ひだまり    今は古事記に夢中! 要約・改訂版 『電車やバスのケータイ通話ってなぜいけないの?』

アメブロから引っ越してきた過去記事の再公開と、                       もっと日本を知るために「竹田研究会」の紹介を主にしていきます。

要約・改訂版 『電車やバスのケータイ通話ってなぜいけないの?』

電車やバスのケータイ通話ってなぜいけないの?

http://news.ameba.jp/20110915-116/
より~


バスの中で携帯電話で話しているのを注意された人が逆ギレして、暴行容疑で逮捕されたという

ニュースがあった。もちろん暴力を振るうのは論外だけれど、一般論として、そもそも車内での通話は
なぜいけないのかなと、ふと疑問に思った。

「車内ではマナーモードに設定し、通話はご遠慮ください」というおなじみのアナウンス。
でも電車やバスの中で友達と話すのはOKなのに、携帯電話で話すのはなぜダメなの? 
そんな疑問の声は、教えて!gooにも何度も寄せられている。

電車内での携帯電話の通話はなぜ禁止されるのですか?
「電車内で携帯電話で通話するとなぜ迷惑?」

携帯通話が嫌われる理由としては、無意識のうちに声が大きくなってしまう人がいること、
会話の相手がその場にいないので、はたから見ると不自然で耳障りに感じることを挙げる

回答者が多いよう。

「『車内ではお静かに』は暗黙のマナー。
でも割と新しい携帯電話に関しては『通話はお控えください』という表記で『お静かに』ということを
伝えているんだと思います。
電話での声って、本人が思っているより大きくなりがちですしね」(xxmihanaxxさん)

とは言うものの、
一律に通話禁止というのは裏を返せば、
“あんたたちの好き勝手にさせておいたらマナーなんか守らないでしょ”
と言われているようなもの。 それって情けなくない?

「こんなアナウンスがされなければならなくなった背景には、
マナーがなっていないことが日本人の常識になってしまったせいではないかと思われます。
今のこの自動アナウンスは、何もかも活力を失わせる何かがありますよね?
人間100%信用されていない感が伝わってきます。
早く今の自動アナウンス止めてくれ、といつも思っていますが、
誰もそれができない今の世の中が悲しいです」(namiko1108さん)

そんな中で、少数かもしれないけれど乗客を信用してくれる会社もあるらしい。

「徳島バスでは、“迷惑にならないようにご利用ください”(不正確かも)
とアナウンスされておりすばらしいと思いました」(quena_jpさん)

そもそも携帯電話は緊急の用件でかかってくることもあるし、
そのために持ち歩くのが本来の目的のはず。
用件だけ手短かに話すとか、大きな声を出さないとかのマナーさえ守れば、
杓子定規に絶対ダメという必要はないんじゃないかと私も思う。

一律に禁止されないとマナーも守れないほど、
日本人って他人への配慮ができない国民じゃないですよね?

鈴木聖子(Suzuki Seiko)

http://news.ameba.jp/20110915-116/


。。。。。。。。。。。。。


はい。 
鈴木聖子さん、
たしかに日本人はそんなに情けなくないですよ。

情けないのは、
日本に、日本人の振りをした外国人が増えすぎてしまったことです。

と、わたしは考えます。

一見顔はいっしょでも、その「ルーツ」が分からなくなっている「日本人」が増えすぎたから、
日本人としてのアイデンテティを持たない「日本人」が増えすぎたからだと思います。

上の鈴木さんの提言、
「一律に禁止されないとマナーも守れないほど、
日本人って他人への配慮ができない国民じゃないですよね?」
はい。 その通りだと思います。


しかし、
これは、日本人にはそれで通用しますが、
これが「通用しない日本人」がたくさん増えてきたということなのです。

見た目や国籍だけでは分からない、
わたしたちが「当然」だと思っていることがまったく通じない、
わたしたちが「自然と」できることが「理解できない」、
わたしたちが「恥ずかしい」と思うことを気にもかけない、
わたしたちが「同じ」日本人と思って話かけても、
日本人が古来培ってきた「共通概念」というものを持っていないので
話が通じない、いつまでも平行線になる・・・
そういう「理解し合えない日本人」がたくさんいるのです。

そういう人たちは、
わたしたちが思っているようなことが「暗黙の了解」どころか、
注意しても、説明しても、一生理解されないのです。


どうしてそこで怒るのか?
どうしてそんなことにこだわるのか?
どうしてこれを理解できないのか?
どうしてけっして非を認めないのか?
どうしてそこで我慢できないのか?

それは性格とか性分とかではなく、アイデンテティが違うのです。

・・・そういう「差」が「歴然」としてある以上、これは「差別」ではなく、
もう一度いいます、
「差別」ではなく、
きちんと「区別」して考えて物事に当たらないと、
いろいろ混乱と矛盾が起きて誤解が生じる結果になります。


今はたしかに「日本人」でも、
国籍も、顔も、名前も、言葉も、学校も、同じ「日本人」でも、
「ルーツ」が違えば、家庭環境も家庭教育も違ってくるし、
同じようで同じでない部分が厳然として残るし、
表面的には同じでも、「核」となる部分で根本的に「理解し合えない溝」が存在しているのです。

同じ顔をした日本人の間で。

それゆえ、
日本人のマナーや常識が落ちたとか、
犯罪が急に増えたとか、
犯罪が残虐化してきたとか、
犯罪者の目的や心理に「不可解」なものが増えたとか・・・
「同じ日本人としてがっかりした・・・」というような、
そんな行動をとった人のなかには、そういう人たちがかなり紛れていると思います。

そんな人たちが、日本人社会の中に驚くほどたくさん紛れ込み、
それを同じ日本人として見られたら、
そりゃあ、「日本人も変わった・・・」 と思われるのは当然でしょう。


それは、たまたま自然とそうなったのではなく、組織的にしていることなのです。

たとえば、なにか目立つ事件が起こると、
その「区別」は無視されたまま、いえ、
むしろその事実にはけっして触れられないようにして、
すべて「日本人」として「評価」され「非難」されているのです。
(※ 外国人犯罪者の本名を隠すマスコミ )

何か偉業を成し遂げたとしたら、「そのルーツは〇だった」と大々的に宣伝するでしょうが、
犯罪を犯して掴まったら、途端に日本人の振りをするというのが、かれらの常套手段になっていて、
「通り名」をもっている(日本名を持っている)犯罪者は、
ぜったいに日本人として報道されているように、
その「区別」を意識的に避けるような社会の仕組みができているのです。

そして、
外国人による、日本人には考えられないような非道な事件(日本人の発想にない残虐行為)も、
すべて日本人がやったことにされているのです。

「南京大虐殺」の捏造とまるで同じ構図です。


でも、困ったことに、
何も知らない日本人が何より一番騙されやすいのです。
わたしもそうでしたから。 

でも、一歩、日本から外に出て、外から日本社会や日本人を見るとよく分かります。
(※「可愛い子には旅をさせましょう」) 


このたびの大震災で、各国から驚嘆と賞賛の声が届いたのもそのためです。

ある外国人は言いました。

「今回のことで日本人のほんとうのすごさが初めて分かった。
これまで、日本人のはっきりしない、遠慮ばかりして自己主張しないところを
「日本人の欠点」だと思ってきたが、そうではなかったと気が付いた。
それこそが、日本人にしかできない本当の「思いやり」や「公共心」の源だったのだ。
これまで軽蔑さえしていた日本人気質を、
今では敬意をもって賞賛し、人間として見習うべきところだと思った」

と。

また、ある中国人留学生のコラムでも、(これはずっと前のものですが)

『日本人は驚くべき節度と公共心を持った国民です。
電車内でもマナーの良さに驚きました。
とても静かで快適にすごすことができるのです。(きっと中国人から見たらね)
あの(丁寧に念押し過ぎる)「車内アナウンス」や「注意書き」は、
日本人のためではなく、日本に多くいる「外国人のためにあるのです。
なぜなら、日本人は言われる前からそれを当然だと思ってやっているからです。』

ということに鋭く気づく人もいるのです。


そういうことです。
日本人が「当然」と思える(最初に一回言われれば解る)ようなことでも、
「かれら」はそれを守ろうとしないので、「それ」が必要になるのです。

わたしは、日本の携帯流布の過渡期と、昨今の中国生活と、
そして今の日本社会とを見てきてそう思い至りました。


話を元に戻しましょう。

電車やバスなどでなぜ携帯電話で話してはいけないのか?
それはね、
中国へ行ってみればわかります。

中国人や韓国人は、日本へ来るとかならず、
車内の携帯電話の「マナーの良さ」に驚き、
そういう日本人の 「マナーによる 快適さ」に驚き、感心するのです。

中国人にかぎらず、今では世界中の外国人がそれを認めています。

携帯マナーしかり、
駅構内やバス待ちタクシー待ちマナーしかり、
道路にゴミが落ちていないことも、
道路に痰を吐く人がいないことも (中国ではワンレンのきれいなお姉さんでも吐く )
赤信号で人や車が止まることも、
「標識」があったら、「標語」どおりに守ることも・・・

つまり、
かれら外国人社会では、その 
「他人への思いやりによる快適さ」というものがないのです。
知らないのです。

日本人が「当たり前」だと思っていることは、
意外に海外では「当たり前」どころか、「あり得ない」ことが多いのです。
逆に、わたしたち日本人が中国(海外)で暮らしてみると、(この「暮らす」というのがミソ!)
携帯がなくたって、中国人(外国人)の公共マナーの酷さに閉口し、
携帯マナーの「無さ」には呆れます。

そして、初めて、気づくのです。
「日本人って、じつはすっごいマナーがよかったんだ! 」ってことを。


でも、日本にいて、日本のマスコミから連日、
「日本人はもうダメだ…」
みたいなことばっかり言われ続けていたら、そう思いますよね?

わたしもそうでした。
わたしもすっかり騙されてた・・・。
もし、中国へ行かなかったら、ブログ始めてなかったら、
きっと、ここまで気が付かなかったと思います。

日本人のマナーが悪くなった原因のひとつは、
わたしが思うに、
日本人と区別がつかない中韓人の急激な増加・・・

つまりは、
帰化人、在日、留学生の増加・・・
それも、無差別に入国させることによる不良外国人の増加
が一因だと思います。

日本の刑務所で「養っている」外国人犯罪者の数と、その人種率を考えても分かります。

( ※必見!! http://ameblo.jp/kennkou1/entry-11330999619.html )

しかし、マスコミはそんなほんとうのことは言いません。

「日本人のモラルが下がった」
「若者のモラルが崩壊している」
「家庭教育の崩壊」
「日本社会の堕落」・・・等々、インパクトのある言葉をテレビや新聞から見聞きしているうち、
こう、思うのです。
「自分のまわりはそれほどでもないが、世間ではそんなにひどいんだ・・・」  と。

そして、たまたま、そういう場面に出くわしてしまったら、
「やっぱり、そうだ。日本人はもうダメだ・・・」 と思ってしまうんです。    

それがマスコミの力、ミスリードの成果です。                    
マスコミの力は大きいです。

戦後の日活とかの若者向けの「青春映画」や流行の「青春ドラマ」も
それを助長していたように思います。
たぶん意図的に。                  

わたしはまだ「子供」だったからそこまで影響は受けませんでしたが、
青春まっただ中! 反抗期まっただ中! の若者は、きっとあっという間に染まったのでしょうね…
「世の中では今こうなってるんだ・・・(乗り遅れちゃならない!)」 と。                             
でも、人はみな、忘れているのです。
最初に思った、「自分のまわりではそうでもないけど・・・」 という事実を。

ほんとうは、それが事実なんです。

ほんとうは、それほど乱れてもいないし、それほど嘆かわしい状態ではなかったのです。
それを、「みんなそうしてる」「みんな乱れてる」という刷り込みだけで、
在りもしない「みんな」と同調しようとしてしまうのです。

もちろん、それは計算の上で、それをこそ目的としているのです。

そして、お互いがその、在りもしない「みんな」に合わせているうち、
それがだんだん ほんとうになってしまうんです。

まさに、「韓流ブーム」と同じです。

それを、ずっと、ずっと以前から
日本人は洗脳されコントロールされてきたんです。

日本人気質を徹底的に研究して、日本人を徹底的に堕落させようとする計画です。
マスコミも、教育現場すらもそれに加担してきたんです。
かれらは、「日本人はいとも簡単に計画通りに流されていく・・・」 そう思っていたでしょう。

ただし、それは「過渡期」に関して。
それがそのまま、なし崩し的に完全に日本人らしさをすべて手放してしまうかと言ったら、
そうではないのが日本人の日本人たるゆえんでしょう。

いくら社会の爛熟と共にモラルの低下を避けられなかったとしても、
それがどの社会でも受けねばならない洗礼だったとしても、
日本は、日本だけは、踏みとどまることができる「何か」を持っていたのです。

透明の「防御壁」みたいなものを。

他の国や社会とは違って、
今や世界が認めるところの「礼節」 「秩序」 「公共心」 という、
他の国にはない高潔なる「公徳心」というものを持っているのです。

それを養う 家庭の機能 というものを。

その両方をなんとしても失わせるようにと画策されてきたにもかかわらず、
その両方が盾となり、支え合って、それを守ってきたのです。

それは、
プロパガンダのような、付け焼刃的な、押し付け的な、
欺瞞に満ちた単なる理想論なんかではなく、
日本人が古来脈々と受け継いできたDNAの中にある
「他人を思いやる心」 が「自発的に」そうさせているからなのです。


だから強いのです。

だから揺るがないのです。

だから、日本だけがそれを持ち続けることができたのです。

だからこそ、「かれら」はそれを貶め奪おうと必死なのです。


昨今、
外国の方々が、「これが『他人を思い遣る』ということか!」 
と感動してくださったとしても、
今からそれを見習って、「他人を思いやる心」を教育で培おうなんていうのはたいへんなことです。
残念ながら、そんな付け焼刃はほとんど無駄といってもいいかもしれない。

なぜなら、
それが可能なのは、
「教育=しつけ=家庭の役目」というのが(かろうじて)しっかり残っている
この日本社会だからこそ可能だからです。

この意味はじつは非常に大きい。

なぜなら、
どんなにマスコミが日本の家庭崩壊や学校崩壊を宣伝し、(自分たちのせいだろうが~)
「ああ、日本はもうダメなんだ」 と思わせようが、
それでも外国とくらべれば、
日本ほど「家庭の理想的な機能」が失われていない国はないのです。

これは、日本だけにいると、意外に気がつかないでしょう?
わたしもそうでした。日本から出るまでは。

でも、これは事実です。
みんな、それを知ってても、言わないだけです。
日本の中の反日勢力が日本人に知らせないようにしているのです。

なぜなら、「日本だけが正しかった」と認めたくないからです。
日本人に気づかれたくないからです。

もともと「個人主義」が強かったけれど、
近年になってスッパリそれを手放してしまった自由な国
(自由すぎて収拾がつかなくなった国)もあるし、
もともと「家庭の機能」自体を悠久の昔からとっくに手離してしまった国もあるし、
経済至上主義に走り過ぎ、国の政策として国民からそれを奪い、深刻な弊害をもたらし、
今やっとその過ちに気づいたものの、国民性もあいまって、
今さらそれに気付いても もはや修正不可能 な国・・・も、ある。

だから「かれら」は躍起になって、日本からそれを奪おうとしているのです。

日本だけが立派であるのが許せないから。
日本だけが正しかったと認めるのが許せないから。

そして、日本を侵略するのに、隷属させるのに、それが 邪魔 だからです。


戦後、日本に確固としてあった「家族制度」を次々と瓦解したのはそのためです。
「家督制度」の廃止、「夫婦別姓」や「戸籍の廃止」などもそういうことです。
日本固有の「家」の機能、「家族」の機能を奪うためです。

「家」を基本としていた「日本人らしさ」という「強さ」を奪い、
日本人を、「根無し草」にしたいためです。

わたしが思うに、
日本人以外のほとんどの国の人間は、今、「根無し草」になっているのです。

国にも、社会にも、家庭にも、どこにも「安心できる場所」がない。
「根」を下す場所がない・・・不安定で、「実」がない、
どんなに「成功」しても安心感や満足感が得られない、だから、
常に何かと闘い、何かに餓え、何かに怯え、
常に誰かと争い、
相手を叩きのめして上に立つことでしか自分のアイデンテティを確かめられない・・・
そういう人間が増えているのです。

それは、「母語」をしっかりと獲得できなかった人間、
「家庭」に自分の居場所を確認できなかった人間が陥り易いといわれています。

バイリンガルになりにくい「日本語」を母語としていることが、
日本人を日本人たらしめ、じつは、アイデンテティイの確立に非常に役立っているのです。

つまり、「英語公用化」も、日本人からそれを奪う画策のひとつです。

「家族の絆」それが失われるということは、すなわち、
「公」より「私」、「他」より「己」、
「社会」より「個人」、「家庭」より「自由」を大事にしてきた
「個人主義」の行く着く先だったのです。

だから、「個」を重んじた国の「末路」はすでに見えてしまったのに、
日本だけが「理想郷」であり続けることを他が許さないのです。

日本人が、あまりに当たり前すぎてうっかり気がつかないまま手離してしまった
日本独自の「家族制度」こそが、
じつは、人間がもっとも人として豊かで幸福な社会を築き得ることができる、
もっとも理想に近い社会制度だったということです。

それを証明するには、日本の対極にある国がどうなっているかをみればちゃんと分かります。
開国前に日本にやってきた外国人たちの驚きを見ればわかります。
マッカーサーや、各国の歴代駐在大使たちの天皇陛下への心酔を見ればわかります。


日本だけが持っている・・・からこそ、かれらはそれを踏みにじり、奪いたいのです。


だから、騙されないでください。

日本人のマナーの良さ、素晴らしさは、
まだ ぜんぜん 失われていない のです。


世界へ出てみるとよく分かります。
日本人ほど相手を思いやり、その気持ちがあるゆえに、
当たり前に
「自分」より「相手」、「私」より「公」を重んじられる国民はいないのです。

「マナー」とは、そもそも、「他人を思い遣る気持ち」です。
「マナー」という言葉は、そもそも日本語にはなかった。
なぜなら、
そんな「標語」を作らなくても、日本にはそれは「当たり前」にあったからです。

他人への思い遣りによる快適さ というものを日本人は当たり前に知っていたからです。

ですから、「マナー」という言葉を必要とした欧米諸国とは違うのです。
どっかの国の「エセ ヒューマニズム」や「エセ正義論」とはちがうのです。

だれかが見ているときだけやる・・・とか、
自分の利益になるときだけやる・・・とか、
そうしないと罰を受けるのが怖いからやる・・・とかいうものとはまったく違います。


日本は世界一の「法治国家」と言っていい。

しかし、この日本の治安の良さは
法治国家ゆえの、「法」(罰則)で規制され縛られているせいだけではないのです。

すべての基本は、日本人が個々に持っている「公徳心」によるものなのです。

あなたは、自分が「公徳心」を持っている・・・なんて考えたことないでしょう?
「公徳心」なんて習った覚えがないでしょう?

でも、あるんです。
いくら米国が戦後日本の教育から「公徳心」を排除してきても、
それでも、日本人の中には自然とそれが育つんです。

それは、日本人だから。

ここが日本だからです。

それが、日本人ならではの、日本人唯一の感性なのです。



日本人のマナーの低下を嘆くそぶりで、
心配する振りをして、何気に日本人を卑下して貶めようとする輩は、
「反日マスコミのプロパガンダ要員」だと思ってください。

これなんかも怪しいです。 ↓

「こんなアナウンスがされなければならなくなった背景には、
マナーがなっていないことが日本人の常識になってしまったせいではないかと思われます。
今のこの自動アナウンスは、何もかも活力を失わせる何かがありますよね?
人間100%信用されていない感が伝わってきます。
早く今の自動アナウンス止めてくれ、といつも思っていますが、
誰もそれができない今の世の中が悲しいです」(namiko1108さん)

「なんかへんだ?(この論法)」 と思ったあなたは、まともな日本人です。

そうです。そんなの聞いちゃダメです。
それより、日本人はもっと胸を張りましょう!!

そして、
大半の、ほとんどの、
きちんとマナーも、礼節も、公共心も当たり前に持っている普通の日本人のみなさん、
あなた方が堂々と、当たり前にその生き方を示していれば、
それだけで「恥ずかしい人たち」は駆逐されていきます。

堂々としていればいいんです。


「日本人のマナーが悪い?」

それが「目立つ」ということは、
裏を返せば、
マナーのいい人(=当たり前の日本人)が
まだまだ いっぱい いる!! ということなんです!

それがほんとうです。



少数派を「大半」だと見せかける論法に負けるな! 

日本人がダメだという嘘を信じるな!  

日本人はもっと胸を張っていい。

わたしたちは、どこも恥ずかしくない、

真似したくても真似できない、優れた立派な民族なのです。

それが本当です。






。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。


2013.11追記
※※「美しい日本をとりもどす」ために、
日本人が特定在日外国人に対してこれ以上「優しくできない」のは
 差別なんかじゃありません!!
★法務省発表の在日外国人国別比率 
『生活保護受給者 国別比率』 『犯罪服役者 国別比率』

http://livedoor.blogimg.jp/toua2chdqn/imgs/5/d/5de7e308.png



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