ひだまり    今は古事記に夢中! 再★宮中祭祀 皇室の祈り 1

アメブロから引っ越してきた過去記事の再公開と、                       もっと日本を知るために「竹田研究会」の紹介を主にしていきます。

再★宮中祭祀 皇室の祈り 1


※ この記事は、2012年7月に出したものを再編集したものです。


< 追記 >

「天皇の仕事とは何か?」 
と聞かれて迷わず即答できる人が、今の日本にどのくらいいるでしょうか?

もしかしたら「皇室外交」とか「被災地慰問」などと答える人が多いんじゃないでしょうか?

たしかにそれも大事なことなんですが、それは「公務」のひとつでしかありません。
天皇の仕事は「公務」だけではありません。
天皇の仕事は大きく分けて「公務」と「祭祀」 この二つなのです。

しかも、公務よりももっと大事な仕事、
天皇のもっとも大切な仕事は、じつは「宮中祭祀」なのです。

「祈り」なのです。

それも、そこらの神職の祈り方ではない。
そこらの神職の生活ではないんです。

天皇は、その生活のすべてを
「祭祀」を行うためだけに捧げている といっても過言ではないでしょう。

祭祀あっての皇室外交。
祭祀あっての被災地慰問なのです。

祈る内容もさることながら、
その祈りの儀式の厳粛さ、儀式のために捧げる生活の厳粛さを知ると、
なぜ、「単純な世襲」(単に「家」を継ぐような考え方)ではいけないのか、
なぜ、「女性天皇」や「女系天皇」ではいけないのか、
その根本理由が窺えると思います。




宮中祭祀

日本会議国会議員懇談会
松浦光修皇學館大學教授が「天皇の<本務>とは何か?」と題し、
祭祀と天皇は不可分、祭祀は過酷な仕事、祭祀には禁忌がある、の三点に 絞って論じた。

背広姿で公務している天皇、外国の賓客と会見する天皇、
被災者を見舞う天皇が天皇の本質ではない。

GHQ政策で歪められた国民の天皇に対する常識に修正を求め
「天皇の本質は宮中三殿で祭祀を勤めること」と述べた。

「神と国民のなかを取り持つ祈りは千年以上微動だにせず今日に至っている」
と語り、
「午前一時に起床し潔斎の後、四時半からの祭祀に臨む。
暖かくもなく極寒で一時間独りで祈る。肉体的には過酷で、この祭祀が年間三十以上ある」
と, 「祭祀の王」の一端を紹介。

「国民が知らないところで祈っている。
日本は天皇の祈りによって守られている国」

と 無償の愛 を紹介し、これが「世界史上稀有な存在」 と強調。

(2006年9月)

 
 ◇  ◇  ◇  ◇  ◇


■「美智子妃」 河原敏明
 
宮中祭祀には、天皇が自ら行う大祭と、掌典長(神官)が祭祀をする小祭、
合わせて約20あり、いずれも天皇はじめ各皇族が参列する。
他にも節折(よおり)、大祓(おおはらえ)など神道固有の神事があり、
中でも重要なのが11月23日の新嘗祭。
その年の新穀を皇祖や神々に備え感謝を捧げるとともに、
賢所の内陣では天皇が御飯、 山や海の幸に箸をつけるという農本国家を象徴する神事で
午後6~8時の「夕(よい)の儀」、11~翌24日1時頃までの「暁の儀」と
2回に分けて行われる。太古の時代そのままに庭には篝火がたかれ、
賢所内では灯明の灯りがほのかに揺らぐ幽玄の気の中に、
天皇お一人がこもって祈りを捧げられる神秘の儀式である。

...........................

古来、皇室は神道の「宗家」として「穢れ」については、極めて厳格である。
とくに御所では、仕える者が穢れると天皇皇后に影響するとの考えから、
先任の女官は口やかましく後進を指導し、自らも守った。

たとえば、両陛下の持ち物、御料品に手を触れる場合は一々手を清めなければならなず、
まして、女子の生理中は穢れの最たるものとして、その間は御料品に触れるなどもってのほかであった。

(御潔斎・・・禊について) 



平成天皇の皇太子時代の結婚後初の参拝報告の儀にて
皇太子妃の禊の御様子


お二人は神宮到着とともに、「別居」させられた。
皇太子は「行在所」の一室、美智子妃には「神宮祭主」の部屋が宛がわれたが、
両室は庭を挟んだ別棟である。

すぐ、御潔斎、禊に入った。
体を洗い清めることで、今は夏場以外はぬるま湯だが、昔は四季を問わず冷水であった。

わずかの時間浴槽に浸かり、上がると二人の巫女がさらし布と米糠の袋(石鹸は使わぬ)で
全身隈なく洗い流していった。
巫女たちは永年つとめてきたしきたりで慣れた手つきだが、美智子妃にとっては
絶え入らんばかりだったろう。
更衣室でも二人の巫女が、体の水分を拭き取り、下着からすべてを着せてくれた。
一人は下半身、一人は上半身と厳格に分担が決まっており、美智子妃は二人のなすがままに
立っているだけだった。

翌朝、ふたたび潔斎を繰り返したのち、ようやく二人うち揃って、まず外宮に参拝。
終わって昼食はまた別々に摂り、午後の内宮参拝を前に、三たび潔斎に入らねばならなかった。


■宮中歳時記(小学館文庫)
入江相政侍従長

                     
元日最初に行われる祭祀が四方拝(しほうはい)
これは年災をはらい、五穀豊穣と国家・国民の幸福と皇室の隆盛を祈願する
年頭の大切な儀式。

まだ、夜も明けない真っ暗なうちから 準備が進められ、午前4時になると儀式が始まる。
これは天皇陛下自らが行う遙拝の儀式なので、天皇陛下が病気などの時は 中止になる。
代拝が認められない儀式だけに、おちおち風邪もひけない。

午前九時を過ぎると、宮殿は大変な賑わいになる。
新年祝賀の行事は分刻みのスケジュールで進行する。
宮殿の全ての部屋を使い、祝賀に集まる人々を休所、
両陛下の祝賀、祝い酒と次々にさばく。

両陛下は皇族方とご一緒に、宮殿の部屋を次から次へ移動なさって、祝賀をお受けになる。
祝賀に参内する人々は、宮内庁関係者、皇族、旧皇族、内閣総理大臣はじめ各大臣、
衆参両院議長はじめ国会議員、最高裁判所長官はじめ裁判官、認証官などである。

ご昼食はこれらの行事の間をぬって両陛下と皇族方とで
宮殿の食堂であわただしいうちに簡単におすませになる。
お食事の始まるのは午後一時に近い。

ご昼食も早々にして午後の祝賀が始まる。各国の日本駐在大使の祝賀である。
宮殿松の間に、お国ぶりの正装をした大使夫妻が一人ずつ両陛下の午前に進んでご挨拶をする。
両陛下、皇族方はその間30分以上、松の間中央にお立ちになったままである。



■天皇さまお脈拝見
1
2/31の行事、節折(よおり)と大祓(おおはらえ)
「節折とは、天皇がしらずしらずのうちにおかした罪や穢れを祓い清めるというのがその主旨、
これは午前二時から。
続いて午前三時からおこなわれるのが大祓。
大祓は、国民一人ひとりが、やはりしらずしらずに犯した罪穢れを祓い清めるというのである。

大晦日の行事がそうして終ると、
陛下は潔斎されたお身体を保たれたまま、翌日元旦の四方拝、歳旦祭を迎えられるのだ。

四方拝は、天皇が年頭にあたり、五穀の豊穰、国家国民の安寧を祈って伊勢神宮をはじめ、
各山陵、四方の天神地祇を遥拝するという、
宮中古来からの恒例の行事である。

つづいて陛下は、賢所、皇霊殿、神殿のいわゆる宮中三殿におもむかれて玉串を捧げられる。
これが歳旦祭といわれるものである。

歳旦祭が終るころに、ちょうど夜もしらじらと明けてくるのだから
大晦日から元旦にかけては、陛下はほとんど、お寝みになる間もないくらいだ。
夜が明けきれば明けきれたで、つまり元旦の日にはこれまた行事が目白押しである」




■櫻井よしこさんのブログより
http://yoshiko-sakurai.jp/

『天皇陛下の全仕事』によると、天皇陛下は元旦の午前5時半には
宮中三殿に並ぶ神嘉殿(しんかでん)の前庭にお出ましになる。
庭中央の、屋根だけの東屋風の簡素な建物には清潔な青畳が敷かれ、
陛下はそこで皇室の祖先神が祭られている伊勢神宮に遥拝し、
国の安泰と国民の幸福、農作物の豊作などを祈り四方拝を行われる。

元旦の東京の日の出は午前6時50分頃、したがって周りは暗く、
厳しい寒さの中での厳粛な祈りである。

御所から神嘉殿に向かわれる陛下をお見送りして、
皇后美智子さまが詠まれた歌を、山本氏は紹介する。

年ごとに 月の在(あ)りどを 確かむる 歳旦祭に 君を送りて

歳旦祭に臨む前に、陛下はすでに御所で身を浄め、身装いを正しておられる。
祖先の神々に祈りを捧げるずっと前から始まる仕度を、
皇后さまは陛下と呼吸を合わせるようなお気持で見守っておられることだろう。
そして、いよいよお出ましの時、闇に鎮まる皇居の森から視線を空に上げて、
月の光を探される美智子さまのお姿が浮かんでくる。

今上天皇は、新聞もテレビもあまり報じないこうした古代の祭祀を非常に大切になさるという。
自らを慎み古式の装束での祭祀は年間30回を超えるそうだ。
それを忙しい「公務」の間に手抜きもなさらず、とり行っておられる。

かつて天皇は日本のまつりごとの主宰者だった。
まつりごとは「祭り」であり「政」だった。

これを一変させたのがGHQだ。



■貞明皇后伝記

大正天皇を10年も介護し、死後は自分が死ぬまで四半世紀もの間
毎日午前中全部と夕方二時間拝殿で祈った。
吹きっさらしの壁の無い建物でコンクリートに一枚畳を敷いてじかに座ってだった。

御所の掃除奉仕団への挨拶もおざなりではなく
前夜必ず詳細な地図や資料で下調べをする。

大正天皇の病室でボーッとつったっている良子様(香淳皇后)に
貞明が一言「おしぼり!」と言った。
「良子はビクッとして手袋も脱がず、いきなりタオルを握った。」


■「宮中賢所物語」

1月 1日歳旦祭 ★天皇・皇太子のみ
1月 3日元始祭 その年初めて両陛下・両殿下が揃って拝する大切な行事 (他皇族も)
1月 7日昭和天皇祭
1月30日孝明天皇例祭
2月17日祈年祭 ★天皇・皇太子のみ
3月21日(春分の日)春季皇霊祭
4月 3日神武天皇祭・皇霊殿御神楽
6月17日香淳皇后例祭
6月30日節折(よおり)の儀(大祓い) ★天皇のみ
7月30日明治天皇例祭
9月23日(秋分の日)秋季皇霊祭
10月17日神嘗祭
11月23日新嘗祭
12月15日賢所御神楽
12月23日天長祭 ★天皇・皇太子のみ
12月25日大正天皇例祭
12月31日節折(大祓い) ★天皇のみ

この他に、歴代天皇の式年祭(それぞれの崩御後100年ごと)
★印以外は、他の皇族がたも参加。


■宮中祭祀 大祭と小祭

宮中祭祀には、大祭と小祭がある。
大祭は、元始祭(1月3日)、紀元節祭(2月11日)、
春季皇霊祭、春季神殿祭(ともに春分日)、神武天皇祭(4月3日)、
秋季皇霊祭、秋季神殿祭(ともに秋分日)、
神嘗祭(10月17日)、新嘗祭(11月23日より24日に亘る)のほか、
先帝祭(毎年崩御日に相当する日)や先帝以前三代の式年祭(崩御日に相当する日)
大祭は、天皇が皇族や官僚を率いて祭典を主催し、御告文を奏する。
そのほかに小祭があって、大祭と小祭の間には、準大祭といわれる祭祀がある。



■新嘗祭

宮中の新嘗祭は23日午後6時から8時までの「夕の儀」と、
午後11時から24日午前1時までの「暁の儀」の2度にわたっての祭儀がおこなわれます。

皇居内の神嘉殿において、
「夕の儀」では夕食を、「暁の儀」では朝食を
天皇陛下御手ずから神々にお取り分けになり食事を共にされ、
私ども国民の平安をお祈り下さいます。

23日は戦前「新嘗祭」という祭日でしたが、
戦後は「勤労感謝の日」と改称され
休日の一つとなってその意義も忘れられてしまいました。

私達が夕食をしている頃に天皇陛下は神々と夕食をともにされ、
そして私達が寝静まる頃には再び神々と朝食を共にしておられます。

暖房の設備もない神嘉殿において、尊き御身ながら2時間もの長い時間を
正座の御姿勢をおとりになりお祀りを遊ばします御姿は誠に恐れ多いことであります。




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コメント
No title
せっかく素晴らしい記事を書かれているのに、今上天皇陛下のことを平成天皇と書かれたのは残念です。
これからも更新頑張ってください!
2014/11/02(日) 09:25 | URL | ポンダ宮 #QxriqtMo[ 編集]
Re: No title
ポンダ宮さん、コメントありがとうございます。
平成天皇・・・たしかにおかしいですが、
ここは原文のまま転載したものなのでそのままにしておきます。
こういう内容を寄稿する方でも、そういう基本的な間違いをする・・・
そのくらい、平成の御代、皇室を正しく理解し、正しく語ることができる
人材が少ないということですね・・・
ご指摘ありがとうございます。
2014/11/02(日) 18:07 | URL | うさんぽ #-[ 編集]
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