ひだまり    今は古事記に夢中! 音楽 は神様からのギフト
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アメブロから引っ越してきた過去記事の再公開と、                       もっと日本を知るために「竹田研究会」の紹介を主にしていきます。

音楽 は神様からのギフト

 
最近あんまり書いてませんが、
わたしはもともとクラシック音楽とかクラシックバレエが大好きなんです。

え? きのう鈴木彩子なんか出してきて何を言うって? 
(^_^;) へへ・・・でもホントなんですもん。

しかも、最近はCDでも復刻版が出てますが、
レコード時代のもっと前、その名も「SP録音」と呼ばれた時代の古~~いものが大好きなのです。

その時代(数十年前)ですでに「懐古趣味」といわれたものです。
つまり、クライスラー(バイオリン)やラフマニノフ(ピアノ)などの自作自演を聞いたりとか、
とくにバイオリンが好きでしたので、エルマンとかグリュミオーなんかをうっとり聞いていたわけです。

今とは違って、当時の録音技術では拾えきれない、または再生しきれない「音」を、
あの時代の息吹をあの独特の「雑音」のなかに求めては、
現世を離れ時空を彷徨うような一時を楽しむのが好きでした。
それが叶うのは、かの時代の演奏家だけだったということもあります。

ですから、昨今の「美しすぎる」録音技術や、大量生産的な薄っぺらな演奏を聞いても
びくともしません。
大枚を積んでも、「美しく出来上がった」録音ものより、
あの「雑音」の中から見出したい、聞き取りたいものの方を選びます。

それが錯覚だろうが、自己満足だろうが関係ないんです。
わたしの魂がそっちを選んでしまうんですから。


ですから、昨今の「巨匠」だとか「新星」だとかは意外と知りません。
わたしが敬愛する音楽家や芸術家たちのほとんどはすでにお亡くなりになっています。
いや、好きになったそのときからすでにお墓の中・・・だった人の方が多いです…。

なんでまたそんな古い雨降り録音なんかが・・・? って思うでしょ?
もともと家には田舎には似合わないようなでっかいステレオ(死語か?)があって、
その当時はありがちな、ほとんど家具か調度品?っていうようなシロモノで、
なにしろ床の間に鎮座しておりましたからね~ 
つまりレコードプレーヤーに猫脚が付いてるわけです。(^_^;)
今の子には想像つかないだろうな~

そんなモノを嫁入り道具にするくらいですから、母親も音楽が好きだったわけで、
童謡から映画音楽から、珠玉のピアノだの名曲の森だの~ いろいろ身近にあったわけです。
でもとくにマニアックなものなどはなかったはずですが、
何しろ、初めて自分の小遣いで自分で選んで買ったレコードが、なんとフルトヴェングラーの、
ベートーベンの「運命」だったんです。 
むろん、ベルリン・フィルです。裏(同時収録)はシューベルトの「未完成」でした。

田舎の町に一軒だけあった小さなレコード店で、たまたま手に取ったジャケットがインパクトあって、
(フルベンの手描きスケッチ風肖像画だった)なぜかそのまま真っ直ぐレジへ持っていった、
その人生初の自分で買ったレコードが、いきなり鉄板の名盤中の名盤!!
まさに「運命」としか言いようもない出会いでした。

そして家に持って帰って聴いてみたら、いきなりのストライクゾーン。
すごい衝撃でした。そりゃあもう、一撃でわたしのハートを射抜いたのです。
そして、わたしのクラシック人生を決定づけたと言って過言ではない。
そのくらい、それまで我が家にあったレコードで聞いてたクラシック音楽が、まるで童謡みたい
に感じるくらい、「これは何なんだ!」 っていう衝撃でした。

「そうか・・・指揮者でこんなにも違うもんなんだ」・・・と、その時初めて知りました。

ここでこれを語り出したら本が書けちゃうから止めとくけど、

もし、フルトヴェングラーの生演奏を聴けたら・・・もし、ほんとに聴くことができてたら・・・
きっと、ぜったい、
その記憶はわたしのDNAに書き加えられ、それがわたしの子供たちにも確実に伝わっていた
と思う。
そのくらいのディープ・インパクトはあったと思う。
音楽が、音が、瞬時にそれを経験したDNAを書き換えるのだと、今なら信じることができるから。
そのくらい、当時は何だか分からなかったけど、とにかくすごいものと出会ってしまったということ
だけは確信していました。

それからです。
フルトヴェングラーはもちろんのこと、同じ曲でいろんな指揮者、同じ指揮者でも違うオーケストラ、
同じ曲でいろんなバイオリニスト、ピアニスト・・・。そしてライブラリーはどんどん増えていく・・・


そのあと出会ったのが、中学生の時、
たまったまNHKで見たヴァーツラフ・フデチェックのバイオリンでした。
それも、まあ、いきなりブラームスのバイオリン協奏曲に、アンコールがバッハのシャコンヌです。

こんなの体験して、どうやったらその世界から抜けられると思います? 
(え?わかんない? ごめんなさい… m(__)m;;)

それが小学6年生~中一だったかな?
そんな洗礼をその歳で受けてしまったもんですから、とてもまわりに理解者などいる由もなく・・・
まわりの同級生たちが聖子ちゃんだの俊ちゃんだの言ってるときに、
ひとりこっそり「音楽の友」やら「レコード芸術」(分厚い音楽専門誌)などを小遣いはたいて買って
は(当時、一冊千円!)クラシック界の最新情報やら、よもやま話を仕入れて喜ぶ中学生・・・
忘れもしない。
受験勉強で疲れていた冬の夜、寝る前に布団の中で、ヘッドフォンの大音量でチャイコフスキーの
「悲愴」を聞いて金縛りにあってる中学生・・・   
その後20年ほどトラウマになり、「悲愴」コンプレックスに・・・ (T_T)

当時、友人から、「自殺でもしそうだった・・・」と言わせるくらい、いつもぼんやりとうつろな目を
していたらしいが、心の中は、フルベンやベームの激しくも美しい旋律でいっぱいだったのです。
しかし、何を言っても理解されないのは解かっていたので、誰にも心の内を話したことはありま
せんでした。おかげで、そんな長い孤独な青春時代を送りました。(クラシック音楽に関してはね)

だから、やっと!!
結婚して子供を産んで、娘と息子がピアノやバイオリンを習ってくれたおかげで、
大手を振ってそういう話ができ、ピアノやバイオリンの先生と音楽談をしたり、
子供相手にウンチクたれたり、子供をダシにいろんなコンサートを聞きにいけるようになって
万々歳!!!! でした。
長年封印してきただけに、やっと水を得た魚のような気分でした。
(それは娘のバレエに関してもですけどね)

娘の関係でバレエ音楽やピアノ音楽中心になっていましたが、
息子が生まれてバイオリンを習い出したときは、またまた有頂天!
待ってました!!とばかり、これまで蓄積してきた膨大なライブラリーとウンチクがやっと日の目に!

だから我が家には、いつもクラシック音楽が身近に溢れていました。

・・・でも、最近、子供たちが大きくなってからは、あんまり聞いてないんだよね~~(T_T)


自分が一番よく聞いていたのは、やはり中学生時代~高校生の頃でしたね。
それこそ朝から晩まで、いえ、目覚めから寝るときまで聞いていました。
レコードやテープレコーダーやFMから。

でも、BGMとしてではありません。
わたしにとって、クラシック音楽はBGMにはなり得ませんでした。
なぜなら、聞き流せないからです。
もちろん、偶然聞いたあまり好きでない演奏は別ですが、
ほとんどは自分が選びに選んだ好きな曲、好きな演奏家のものでしたから、
それこそすべての旋律が頭に入るくらい、それこそ、オケは奏者ごとの機微を聞き取れるほど、
テープや盤が擦り切れるほど聞いていました。

CD時代が到来して、「いくら聞いても劣化しない」と聞き、最初は歓喜に震えましたが、
反面、CD化されないまま廃盤の憂き目にあう名盤 珍盤が抗いようもなく消えていく運命となり
けっこう悲しみに暮れました・・・

とくに、中学生時代のわたしの心を支えたのは、こと音楽に関しては、例のNHKできいた
ヴァーツラフ・フデチェックのブラームスのバイオリン協奏曲だといって過言ではありません。

朝起きてから歯を磨いているときも、登校途中も、
(学校に近づくと「新世界」にかき消されましたが…(^_^;))
授業中も、体育の見学中も、ベッドに入ってからも・・・
四六時中、わたしの心を捉えて離さなかった旋律がありました。
はっきりいって、
そのおかげでわたしは、グレたり自殺したりしなかったんだな・・・と思っています。

一時成績が下がったくらいで、そのときは、担任でもない社会科の先生が、
「3学期は元気がありませんでしたね」と
答案用紙に書きそえてくださったほど授業中、うわの空だったようです。
先生、ごめんなさい。悩みがあるんだろうと心配してくださっていたのだろうけど、
そのときのわたしの頭の中は、きっとその「ブラームス♪」の旋律でいっぱいだったんです。

でも、悩みがなかったわけじゃなく、
その悩みに押しつぶされないための避難所として、クラシック音楽があったのだと思います。
まあ、それだけじゃなく、「ポーの一族」のエドガーとアランもいたし、
「風と共に去りぬ」のレット・バトラーとスカーレットもいたし、伊藤みどり選手やコマネチもいたし・・・
ま、とにかく、そういう時代でした。 

はっきりいえば、当時、わたしの両親は離婚調停中で、まあ、いろいろあったわけです。
そんな受け入れたくない現実の中で、その現実と向き合いたくなかった自分の「避難場所」。
心が潰れて汚されてしまう前に、きれいな美しい世界のままで仕舞っておける、
そんな大切な場所。
それを与えてくれたのが音楽であり、わたしにとってのクラシック音楽なのでした。

そのあと、大学も卒業を控えた頃、だいぶ遅れて、和製ロックや洋楽に目覚め、
一度チャンネルが合うと、猪突猛進的な入れ込みようでした・・・ 
それを20年ほど引きずって今日まで至る・・・(^_^;)
が、やっぱり、
わたしの音楽好きの核となるものは、日本の童謡とクラシック音楽だと思います。

だから、ただの懐古趣味に思われるかもしれませんが、これだけは譲れないものです。
クラシック業界が最近の若い世代にも受け入れられるようにと、涙ぐましい努力や、よこしまな画策
をして頑張っておられる方たちには申し訳ないけど、まったく方向性を間違ってると思います。

かれらはそれを商品としてみているわけだから、わたしとは意見が分かれるのは承知ですが、
それでも昔の業界人、商売人という方たちは、ただ商品価値だけで見ていたわけではなく、
時代に何が必要なのか、しかし、それはアメリカ式「ニーズ」(売れる売れない)ではなく、
その時代の人々の「心の糧」となり、いずれ血肉となるようなものを見極めていたように思います。
それが戦後復興を支えてきたのではないかと・・・。

結果的にそうなっただけなのかもしれませんが、少なくとも昨今はまったくそれがないように思う。
ただ売れればいいというような使い捨て音楽が量産される今日、そういう気概や矜持といったもの
を微塵も感じない。嫌な時代だと思います。


わたしは、「クラシック」が存在する意味というのは、
たとえば、生き馬の目を抜くような、こんな世知辛い時代だからこそ必要なものだと思っています。
第一に、アコースティックな音楽には、生きている自然を彷彿とさせる力があります。
今現実に身近になくても、
人類の記憶の中に刻まれてきた自然の温もりや厳しさといったものを再生することができる。
それは土のにおいだったり、風の手触りだったり、命の温かさだったり、雨の温度だったり、
水の透明度だったり、空の高さだったり・・・それを感じ取れるのが生楽器の威力だと思います。

また、とくにクラシックというものは、その作品が生まれた時代の、そして、それを受け継いできた
それぞれの時代の息づかいや、価値観、なくしてしまった自然の匂いや手触り、
二度と再生できないものへの郷愁、政治や体制がどうあろうと変わることのない人の情熱…、

今のそれとは違う ゆっくり、ゆったりとした時間(とき)の流れや、今よりもむしろ激しい生命感や
躍動感… そういったものを感じとれること。
そして、そういったものから、 どんな時代にも共通する、人の心の幸福感や心の深淵といったもの
を感覚的に再認識できるということ。
現代にも通じる、人が生きて行くための「普遍的な価値」を見いだせること。
そういうものだと思うのです。

ま、簡単にいえば、
現代の日常生活の中で忘れてしまったり手離してしまった「大切なもの」を思い出させてくれる…
そういったところでしょうか。  (だったらそう言えよ、 って?(^_^;) )

人間社会がどんなに合理的になろうと科学的になろうと、
自分の五感だけは変わらない。それによって「感覚的」に「本能的」に感じることは変わらない。
100年前でも、1000年前でも。 それを確認することができる。

それが、何百年も昔の人でも、どんな時代の人間にとっても、
なくしてしまったものへの後悔や郷愁や、希望や絶望や、そこからの再生のすべてがそこにある…
それは人間だけが持っている 感動によって再生することができるという
「神様からのギフト」だと思うんです。 


な~んて!! (^_^;)
もちろん、わたしも、いちいちそんなこ難しいこと考えてるわけじゃありませんよ!
でも、クラシック音楽でもクラシックバレエでも、
そんな「古臭いもの」を見て聴いて、思わず心が震えてしまうのは、胸が目頭がじんわり熱くなって
しまうのは、 きっとそういうことだと思うのです。

それが、大昔の先人たちの残した「メッセージ」を受け取った瞬間だと思うのです。
それが、人類にしか与えられない、受け取れない「ギフト」なんだと思うのです。

青春時代に聴いた歌をきくと思わずタイムスリップして心が動くように、
同じ「人間」が違う時代に作った作品を通して、
人類のDNAに刻まれた「何か」を思い出させてくれる… そういうことだと思うのです。


だから、たとえば、「のだめカンタービレ」でクラシック音楽が一般に認められたことはいい。
いいけど、ただ、そこから、クラシックが単なる「BGM」で終わらないように、
こんな時代だからこそ、あえて、演奏者と自分の間に作られる「空気」のなかに
日常の「雑音」を洗い流してくれるようなオーガニックな感覚を取り戻してほしい・・・
そう思うのです。

それに触れることができたら、その「ギフト」を受け取ることができたら、
その人の人生はさらに豊かになれると、そう思うのです。

もちろん、それが叶うのは、それを伝えられるのは、
たゆまぬ努力と鍛錬と選ばれた才能… そういう磨き抜かれた<本物>だけです。
本物でさえあれば、それは「完璧」である必要はないとわたしは思います。
逆にいえば、「完璧」なものが心を打つとは限らないからです。

だからわたしはお薦めします。
懐古趣味だと言われようが、時代錯誤だと言われようが、
かれらが残した普遍的な価値はけっして失われていません。
いえ、失われては困るのです。

人がどんなに合理的な生活に慣れていても、またそれに疲れていても、
その「扉」を開ければ思い出すことができるのです。

クラシックはただ古いのではなく、
人類の確かな記憶と、メッセージを受け取ることのできる、
それを新たに確認することのできる、
新鮮な歓びに満ちた「記録」という財産なのです。

記録は「記録」であって記録ではないのです。

それは、DNAの中の「記憶」と同じだからです。




。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。



バレエもいいです。

★わたしをバレエに連れてって!!  ~ 吉田 都 の奇跡

★バレリーナ はかくあるべき! ③  吉田都 編

★バレエへの熱情再び  ~  もう一度 吉田都 が見たい!!


※わたしが好きだった演奏家たち





















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