ひだまり    今は古事記に夢中! 再 山岸涼子 『パエトーン』 と 諏訪緑 『鼈霊』(べつれい)

アメブロから引っ越してきた過去記事の再公開と、                       もっと日本を知るために「竹田研究会」の紹介を主にしていきます。

再 山岸涼子 『パエトーン』 と 諏訪緑 『鼈霊』(べつれい)

           
『パエトーン』 といえば、言わずと知れた大御所 山岸涼子さんの作品ですが、
以前 『ヘタレな孔明 諸葛孔明~時の地平線』 という記事で紹介した、
諏訪緑さんという漫画家が描かれた『鼈霊』(べつれい)という作品があるんです。

これは『蠶叢(さんそう)の仮面』と『西王母(さいおうぼ)』という二つの単行本に収められている
諏訪さんのシノワズリ・アドベンチャー シリーズ(1998~1999)の中の終盤にあたる物語で、
単行本『西王母』の中に収められています。
これを読むと、諏訪さんの古えの大陸文化に対する造形の深さと愛着の深さがよく解かります。
なるほど、この諏訪さんだからこそ、あの大作『諸葛孔明~時の地平線』(全14巻)を描いたんだと
頷けます。
<「時の地平線」についてはこちら ↓ >
『時の地平線① ~ヘタレな孔明』  http://20120901.blog.fc2.com/blog-entry-115.html
『時の地平線② ~時代の龍』   http://20120901.blog.fc2.com/blog-entry-114.html

この物語の背景自体がとっても独特な世界観なので、ここで簡単にストーリーを紹介するのは
難しいのですが、興味が沸きましたら、ぜひ、一度読んでみてください。 

初めてこのシリーズを読んだ時は「さりげになんと深いことを言うのだろう…」と至極感心しました。
とくに、この『鼈霊』(べつれい)という作品です。
『鼈霊』の鼈(べつ)は、「すっぽん」のことです。大きな亀の神様を信仰する民の話です。
この一連の物語は、三国志なんかよりもずっとずっと昔の、神と人間がもっと近かった時代の話です。
日本でいえば「古事記」の後半(天孫降臨以降)のようなものでしょうか?

そんな時代から今に至るまで変わることのない、人間の「叡智」と「愚かさ」とのせめぎ合い
とでも言いましょうか。
今の世にも通ずる「信仰」と「科学」、または「循環型思想」と「近代合理主義」との戦い
とでも言いましょうか。

最新の技術と知識は、人間の幸福な営みにとって諸刃の剣になる 
ということを、この作品が鋭く突いているのです。

そして、それを今、読み返してみると、
まるで、今現在の、この日本の状況を指して言い当てているように思えて仕方ないのです。

先に紹介した山岸涼子の『パエトーン』は、いわば直球で原発に対する疑問を呈した作品でしたが、
この諏訪緑の『鼈霊』(べつれい)は多分、当時原作者は原発のことなど考えていなかったと思うのです。
少なくとも、まさか今日のこの日本の状況など想像していたはずはない・・・と思うのです。
が、それにしても、あまりにも、この作品の投げかけるテーマが、
「原発」または「原子力利用」を指しているように思えてならないのです。

もちろん、これは、わたしの勝手な解釈です。
しかし、きっと、読んでいただければ分ると思いますが、この『鼈霊』は、『パエトーン』とは違い
「原発」そのものを描いたり説明したりするものではないのですが、
「人間の驕りや欲の成りの果てとしての原発」として、
まるで観念的に、今日の原発事故を予見していたかのように思えてならないのです。


いつの時代でも人間というのは、より豊かになろうとか、より便利になろうとか、
より富を得たいとか、そういう欲望を普遍的に抱く生き物だということ、
そして、
その「豊かさ」「便利さ」のために必要な「知恵」や「技術」は、
持ち始めた当初は「良かれ」と思って作ったものでも、
それが広く伝搬し、誰もが手にするようになると、
作り出した人間の意図に反して、当初の目的どおりの使い道や使い方ではなくなってくる・・・
という危険性を教えてくれるのです。

そして、その時代の「最先端技術者への諌め」 を ほのめかしているのです。

たとえ、最初に生み出した者が「良かれ」と思い、人々の幸福を願って作り出したものだとしても、
作り出された瞬間から、それが誰か他の手に渡って広まった瞬間から、
それを使う人間によって、使う人間の目的によって、「悪しき、不幸を呼ぶ道具」となってしまう・・・

最初にこれを読んだときは、「なるほど」と深く感心はしたものの、
まさか日本がこんなことになるとは露にも思わず・・・
今、この現状の中で読み返したときには、身が縮むような衝撃を感じました。
それは、ある意味、『パエトーン』の比ではありませんでした。

先の山岸涼子さんの「パエトーン」は、西洋のギリシャ神話をモチーフにしたという形でしたが、
こちらは中国古代神話の世界です。
どちらにしても、そんな神と人とが共存していた時代でも、
今日の社会と通じる「人間の業」というものが存在するのだということを教えてくれます。


王の命により情報を集めるために各国をまわる無彊(ぶきょう)は、
その時代では最新の製鉄や錬金の知識と技術を持っていました。
あるとき、古い神鼈霊(べつれい)を信仰する国にたどり着いた無彊は、
王にその技術を見込まれ、求められるまま、そこに居ついてしまいます。
大切な友人を喪った悲しみを忘れるために「仕事」を自分の「使命」と思い、それに没頭していきます。

ある日、王に請われて 人里に下りてくる虎を撃退するため、
「良かれ」と思い、持てる知識と技術を使い「最新の武器」を作り出します。
しかし、それが人の手に渡り、広く伝わって、その後何に使われるかまでは、
「最新の技術の伝搬はより多くの不幸を招く」 という友の言葉を聞くまで、
「心が空虚」になっていた彼には 考えが及びませんでした。
しかし、
最初は耳を貸さない無彊でしたが、実際に隣国で、その技術を元に武器を手にした民が
戦を起こして 多くの人が死んだことを聞き、
自分の技術が人々にとって「安全」や「便利」さだけに留まって有効利用(平和利用)されるものと…
そう信じていたのは、たんなる自分の思い込みであったと、
自分の技術(能力)を「使ってみたい」(試してみたい)という己の自己満足であったと気づきます。

そして、己の傲慢さにやっと気づいた彼は、
王が止めるのも聞かず、すべてを「破棄」しようとするのです。

そのとき、無彊(ぶきょう)にその「武器」を作らせた、
「信仰」から離れ、「知識と技術」で人心を束ね制圧しようとした王は、
こう言いました。
「それは技術者の問題ではない。技術を使う愚かしき人間の問題だ」 と。

原発や原爆も まったく同じはないでしょうか?

これはまさに、
この世に「原子力」を作り出してしまった「科学者の驕り」と「為政者の詭弁」と
まったく 同じだと思うのです。

「悪魔の道具」をこの世に生み出し、
それが 吐き続ける「姿形の見えない化け物」 を作り撒き散らしておきながら、
それを制御できなくて慌てふためき混乱する「愚かな」人間たちを 高みから嘲笑っている・・・
そんな「科学者の傲慢さ」に思えてなりません。

わたしたちは、アインシュタインの後悔 を今一度思い返す必要があるのではないでしょうか?

野心で心を失くした科学者が作ってしまったものを、
欲にかられて心を失くした者が利用してしまった・・・
間違った目的で 間違ったやり方で・・・

それが、今日の現状を招いたのではないでしょうか?

ただ、唯一違うことは、
なにも考えず、あとさきも考えず「空虚な心」で作ってしまった「最新の武器」を
無彊は、己の愚かさとその「怖れ」に気づいて潔く破棄しようとします。

「いずれ人はそれを知ることになる」
という仙人の言葉にも怯まず、きっぱりとそれを捨てようとします。

しかし、
今の科学者たちは、それができるでしょうか?
今のわたしたちに、それができるでしょうか?

自分たちが生み出し許してしまった「最新の武器」を、潔く手離すことができるでしょうか?

無彊にできて、わたしたちにできない・・・ その差はどこにあるのでしょう?
わたしたちに足りないものは何なのでしょう?

無彊は 自分が時代の最先端技術者として どう責任を取るかを考え、
それを果しました。

その仙人の言うように、今、無彊がそれを隠しても、いつかは誰かに発見されることになる。
いずれ人類はその技術も知識も得ることになるのです。 
使いこなせるかどうかは別として・・・

そう、「早すぎる進化」は、人を、世界を狂わせます。

だから、無彊は、それが分ったから、
いずれその時が来るまで、人の叡智が充分育つまで、
それをひけらかさず、「封印」しようとしたのではないでしょうか?

使う人にほんとうの「知恵」や「覚悟」がないうちに、
最先端の技術だけを手に入れることはとても危険です。

今できるからといって無闇に何でもしてしまうのではなく、
できると分っていても、「時」が熟すのを待つ。

無彊が下した判断は、まさに、
今現代のわたしたちに最も欠けている「覚悟」だったと思うのです。

「最先端技術者」としての科学者の「覚悟」が、今、問われていると、わたしは思います。

わたしたち人類の叡智が、「それ」を使いこなすにはまだ成熟していなかったということを
潔く認めるという覚悟が





※  ※  ※  ※  ※  ※  ※  ※


「文明の利器」を手にして久しいわたしたちは、
それによって人々の暮らしが「便利」で「豊か」になる、ということに留まらず、
いつしか、誰かが「より懐を肥やす」 という目的に変わってしまいました・・・。

それゆえ、十分「豊か」だったはずなのに、もっと利益を、もっと需要拡大を、と
「人の暮らし」以上の巨大な欲と資本が世の中を支配し始めました。

わたしたちは、知らず知らずのうちに、その戦略に巻き込まれ、踊らされ、
「便利さ」のために失ってしまったものの多さ、貴重さを忘れていました。

その失ってしまった最たるものが、
「自然にやさしいということは 人にもやさしい」 という概念であり、
その対極にあるのが、
経済至上主義と 科学への盲信が生んだ
原子力利用による地球の放射能汚染 のような気がします・・・。





。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。


科学者の責任

再々 次世代に残さねばならないこと

再 なぜ放射能汚染された瓦礫を全国にばら撒く必要があるのでしょう?


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コメント
こんにちは。2度目のコメントです。
洗剤の香料のことでこちらに参りまして、他の記事も少しずつ拝読しております。
子宮頸がん予防ワクチンとかいうものや
原発に対するお考えにも共感しました。
私はこれらのものに対する憤りで冷静な文章をまだ書けませんが、貴女の文章で整理もさせていただき感謝しています。
また参りますのでよろしくお願いいたします
2014/10/24(金) 12:44 | URL | へざ #-[ 編集]
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