ひだまり    今は古事記に夢中! 【日馬富士暴行事件】に思うこと ① 大相撲はただのスポーツではない。
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アメブロから引っ越してきた過去記事の再公開と、                       もっと日本を知るために「竹田研究会」の紹介を主にしていきます。

【日馬富士暴行事件】に思うこと ① 大相撲はただのスポーツではない。

 
わたしはそれほど相撲のことも角界のことにも詳しくありません。
でも、今回どうしても言いたいことがあるので誤解をおそれず書きます。

わたしは一生懸命相撲を見るような相撲ファンではありませんが、それでも日本人として
相撲は他のスポーツとは違う何か「別格のもの」だとという意識だけは自然に持っていました。

「なんとなく」だった相撲への認識が変わったのは、最近ブログを書くようになって、
日本のこと、神話や皇室のことを積極的に勉強するようになったとき、特に、元舞の海関
の話を聞く機会があってから、相撲に対しての敬意や日本人としての誇りをあらためて強く
抱くようになりました。

以前出したこの記事で紹介した本、『天皇との絆が実感できる100の視座』の中に掲載されている
元・舞の海関の話から引用し、他で聞いた話と合わせて、相撲と天皇(神事)との関係について
解説します。
(※この本はとても素晴らしいので、ぜひ、一家に一冊お持ちください!)

日本の伝統文化のひとつである大相撲は、天皇・皇室のご存在によって、じつに1500年近くも
守られてきた歴史的事実があるそうです。
そもそも相撲は皇居内で行われていた立派な儀式であって、神事でした。
塩をまいて常に穢れを清めますし、力士の鬢付けの髷も、宮中で儀式をしていた名残りです。
横綱の綱は注連縄ですし、力士紹介もマイクのアナウンスではなく、行司があのような歴史的
装束で「西に~東に~」とやるし、土俵の中央で力士が四股を踏むのは、昔、土の中には魔物
がいると思われていて、力士が土を踏みしめることで魔物を退治し、五穀豊穣を祈ったその名残
りなのだそうです。力士が大きく手を広げてパチっと手を叩くのは、「武器を持たず正々堂々と闘
います」という意味と同時に、「柏手」の意味もあるそうです。丁寧な力士は叩いた手を揉んでい
ますが、これは、神社にお参りする際に手を洗って口をすすぐ行為の代わりなのだそうです。
昔はどこにでも水がなかったので、手を下に伸ばして草をむしり、それを揉んで手を洗ったこと
にした名残りなのだそうです。
このように、今尚、相撲では昔の神事の名残りをしっかり残しているのです。
これが、相撲がただのスポーツとは違うところです。

天皇陛下が「大の相撲好き」であるのも、それはただの個人的な趣味なのではなく、
そもそも相撲は宮中神事だったのですから、日本人が相撲を「国技」として大事に思っている
以上に、そのずっと以前から、ずっとずっと深い意味で、陛下が相撲に対して敬意を持ち、
大切に思い、常に関心を寄せていることは当然(自然)のことなのです。
そのお気持ちは力士たちにもしっかりと伝わっていて、天覧相撲の際は、身が引き締まると共に、
いつもには無い特別な力が湧いてくるのだそうです。
昭和天皇も、今上陛下も、大の相撲好きですが、陛下が相撲を応援し気にかけてくださっている
ということが、相撲界を支えてているというのです。

かつて、明治天皇が京都から江戸に移る際、京都の力士たちが菊の御紋の陣羽織を着て先頭に
立ったことをたいへん名誉に思ったそうです。
また、相撲が時代と共に廃れそうになった危機を救ったのも、明治天皇の天覧相撲だったそうです。
昭和天皇は大の相撲好きで知られていましたが、戦後も40回にわたり国技館で相撲をご覧になり、
それがあって、天皇陛下を迎える大相撲として、きちんと体制を整えねば…ということで、現在の
相撲協会の形が出来上がったということです。

逆に、相撲界で不祥事が相次いだ時、
本場所が中止になり、数年にわたって天覧相撲が中止された時期がありました。
力士にとって天皇賜杯は最高の栄誉です。天覧相撲は力士に神がかり的な力を与えるそうです。
陛下をお迎えするために、国技館のお客が一斉に立ち上がって拍手で迎える光景を見る度、
「何と素晴らしい国に生まれたのだろう・・・」と感動したそうです。
相撲に限らずですが、陛下がご覧になっているとお客さんも周りの空気も違う。力士の気迫も違う。
ゆえに、「特別な力」が働いて歴史的な素晴らしい試合(手合い)が生まれることがある。

それが無かった数年間、なんと残念なことかと思ったそうです。
だから、天覧相撲が再開でき、陛下が国技館においで頂いた時は、
それはありがたい気持ちでいっぱいで、やはり相撲は天皇陛下に支えていただいているんだと、
相撲と皇室の絆をあらためて感じたそうです。



ところが、 (ここからがわたしの感想です)

今回の日馬富士の暴行事件を機に、今の相撲界の状況に、わたしは非常に危機感を感じました。

事件が発覚してから、毎日毎日新しい情報や展開を見せ、今回の件でもマスコミは、自分らの都合
のいいように、裏取りもポリシーもない無責任な情報を連日乱発し、世間を引っ掻き回していますが、
やっと大体の事実情報が出揃ってきた感が見えてきました。
もちろん、警察の事情聴取の結果や、その後の検察の判断がまだ先ですが、
この件が公になったことで、ひとつ明らかになったことがあると思うのです。
それは、日本の国技(神事)である相撲界の中に歴然と出来上がってきた、
モンゴル人同士の互助会とも言われる「モンゴル人力士の親睦会」の問題です。

これまで相撲に詳しくなかったわたしは、今回初めてその存在を知ることになりました。
そして、今回のこと、そして、今回のことをきっかけに知ったこれまでの様々な不祥事を考えると、
このモンゴル人で作る組織から愛弟子を遠ざけていた貴乃花親方の気持ち(信念)の方が、
わたしにはすごく自然に納得でき、賛同できるものでした。

モンゴル人力士たちにとって、親兄弟から離れ、最初は言葉も解らない遠い異国の地でしのぎ
を削ることは、そりゃあ生半可な苦労ではないでしょう。
だから、同国人同士が集まって、寄り添っていくのは解る気がします。

しかし、どんなにモンゴル人力士たちが強くても、どんなにモンゴル人力士たちが相撲人気を支え
ていても、どんなに彼らが日本を愛し、相撲を愛し、日本に帰化し、相撲の世界で生きていても、
彼らは、日本人とは歴史も民族性も気質も価値観も違う外国人なのです。

その彼らが、
日本の国技である相撲界の中に「モンゴル人同盟」みたいなものを作り、外国人同士だけの結束
を強め、根付かせてしまっては、それはいわゆる、日本の中に「モンゴル人自治区」を作るような
ものであり、海外における「チャイナ・タウン」や「コリアン・タウン」のようなものになってしまうので
はないでしょうか?

チャイナ・タウンやコリアン・タウンの弊害は、そこに集まっている人たちが同国人同士だけで結束し、
自分たちの風習や価値観(主張)に重きを置き、外の世界、つまり、その国のやり方に従おうとしなか
ったり、その国の価値観や伝統に敬意を払うことをしないのが現状です。

日本人の移民は、いえ、日本人に限らずですが、そこに根を下ろす覚悟がある者は、
現地に溶け込む努力をし、それはそれは非常に厳しい辛い思いを乗り越えて現地人に認められ
成功し、尊敬もされたものです。

でも、一度チャイナ・タウンのようなものを作ってしまうと、そこへ逃げ込んでしまうと、
自分たちでその国へ移り住んで来たのに、自分たちが理解できないこと、従いたくないことに対して
無理に理解や努力をしなくてもそこで許されてしまうので、「これでいいじゃん」「自分たちのやり方で
いく」という傲慢な意識を変えるのが難しくなってしまいます。
そこが居心地が良ければ良いほど、自分たちの考え方を変えてまで現地の風習や規則に従おうと
しなくなります。
それは、そこに固まってしまうから。固まる場所があるから。
その国に無理に馴染まなくても自分の我を通せる「自分の甘えを許してくれる場所」があるからです。
そしてそこは、現地人にとっての「化外の地」、事実上の無法地帯になりがちです。
相撲界における「モンゴル人親睦会」なるものも、ある意味それと同じ危険があると思います。

わたしたちは忘れてしまいがちですが、
モンゴル人たちがどんなに相撲を愛してくれていても、日本を愛してくれていても、
彼らはわたしたちとは違う価値観をもつ異文化の人間です。
これはヘイトでも差別でもなく、現実、そこに「壁」が無い、などということはあり得ないことなのです。

元舞の海関がこう言っていました。
「今の日本人は残念ながらモンゴル人力士たちの闘争心には敵わない…」と。
彼らは日本人と違って、早く勝ち上がって、早く横綱になって、早く金持ちになって、
引退して国に帰って親の面倒を見たい・・・という悲願があるのです。
「そのハングリー精神が今の日本の若者たちにはない」と。

しかし、それ以上に日本人とは大きく違うことがあります。
舞の海も聞いて驚いたそうですが、モンゴル人力士の朝青龍は、父親から、土俵に上がるときの
心構えとして、「自分のお母さんを殺した憎い仇だと思って相手を殺すつもりで戦え」
と教わったそうです。
「これを聞いたとき愕然として、日本人力士が勝てないわけだと思った」 そうです。

言い悪いは別として、日本人はこうは教わらないでしょうし、そう思う必要を感じないでしょう。
というか、日本人にはそういう「発想」自体がない。
日本人がいかに温和で平和的な民族であるかがこれでも解ります。

しかし、モンゴルのとなりの支那の文化も、その下の朝鮮の文化もそれと同じです。
同じアジアとはいえ、日本人といかにかけ離れているか、
いえ、日本人だけがアジアの中でも、世界の中でも特殊と言っていいでしょう。

だから、けっして、たとえ「死んでも勝ちたい」と思ったとしても、
「試合」の相手に「親の仇を殺す」なんていう発想が生まれないのが日本人なのだと思うのです。
武道においても、究極の倒すべき相手は己であると、雑念を乗り越えて無になることを目指します。
そこにはけっして「親の仇」は無いはずだし、むしろそういう余計な念こそ邪魔であり、邪心であり、
それこそ神事がもっとも嫌う「穢れ」なのではないでしょうか?

そういえば、
お田植えの神事の際に、空手の演武を「奉納する」のを見たことがあります。
正直、最初は、「なんで神事に空手?」と思っていたのですが、その真剣な姿を見ているうちに
その考えが変わりました。思わず涙が出るほど、あれは立派な奉納でした。
あれも、競技としてではなく、誰かを負かすためではなく、まさしく武道がただのスポーツではない、
という証明でした。
日本には「礼に始まり礼に終わる」武道がいろいろあります。
歴史やルーツはそれぞれですが、そこにある精神は、少なくとも、「人間(個人)」優先ではなく、
まして「自分」優先ではないと思います。

日本人の基本精神は「自然との共存共栄」です。
それは、日本以外にはない観念であることはこれまでも何度も書いてきました。
だからこそ、「いただきます」とか「もったいない」とかいう言葉が日本語以外に翻訳できないのです。

日本人独特の価値観や感性、とくに、それが神道や皇室につながることに関しては、
たまには日本人以上に詳しい研究家や究極の親日家がいますけど、そうでないなら
誤解は受けやすいけど、なかなか理解されないのが普通です。
それは、日本の伝統や精神を理解するための「言葉」自体が外国語に無く、翻訳できないからです。
無理に翻訳すると、たいていが誤解されます。
「いただきます」が「I am eating (さあ食べますよ)」になってしまったり、
「八百万の神」がただの「GOD]になってしまったり、
「天皇」がただの「エンペラー」になってしまったり、上げればきりがないほどです。

勝敗だけのスポーツならいい、稼ぐだけの職業としてならいい、
でも、相撲は違うのです。 
力士は、横綱は違うのです。



今回、日馬富士は、引退会見で、「横綱とは何か?」という質問に対し、
「横綱としての責任」を「ファン(客)を喜ばせるいい相撲を取ること」と表現していましたが、
もし、日本人横綱だったら、たとえば貴乃花のような力士だったら、
果たしてそんなことを言うでしょうか?

「客(ファン)を喜ばせる」ことは、言い方を変えれば、つまり「集客のため」(角界の興行収入のため)
だと言っているようなものではないでしょうか?
たとえ、現実それも一理あるとしても、横綱最後の引退会見の場で、そんな表現を使うでしょうか?

「言葉の壁」と言ってしまえばそれまでですが、
それにしてもこれは普段のコメントとは違い、横綱としての一世一代の最後の会見の場です。
その時のために、事前に言葉を選びに選んでいたはずです。
当然、上からのアドバイスもあったでしょう。
そのうえでのそれが、横綱としての品格ある表現でしょうか?

それをわたしたち日本人は美しいと思えるでしょうか?
わたしは、そうは思えません。
それ以外にも、「日本人が美しく思わない」表現をいくつもしていました。

あれを聞いて、わたしは、
「あれ?これまでの報道では、(刷り込みでは)
日馬富士は真面目て、温厚で、とても日本を愛しているんじゃなかったのか?」
と、とても疑問に、不審に思ったのです。

日馬富士の表現のひとつひとつに、言葉のひとつひとつに、態度のひとつひとつに、
わたしはとても違和感を覚えました。
それが前に書いた「日本人とモンゴル人の感覚の違い」「日本人とモンゴル人との発想の違い」
ではないでしょうか?

どんなに相撲が好きでも、どんなに日本が好きでも、
モンゴル人と日本人とでは、決定的に価値観が違うのだということです。

わたしの懸念は、そういうモンゴル人が力を持ち、結束を強め、
いつか、ある意味「モンゴル自治区」みたいなものを相撲の世界の中に作ってしまうのは
いかがなものか? ということなのです。




(※長くなりすぎたので記事を二つに分けます)





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