ひだまり    今は古事記に夢中! 外国人はどのように日本が見えていたのか? ① 外国人から見た日本の姿 Ⅰ  
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アメブロから引っ越してきた過去記事の再公開と、                       もっと日本を知るために「竹田研究会」の紹介を主にしていきます。

外国人はどのように日本が見えていたのか? ① 外国人から見た日本の姿 Ⅰ  


外国人はどのように日本が見えていたのか?


今、われわれ日本人が知らない ほんとうの日本、

われわれ日本人が忘れかけている 本来の日本人像は、

過去の外国人による驚愕と感嘆の記録から垣間見ることができる。



わたしたちは、それをすっかり忘れていただけ。

いえ、教えられていなかっただけなのです。



でも大丈夫。


わたしたちは、それを思い出せばいいのです。

「記録」を紐解けばいいのです。


それは事実なのだから。


それは何人もの有識者が、幾重にも証言していることなのだから。



そして、それらの日本人としての記憶は、

わたしたち日本人のDNAの中にしっかりと刻み込まれているのですから。





主に、 当時の他の国々やどの先進国と比べても日本人がいかに 差別のない
真の平等意識、高い公共意識(公徳心)をもっていたかを窺い知ることができる「証言」の数々。
また、それが、諸外国とは違い、特別な地位にある人たちだけでなく、
彼等のいうところの「下々の 庶民までもが高貴な意識を持っていた」 ということが、外国人にとって
どれだけ驚異であり、感動的であったかが分かる「記録」、 そして、
その思いもよらぬ日本国民の見識と分別と誇り高さによって、日本がいかに対外的に真摯で高潔な行動
をしてきたかがわかる証言をいくつか集めてみました。


どの言葉をとっても、
最近、「経済大国」「先進国」デビューを果たしたばかりのお隣りの国の方々に
聞かせてあげたい言葉ばかりです・・・


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ぼやきぽっくりさん
http://kukkuri.jpn.org/boyakikukkuri2/log/eid387.html
 より抜粋転載~ (順不同)



■イザベラ・バード
=イギリス人。当時の女性としては珍しい旅行家で、1878年(明治11年)以降、日本各地を旅した。
「日本奥地紀行」より

ヨーロッパの多くの国々や、わがイギリスでも地方によっては、外国の服装をした女性の一人旅は、
実際の危害を受けるまではゆかなくとも、無礼や侮辱の仕打ちにあったり、お金をゆすりとられるので
あるが、ここでは私は、一度も失礼な目にあったこともなければ、真に過当な料金をとられた例もない。

群集にとり囲まれても、失礼なことをされることはない。馬子は、私が雨に濡れたり、びっくり驚くことの
ないように絶えず気をつかい、革帯や結んでいない品物が旅の終わるまで無事であるように、細心の
注意を払う。

(中略)
私は日本の子どもたちがとても好きだ。私は今まで赤ん坊の泣くのを聞いたことがなく、
子どもがうるさかったり、言うことをきかなかったりするのを見たことがない。
日本では孝行が何ものにも優先する美徳である。何も文句を言わずに従うことが何世紀にもわたる
習慣となっている。
英国の母親たちが、子どもを脅したり、手練手管を使って騙したりして、いやいやながら服従させる
ような光景は、日本には見られない。

 私は、子どもたちが自分たちだけで面白く遊べるように、うまく仕込まれているのに感心する。
家庭教育の一つは、いろいろな遊戯の規則を覚えることである。規則は絶対であり、疑問が出たとき
には、口論して遊戯を中止するのではなく、年長の子の命令で問題を解決する。
子どもたちは自分たちだけで遊び、いつも大人の手を借りるようなことはない。


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■アリス・ベーコン
=アメリカ人。1881年(明治14年)来日。華族女学校(後の学習院女学校)の英語教師として活躍。
「明治日本の女たち」より

平民階級を語る上で忘れてならないのは、その多くを占める職人である。
日本が芸術や造形、色彩の美しさを大切にする心がいまだにある国として欧米で知られて
いるのは、彼等の功績である。

職人はこつこつと忍耐強く仕事をしながら、芸術家のような技術と創造力で、
個性豊かな品々を作り上げる。
買い手がつくから、賃金がもらえるから、という理由で、見本を真似して同じ形のものや
納得できないものを作ることはけっしてない。
日本人は、貧しい人が使う安物でさえも、上品で美しく仕上げてしまう。

一方、アメリカの工場で労働者によって作り出されるあらゆる装飾は、
例外なくうんざりするほど下品である。

(中略)
もちろん、日本の高価な芸術品は職人の才能と丁寧な仕事をよく体現している。
しかし、私が感心したのはそのような高級品ではなく、どこにでもある、安い日用品であった。
貴族から人夫にいたるまで、誰もが自然のなかにも、人が作り出したものにも美を見出し、
大切にしている。



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C・P・ツュンベリー =スウェーデン人。

医師・植物学者。ケンペル、シーボルトと並んで「出島の三学者」と謳われた。1775年(安永4年)来日。

「江戸参府随行記」より

地球上の民族のなかで、日本人は第一級の民族に値し、ヨーロッパ人に比肩するものである。

・・・

その国民性の随所にみられる堅実さ、国民のたゆまざる熱意、そして百を超すその他の事柄に関し、

我々は驚嘆せざるを得ない。

政府は独裁的でもなく、また情実に傾かないこと、

・・・飢餓と飢饉はほとんど知られておらず、あってもごく稀であること、

等々、これらすべては信じがたいほどであり、

多くの人々にとっては理解にさえ苦しむほどであるが、

これはまさしく事実であり、最大の注目をひくに値する。

(中略)

日本人の親切なことと善良なる気質については、

私は色々な例について驚きをもって見ることがしばしばあった。

それは日本で商取引をしているヨーロッパ人の汚いやり方やその欺瞞に対して、

思いつく限りの侮り、憎悪そして警戒心を抱くのが当然と思われる現在でさえも変わらない。

国民は大変に寛容でしかも善良である。

(中略)

正義は外国人に対しても侵すべからざるものとされている。


いったん契約が結ばれれば、ヨーロッパ人自身がその原因を作らない限り、

取り消されたり、一字といえども変更されたりすることはない。



・・・・・・・・・・



バジル・ホール・チェンバレン =イギリス人。

1873年(明治6年)~1905年(明治38年)、日本で教師として活躍。

「日本事物誌1」より

日本人の間に長く住み、日本語に親しむことによって、この論文の後半において簡単に述べた最近の戦争や、

その他の変化の間における国民のあらゆる階級の態度を見ることができたが、

これらの外国人すべてに深い印象を与えた事実が一つある。

それは、日本人の国民性格の根本的な逞しさと健康的なことである。


極東の諸国民は――少なくともこの国民は――

ヨーロッパ人と比較して知的に劣っているという考えは、間違っていることが立証された。


同様にまた、異教徒の諸国民は――少なくともこの国民は――

キリスト教徒と比較して道徳的に劣っているという考えは、誤りであることが証明された。

過去半世紀間、この国のいろいろな出来事を充分に知ってきたものは誰でも、

ヨーロッパの総てのキリスト教国の中に、

日本ほど前非を認めるのが早く、あらゆる文明の技術において教えやすく、

外交においては日本ほど率直で穏健であり、

戦争に際しては、これほど騎士道的で人道的な国があろうとは、とうてい主張できないのである。


もし少しでも「黄禍」があるとするならば、

ヨーロッパ自身の良き性質にもまさる さらに高度の良き性質を、

その新しい競争相手が所有しているからにほかならない。



このように驚くべき成果が生じたのは、

日本人が苦境に立たされていることを自覚し、断乎として事態を改善しようと決意し、

全国民が二代にわたって熱心に働いてきたからにほかならない。

(引用者注:「黄禍」=19世紀半ばから20世紀前半にかけて、アメリカ・ドイツ・カナダ・オーストラリアなど白人国家において、アジア人を蔑視し差別する「黄禍論」が現れた)






「日本事物誌2」より

絵画や家の装飾、線と形に依存するすべての事物において、日本人の趣味は渋み―の一語に要約できよう。

大きいことを偉大なことと履き違えているこけおどし、見せびらかしと乱費によって美しさを押し通してしまう

ような俗悪さなどは、日本人の考え方のなかに見出すことはできない。

(中略)

金持ちは高ぶらず、貧乏人は卑下しない。

実に、貧乏人は存在するが、貧困なるものは存在しない。


ほんものの平等精神が(われわれはみな同じ人間だと心底から信ずる心が)

社会の隅々まで浸透しているのである。

ヨーロッパが日本からその教訓を新しく学ぶのはいつの日であろうか――


かつて古代ギリシア人がよく知っていた調和・節度・渋みの教訓を――。

アメリカがそれを学ぶのはいつであろうか――


その国土にこそ共和政体のもつ質朴さが存在すると、私たちの父祖達は信じていたが、

今や現代となって、私たちはその国を虚飾と奢侈の国と見なすようになった。

それは、かのローマ帝国において、道徳的な衣の糸が弛緩し始めてきたときのローマ人の、

あの放縦にのみ比すべきものである。
しかし、

日本が私たちを改宗させるのではなくて、私たちが日本を邪道に陥れることになりそうである。


すでに上流階級の衣服、家屋、絵画、生活全体が、西洋との接触によって汚れてきた

渋みのある美しさと調和をもつ古い伝統を知りたいと思うならば、今では一般大衆の中に求めねばならない。




・・・・・・・・・・・・・・・



エドワード・シルベスタ・モース =アメリカ人。

明治10年代に計3回日本に滞在。東京大学で生物学を講じた。大森貝塚を発見。

「日本その日その日1」より

外国人は日本に数カ月いた上で、徐々に次のようなことに気がつき始める。

即ち彼は日本人にすべてを教える気でいたのであるが、

驚くことには、

また残念ながら、

自分の国で人道の名に於いて道徳的教訓の重荷になっている善徳や品性を、

日本人は生まれながらに持っているらしいことである。

衣服の簡素、家庭の整理、周囲の清潔、自然及びすべての自然物に対する愛、

あっさりして魅力に富む芸術、挙動の礼儀正さ、他人の感情についての思いやり・・・・

これ等は恵まれた階級の人々ばかりでなく、最も貧しい人々も持っている特質である。

こう感じるのが私一人でない証拠として、我国社交界の最上級に属する人の言葉をかりよう。

我々は数ヶ日の間ある田舎の宿屋に泊まっていた。

女の一人が、我々のやった間違いを丁寧に譲り合ったのを見て、この米国人は

「これ等の人々の態度と典雅とは、我国最良の社交界の人々にくらべて、よしんば優れてはいないにしても、

決して劣りはしない」

というのであった。

 



・・・・・・・・・・・・・



レジナルド・カーニー =アメリカ人。 

歴史学者。黒人学専攻。ハンプトン大学助教授。

「20世紀の日本人-アメリカ黒人の日本人観 1900~1945」(1995年発行)より

第一次大戦が終わると、ヨーロッパの戦勝国は世界の秩序をもとに戻そうとパリで講和会議を開いた。

それぞれの国にはそれぞれの思惑があったが、一致していたのは、日本とアメリカからの申し入れには

耳を傾けよう、という姿勢だった。

ウィルソン大統領は、世界秩序回復のための十四カ条を手に、パリに乗り込んだ。

彼がまず唱えたのは、国際法と国際秩序の確立であった。

日本の代表団は、ウィルソンが出せなかった十五番目の提案を持って講和会議に出席した。

「わが大日本帝国は国際連盟の盟約として、人種平等の原則が固守されるべきことを、ここに提案する」

これこそが、いわゆる十五番目の提案であった


……人類平等の実現をめざしていた日本と、そうでなかったウィルソン、

その差がここに出たといってもよいだろう。

もし日本のこの十五番目の提案が実現されていれば、

アメリカ黒人にとって、おもしろいパラドックスが生じていたかもしれない。

……アメリカ黒人がほかの連盟国の人間と同じように、民主的に扱われるためには、

アメリカ以外の外国に住まねばならなかったはずである。

そんなパラドックスが生じていたかもしれないのだ。

……「おそらく世界で最も有望な、有色人種の期待の星」、それが日本であるという確信。


日本はすべての有色人種に利益をもたらすという確信があったのだ。

それは、たとえ一つでも、有色人種の国家が列強の仲間入りをすれば、

あらゆる有色人種の扱いが根本的に変わるだろうという、強い信念によるものだった。


……全米黒人新聞協会は、次のようなコメントを発表した。

「われわれ黒人は、講和会議の席上で、人種問題について激しい議論を闘わせている日本に、

最大の敬意を払うものである」

「全米千二百万の黒人が息をのんで、会議の成り行きを見守っている」。

(引用者注:日本が提出したこの「人種差別撤廃法案」の投票結果は賛成17、反対11であったが、委員長を務めていたウィルソンが、かような重要案件は全会一致でなければいけないとして、不採択を宣言した)



・・・・・・・・・・・・




キャサリン・サムソン =イギリス人。

外交官の夫と1928年(昭和3年)~1939年(昭和14年)東京で暮らした。

「東京に暮す 1928~1936」より

日本人とイギリス人の基本的な類似点は

派手よりは地味を好むこと、静かで落ち着いた態度を好むということです。

そうでないイギリス人もたくさんいますが、私たちが理解し尊敬する性質や行動の基準と、

日本人がよいと考えるものはとてもよく似ているのです。

 ギリス人が地味な服装を好むということは、イギリス人の性格を考えると納得がいきます。

特に優秀な人は別として、イギリス人は謙虚さを好み、理想とします。

従って自慢とか、謙虚さの無い知識のひけらかしを嫌い、そういう人たちを信用しません。
この傾向は日本人になるともっと強くなります。

だから自慢したり威張ったりする日本人に会うと、私たちの方が驚いてしまいます。

日本人は非常に謙虚な国民で、慎み深い振舞いや言葉遣いがすっかり身についています。

彼らも他の国民のように誇り高いのですが、自慢することを嫌います。


日本人としての誇りを持ち、かつ外国人から学ぼうという謙虚な姿勢のために、

日本は今日の世界の中で重要な位置を占めるようになったのです。




・・・・・・・・・



フランク・ロス・マッコイ陸軍少将 =リットン調査団のアメリカ代表。

「朝鮮新話」(鎌田沢一郎)(昭和25年発行)より
 1932年(昭和7年)に宇垣一成・朝鮮総督に語った言葉


自分は昨夜来東洋における一つの驚異を発見した。

それは、今回の長い旅行における大きい収穫であつた。

同時に、自分の今日までの研究不足をしみじみと愧(は)ぢている。

何であるかといへば、朝鮮に対する全般的な認識の相違である

吾々は、朝鮮といふ所は、地理的には大体満州の延長であるから、

相変らず匪賊(盗賊)が横行し、産業も振るはず、赭土(あかつち)色の禿山の下で、

民衆は懶惰(らんだ)の生活を送つてゐるものとばかり思つてゐた。

然るに

列車が一度鴨緑江の鉄橋を越ゆるや車窓に隠見する事々物々、皆吾々の予想に反し、

見渡す山河は青々として繁茂し、農民は水田に出て、孜々(しし)として耕作に従事し,

平壌その他工業地帯の煙突は活発に煙を吐き、

駅頭に散見する民衆は皆さつぽりした衣服を纏(まと)い、

治安はよく維持せられていて何ら不安はなく、民衆は極めて秩序正しく行動し、

且つその顔に憂色がなく、満州に比べて実に隔世の観がしたのである。

これはとりもなほさず、貴国の植民政策が妥当であつて、

歴代の総督が熱心に徳政を施された結果であることを卒直にお歓びすると同時に、

今後における吾々の朝鮮観を根本より改めるであらう。






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子供たちにぜひ聞いてほしい 日本の話


★「海賊と呼ばれた男」のモデル 出光佐三が亡くなったとき、昭和天皇が初めて
 一般人に向けて歌をお詠みになった


大日本帝国が世界で初めて提案した『人種差別撤廃案』

★左翼教育はなぜ これを日本の子供たちに教えようとしないのか?

★日本人に謝りたい  ~ あるユダヤ長老の懺悔(ざんげ) ~  ①

★「立派な天皇」は国民の鑑である ① 















原発をやめられない本当の理由 ② もしも 日本に原発がなかったら・・・


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