってそれを人々の間に持ち込み、人々がその観念を共有するようになると、
社会そのものが変わって行きます。

ここが自然科学と社会科学の違うところです。
社会科学は、言葉をつくることが人々の意識を変え、 社会を変えて行く。
だから特定の言葉を宣伝して人々を動かし、革命に動員するとか、そういったことが可能になる
わけです。

********

これは重要な指摘です。
「新しい言葉が、社会そのものを変える力になる」という指摘です。

たとえば、民主主義という言葉は、英語の「democracy」の訳語ですが、
その語源は、もともとはギリシャ語の「地区」に由来します。
つまり「王権を、地区ごとに分割し、その地区ごとに代表者を出して協議して政治を運営する」
といった語感の言葉なのだそうです。
ところがこれを日本では、「民主主義」と訳しました。
地区ごとではなく、「民(たみ)が主役の主義」と訳しました。

もともと日本では、村落共同体のまとまりを惣とし、惣が集まって郷になり、
郷が集まってクニになるという社会システムがありました。
村落共同体では、毎月寄り合いがあり、そこは地域の全員参加という仕組みにも
なっていました。
そしてその民(たみ)は、ひとりひとりが「おおみたから」という仕組みにもなっていました。
ですから、日本人は、民主主義と聞けば、それはどこまでも
「タミが主役の主義」なのだと、本能的に理解します。
けれども、それは、もともとのdemocracyにある、
「王権を地区ごとに分割して統治する」という意味とは、微妙に内容が異なるものです。

また、この民主主義という日本の造語は、朝鮮半島や現代支那語にも迎えられましたが、
ところが彼の国では、
「民」というのは、城塞内に住む隷民の眼をつぶして、無理矢理言うことをきかせる
という意味を持った語です。
また「主」は、屋敷の奥まったところにいて、自分では何もせず、指示だけをする人のことを言います
つまり、そういう文化圏にある人々にとって民主主義は、
「上に立つ者が民衆を盲(めくら)にして、自分は後方にいて指示だけをする主義」
という語感に、本能的に解されてしまうわけです。

昨今、日本の国会にも、日本人のような顔をして日本国籍を持ち日本語を話す日本人でない人
が増えて来ましたが、彼らと生粋の日本人の政治家の議論がかみあうはずもないのです。
なにせ、言葉の定義がまるで異なるからです。

私はブログや講演や書籍などを通じて、「シラス、ウシハク」という言葉や、「おおみたから」、
「明察功過」といった言葉を拡散させていただいています。
それらはいずれも、私の造語ではありません。もともとの日本にあった言葉です。
けれどいまではすっかり忘れられ、その概念さえも失われようとしています。
そして社会がこの用語を思い出し、共有するようになると、社会そのものを変える力になる語だからです。

おそらく、そうされると困る人達がいるのでしょう。


。。。。。。。。。。。。。。 転載おわり



最後、ちょっと解り難かったかもしれませんが、
おそらく、筆者はこういうことを書きたかったのではないかと思います。

(ちょっと補足を入れて校正)

「わたしはブログ等で積極的に「シラス」「ウシハク」「おおみたから」という言葉を拡散しています。
しかし、それはわたしの造語ではありません。
それらはもともと日本にあった言葉です。
1300年前に「古い話」として記された「古事記」にあるのですから、
すでに二千年来、わたしたち日本人の中に深く浸透してきた言葉なのです。
けれど、
今ではすっかり忘れられ、その概念さえも失われようとしています。
おそらく、それを皆に知られると困る人達がいるのでしょう。
日本人が輝きわたると困る人たちが。
なぜなら、
その日本本来の「しらす・うしはく」や「おおみたから」の概念は、
人々がこの言葉の意味を思い出し、共有するようになると、
確実に社会を「より良く変える力」になるからです。

(かなり意訳しました)


以上をまとめて意訳すると、

ある意図をもって造り出された『新しい言葉』は、社会に「新しい価値観」をもたらし、
『新しい社会』」を作り出す力があるということです。


これが何を意味するかというと、

たとえば、日本の左翼が大好きなフランス革命の銘文「自由平等のように、

たとえば今共産党やシールズたちが叫ぶ 「民主主義」とか、「戦争法案」 や 「平成の治安維持法」のように、

『新しい言葉』の発信者、
その言葉を作った人間の意図悪意があれば、そのような「悪しき社会」を作り出す力がある
ということなのです。


まさに、共産左翼共が戦後行ってきたことです。

そしてその「効果」こそが、最近問題になっている
低俗で、無知・無遠慮・無分別な、今の「ネット・リテラシーの無さ」でもあるのです。


わたしが言いたかったのもそれなのです。
もやもやしたわたしの不安と危惧を殴り書きした、
前出の、
『共産主義思想』は、わたしたちが普通に使う言葉の中に入り込み、
日本の伝統や価値観を否定する為の世論作りや、日本を守ろうとする言論封殺に暗躍している。


まさにこれです。


つまり、

自分は真っ直ぐなつもりでも、
自分は保守正道のつもりでも、

あまりに「巷」にばら撒かれた、
耳慣れし、使い慣れてしまった『新しい言葉』(=共産左翼が作った言葉)
知らず知らず便利に使ってしまっているうちに、その言葉の力に取り込まれ、

その言葉を使って発信しているうちに、

いつしか その言葉通りの社会に、

共産左翼が望んだとおりの社会になってしまう・・・


ということを解ってもらいたくて書いたものです。


今度こそ解ってもらえたかな・・・?








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